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「す、澄村すみむらさん……」

「何ですか?」

「これって……」

「はい」

「……退魔師の仕事なのでは?」

「まぁ、そういう場合もありますね」

「いや、『そういう場合も』っていうか毎回そうだと思うんですけどっ!?」


 人気のない路地に立った私は隣に立つ澄村さんに顔を向けて抗議の声を上げた。人がいないせいなのか気分の問題なのか、私の声だけが妙に街の中に響いているような気がする。


「純粋に事件が妖怪絡みだった場合、退魔師案件ということになります。しかし世界の矛盾が起こしている事件だった場合、これは私達の案件です」

「私『達』って、さりげなく私を巻き込まないでほしいんですけど」


 対する澄村さんはどこまでも冷静だった。これが経験値の差というものなのか。それとも単に性格の問題なのか、巻き込む側と巻き込まれる側という立場の問題なのか。


氷咲こおざきさん。そもそも私達がなぜこの世界に呼ばれたのか、その根本的な理由は覚えていますか?」


 まだ昼にもなっていない時間帯であるはずなのに、人気がないというだけで街はうっすらと陰っているように思えた。そんな街の中に澄村さんは気負うことなく踏み込んでいく。


「ちょっ……! ……複数の人の念が集まって世界が成立していて、それが矛盾を生んでしまっていて、世界そのものが悲鳴を上げているから、この世界に対する編集権限を持っている澄村さんと私が、矛盾を解消するために呼ばれた。……でしたよね?」

「正解です。正確な現状認識、ありがとうございます」


 この街の中に踏み込むのも嫌だけど、ここに一人で置いていかれるのはもっと嫌だ。


 そんな消極的な理由から私は慌てて澄村さんの後を追いかける。そんな私に答える澄村さんの言葉は丁寧だけど、顔どころか視線もこっちに向いていないし、足を進める速度は私が付いてきているのか否かを確認するつもりが全くないことが丸分かりなくらい速い。


 こ、これが『慇懃無礼』のお手本か……っ!!


「世界の矛盾がどういった現象を引き起こすかは、昨日見ていただいた通りです」


『今度慇懃無礼なキャラを書いたら今までより絶対上手く書ける!』と不満を創作意欲にポジティブ変換する私に、澄村さんはようやくチラリと視線を向けてくれた。単に私がようやく隣に追いついたから見ただけかもしれないけれど。


「昨日の現場は同一人物が複数人同じ場所に登場するというもので、あれだけの規模になると中々大きな矛盾点だったと言えます」

「いきなり大きな現場によく分かっていない状況で巻き込まれたんですか、私」

「では『普通』規模の矛盾が発生するとどうなるか、という話ですが」

「もしもし? 澄村さん?」


 サラリと私の苦言を流した澄村さんは急に足を止めると自分の脇にある細道を示した。勢いあまって数歩先まで行ってしまった私は、足を逆向きに動かすと澄村さんが示す路地の先を覗き込む。


「あんな感じになります」


 その先にあるモノを見つけた瞬間、私はヒッ!! と小さく悲鳴を上げていた。


「な、なななっ!?」


 そこにあったのは、真っ黒なモヤだった。いや、ノイズとか、モザイクとか、そんな風に言った方が正しいのかも。


 まるでそこだけ景色を削り取られたかのように……そう、まるで消しゴムで消されたか、虫食いで穴が開いてしまったページがあるかのように、その空間だけポッコリとが開いている。


「すっ、澄村さんっ!?」

「大丈夫。こちらを襲ってくることはありません。あれらに意思のようなものはありませんから」


 これ絶対退魔師案件じゃんっ!! と涙目になる私の肩を澄村さんがポンポンッと優しく撫でてくれる。いや、そんなんで収まるようなもんじゃないですからねこれっ!!


「発生した矛盾点は、様々な『ワザワイ』を起こします。一般的なモブキャラの間では、矛盾点も妖怪も似たような存在なんです」


 私は半泣きのまま、カクカクと音を立てる首を無理やり澄村さんの方へ向けた。いまだに私の肩を撫で続けてくれている澄村さんは、慈愛に満ちた表情で私のことを見つめている。……何となく、私の肩に載せられた手の動きが、不穏な空気を纏っているような……


「私は人から依頼を受けて、矛盾点を消滅させることを生業なりわいにしています。人呼んで『祓屋はらいや澄村』。氷咲さんがついてくれた今は百人力ですねっ!」

「待って」

「さぁ、氷咲さん! 何事も習うより慣れろと言います。とりあえず手始めにチャチャッと祓ってみましょうっ!」

「ちょっと待ってもらえますか澄村さぁんっ!?」


 澄村さんの手がゆっくりと私の肩に触れたまま止まる。いつの間にか両手になっていた手はガッチリ私の肩を捕獲していた。やっぱりこの手は私を逃さないために置かれていたのかっ!!


