第6話 UGLY

「事前に行動パターンとかいろいろを把握してから犯行するみたいでさ。悪いことするよね」

 明日の天気の話題でも話すようにさらりと言い放った。同じ痛みを受けた被害者が他にいることにヒナは親近感を覚えると同時に愕然とする。

 助けが来る見込みがない絶望、生殺与奪を握られ次になにをされるのかが分からない恐怖、抵抗の価値を感じられない無力感を味わった者が、一人の身勝手な男によって次々と生み出されていたことのやるせなさ。その感情を引き起こさせ、悲しみを快楽として享受する存在の毒牙に自身もかけられたのだ。

「どうしてそれを知ってるんですか⁉それならどうして――」

 どうして助けてくれなかったのか、そう言おうとした言葉を飲み込んだ。それが可能ならヒナは今ここにいることはなく、言うだけ虚しい。

小賢こざかしいよねえ。証拠が残らないのをいいことに好き放題するもんだから」

「証拠が残らないって……どういうことですか」

「あれ?月光から聞いてないの?まあいいや、簡単に説明するとね――特撮でさ、悪いことをする怪人っているよね。あれに変身する力を持った人間がこういう事件を引き起こしてるんだよ」

 世迷言よまいごとをのたまうのは月光だけにあらず。この男もかとヒナは狐につままれた気になる。

「それでさーそいつら共通の厄介な能力があってさ、変身中に誰かにつけた傷は変身を解くとさっぱり消えちゃうんだよね。まるで夢を見ていたみたいにさ」

 個人がが持つどんな犠牲を払ってでも叶えたい、なんとしてでも実現したい願望を持ち続けた結果、人は覚醒しながらにして夢を見るようになる。願望を媒介として現実の肉体にそれを反映させてしまうが、夢は所詮夢である。目が覚めると、肉体に及ぼした影響は“初めからなかったことになる”のだ。

「だから俺たちはそういうのを『夢』って呼んでる。ウチのオーナーが考えたんだけど」

 架空の物語をさも現実にあるかのように話しているとヒナは思った。倫理の授業を受けているときと似たような感情だ。

「あれ?信じてない?まあそれも仕方ないよねー。じゃ、これでも聞く?」

 懐からスマートフォンを取り出しあれこれと操作する。机に置かれたそれに映し出されていたのは三人の少女。背景から撮影場所はヒナのいる事務所だと察せられいずれもヒナと年が近い。皆口元に薄っすらと笑みを浮かべはいるが、目まではそうはゆかず曖昧な表情になっている。総じてかげのある顔だ。

 並んで座っている中央の少女は真っすぐにカメラを見つめ、小さく息を吸った。唇が微かに震えて開き言葉を紡ぎ始める。

『こんにちは。私たちはある事件の被害者です。この動画を見ているあなたが私たちと同じ苦しみを受けていなければいいのですが、紅さんが関係のない人に見せることはしないはずなので、貴女も同じ被害者だと思います』

 透き通った声の少女は慈しむように語る。口々に語る。

『被害に遭ったあと私は警察に相談しましたが、残った証拠は記憶しかなかったので誰にも相手にされませんでした。でも私たちは高校も違えば住んでいる所も違うのに、覚えている犯人の顔はぴったり一致していました』

『これはあなたが見た夢じゃありません。辛いことだけど、貴女がされたことは現実に起きたことです。安心してくださいと言うのは少しおかしいかもしれませんが、貴女の頭がどうかなったとか気が狂ったわけではないんです』

『同じ経験をした私たちがいます。だから自分を信じられなくならないでください。私たちがいるから――』

 そう締めくくられ動画の再生は終了した。不可解で常識の範疇を超えたもの、ヒナの脳では処理しきれない情報であふれた内容ではあるが、現にヒナ自身が経験し他の被害者もまた同様の記憶を保有している。

