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 妖怪というものは、簡単に言ってしまうと『陰の気』の塊だ。生物の死、人々の負の感情、夜の闇、そういった『陰』が吹き溜まり、凝り固まり、妖怪は生まれる。


 そして妖怪は人を襲う。人……というよりも、生物を、だ。『命』というものは強力な『気』を持っていて、それが妖怪にとっては美味しい餌に見える。基本的に人の負の感情や闇を吸って成長する妖怪だけど、その妖怪が人を襲うようになるのはそういう事情があるからだ。


 そして成長した妖怪は、特殊な能力を発現させたり、自我を持ったりする。『大妖』や『邪神』と呼ばれるような存在にまで成長したやつらなんかは人間と同等、もしくは人間以上の知性を持つことだってある。


 それが私の定義した、この世界における『妖怪』。主人公達を輝かせるために生み出した敵。


 ──多分、この世界を作り出している妖怪は、結構強い。


 私はさっきの現場から少し離れた大きな四ツ辻の中心で左手にスマホを載せ、その上に指を置いた状態で深く息をする。スマホの画面は暗く落ちたままだけど、きちんと起動することはランと作戦の打ち合わせをした時に確認している。


 ──異界を創り出せる妖怪……。紅涼こうりょうペアならいざ知らず、並の退魔師だったら単身で狩れる相手じゃない。


 感覚的に言えば中ボスランク。本当にあの妖怪が今回の一件の根本的な原因であるならば、被害が『行方不明者続出』だけで済んだのはむしろ僥倖ぎょうこうだったと言える。


 そんな妖怪を、素人退魔師とモブで相手取ろうというのだ。私がこの話を動かしていたら、絶対この二人は食われて紅涼ペアの捜査資料に載ることになる。


 ──だけど、私は、じゃない。


 深呼吸を繰り返してから目を開く。広い路地同士が直交する角に立っているのに、人影らしき人影は私の視界にはひとつもない。あるのは異界らしく陰った世界と不気味な静寂だけだ。


 ──見てなさい、公式作者の意地ってやつを!


 私は奥歯を噛み締めて覚悟を決めると右手に巻いてもらった布をほどいた。その手に血で汚れた布を持ち、大きく振りながらお腹の底から声を張り上げる。


「おっにさっんこっちら! 手っの鳴っるほっうへっ!!」


 しんと静まり返った世界に私の声だけが響く。その不気味さに怯える心をグッと押さえ込んで、私はさらに声を張った。


「ほーらほらほら! ここに美味しそうな人間がいますよーっ!! 活きが良いですよーっ!! 美味しそうな血のにおいまでさせちゃってるよーっ!!」


 叫んでみても妖怪の気配は感じない。だけど油断はできない。さっきだって私は、妖怪の咆哮を聞くまでその存在に気付けなかった。私の気配探知能力はポンコツだと言ってもいい。


 正直に言えば自殺行為以外の何物でもない。今の私はそれを理解している。


「出てこないなら、この世界にいる人間、全員引き連れて逃げ出しちゃおっかなぁーっ!! きっと簡単にできちゃうんだろうなぁーっ!!」


 だけど私は、湧き上がる恐怖を押さえつけて声を上げ、手を振り続ける。


「なんたってこの世界には、据え膳に食らいつく勇気も覇気もない妖怪しかいないんだもんなぁーっ!!」


 その瞬間、フッと私の視界が陰った。背後で何か大きなモノに空気が押しのけられる圧が生まれる。


 音か、血のにおいか、あるいは挑発を理解できる知能があったのか。


 ──来たっ!!


 背後を振り返りながら体を倒す。だが鋭いあぎとは既にガバリと開かれて私を捕食するために動き出していた。私が倒れ込んで体を逃がすよりも、鋭い牙に胴体を噛み切らる方がどう考えたって早い。


 ……そう、ここに立っているのが


「『バク』っ!!」


 私を捉えようとしていた牙は、それよりも先に光の網に引っかかった。私と妖怪の間に文字通り網を張っていた縛魔の退魔術は、私を飲み込もうとしていた獅子の顎を逆に包み込む。


「ルッ……グルォォォオオオッ!!」


 妖怪は網を振り解こうと頭を振って暴れるけれど、霊力で編まれた光の網はその程度では外れない。


 私はそのまま背中から地面に倒れ込むと右手の指をスマホに走らせた。私の意志を受けたスマホはパッと画面に光を走らせ、周囲に青い燐光を散らす。


『獅子の姿を取った妖怪はあぎとを剥いて無力な民に襲いかかる。場に居合わせた退魔師が術を振るうも、格の違いを前には為す術もない』


 そんな文章、ナンセンス!


 悪いけど、リテイクさせてもらうからっ!!


『獅子の姿を取った妖怪は顎を剥いて居合わせた娘に向かって牙を剥いた。だが全ては娘が立てた作戦通り。退魔師が仕掛けた縛魔の退魔術に捕らえられた妖怪は、退魔師が仕掛けた追撃によって祓われた』


「『これは光 これは刃 闇を断ち切るの刃』っ!!」


 高速フリックと予測変換を駆使してこれでもかとばかりに文面を書き換える。


 私一人だったら、こんな無防備な態勢でスマホをいじることなんてできない。だけど今の私は一人じゃない。


 塀の上から飛び降りながら呪歌を紡いだ藍がザッと地面を鳴らしながら私の隣に着地する。藍が紡いだ言霊に応えた世界が琥珀の燐光を藍の周囲に舞わせる。


 その燐光を引き連れて、藍は印を組んだ両手を妖怪に向かって振り下ろした。


「『闇は闇へ還れ 滅殺』っ!!」


『妖怪が討たれたことにより、妖怪が創り出していた異界は玻璃が破れるかのように砕けて散っていく。陽光を取り戻した世界に異界の名残の破片が散る様は、まるで薄墨色の花びらか散るかのように美しい』