 同時に、私の頭の中に呼び起されたのは、澄村さんの家で見た光景だった。


『澄村先生、助けてくださいっ!! 西市の裏手で人が何人も立て続けに消えていて……っ!!』


 断りもなく家に飛び込んできた男の人は、手前に座っていた私になんて目もくれずに言葉をまくしたてた。


『まずはお話を聞かせてください。まぁ、おかけになって』


 え、誰これ不審者? と目を白黒させながらも空になったどんぶりを手放そうとしなかった私に『氷咲さんはしばらく黙っていてください』と視線だけで告げた澄村さんは、男の人に椅子を勧めると自分は台所から水を入れた湯飲みを持ってきた。そんな澄村さんの様子からとりあえず男の人が不審者ではないのだと察した私は、相変わらずどんぶりを抱えたままスッと気配を消す。


 空気に同化するのは案外得意なのだ。趣味にばかり走ってきた、コミュ障の陰キャなので。


『あ、ありがとうございます……』


 男の人は澄村さんに勧められるがまま大人しく水を煽った。ふぅ、と大きく息をついた所から察するに、多少は気分も落ち着いたのだろう。


 そんな空気を敏感に察知したのか、元の椅子に腰かけ直した澄村さんは両肘を机につき、組んだ手の上に顎を置いてスッと話題を切り出した。


『西市の裏手で人が何人も立て続けに消えているということでしたね?』

『はっ……はい! そうなんですっ!!』

『どのような方が消えたのか、分かっているだけでいいので教えてください』

『えっと、西市の裏手で消えたって確証がある人間だけでも五人いて、一人目が……』


 男の人曰く、消えた五人というのは、西市で店を開いている布屋の女将、買い物に来ていたお屋敷勤めの女中、市を冷かしに来ていた若い男、そして近所に住んでいる子供が二人。『確証がある』のはこの五人だが、確証がない行方不明者ならもっといるのだという。確証がある五人はいずれも同じ裏路地に入っていく姿が最後に目撃されていて、そこでパタリと消息が途絶えているらしい。


 住む地域も違えば、性別も、年齢もバラバラ。共通点といえば同じ裏路地に入ったということだけ。


『だからその路地には……ひいては西市には、何か良からぬモノがいるんじゃないかって噂に……』

『それはあきないに響きそうですね』

『そうなんでさぁ! このままじゃ商売あがったりなんですよっ!!』


 何とかお願いしますよ澄村先生ぇっ!! と男の人は机に突っ伏した。そんな男の人を前にしてもどこまでも冷静な澄村さんは、組んでいた手を解くと『ふむ』と小さく呟いた。


 この時、私は思ったものだ。『ふむ』なんて思ってる場合じゃないですよ澄村さん、と。


 その続きと全く同じ言葉が再び浮かんできた私は、今度はその言葉を飲み込むことなく全力で叫ぶ。


「確かに私達退魔物の作品書いてましたけどもっ!! あくまで『書く』『創る』が専門で実際に戦うことに関して専門外であるはずですっ!!」

「慣れましょうっ! 10万文字の原稿もまずは始めの1文字からって言いますからっ!」

「確かにそうなんですけどその言葉は初めて聞きま」

「はい、ツベコベ言わずに行ってらっしゃい!」

「つうぇっ!?」


 私の両肩を掴んでいた手は、いともたやすく私を怪異……黒いモヤに向き直らせるとドンッと強く背中を押した。突然のことにつんのめるように前に出た私の体は、気付かないうちに路地の中に足を踏み入れている。


「氷咲さんは怪異の中から原因にアプローチしてみてください! 私は外から」

「ふぇっ!?」


 グニャリと背後で景色が歪む音がして、フツリと澄村さんの声が途切れた。二、三歩たたらを踏んでから振り返ってみれば、そこに澄村さんの姿はない。


「うっ……うそぉ……っ!?」


 いきなり放り出されたっ!? 正真正銘、これが初めての実地なのにっ!! まだ澄村さんの職業が『祓屋』で、退魔師もどきのことをしているってことしか理解してないのに!