「わかりました。ありがとうございます……」

 ヒナは疑いのない事実であったと確信した。己の痛みの記憶は紛い物ではなかったのだと裏付けられたのだ。

「しっかしヒナちゃんで四人目か……。そういや、左に座ってる子この事件のせいで付き合ってた彼氏と別れたんだよね。可哀そうに……」

「無理もないです。あんなに殴られたなら隣にいるだけでも怖くもなります」

「ああ、そっち?」

「え?殴られたんですからそれ以外あります?」

「あ……ヒナちゃん、実はこの子たち、その……」

 ああまでへらへらとしていた紅が急にたどたどしくなり言葉を濁した。これ以上第三者が口に出すのは憚られると言わんばかりに。

「っ……」

 ヒナは未遂で済んでいたが、男は気が済むまで先の三人を殴った挙句に強姦にまで及んでいたのだと知る。

 沸き立つ嫌悪。暴力と悪意が実体となって肉体に侵入し尊厳を破壊する許されざる行為。殴打よりも非情で一方的な拭いきれない負の記憶を刻み付ける不埒な振る舞い。それは魂に楔を打ち込むに似る、最も大きな屈辱。

 脳裏には彼女らの悲しみが、声を押し殺してすすり泣く声が、引き裂かれるような魂の叫びが流れ込み増幅されいつくも反響して鳴りやまない。

 彼女らは苦しみを笑みの下に隠しあくまでも気丈に振舞って話してくれていたのだ。酷い目に遭っていながら。

「許せない……」

 ヒナは激しい怒りを覚えた。先ほどとは比べ物にならない燃え盛る炎のような怒りであった。

 不意に飛び込んできたビジョンだ。怒号が悲鳴が憎悪が怒りが劣情が渦となって訴えかける。他者の感情が人の形をとり残像を生み出す。装甲を纏う人型は雄々しき暴力の象徴と化して何かを引き裂き殴殺し死屍累々の山を築いてゆく。返り血を浴び、その白き肉体を赤く染め、なおも襲い掛かる者どもを肉塊へと変えてゆく。

 そして脳内の残像は振り返ることなく、流れた血によって開かれた道を往った。

「いい感情だね」

 ヒナの心中を覗き見たような言葉だ。実際は目を見ただけであったが、十分に察せられたのだ。彼女はそれほどまでに怒っていた。

「あたしに、できることはありますか」

「気持ちはわかるけど……ま、ここは俺ら専門家の仕事だから。ヒナちゃんは祈っててよ」

 怒りに震えるヒナを見て、紅は宥めるように言った。口調こそ穏やかであったがその目は好奇に満ち輝いていたが。

「強いて言うならそうだな、その怒りの根源が何なのかを考えてみるのもいいかもね。自己分析の一環だよ」

 怒りの根源。難しいことを言うものだ。考えれば考えるほどに感情が枷となって思考の邪魔をする。

「それじゃ、俺はこれからお片付けしてくるから。いい子で待ってるんだよ」

 紅がそう言い残して事務所を去った後は残されていたのはヒナだけになった。月光は手当をしてくれたきり顔を見せなくなってしまっていたからである。

 一人になり、改めて見回した事務所はやはり異質で、絵画や劇の中に閉じ込められたような錯覚を覚えずにはいられなかった。ヒナが着せられている衣服もまたこの空間に恐ろしいぐらいに同調していたのもあって、いまだに何かに騙されている気分がしてならない。

 男につけられた傷は消え失せたが、先ほど自傷によって生じた傷跡は存在証明をするかのごとく鈍くうずいていて、辛うじて現実味を保証していた。

 この場に似つかわしくない無機質なアラーム音がどこからか聞こえてくる。辿ってみると脱衣場に置かれていた洗濯機からである。着せてもらっているから多少申し訳なさがあったが、元の服装に着替えるつもりであったから、乾燥を終え静かになった洗濯機の蓋に手をかけた。

 ふと、金属の光沢のする物体がその側に置かれていることに気が付く。ベルトのバックルのようなもので、月光のジャケットが近くに吊られていることから彼女の所持品であろうと察しはついたが、どうにも月光の趣味には合わないようなデザインをしている。

 バックルならば一つあればいいはずであるのに、ご丁寧にも二つ並べて置いていて、それぞれには四つの指が入りそうな大きさの輪が少し弧を描くように同一線上に並んでいた。まるで――。

「これで人を殴るの……?月光さんが?」

 階下で大きな物音が、何かが壊れた音が響く。ヒナは両手にそれらを携えて階段を駆け下りていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る