第5話 結果発表

 呼ばれた気がして目を開く。幽華の顔が目の前にあった。俺と目が合うと、幽華の目は大きく見開かれる。


「あっ、ナヲ君が起きた~!」


 うるさっ!至近距離で大声を浴びせられた。それで意識が一気に覚醒した。額にズキズキとした痛みが残っている。触ってみるとコブになっていた。熱を持って厚く隆起している。そりゃそうか。辞典が頭に降ってきたのだから。目に映るチリチリとした閃光を感じながら、寝ていたベッドから体を起こす。


「気を失ったナヲ君をマナカンが、ベッドに寝かせてくれたのだよ。ぶつかったところの手当てもしてくれたのだ。その後、ナヲ君の親が帰って来たからマナカンは事情を説明して帰ったのだよ」


 頭部がまだ痛いので、理解に少しラグが生じているけど、俺は気絶していたのか。時計を見ると午後七時半。愛花と話していたのが五時過ぎくらいだったから、二時間ちょっと眠っていたことになる。


「あの…ナヲ君」


 申し訳なさそうな幽華の声。


「ずっと看ていてくれたのか。ありがとな、幽華」


 声を発すると自分の額から、何かが剥がれる感覚がある。手元に落ちたそれは、小さくたたまれた濡れタオルだった。何となくあるべき場所に戻したほうがいいと思い、もう一度額にくっつける。が、すぐに落下してしまう。…まだ寝ぼけているかな。


「お礼なんて言わないでほしいのだよ。元はといえば幽華のせいでケガしているのだし…。本当にごめんなさいなのだ」


「あはは、まあ大丈夫だ。正直、気を失って助かったみたいなところもあるし」


「え、どういうことなのだ?」


「いや、何でもない。それより、せっかく幽華にいろいろ見せてもらっていたのに、放置するような格好になって悪かったな」


「それは…幽華が金縛りをかけていたのだから、別にナヲ君のせいじゃないのだ。あ…これも謝らなきゃだね。金縛りしてごめんなさい。マナカンと仲良くなりたくて、やり過ぎちゃったのだ。…うう、思い返すとナヲ君に悪いことしてばっかりなのだ。グス…幽華なんて…ナヲ君と一緒にいないほうが…」


「いやいや、落ち着けって。一人でネガティブモードに入ってないでさ。幽華にいなくなられると、俺は悲しいぞ。幽華の全部を俺にくれるんだろ?」


 若干泣きべそをかく幽華の頭を撫でてやる。霊体だから触れないけど。


「あ…。エヘヘ、ありがとうなのだ。ナヲ君は優しいのだね」


 頬を染めながらクシャッとした笑顔を見せてくれた。やはり幽華はヘラヘラしているほうが、もとい、ニコニコしているほうが似合う。なんて考えていると、幽華がハッとした顔で目尻の涙を拭う。本当に表情がコロコロ変わるから、見ていて飽きない。


「マナカン!お礼だったらマナカンに言うのだよ!ナヲ君をベッドに寝かせたり、オデコに濡れタオルを乗せてくれたり、全部マナカンがやってくれたんだよ!」


 両手を忙しなく動かしながら、一生懸命に伝えてくれる幽華のなんと可愛いことか。


「じゃあ、愛花に電話で礼を言わなきゃな」


「へ?道路挟んで向かいがマナカン家なのだから、窓を開けて大声でお礼を伝えるといいのだよ」


「いやいや、迷惑だから。そりゃあ子供の頃はそういうこともしたけどさ。しかも、夜だし完全にアウトだから」


「むう。それもそうなのだよ。じゃあ幽華だけでもマナカン家に行ってくるね」


 そう言うと幽華は、愛花の家の方向へ部屋の壁をすり抜けて行った。やっぱり霊体って便利だな~。とりあえず愛花に電話しなきゃな。愛花に電話を…。愛花に…。そういえば俺、数時間前に告白まがいのことをしてたよねえええ!ヤバい、一気に顔が熱くなってきた!不本意な形とはいえ、確かに「ナヲの好きな人は私?」という問いに対して、一回に瞬きをした。つまり、愛花に好きだと伝えた。