 いくらなんでも理不尽すぎるっ!! こんな理不尽を受けていいのは主人公だけであるはずだっ!!


「えと、えっとぉ……っ!!」


 私はカクカクと首を正面に戻す。


 さっきまでは路地の先に真っ黒なモヤが見えていたのに、今はそのモヤが見えなかった。代わりに世界全体が暗くなったというか……フィルム写真のネガを見ているかのように、全体的に世界が暗転している。先程にも増して人の気配もないし……というよりも、建物とかの立地は変わっていないのに、人が暮らせる空気を、今この世界からは感じられない。


「う、うぅ……! これ、絶対取り込まれたぁ……っ!!」


 そういえば、澄村さんも言ってたな。『氷咲さんは怪異の中から原因にアプローチしてください』って。


 いや……いやいやいやいや? ド素人どころか右も左も勝手も何も分かっていない人間を、実地どころか怪異の中に突っ込むってどうなんですか? ドSや鬼畜で片付けるにしても程がありません?


「納期で鬼畜カマすのとは訳が違うんですけどぉ〜?」


 何せこちとら命の危機だ。さすがに『そういえば紅珠こうじゅりょうと喧嘩して飛び出した先で異界に巻き込まれて〜それを後から我慢できずに追ってきた涼が外側から必死に探して〜みたいなシチュエーションあったなぁ〜。なぁんだ! それと同じじゃないか☆』などと呑気に追体験を喜ぶ気にもなれない。


 何せ私は! ちょっと作者ってだけで今はただのモブなのでっ!!


 戦闘能力高めなうちの子達とは比べるまでもなくスペックがはるかに劣るんですっ!!


「って愚痴り続けても仕方がないかぁ……」


 私はふぅ、と盛大に息をつくと視線を世界に据え直した。左手に握りしめたスマホの上に右手を被せるように置いて、いつでも画面を起動できるように構えて姿勢を正す。


 そして腹を括って深く息を吸うと、震える声を必死に張った。


「だっ、誰かいませんかーっ!?」


 一度声を張ると、ちょっとだけ体から余計な緊張が取れたのが分かった。声はみっともなくかすれて裏返っていたけど、そんなの気にしてはいけない。


「誰かいたら、返事してくださーい! 誰かいませんかーっ!?」


 返事は最初から期待していない。声を上げる第一の目的は、ガッチガチに緊張した自分の体をほぐすためなのだから。


 少し体が解れたと思ったら、すかさず足を一歩前へ。一度踏み出してしまえば、ゆっくりとでも二歩目は出せる。


 文章に行き詰まった時と同じだ。ウンウン唸ってないで、何かとりあえず苦し紛れでも吐き出してしまえば、案外続きは出てきてくれたりするものだから。


「誰かーっ!?」


 この世界の基盤は、私が創った『絶華』。ネットに掲載していた部分では、紅珠が涼と喧嘩をして単身怪異に取り込まれる、というシチュエーションも書いた。その部分が今起きている現象のベースになっているならば、取り込まれたからといって即刻身の危険にさらされるようなことにはならない。澄村さんもそれが分かっていたからこうした、はず! ……そうであってくださいお願いします……っ!!


 後はこの部分を創り上げている誰かの妄想が『より危険なシチュの方が萌える!』っていう鬼畜パターンじゃないことを祈るのみっ!!


「返事・ギブミーッ!!」


 私の予想が正しいなら、怪異に取り込まれたという人達も無事であるはずだ。その人達と何とか合流して、この世界から抜け出さなくては。それに……


 ──この怪異の根本が何であるのか分からないと、書き直すことだってできないし……


 澄村さんは最初、あのモヤのことを『矛盾点』と呼んでいた。矛盾点であるならば、多分私が『何が矛盾しているのか』を理解した上で、私の能力である『作者権限』でその部分を上書きして整合性が取れるようにすれば、あのモヤは消滅するはず。


 ……だけどただの矛盾点が、こんな風に異世界を丸ごとひとつ創り出すようなことをするものなのだろうか?


