第9話 染み渡る音
「ナツー、一緒に帰ろー♪」
「うん、帰ろっか」
帰り際、下駄箱に何かを見つけた。
雑に折りたたまれた紙のような……
「なんだこれ?」
「なになに? ラブレターかな?」
「ヒトゴロシ、ガッコウニクルナ……人殺し、学校に来るな? なんだよそれ……」
中学生らしい下手くそな字で書いてある。
この字は男だな。
人殺し……
「ヒドい……なんでこんな事するのかな……ナツ、先生に言わなきゃ」
「人殺しってなんだろう……」
何か理由があるはず。
俺が夏ちゃんになってしまった理由。
手に持っていた上靴に目が行く。
葉月夏……葉月……
あれ、どっかで聞いたことあるな。
葉月葉月…………もしかして……
「ハナ、ちょっと行きたい所があるんだけど」
「うん……大丈夫?」
「記憶もないし、痛くも痒くもないよ」
「ナツ……」
◇ ◇ ◇
担任、クラスメート、保健室の先生。
それから、人殺し呼ばわり。
みんながよそよそしい理由がなんとなく分かってきた。
確証は持てないけど、自信はある。
夏ちゃんの平屋から徒歩2分。
堅牢な壁に覆われた巨大な屋敷。
この街で知らない人はいない、ここは──
「わぁ……私知ってるよ、ヤクザって人が住んでるんだよね」
全国でも名を馳せる有名なヤクザの屋敷。
組長の実名は“葉月源龍”
十中八九、夏ちゃんと関係している…………はず。
分かっていてもこの門を叩く事なんて出来るわけ無い。
立ちすくんでいると、ハナが優しく手を握ってくれた。
「ナツ、私がいるよ」
……覚悟するか。
「……行くよ?」
呼び鈴を押すと、一斉に犬が吠えだした。
隙間からチラチラと見えるのは全てが逞しい屈強な大型犬。
「犬だ!! 可愛いね」
……うん、あれは可愛い生き物だ。
門が自動で開く。
すると奥から黒服の男がこちらに走ってきた。
30歳くらいで頬に傷が付いている。
「お嬢様!! お久しぶりです、お身体は大丈夫ですか?」
「えっ? あの……」
「隣にいらっしゃるのはお友達ですか!? お二人共、組長が待ってます。コチラへ」
訳もわからず連れて行かれる。
組長って……組長だよな……
いかにもな屋敷を案内され、いかにもな扉の前に来た。
「組長!! お嬢様とご学友の方がお見えです!! ……お嬢様、中に入ってください」
……行くしかない。
せめてハナだけでも無事に帰ってもらわなきゃ……
「お、お邪魔します……」
高そうな壺。
よく分からない絵画。
本物の虎の絨毯。
そして後ろ姿からも伝わってくる、圧倒的威圧感。
この人が……
「な……」
な?
「ナッチーーーー!! 寂しかったよーーー!! 身体は大丈夫!? 連絡返してくれないからおじいちゃん心配で……ナッチーーーー!!!」
「なっ、えっ……その……えっ?」
強面の組長が泣きながら抱きしめてくる。
うわぁ、本物だ……
「ナッチ……どうしたの?」
「えっと……その……」
「ナツは記憶がないんです。だから……だからもっと優しく接して下さい。じゃないとナツがいつか壊れちゃう……」
ハナ……そんな風に思っててくれたんだ。
「記憶が……赤毛のお嬢さん、教えてくれるかな?」
「ナツは一週間くらい前から、それまでの事を全部忘れちゃって……それで下駄箱にこんな紙が入ってたからここに来たんです」
「……」
組長はあの紙を握りつぶし、頭の先から爪先まで血管が浮き上がった。
「フジィ!! フジいるかっ!!!」
「どうなさいましたか!?」
先程案内してくれた男だ。
忍者の如く、どこからともなくやって来た。
「これを書いたやつを探してここに連れてこい。俺が直接始末する」
「はっ!!」
「ちょ、ちょっと!! そんなにしなくても……私はなんともないんだし……」
「ナッチ、ケジメはつけなきゃいけないんだよ。冗談でも本気でもこんな事しちゃぁいけない。フジ、今すぐ探せ」
「はっ!!」
「……やめて!!」
ハナ……
「ナツが困ってるでしょ? そんな事も分かんないの? 帰ろ、ナツ」
「…………フジ、下がっていいぞ。ナッチ、おじいちゃんの事も分からないのかな?」
「えっと……はい……」
「……このままの方が幸せかもしれんな。ナッチ、制服着てるけど学校は楽しいかい?」
「はい、その……ハナがいるから」
「ナツ……」
「そうか……ナッチ、私はナッチのおじいちゃんなんだ。困った事があってもなくても、いつでもここにおいで。ナッチの家族は私しかいないんだ。ね?」
優しく手を握って微笑む姿に、胸の奥が疼く。
「……はい、ありがとうございます」
「……フジ、明日から学校に潜ってナッチを守れ。ナッチに何かあったら……分かってるな?」
「分かってます。任せて下さい」
「ナッチ、おじいちゃんはいつでもナッチの味方だからね。ナッチの事はいつか話してあげる。だから今は学校を楽しんで欲しい。これ、おじいちゃんからのお願い」
「……分かりました」
「赤毛の子、ハナちゃんと言ったかな? ナッチの事、お願い出来るかな?」
「ふふっ、私もナツに助けられてるから……お互い様だよね、ナツ♪」
「……アハハッ、そうだねハナ」
組長のこちらを見る目がなんだかとても懐かしく感じた。
噂の組長とは程遠い、優しくて温かな瞳。
知らない感情が勝手に湧いてきて、こう言わなきゃいけない気がした。
「ありがとう、おじいちゃん」
自分でも分からないくらいしっくりと感じるその言葉に、組長は涙を流しながら抱きついてきた。
「ナッチィィ!!」
「私もやるー。なっちー♪」
華奢で美しい身体が、少しずつ馴染んでいく感覚。
葉月夏という名前が、心に染み渡っていく音がした。
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