「マジかよ…」


 天井を見上げながら独りごちる。俺こと、寺田ナヲは桜内愛花を異性として好いている。だって、そうだろ。幼い頃から内向的で友達をつくれなかった俺を、いつも愛花は気にかけて引っ張ってくれた。幼馴染として放っておけないから――みたいな理由なのはわかっている。だから勘違いしないでいようと思っていたのに、俺はものの見事に愛花に惚れていた。面倒見が良くて、明るくて、優しくて、これで好きにならないとか無理だった。同時に俺には釣り合わないような眩しい女の子。根暗な俺とは対極の存在だった。好きだけど告白なんてするつもりなかった。それが今、どうなっている?愛花からしたら「まさか私じゃないよね?」的なニュアンスで出したはずの質問に、ただの幼馴染に過ぎない俺が「実は好きでした」と強行突破したという恥ずかしい状態だ。今すぐ引っ越したいレベルだ。愛花の思わせぶりな態度につられてやってしまった。告白の返事など聞く必要がないし、そもそも聞きたくない。忘れてほしい。自分の体が熱を持ち、汗も出てきた。スマホに映し出された愛花の電話番号を、指先でタッチするだけの動作を未だに実行できない。間もなく操作画面が暗くなると、スマホにまで見放された気分になってしまう。もう一回寝ようかな。なんて考えていたら、愛花から電話がかかってきた。陰鬱な気分とはかけ離れた明るくも、どこか無機質な着信音が部屋に響きわたる。まさか、愛花の方からかかってくるとは。一度咳払いしてからスワイプして電話に出る。聞こえてきたのは、俺の気持ちなど眼中にないかのような愛花の声だった。


「ちょっとナヲ~!ユウをうちに寄越したのアンタでしょ!急に壁から女の子が生えてきてビックリしたんだからね!しかも目の前から!その後はナヲが目を覚ました~って、はしゃぎまくって私じゃ手に負えないわよ!早く引き取りに来てよ」


 バタバタと物音と共に、早口に捲し立ててくる。


「え、なんかゴメン。というか状況が分からないんだけど」


「ん?ナヲが仕向けたんじゃないの?まあ、そこはいいわ。ユウったらテンション上がっちゃって多分、無意識にさっきのポルターガイスト?をやってるのよ!簡潔に言うと私の部屋がぐっちゃぐちゃよ!物が転がって飛んでぶつかって、大散乱してるのよ!」