「誰でもいいから、お返事ーっ!! しゅっせーきっ!! ばんごぉぉぉっ!!」

「ギュルォォォオッ!!」

「へぁっ!?」


 ともあれ、今の私がここで疑問を抱えていても答えてくれる人は誰もいない。


 だから私はヤケクソ気味に声を張り上げる。


 その瞬間、足を踏み込んだ四辻の角から、あまり聞こえてほしくない系統の声……いや、音? 咆哮? ……何かそんなようなものが聞こえてしまった。せっかくいい感じに緊張が解れてきていたのに、体がまた瞬時に凍りつく。


 ──いや、これは絶対、聞こえたらヤバいやつ……


 本心から言えば、確認したくはない。だけど確認しなければ命に関わるかもしれないということも、分かる。


 私はまた首をカクカク言わせながら、音の方向へ視線を投げた。


「グルォォォオオオッ!!」


 大地を掻く鋭い爪。赤い眼光から放たれる鋭い視線。首の周りを縁取るたてがみだけはフッカフカで埋もれてみたら気持ち良さそうだった。


 ……この世界で初めて遭遇した住人は、牙を剥いた口元からボタボタとヨダレを垂らしてイッちゃった目をした、獅子の姿をしていた。


 って。


「これは住人じゃなくて間違いなく妖怪っ!!」


 思わずこぼれた絶叫のおかげで体が動いた。その隙を逃さず私はその場から脱兎の勢いで逃げ出す。背後の飢獣が間髪入れずにそんな私を追ってくるのが気配で分かったけど、もう走り始めた足は止められない。っていうか止めたら死ぬっ!!


 ──取り込まれたら死ぬ系の鬼畜シチュだったぁぁぁっ!!


 矛盾点じゃないじゃんっ!! しっかり妖怪じゃん!! 退魔師案件じゃんっ!!


 そして走り始めてから『こういう時こそ作者権限でこの状況を書き換えれば良かったんじゃ?』という考えがよぎったけどもう遅い。さすがにこの速度を維持して走り続けたまま文章が打ち込めるとは思えない。下手したらスマホを落とす。壊れでもしたら私はもはや完全にただのモブだ。


 ──どうっすればいいのこの状況ぉぉぉっ!!


 叫びを胸の奥に押し込んで必死に足を動かす。だけど悲しいかな、私にはキータイピングのために指を高速で動かし続ける機構は搭載されていても足を高速で動かし続ける機構は搭載されていない。学生時代ぶりかついきなりの全力ダッシュに耐えきれず、足首が外れそうな違和感が足元に走り始めた。


 ──あ、これ、無理。


 ガクンッと足元が崩れる。その瞬間、背後で獅子が爪を振るう気配が伝わってきた。振り上げられた足が瞬時に繰り出されるのが風圧で分かる。


「っ……!!」


 ──殺されるならせめて紅珠の退魔術か涼の剣技が良かった……!!


「『ゲキ』っ!!」


 そんなことを内心で叫びながら土の上に崩れ落ちた瞬間、だった。


 バツンッと空気が捻れる。ちょうど私の頭上を通過する形で放たれた衝撃波は獅子にクリティカルヒットをかましながら駆け抜けていった。背後で凄まじい音が響き、獅子が周囲の家屋を巻き込みながらふっ飛ばされていったのがその音で分かる。


 そんな世界を上書きするかのように、は響いた。


「頭下げてろっ!!」

「え?」


 聞き覚えのない声に思わず頭を上げかける。だけど私の頭が上がり切るよりも、突然視界に足が生えてグッと頭に圧がかかる方が早かった。その圧に負けて『ウグッ!』と呻きながら顎から地面に崩れ落ちると同時に、頭上では呪歌詠唱が始まっている。


「『汝、この世界に満ちる力 汝、この世界に満ちる刃 我が前に道を開き 万難を打ち祓い給え』」


 空気が、変わる。その中にパンッと鋭く柏手が響いた。


「『退魔滅却 破刃はじん光斬こうざん』っ!!」


 呪歌詠唱を受けて集った光が刃となって撃ち出される。瓦礫の中から身を起こしたばかりだった獅子は刃を受けるとギャンッ! と情けない声を上げた。


 ──でも、浅い……!!