 琥珀の光に叩き斬られた妖怪が光に触れた部分からボロボロと砕けて消えていく。それよりも一瞬早くスマホに文章を叩き込み終えた私は、妖怪の断末魔の中に溶け込ませるように小さく、だが強い意志を込めて囁いた。


「作者は命ず ここに新たな物語を刻め」


 スマホから漏れ出る青い燐光が量を増す。だが琥珀の燐光が入り乱れている今、藍の視界にこの青は映っていないはずだ。


「作者権限『公式更新』っ!!」


 琥珀の燐光が妖怪を滅する向こうで、青い燐光が世界を書き換えていく。ピシッという軽い音とともに異界を割った燐光は、割れて落ちてくる異界の名残の中にまぎれて消えていった。空が割れて落ちてくる向こうから穏やかな青空が姿を現し、視界は一気に明るくなっていく。


「やった……」


 思わず、私の内心が零れ落ちたのかと思った。


 だけど、私の声にしてはちょっとトーンが低すぎる。


「討てた……」


 私の胸中とまったく同じ言葉を零した藍は、呆然とした顔で日常を取り戻していく世界を見つめていた。呆然と、というよりも、ほっとしすぎて泣きそうな、と言った方が正しい顔をしているのかもしれない。


 ……そっか。


 この人、ほんとに、文字通り決死の覚悟で『俺が仕留めなくては』みたいなこと言って、実行しようとしてたのか。


 ──良かったなぁ……


 私自身が無事に切り抜けられたことよりも、彼を死なせるような事態にならなくて良かったと思った。こんな私好みなキャラがあっさり本線から退場してしまったら悲しいもん。


「お疲れさま」


 そんな思いを込めて、私はねぎらいの言葉を藍にかけた。自力で体を起こして、今度は背中側をパタパタとはたけば、はっと我に返った藍が私に視線を向けてくる。


 だから私は、藍に向かって笑顔を向けた。『もう大丈夫なんだよ』って思いを込めて。


「助けてくれて、ありがとね。藍がいてくれて、助かったよ」


 そんな私の言葉を受けて、藍は大きく目を見開く。


「それは……」

氷咲こおざきさーんっ!」


 何に一体そんなに驚くんだろう? と私は座り込んだまま小首を傾げる。


 だけど藍は遠くから聞こえてきた声に息を飲んで言葉を止めた。藍と一緒に声の方を振り返れば、うちぎを翻しながら澄村すみむらさんが走ってくる姿が目に飛び込んでくる。


「澄村さん!」


 そういえば忘れてたけど、私、澄村さんにいきなり怪異の中に突っ込まれたんだったっけ。……あれ? 澄村さん、私を中に突っ込む時に『あれは矛盾点』とか『襲ってくることはない』とか言ってなかったか? 蓋を開けてみたらガッツリ妖怪絡みの怪異だったし、襲われたし、しっかり退魔師案件だったんですが? こうして無事に生還できたからいいものの、うっかり死んでたらどうしてくれたんです?


 ……あ、ヤバい。ちょっと殺意がにじんじゃってるかも。


「いやぁ、無事で良かったですぅー! 外側からアプローチできるタイプかと思ってたんですけど、まさかの内側からじゃないと打つ手なしっていうパターンだったみたいでぇー! おまけに今回、どうやら矛盾点うちの管轄じゃなくてガッツリ退魔師案件だったようですねぇー!」

「……澄村さん?」

「でも、氷咲さん一人で対処できたんですね! 流石です!」

「おい?」


 そこ『流石です!』とかいらんから。欲しいのは謝罪だ、謝罪。誠意ある謝罪を私は要求する。


 普段よりツートーンくらい声が低いメッチャドスの利いた声を上げても、澄村さんは申し訳なさそうに笑みを浮かべるだけで謝罪はしてこなかった。なるほど? 澄村必殺『慇懃無礼』だなこれは。


 今度の原稿に絶対生かしてやるから! ついでにその慇懃無礼キャラ、ラストで散々な目に遭わせてやるからな……っ!!


 私は仄暗い殺気を創作意欲に転換することで何とか心を落ち着かせると、澄村さんが差し出してくれた手を取って立ち上がる。


 そこでようやく藍の言葉が途切れたままだったことを思い出した。


「ごめん、さっき何って……」


 結果的に藍を無視する形になってしまったことを謝りながら振り返る。


 だけどそこに、藍の姿はなかった。昼の明るさを取り戻しても人気ひとけがない細路地が続いているだけで、藍の姿どころかそもそも人影らしきものがない。


「え……?」

「氷咲さん? どうしたんですか?」

「いえ、さっきまでここに……」


 私は困惑しながら澄村さんを振り返る。そんな私に澄村さんは困惑の表情を向けていた。両方の眉尻を下げた分かりやすい困惑顔をしている澄村さんだけど、多分今の私も澄村さんと同じ表情を浮かべているに違いない。その自覚がある。


「どなたか一緒だったんですか?」

「え?」

「私が氷咲さんに気付いた時、氷咲さんはすでにお一人だったように見えましたが……」

「……え?」


 思わぬ言葉に私の思考回路が動きを止める。


 そんな私を、穏やかさを取り戻した昼のそよ風が優しく撫でていった。


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