 電話口からはガン!とかコン!とかガラガラ~!とか聞こえてくる。すごく喧しい。


「とにかく、幽華を落ち着かせないとな」


「落ち着かせるってどうすればいいのよ」


「うんうん♪どうすればいいのだ?」


「「⁈」」


 電話口から幽華の声がいきなり聞こえて驚いてしまった。愛花も驚いたらしい。


「って幽華、そこにいるんだな」


「そうなのだ。あ、マナカン、マナカン!言った通りナヲ君元気になってたでしょ~!これで一安心なのだ!」


「別に死んだ訳じゃないんだから、大袈裟なのよ、ユウは。それより部屋の物を散らかすの、止めてくれないかしら」


「…あ、そうだね。少しはしゃぎ過ぎたのだ」


 電話越しに聞こえていた物音が収まった。


「気を付けなきゃダメだろ幽華。わざと…じゃないよな」


「わざとじゃないのだ。感情が昂ぶったから力が暴走したのかな…。こんなこと、今までなかったのに」


「さっき俺が目を覚ましたときは、なんともなかったのにな」


「多分、ナヲ君に悪い事しちゃった気持ちの方が、大きかったからだと思うのだよ」


「そっか。とりあえず、この件に関しては後で考えるとして、無意識とはいえ愛花の部屋を散らかしたんだから、やることがあるんじゃないのか?」


「う…。マナカン、散らかしてごめんなさいなのだ」


「もういいわよ。部屋も五分くらいで片付くだろうし、ナヲも声を聴くかぎり元気そうだからね」


「心配かけて悪かったな。倒れた後の面倒も見てくれたんだってな。ほんとにありがと」


「私もいろいろやり過ぎてしまったから、感謝なんてしなくていいわ。あの状況をつくったのも私なのだし」


「それでもだ。ありがとな」


「…そういうところよ。ナヲのバカ」


「ええ…、なんで罵られているの…」


「ひとまず無事で良かったわ。顔も見せてよ」


「わかった」


 カーテンを開けて向かいに家を見る。二階の窓、こちらと同じようにカーテンが動いて、部屋着の愛花が現れる。遠慮がちに手を振ると、愛花も振り返してくれた。


「うーん、まだ本調子って感じではないけれど、起きたばかりだろうし仕方ないわよね」


「俺なんていつもボケっとしてるし普段と変わらんだろ」


「それ、自分で言っちゃうワケ?私の気遣い返しなさいよ」


「フフッ、気遣いだったのか。ちなみに、幽華は今何処に?」


「私の部屋の隅で子犬みたいにちょこんと座ってる」


「幽華なりの反省なのかな。改めて、幽華が部屋を散らかしたみたいで悪かった」


「そう言われるとナヲが悪い訳じゃないから、私も八つ当たりみたいになっちゃってたかも。こちらこそ、ごめんね」


 俺が手の平をオデコに持ってきて謝るポーズをするのに対して、愛花は丁寧にお辞儀をしていた。つられて俺もお辞儀をした。そういえば、さっきから幽華が大人しいような…。通話が終わるまでは静かにしているつもりなのかな。


「話は変わるけど謝りついでというか、あんな尋問みたいなことしてごめんなさい。好きな人いるか聞いたやつ」


 ……っ!その話になるのか!喉元がキュウとすぼまる感じがした。まだ、心の準備ができていない。どういったスタンスで話せばいいものか。


「大丈夫だ、気にしてないからな」


 咄嗟に出た言葉は味気ない。というよりも、本題はそこじゃないだろ。


「ナヲは気にしてないの?」


 そら、見たことか。うわー、もー、選択肢を間違えたでしょ、これー。


「いや、違くてだな。メチャクチャ気になって…」


「そっかあ、そうだよね。後でジュースでも奢るから許してほしいわ」


「ジュースとかいいからさ…。それより許してほしいって?」


 許しを乞うほど俺は嫌われているのだろうか。あっけらかんとした声で愛花は続ける。


「でも、驚いたわよ。ナヲに好きな女の子がいたなんてね。それも一緒の時間が長かった私が気付けなかった。一体誰なのかしらね」


「……はい?」


 言われた台詞の意味が分からない。愛花は俺の好意に気付いていないのか?全ては勘違い?まさかの一人相撲?


「え、ちょっと待ってくれ愛花。ん…?どういうこと?」


「あれ?頭打ったから、記憶がゴチャゴチャになったのかしら」


「そんなこと…あるのかな…」


「忘れているなら思い出させてあげるわ。さっきナヲに好きな人がいるかを聞き出そうそしたのだけれど、私の知っていう人の中にいるらしいじゃない。クラスメイトだと…里菜ちゃんとか?舞ちゃんかな?それとも朝霧さん?」


「いやいや、さっきから何を言っているんだよ」


「もしかしたら、いつも世話を焼いてあげている私の可能性もあるかと思ったけど、ナヲの瞬きは二回。つまり、私ではないとはっきりしたのだし、全力で応援するからね。できることがあったら私を頼ってね。アドバイスくらいするから」


「………」


「ナヲ?もしもーし」


 頭が真っ白になる。えーと、ちょっと整理させて。ほんの数時間前、愛花に「ナヲが好きなのは私?」と、俺は質問させた。俺は金縛り状態にあったため、瞬きの回数で答えていた。イエスなら一回、ノーなら二回。俺は意を決して一回だけ瞬きをした。したはずだった。その後、幽華が誤操作した辞書ロケットが俺の脳天を直撃した。まさか。そのときに目を瞑ったのを二回目のカウントとして受け取ったのか!あんなの人間を自然な動きじゃないか!反射で目を瞑っただけ!俺の意思はそんなことで届かなかったのか!だから…愛花から見たら二回の瞬き。寺田ナヲが好きなのは桜内愛花ではない、ということになっている。なってしまっている。そんなのってナシだろ!訂正しないと。早く誤解を解かないといけない。


