第54話 踏み込んだ先の景色


「旅館だー! ナツお風呂いこー!」

「うん、どんな所かな? 楽しみだね」


「ニコちゃん、私達も行こ?」


「…………」


「ニコちゃん……?」


「ごめんごめん。行こっか」


 ベタベタ慣れ合うのは好きじゃない。

 サバサバした方が格好良いって思ってるから。


 でもこの三人は特別。

 後にも先にも、こんなに心を許せる人はいないと思う。


 夏とハナっちは言いたい事を言い合えて、感情と感情をぶつけ合うタイプ。

 恋愛なんて人それぞれだから真似する必要なんてないけど……

 私達は奥手すぎるのかもしれない。


 今まででしたキスは二回。

 どちらも心臓が飛び出るくらい緊張した。


 顔に出したくないから平穏を装ってたけど、内心バクバクだった。


 キーちゃんも奥手だし、私達はキスから先に進めない。

 そもそも手を繋ぐのがやっとだから。


 大体私だってこんなキャラだけどウブもウブ。

 経験豊富みたいに言われて、そんなイメージがついちゃったからとりあえず知識だけは付けたけど。

 大人のキスってどんな感じなのかな。

 ……夏に聞いてみるか。


 夏には何故か分かんないけどなんでも話せる。

 相性がいいのか、似たもの同士なのか。

 なんとなく、この中で一番大人なのは夏だと思う。


「夏、ちょっといい?」


「うん、どうしたの?」


 ハナっちもキーちゃんも髪が長いからまだ髪の毛を洗ってる。

 今がチャンスだな。


「あのさ、ディープキスってどんな感じ? やっぱ気持ちいい?」


「ブッ!! な、なに!? 急に……」


「その……した事無いんだ。こんな事聞けるの夏しかいなくてさ」


「……気持ちいいかどうかは人それぞれかもしれないけど、嬉しいし幸せだしドキドキするし……気持ちが通じ合うと思う。感触とか息遣いとか……すればするほど愛しくなっちゃって、その気持ちをまたキスに乗せて……」


 私の問いに、百パーセントの力で返してくれる。

 誠実で、真っ直ぐな心。

 絶対に目を逸らさずに話してくれて、聞いてくれる。

 ……そっか。私は夏を尊敬してるんだ。

 だから……


「夏ありがと。参考になんないくらい参考になったわ!」 


「あははっ、そう?」


「わーい温泉だー!」

「ハナちゃん、飛び込んじゃダメだよ?」


 今の話で変にキーちゃんを意識しちゃってる。

 あー、今日もダメっぽいな。

 ……誰かが手を握ってくる。

 キーちゃんじゃない。

 これは……夏?


 こっちを見てニコニコしてる夏。

 ……お見通しなんだな。


 夏の柔らかい掌が心地よくて、体の力が抜けてくる。

 そこで夏は手を離した。

 

「ニコちん、頑張れ♪」


「……おう! 夏、サンキュー♪」


 なんでハナっちがあんなに夏の事を好きなのか、なんとなく分かる。


「温かいねー。ニコちゃんと温泉なんて初めてだよね」


「そうだね。今度は……二人っきりで来よっか」


「……うん。二人っきり……ふふっ、うん♪」


 やべー、可愛いな……


 胸がざわつく。

 流されるのは好きじゃないけど、夏が醸し出した甘ったるい雰囲気を引きずってる。

 風呂の中で、キーちゃんの手を握る。

 私達にはいつもない、甘い雰囲気。

 

 チラッとキーちゃんを見る。

 顔を赤くしているのはのぼせているからじゃない。

 

 ヤバいなー……


 ドキドキしたまま風呂を出る。

 今回はカップル同士で部屋を分けた。

 本館から離れたこの部屋は周囲が森のようになっていて、人の気配が無い。

 ……多分一番高い部屋だ。

 あの二人、副業って言ってたけど何やってんのかな?

 まぁ詮索するつもりもないし、有り難く思おう。


「スゴい部屋だね……なんだか緊張しちゃう」


「そうだね、あの二人に感謝しないとなー。お! 庭綺麗だよ、見てみようよ」


 囲まれた森の中に日本庭園がライトアップされている。

 すげーなー、金持ちってのは見てる景色が違うんだな。

 …………いや、違うか。

 大切なのはどんな景色を見るかじゃない。


「綺麗だね。ふふっ、ニコちゃんと見れて幸せ」


「うん、私も今思ってた。確かに凄い景色なんだけど……キーちゃんと見るから感動出来るんだなって。ハハッ、私らしくないか」


「ううん、嬉しい。その……好きな人にそんな事言われると凄く幸せ」


 奥手だって事を口実にして、逃げていたのかもしれない。

 キーちゃんは、私から恋人らしい事を望んでいる。

 大人になれ、私。

 

「あ、あのさ……キスしていいかな?」


「……うん。お願い……します」


 いちいち可愛い。

 私の……キーちゃん。


 唇同士が触れる。

 しばらくして、一歩先へと踏み込む。


「っ……!?」


 目を丸くして戸惑うキーちゃん。

 触らなくても分かるくらいに体が強張ってる。


「……なんとなく分かるしょ? その……私も初めてだから」


 頷いて、顔を赤くしている。

 確かに……夏の言うとおりだな。

 ぎこちなくも頑張るキーちゃんが堪らなく愛しい。

 幸せだ。


 時間を忘れて、ただひたすらに互いを求め合う。

 

「キーちゃん……大好きだよ」


 普段使わないようなトーンと台詞。

 多分この雰囲気に酔ってるんだな。

 それでもいいや。

 こんなにも好きなんだから。


「私も大好き。ずっと……ずっと好きだから。少しでも長く一緒にいられたら嬉しいな」


 希望と不安が入り交じる言葉。

 言いたい事はよく分かる。

 分かるんだけど……分かってたまるかよ。


「余計な事は考えなくていいから。ずっと一緒にいてあげる。だから約束して」


「するよ、私なんでもするから」


「……私がオバちゃんになっても、嫌いにならないでよ?」


「……うん♪ そしたら私もオバちゃんだね。ふふっ、一緒」


 この可愛い笑顔が隣にあれば、辛い事があっても頑張れる気がする。

 先の事はよく分かんないけど、今はただキーちゃんが好き。それだけ。


 一歩踏み込んだ世界の景色は、いつもより美しく感じた。

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