七月七日

拡大解釈

 雨は、狂ったように降り続いている。日は沈み、外は既になにも見えないほどに暗い。しかし、その騒々しさが、やはりまだそれが降り続いていることを示していた。

 僕は、彼女と共に、あの窪みに座っていた。いつの日か、家の玄関で見た、あの黒い文字を握りしめながら。川の水は、もうそこまで迫っている。自分の死期を悟りながら、僕は彼女にこう問いかけた。

 「どうして七夕の日はいつも雨が降っているか、知っているか?」

 「その質問、私がしたものに似ていますね。」


 ・・・?


 間髪入れずに発せられた彼女の言葉の真意が読み取れず、僕はしばし口を開けずにいた。しかし、そんなことを知ってか知らずか、彼女は続けた。

 「それは、二人が会えずに泣いているからだと思います。」


 やはり、そう思うか。


 僕は、調子を取り戻して、続ける。

 「そうだな、多分きっと二人は、これからも会うことはできないだろう。」

 「なぜですか。」

 「雨が止んでいないから。」 

 僕は、そっけなく答えた。

 「それもそうですね、わかりきったことを聞いてしまいました。」

 彼女の頬が緩む。きっとこの顔を見るのも、これで最後だろう。


 「最後に独り言、言ってもいいか。」

 「独り言を止める権利なんて、誰にもありません。」

 僕は、それもそうだな、と言うと、ここ数日間、いや数年間、胸に秘め続けてきたことを吐き出した。


 「君の最後のあの言葉、あれは確かに、織姫と彦星のことを言っていたのかもしれない。けど僕は、その意味が、それだけのものだとはとても思えなかった。あの言葉は、僕らのことを指していたんじゃないか。僕が本当の意味で君のことを理解していたなら、言葉なんてなくても、必ず僕は君に会いに行く、そして、そうすれば君の涙は止まり、雨は止み、こんな結果にはならずに済んだのだと、そう言いたかったんじゃないか。そしてそれを、なにより僕を試すために、君はあの日ここに居座った。そうだとすれば、君があの時この短冊に、こんな意味のわからないことを書いたことにも納得がいく。」

 掌で握りしめていた画用紙から、少し滲んだ文字を見る。



――― 二人が出会えますように ―――



 彼女は、こちらを振り向くわけでも、なにか言うわけでもなく、ただ僕の独り言を聞いていた。僕は一呼吸置いて、続けた。


「でも、そんなのあんまりじゃないか。結果的に僕は、君に会いに行くという選択肢を取ることはできなかった、それは本当に申し訳ないと思ってる。けど、君が一回でも僕に、そのことを、それほどまでに追い込まれていたことを相談してくれれば、きっとなにがなんでも、僕は君に会いに行った、雨を、君の涙を止めることができた。なぜそうさせてくれなかったんだ。これじゃあまるで、僕がこの事態を引き起こしてしまったようなものじゃないか。この数日間、僕はそのことに酷く苛まれ、寝ているのか寝ていないのかもわからないような時間を過ごし、生き延びるためだけに空腹を満たし、こうして君と同じ結論に至るほど追い詰められた。僕はそれを、君のせいだとは言わない。でも、こんな結果になってしまったのは、僕のせいじゃないだろ・・・、なあ、答えてくれよ。」

 僕が足元に水たまりを作りながら訴えても、彼女はなにも言わない。

 

「けど、結局人間なんてそんなものなんだろう。数年前まで、自分がこんなことをするとは思ってもみなかった。そういうことを聞いても、自分は大丈夫だ、そんなことするはずもないと、信じて疑わなかった。でもそんな僕でも、きっかけがあれば、こうやって簡単に変わってしまう。やっぱり人間は、その程度の、脆い生き物だったみたいだ。」


 彼女は動かない。


「でもね、そう頭でわかっていながらも、それでも僕は、僕は、、、最後まで君がそんなことをするような人間じゃないと、信じ続けてきたんだ。だから他の全てを擲ってでも、君のことを考え、求め、あるはずのない事件の真相を調べ続けてきた。でも、結果はやはり違っていた。君は変わってしまった。本当にどうしちゃったんだよ。あの時、君が悩みを打ち明けてくれたとき、僕はきっと、この先同じような、いやもっとひどいことがあっても、僕たちならきっと大丈夫だって本気で思った。なのにどうしてなんだ。あれも勘違いだったのか。君が書いたこの願いだって、その気になれば、もっと簡単に叶えられたはずだろ。あんな残酷な試練を、僕に科す必要はなかったはずだ。もちろん君も、あんな風になる必要はなかった。なにか間違ったことを僕が言っているなら、正してくれよ。いつもみたいにそそくさと現れて、少しはにかみながら、それはこうこうこういうことだって、そんな風に声をかけてくれよ。僕は、君がいなきゃ空っぽだ。七夕の日になぜ雨が降るかなんてどうでもいい。彦星なんて、織姫なんて、七夕伝説なんて、そんなおとぎ話どうでもいい。僕たちには僕たちだけの物語が、想いが、願いが、あったんじゃないのか・・・。」


 それからはもう、その小さな雨を止めることはできなかった。

 その雨が小降りになるまでの暫くの時間、彼女は何も言わず、ただ待ってくれた。

「こんな小さな雨も止められないようじゃ、こんな大きな雨を止めることなんて、できるわけないよな。」

 僕がようやく絞り出した、冗談交じりの言葉に、彼女はまた、少しだけ頬を緩めてくれた。これが、本当の最後だろう。そんなことを思っていると、さっきより更に、雨脚が強くなったことに気が付いた。

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