「ちょっとナヲ、聞いてる?」


「わ、悪い。考え事してた」


「何よそれ。あ、もしかして好きな人のことでしょ」


「からかうなよ。まあ…近からずも遠からずってところか」


「図星なのは分かったわ。恥ずかしがらずに教えてくれないかしら」


「いや、何ていうかさ、そもそも違うんだよ」


「いや、違わないでしょう。誤魔化したい気持ちも分かるけれど、素直になるべきだわ」


「そうじゃなくて根本的なところが伝わってないんだ」


「根本的なところ?よくわかんないのだけれど…。まあ、無理矢理聞くのは良くないわね。今更だけど。そういえば、ユウはどうすればいい?」


「あー、戻ってくるように言ってくれ。じゃなくて、まだ話が…」


「聞きたいけど、それよりも今日はゆっくり休むべきだわ」


「ん…、わかったよ。後で話すから」


「フフッ、素直なときのナヲはかわいい」


「なんじゃそりゃ。電話切るぞ」


「そうね、じゃあ、おやすみ」


「おう、おやすみ」


 通話を切る。………メチャクチャ緊張した~~~~!いつも通りに話せてたかな。好きな女の子に好意を伝えてから初めての電話。生憎、愛花には真逆の解釈をされていて、告白は振り出しに戻ったけど、むしろ良かったかもしれない。この気持ちは面と向かって言葉で伝えたいものだ。無理矢理に引き出されるような形で好意が伝わるのは、考え直すと不本意でしかない。現在、俺は愛花以外の女子が気になっている、ということになってしまっている。困った状態ではあるけれど、幼馴染なのでチャンスはまだまだある。不本意な形とはいえ、自分に告白する勇気があるとわかっただけでも収穫だな。…開けっ放しのカーテン、閉めるか。


「一人で部屋の中をウロウロしてどうしたのだ?」


「うおぅ⁈」


 目の前にいきなり幽華がいたものだから驚いてしまった。


「そのリアクションは酷いのだ」


 プクーと頬を膨らませる幽華。


「悪い、普通にビビった。…いや、幽華は人を驚かせたいんだろ?むしろ喜ぶべきじゃないのか?」


「驚かせようとしてリアクションされたら嬉しいけど、声かけただけでビックリされるのは納得いかないのだ」


 そういうもんなの?世の中の幽霊の中には、友好的に声をかけてくるだけのヤツとかもいるのかも?知らんけど。


「あと、一人でブツブツ言いながら、顔はニヤニヤしていたのだ。少しキモかったのだ」


「言わなくても良くない?」


 割と長い時間、醜態を晒していたのかも。だんだん恥ずかしくなってきた。あと、キモいは傷つくので止めてほしい。ホラー好きなだけで基本的にはガラスのハートだからな。


「う~、幽華はマナカンにも喜んでほしかったけど、結果的に迷惑をかけてしまったのだ」


「まあ、力が暴走するのは困るからな。制御できるに越したことはないな」


「やっぱり、そうだよね。やたらと温度差があったのもショックだったのだ」


「普通こんなもんだろ。病気で寝込んでいたわけでもない。本当にヤバかったら救急車を呼んでるはずだよ。幽華は大袈裟だったかもな」


 しかし、幽霊と人間で温度差があるとか…。体温なら愛花が高くて、幽華は低い。テンションは幽華が高くて、愛花が低い。みたいな感じか。などと、どうでもいいことを考えていると幽華がしょんぼりしているのが目に入る。


「愛花もそんなに怒ってないと思うぞ。そこまで落ち込まなくても」


「そう言われても…。ナヲ君も幽華がうるさくして嫌だった?」


「嫌じゃないよ。基本俺が静かな人間だからな。盛り上げてくれるのはありがたいかな」


「にゃはは、ウソでも嬉しいのだ」


「ウソじゃねえって」


 うーん、少し時間を置いたほうが立ち直るかな。腹も減ったしなあ。


「幽華、俺はリビングでメシ食べてくるよ。母さんも帰ってきてるんだったな」


 ドアノブの手をかける。


「あ、ま、待つのだ」


「ん、どうした」


「勝手に押しかけてまだ聞いてなかったのだ。幽華は、ここにいてもいいのだ?」


 …この期に及んで何を言うかと思えば、全く。


「押しかけてこなくても、俺は会いに行くつもりだったよ。そんなことを聞くなんて、俺の目的を忘れてるだろ」


「目的?…あっ」


「そうだよ。幽華だってそのためにここまで来たはずだ」


「…迷惑かけるけどホントウにいいの?」


「迷惑じゃねえって言ってるだろ」


 弱気な幽華を見ていたら、イライラしてきた。壁際にいる幽華に歩み寄り、片手を可愛らしい瞳のすぐ横の壁につく。自然と距離も近くなる。


「へ、えっ、ちょっと、ナヲ君⁈」


「いいから、ここにいろって。それで俺に幽華をプロデュースさせろって。今更、幽華を逃がす気なんか微塵もないから。いいな」


「はにゃっ!わ、わかったのだ!」


 ちょっと強引だが、今の幽華にはこれくらいしないと伝わらないだろう。返事は素っ頓狂でも確かに意志は伝わったし、幽華からも感じた。腹ごしらえしたら、待ちに待った心霊映像撮影といこうじゃないか。

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