 私は退魔師ではない。だけど、この世界を創った私には分かる。


 今の攻撃では、この妖怪を討伐することはできない。


「チッ……! 『我は汝に命ず この光を妙縛みょうばくと成し……」


 声の主もそのことを分かっていたようだった。追撃するために新たな呪歌が紡がれる。だけど不利を覚ったのか、獅子の妖怪はヒラリと身を翻すと瓦礫の向こうに姿を消してしまった。


「あ……っ!!」


 マズい! ここで逃したら、この世界に取り込まれてる他の被害者の身が危うくなるのに……っ!!


「待て。そんな足で考えなしにどこへ行くつもりだ」


 私は慌てて立ち上がろうと体に力を込める。


 だけど再び降ってきた腕がグッとまた頭を押え込む方がまた早かった。今度はかろうじて腕と肩と首周りに力を込めて地面に顎を激突させることだけは回避できた。


 てか何なんださっきからあんたはっ!! 仮にも女の顔の危機なんですけどっ!?


「手当してやるから、ちょっと待ってろ」


 私の頭を押さえつけていた手が離れる。そのタイミングを見計らってガバッと顔を上げた私は、そこにいた人物にポカンと口を開いたまま固まってしまった。


 ……すごく綺麗な、男の人だった。


 ポニーテールに纏めても毛先が肩甲骨辺りまで来る艶サラな黒髪。伏せられた瞳は微かに藍がかっていて、その色が肌の白さを際立てているような気がした。袖も裾もたっぷりと布地が使われた装束は深い藍色で、それがまた嫌味なくらいよく似合う。


 まさに、藍色の麗人。それこそ、この世界の主人公である紅珠や涼と並んでも遜色がないような。


 だけど、私が目をみはったのは、そんな理由からじゃない。


「え、誰……?」


 この世界に転移してきてまだ1日ちょっとな私だけど、『公式に描かれたキャラほど造形がハッキリしている』というこの世界の法則らしきものにはすでに気付いている。紅珠や涼、瑠華るかの姿はハッキリとしているのに街を行き交う住人達の姿はがどこかボヤけて見えるのはそのためだ。もしかしたら私が彼らをそれぞれ個々認識できるようになれば姿形もくっきり見分けがつくようになるのかもしれないけれど、現状ではとにかく私は彼らのことを一括して『モブ』としか認識できていない。


 そうであるはずなのに、今目の前にいる美人さんは、とても存在がはっきりとしていた。


 そして私は、こんなキャラを書いた覚えがない。


 ──え? 待って? こんな好みのキャラ書いてたら、どんな端役であっても忘れるはずがないんだけど。


「誰? って……」


 私のそんな呟きの内情を知らない美青年は、私の言葉を額面通りに受け取ったようだった。私の足首に向かっていた視線が上がり、しかめられた顔が正面から私を見る。


 おっと、不機嫌そうでも大変な美人……ではなく。


「あ、ごめんなさい。助けてもらったのに……」


 私の疑問はともかく、ただ状況だけを見てみたら私は妖怪に襲われていた所をこの美人さんに助けてもらい、さらには足の治療までしてもらおうという所だったわけだ。この状況での第一声が『あんた誰?』ではいかにも失礼すぎる。いや、ほんと、『あんた誰?』状態なんだけども。


「……ラン


 慌てて態勢を整えてお礼を伝えようとした瞬間、美青年は瞳を伏せてボソリと呟いた。


「『藍』と書いて、『ラン』と読む」

「え……」

「故あって、まことの名は言えない。だから、仮の名ではあるが藍と呼んでくれ」


 ──名前……教えてくれた?


 私がポカンとしている間に、美青年は私の足首に手をかざしていた。ボソボソと聞こえた言葉は快癒の呪歌で、零れ落ちた燐光がじんわりと私の足首を温めてくれる。


「あ、ありがとう、ございます……」


 呆気に取られたままようやくお礼の言葉を呟くと、美青年……藍はコクリと小さく頷いた。


 しばらく私の足首に手をかざしてくれていた藍は、治療が終わると無言のまま手を引く。治療終了と判断して足首を回してみたけれど、もう痛みは感じない。元から運動不足の体をいきなり全力で動かした痛みだけだったから、大事にはなっていなかったんだろうけども。


「手も」


 はー、自分が設定したものだけど、退魔術って便利ですごいものなんだなぁー、と感心していたら、藍は私の前にひざまずいたままスッと片手を差し伸べてきた。言葉の意味が分からず首を傾げれば、藍の瞳がまた不機嫌そうにすがめられる。


