下校
「はぁ」
「どうしたのため息なんかついて」
俺がため息をついていると隣で、先輩は微笑みながら尋ねてきた。
「いや。まぁいろいろ」
「なるほど。クラスで揶揄われて疲れてしまったと」
「わかってるなら聞かないでください」
「いいじゃない。会話会話」
先輩は嬉しそうだ。
「しかしあんな可愛い妹ができるなんて、ついているね」
なんとも責任のない言葉だ。こちらの複雑な事情も考慮されていないから思わずムッとするが、すぐに隠す。
そもそも先輩に対して、事情を何も話していないのだから、この反応は当然である。いちいちこちらの事情を察して言葉を選ぶなんて芸当を求めるのは筋違いだ。
そこまで人に気を遣っていられない。であるのならば、今自分が抱える怒りはなんとも我儘な怒りだ。
「……そうですかね」
だが、それでも自分の感情のコントロールというものは難しいもので、なんとも微妙な返答になってしまった。
「複雑そうな顔」
「実際そうですからね」
「ふ〜ん」
自分から振ったくせに興味を失ったのか、気の抜けた言葉であった。
だが、何か思い出しのだろうか、「あっ!」という声を上げて俺に近づいてくる。
それも距離は本当にほとんどゼロ。少しでも動けば体が密着してしまうのではないか。いや、密着している距離だ。
女性の体のことを言うのはどうかもしれないが、先輩は胸がそれなりに大きい。それにもかかわらず今の距離。どうしても意識せざるを得ない。それだけではない。顔も近いせいで呼吸の音、整えられた髪。そして綺麗な瞳。ありとあらゆるものが一斉に誘惑してくる。
心臓の鼓動が速くなる
いきなりのことで一瞬思考が停止する。
なぜ先輩はそのような行動を?と言う疑問があるがそれも今はどうでもよかった。
「……近いです」
「すごい心臓。緊張してる?」
「それはそうですよ」
視線を逸らしながらつい、そっけなく返事してしまう。
「気づかない?」
「何をです」
「私も少し。ううん。かなりドキドキしてる」
そこでようやく気がつく、体が触れているが故にわかる心臓の鼓動。先輩の鼓動が通常と比べれば異常に早いことを。
きっと今の俺は顔を赤くなっているだろう。
どうしようもな区顔が赤くなっているに違いない。
どうして彼女はこうも心を乱しにかかってきたのか。全く勘弁してもらいたい。
「ねぇ」
先ほどのようにとるに足らない会話の中での声ではなかった。何か探るような。自分の心の中に入り込み、何かを得ようとするような。こちらも構えなければならないと反射的に脊髄が指示するような声である。
「なんでしょう?」
恐る恐る俺は先輩に問いかける。
「何か隠してるの?例えば絵梨香さんとのことで……とか?」
人間の直感はやはり馬鹿にできないのであろう。投資の世界でもよく聞く。さまざまな知識、情報を集めるのは基本だが、最終。直感で人間は決める。直感が、自動的、無意識的にさまざまな情報から総合的に考慮し、判断しているからだ。
さて。俺はこの場合どうするべきだろうか?
洗いざらい話す?いや。それはできない。こっちにもプライバシーというものがある。何でもかんでも話せばいいなどという訳のわからない理想的考えには乗るつもりはない。
「ないですよ」
「本当に?」
「あったとして、それを話すと思います?」
「思わない。でも知りたいから聞いた」
「……」
「勝手だし、聡君が怒るかもしれないことも理解して聞いたの」
「なぜ?」
さっきまでは感じられない弱々しさが、先輩に感じられた。それはどういうものかと問われれば、返答に困る。自分でも言語化できないものであるが、とにかく弱々しいのだ。
「だから自分の勝手」
それだけ言うと、先輩は自分から離れた。
そのわずかな時間の間で、いつもの先輩に戻っていた。
「いろいろ困らせてごめん。さっきのは忘れてね?」
「忘れろ……て」
つい苦笑いをしてしまう。
「それじゃあどこかへ出かけようよ。休日に。そこでお詫びとして、何か奢るわ。それでどう?」
「それは……まぁ。じゃあそれで」
「決まり。それじゃあまた明日。今日の夜には連絡するから、ちゃんと返事してよね」
「あっ。はい」
先輩はそれだけ言うと足速に姿を消した。
「……」
俺は、しばらくその場で止まったままであった。密着されたことに対する動揺もあるが、問いかけに対して誤魔化したことに対する動揺も残ったままだからだろう。
いろいろぐるぐる考えているようで、実は何も考えていない。思考を大して使いこなせないせいで、その場を動けなかったのだろう。
「帰ろ」
その程度の程度の低い思考回路によって出た言葉と行動はそれ以外になかった。
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