第7話 The Beautiful People
ヒナが見たのはテーブルと数脚のスツールが乱雑に散らばる破壊の光景だった。聞こえてきた大きな物音とはこれらがまき散らされたことによるものらしい。
その騒ぎの渦中にいるのは二人の男女。女はちょうどこちらに顔を向けており、静寂を
男は声を荒げ、叫んだ。
「てめぇヤらせろッつってんだろうが、あぁ?」
電撃のように走る衝撃。間違いなく奴だ。罪なき三人の少女を泣かせ、心に消えない記憶を打ち込んだ張本人が、不俱戴天、悪鬼羅刹、非理性の畜生が今すぐ目の前で生き、呼吸し、心臓を拍動させている。
殺してやる。
誰がため、己のため、得体の知れず深く沸き起こる衝動がヒナの四肢を突き動かす力となる。
痛い、苦しい、助けて、嫌だ、死にたい死にたくない、耐えられない……殺したい――増幅する感情の坩堝と化したヒナは無我夢中で飛び出した。
月光はヒナの手当てを終えるとすぐに店で待機していた。ある男に会うためである。その男こそヒナを巻き込み私利私欲の限りを尽くして人を襲う、その彼を殺害するためであった。
誰にも認識されず、ただ被害ばかりが増えてゆく胡蝶による犯罪。それに対処するのが
曰く、
同業他社においては分け隔てなく依頼を受け、遂行することがほとんどではあるが、相応の対価が必要とされる。対して
つまりここで受けられた依頼は金で解決するにはつり合わない依頼が舞い込んでくるのだ。
今回の作戦はこうだ。
これまでの被害者三名には共通点があった。髪が長く、童顔で、釣り目がちの女。
これだけの情報で釣れるのかと心配していたのだが、いかんせん情報網に乏しく、男の出没地点から推測して餌を蒔くことにしたのだった。百地きっての願いで自分自身が囮となり、決められたポイントごとにさりげなく周囲をうろつき、男の関心を惹く。単純であるが効果はそれなりに見込めると考えられた。
首尾よく男をおびき出すことには成功した。一定のルーティンを組んで行動していたからだ。これまでの被害者も決まった時刻に特定の場所にいるところを狙われた、 計画的なものであったから予想は容易に立てられた。
それはヒナも例外ではなかった。彼女も事に及ぶ数週間前から目をつけられていたのである。
声をかけてきた男を気に入った素振りを見せ、百地は処刑場でもある桃源郷に誘い込むと、間髪入れずアルコールを注文した。あとはそれを男が飲みさえすればよかったのだが――。
「ありゃりゃ?手が滑ったわ。あ、メンゴメンゴ」
男は、わざとらしくグラスに入った液体を百地に引っ掛けたのだ。着ていたブラウスは濡れ、生地が張り付いて薄いボディラインが露わになる。
「あちゃ~。濡れたら風邪引くからよ、脱げよ」
服が濡れたからにはそれを拭き取るか着替える必要が生じ、それを口実にして百地の身ぐるみを剥ぐ算段であったのだ。
止めに入る月光と、それに抵抗する男。ヒナが駆け付けたのはまさにその瞬間であった。
木製の床を軽快に走り、ヒナは男の背後から襲い掛かった。足音に気が付いた男は意表を突かれ、振り向きはしたものの頬に強烈な打撃を食らう。
メリケンサックによる攻撃は、格闘技の心得のないヒナの拳でもそれなりの効果を発揮する。本来武器とはそういう物である。対等でない相手とのギャップを埋めるためにそれらは存在している。それが内面に向けば術や道となって技という武器を得る。ただそれだけのことだ。
「これ以上はッ!好きにさせない……お前なんかに!」
百地を庇うようにして男に立ちはだかると、手中にあるメリケンサックを今一度固く握りしめる。
「ヒナ下がってろ!お前は関係ない!」
「関係なくない!こいつは、あたしがっ!――」
月光の制止を振り切り、なおも矢面に立つヒナは見よう見まねで両手を前に突き出して構えた。それは微かに震えている。
男は怯みはしたものの大したダメージがなかったようで、あの貼り付けたような笑みを浮かべるとヒナに向き直る。
「痛えじゃんか。おいガキ、なに正義ぶってんだ?どかねえとブチ犯すぞ」
表情と相反してその口調は荒く、今にも掴みかからんとした危うさを匂わせる。ヒナは一歩も退くことなく華奢な足を踏みしめて相対する。男は歯を剝きだして言う。
「ションベンちびって命乞いしてた女が偉そうになあ?ああ?」
同じく顔めがけて繰り出された拳にヒナは咄嗟に腕で防いだ。だが衝撃そのものは相殺しきれずにバランスを大きく崩された。
手抜かりなく、好機を逃すまいとしてよろめいたヒナに追撃する。がら空きの腹部に直撃した蹴りの威力はすさまじく、ヒナは後方に二メートル程度蹴り飛ばされ鈍い音で叩きつけられた。
「グッ……」
背中を強打し肺の空気が強制的に抜け、呼吸が一寸出来なくなる。頭部をぶつけずに済んだのは不幸中の幸いであった。それでも苦しいのには変わりなく、立ち上がることもできず仰向けのまま痛みに悶えていた。
――痛い、辛い、苦しい。でも。
「お前をっ……殺さないと、あの子たちが……」
悲鳴を上げる体に鞭を打ち、膝を痙攣させながらもヒナは立ち上がった。胴は深刻に痛むものの四肢は動く。勢いこそ初めより削がれているが、気力はまだ削がれてはいない。
「お前を殺さないとぉ!」
叫び、再び地を蹴り男に向かって走り出す。対峙する月光を軽くあしらった男は余裕しゃくしゃくと言いたげに醜く顔を歪めヒナを見据えた。真正面に体を向け、真っ向からこれを受け入れるつもりらしい。
繰り出した渾身の一撃が男の胸部に突き立ったと同時にヒナの右腕部が変異した。その腕は白磁のような白い装甲に覆われ、黒の装束と相まって一層際立って輝く。
次いで繰り出した蹴りで甲が男に直撃するやまたしても白き装いに変わった。
刹那フラッシュの如き閃光が瞬いてヒナの姿が包まれる。ゴシックロリータの上から全身を装甲で着飾ったその姿はおとぎ話の騎士を彷彿とさせる。
特筆すべきは膂力が目に見えて向上していることである。反動が来ることもなく、攻撃だけが相手に伝わっているのだ。
――何、なにこれ⁉あたし、どうなって……。
自身でも驚くまでに強力な力が引き出され、男の肉体に確実なダメージを刻んでゆく。あまりの変貌に男は驚愕し、目を見開いて叫んだ。
「なっ、なんだこのガキ!いったい、どうなって……」
ヒナも不思議そうに右手や足を眺めた。外観は鎧を纏っているようであるが、不思議と重さが干渉している感覚がなかった。まるでその部位だけがそっくり入れ替わったかのようなちぐはぐさを覚えるぐらいだ。
「うあああああ死ねやあぁぁぁ」
肩を前に突き出して突進してきた男を両腕で止めると、鋭いパンチを二度三度脇腹に叩きこむ。嫌な感触と聞いたことのない破砕音をたて拳が手首まで沈んでゆく。
膝をついた男の顎にも大きく振りかぶった殴打を見舞い顎を粉砕した。
「あぁっぁああぁっっ‼痛えっチクショウちくし」
語る言葉を持たず、また持たせることもなく再び打ち込まれた拳は皮膚に亀裂を生じさせ血を滴らせる。白き腕には血しぶき一滴も寄せ付けていない。
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