「転んだ時に擦りむいたんだろう。血がにじんでいる」

「えっ?」


 その言葉にようやく手の中に視線を落とす。確かに、右手の付け根辺りから微かに血がにじんでいた。


 あー……左手はスマホ握りしめたままだったから腕から面で滑り込む感じでコケたけど、そんな左側を庇うために右手側は手から地面についちゃったのかぁー……


「だ、大丈夫、です、これくらい……」

「良くない」


 だけど、本当にどうってことはない傷だ。なんならささくれを間違えて深追いしてめくった時の方が出血も痛みもひどい。放っておいても勝手に治ってくれる程度だ。


 だというのに藍はガシッと私の手を取った。繊細な見た目からは想像できないほどその手は大きくて、力も強くて、ゴツゴツしている。しっかり男の人の手だ。


 ヒェッ……! ギャップ萌属性の作者の心臓、痛いです……!!


「女が己の体の傷に無関心になるな」

「ヒェッ」

「それに、血のにおいは妖怪を引き付けやすいからな。巻き込まれるのは御免だ」

「……あ」


 もしや前者よりも後者の理由の方が強いな!? 何なら本音は一番最後だな!? こういう『乙女の期待を上げて落とす』系の男子は間違いなく氷咲作品の男子ですね!?


「ま、待って! 妖怪を引き付けやすくなるなら、むしろ好都合じゃないですか!?」


 一瞬、ただの萌女子に成り下がっていた私は、藍の『妖怪』という言葉で我に返ることができた。


 そうだよ、ギャップ萌とかしてる場合じゃないからマジで!!


「私を餌にあの妖怪をおびき寄せた所を討てばいいじゃないですか。それに、退魔以外で力を浪費するのだって、状況的に避けるべきことだと思います」


 快癒も、妖怪を退けるために練られる力も、結局元を正せば同じ霊力に行きつく。


 私が書いた世界の退魔術は基本的に『世界に満ちている霊力である地脈の力を引き出し、自分の霊力でその力を望む形に練り上げて行使するモノ』という設定だから、下手な大技を使わなければ命に関わるレベルで己の霊力を消耗することはない。


 だけどどんなに小さな退魔術でも『引き出した力を己の霊力で加工する』という工程を経ている以上、多少なりとも霊力は使うわけで。そのちょっとした疲労の蓄積はいざという場面になった時、絶対に影響してくるはずだ。


 彼が何者なのかは分からない。分からないけれど、とりあえずそれは脇に置いといて、この状況下で彼の退魔術は間違いなく頼みの綱だ。多分あの妖怪を倒せないと元の世界へは帰れないし、仮に帰れなかったとしても、他にこの世界に取り込まれているだろう人達の身の安全を確保するために妖怪討伐は必須項目だと思う。


 とにかく、手の治療までしてもらおうなどと甘えたことを言ってはいけない。


 私は藍の手から己の手を引き抜こうと力を込めて……あれ? 引き抜……


「お前の言うことにも、一理ある」


 じゃあ手を離してもらえませんかね!? 全然力入ってるように見えないのにまったく抜けないんですがっ!?


 これ以上見た目とのギャップを見せつけないでくれっ!! 死ぬからっ!! ギャップ萌作者、萌死にしちゃうからっ!!


「だが、個人的にはやはり、女が怪我をしているのは見過ごせない」


 私が内心で盛大に悲鳴を上げていることなど知るよしもない藍は、左手で私の手首を捕獲したまま、空いていた右手を袂の中に潜り込ませた状態で右袖を口元に運ぶ。そして『もしやこのシチュエーションは……!』と私が息を呑んだ瞬間、藍は歯と空いた手を使って襦袢の袖を景気よく破り取った。


「きっ……」


 キタァァァアアアッ!! 来たよっ!! 『袖や手巾ハンカチを裂いて即席包帯を作って手当する』っていう萌シチュエーション来たぁぁぁぁああああっ!!


「これなら呪力も消費しないだろう?」


 とか何とか言っちゃって、藍はサッと私の手を手当してくれた。『呪力を消費しないだろう?』と言ってるくせに、布を巻く前に傷口の汚れを落とすためにサラッと軽く浄化の力を使ってくれたのを私は見過ごさない。おまけに巻かれた布は明らかに高級品だ。深い藍色の装束に映える薄青の襦袢は明らかに絹でできていて、美しい色味は私の手から血を吸ってあっという間に薄汚れていく。


「た、高い衣なんじゃ……」

「気にするな。私が勝手にやったことだ」


 はぁぁぁっ!? 誰ですかこんなイケメン書いた人っ!!


 公式作者がスライディング土下座でお礼を申し上げますっ!!


「さて。これでいいか」


 はわわわわ……、とただの萌女モエジョと化している間に藍の手当は終わっていた。ようやく藍の手が私から離れて、私の右手が自由になる。


「では、俺はもう行くが、気をつけて逃げろよ。さっきのように大声を上げながら歩き回るなんて愚の骨頂。慎むようにな」


 よっこいしょ、と声を上げながら、藍はゆっくりと立ち上がった。私が頭の上に疑問符を浮かべた時にはヒラリとポニーテールの毛先が翻っている。


 え、ちょっと待って!


「ま、待ってください! どこ行くんですかっ!?」

「どこ……? あの妖怪を討伐しなければならないだろう?」


 慌てて呼び止めると藍は不思議そうに私を振り返った。


 いや、そうなんだろうけども……そうなんでしょうけども……!


「お、置いてかないでくださいっ!!」


 とっさに出たのはそんな情けない言葉だった。うぅ……! もっとカッコよく引き留めたかったのに……!


「私を餌にするって話はっ!? さっき『一理ある』って……!」

「『呪力を浪費するのは避けるべき』という点に同意したのであって、その部分には同意していない」

「いやっ、でも……っ!!」

「女を餌に妖怪を呼び寄せるような真似を俺はしない。巻き込まれるのも御免だ。あの妖怪は、お前に関係のない所で、俺が討つ」


 いや、カッコいい……惚れる……


 ……でも今は、そんなことを言ってる場合じゃない。


 だって私はさっき藍が繰り出した退魔術を見て


「討てる自信が、あるんですか?」


 藍と名乗るこの美青年は、恐らく正規の退魔師ではない。退魔師はみんな動きやすいように狩衣みたいに衣の左右が深く割れた七分袖のほうとズボンみたいに足の部分が分かれた細身の袴、足元はブーツ風味の革靴か中華色が強い布靴という設定をしているけど、藍の装束は袖も裾もたっぷりと布地が使われた漢服ベース……貴族の私服や高位文官用に設定した装束だ。体捌きも手付きもどこかぎこちなさを感じたし、退魔を本業にしている人間とは思えない。こんなレベルの人間を私が書いた捕物現場に突っ込んだら、多分真っ先に妖怪に食われて死ぬ。


「……それは」


 案の定、藍は気まずそうに私から視線をそらした。自信はまったくない、といった風情だ。


 だけど藍がそんな表情を見せたのはほんの一瞬で、次の瞬間には決然とした視線がしっかりと私に据えられる。


「しかし、俺がやらなくては。俺は他の人間と違って、ヤツに対抗しうる手段を持っているのだから」


 いやぁ、ほんっとイケメン。一体誰が書いたんだ、こんなに私の萌ツボにダイレクトアタックかますキャラ。マジで這いつくばってお礼を述べたいんだけど。


 ……そのためにもやっぱり、私はちゃんと動き出さないと。


「生き延びるために、使える手段は全て使うべきです」


 私は自分の体の動きを確かめるようにゆっくりと立ち上がった。その動きはしくも、さっきの藍の動きによく似ている。


「あなたがあの妖怪を討たなければならないと、真剣に思っているなら余計に」


 両膝をグッと上げて立ち上がり、擦り傷に触らないように右手の指先でパタパタと土汚れを払う。Tシャツと上着代わりのパーカー、カーゴパンツという奇異な格好に今更気付いたのか、藍は私の全身を眺めて不思議そうに小首を傾げた。


 気休め程度に服から汚れをはたき落とした私は、左手の中に握りしめたスマホの存在を確かめながら、そんな藍を真っ直ぐに見上げる。


「私に、退魔術は使えません。だけど、餌になる以外で役に立てる能力が、私にはあります」

「……何?」

「協力しませんか? 妖怪を討って、みんなを助けて、無事に元の世界に戻るために」


 私は、彼が何者なのかを知らない。心当たりもなければ検討をつけることさえできない。


 だけどそれは、彼だって同じであるはず。


 私はとりあえず全てを棚上げにして、藍に共闘を申し入れたのだった。


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