覚えのある情景

 家を出ると、外は既に暗闇に包まれていた。そして、非常に強い雨粒が、ありとあらゆるところでそれらを切り裂いていた。僕が一歩その世界へ足を踏み入れると、それは容赦なく僕の肩を濡らした。傘なんてさしていても、意味は無いのかもしれない。

 コンビニへの道が、見慣れた高架橋へと差し掛かると、僕は思わず、大きな音を立てる川へ目を向けた。それは、あと三日もすれば氾濫してしまいそうなほどに、非常に強い勢いで上から下へと流れていた。僕はどうしても、この光景をそのまま眺める気分にはならなかった。だから、無意識的に、そこから逃げ出すように、そそくさと橋を渡った。やはり、未だに僕は、過去を受け入れられてはいないようだ。


 見知ったコンビニへ到着すると、気持ちのいい入店音と共に、商品の陳列棚から、いらっしゃいませ、という、溌剌とした声が聞こえてきた。こんな天気だというのに、なんて元気のいい人だろう。僕は、一つだけ残っていた三割引きのお弁当を手に取ると、レジへ向かった。明るい店員が、僕を見て、急いでレジに戻って会計をしてくれたのを見て、やはり世の中には様々な人間が存在するのだと、僕はこの時少し感じた。それは、僕にとって、ある種の希望の光でもあった。


 店員の、最後の挨拶に見送られて、僕はまた、現実に戻った。外はやはり暗く、雨もまた、降り止むことを忘れてしまったかのように降り続いていた。僕はさっさと家に帰ってしまおうと、先ほどより足取りを速めて、帰路に就いた。

 しかしそれからすぐに、僕の足は止まることとなる。コンビニを出て数分後、先ほども通った高架橋を渡ろうと思ったとき、ちょうど反対の方向からは見えない、向こう側の高架下にある窪みに、この状況に決してそぐわないものが入っていくのが見えた。


 「・・・人だ。」


 僕は思わず、そう口にしていた。なぜこんな天気の時に、なぜこんな時間に、何の目的であんなところにいるのか。僕の頭には様々な疑問が浮かんだが、それらはすぐに、この危機的状況への危惧に打って変わった。

 なぜこれを、危機的状況だと僕が直感的に判断したのか、それは、後から考えれば至極当然なことだったが、突然のことに、冷静さを失った僕は、この状況をうまくつかめてはいなかった。冷静に振り返れば、もちろん僕はその場所に、見覚えがあるはずだというのに。


 僕は急いで橋を渡りきると、道からそれて、一気に高架下まで走った。すでに傘は、その骨組みがへし折られており、その用途を失っていた。そのため、風に煽られた、横殴りに降る雨が全身に突き刺さったが、それでも僕は、姿勢を崩さずに走った。その途中で、そこにある人影が、どこかの制服を着ている学生であることが、そのシルエットからなんとなくわかったが、その表情や姿など、詳細なことはなにもわからない。


 「ねえ!君!」


 僕は、年甲斐もなく叫んだ。しかし、けたたましい雨音に、それはかき消される。もう近づくしかないと思った僕は、逆向きに曲がった傘を捨てて高架下に入り、柵を飛び越えて、その窪みに潜り込んだ。

 僕がそこに到着したとき、暗くてよくは見えなかったが、それが僕に顔を向けたことがわかった。しかし、それは言葉を発しようとはしない。僕も、いざ我に返り冷静になると、自分がなぜこんな行動を取ったのか、そして、目の前のそれになんと声をかければいいのか、頭が混乱し、暫く沈黙した。

 暫しの間、僕と、それは、暗闇の中で見つめ合った。その時間は、たった一瞬であったようにも感じられたし、永遠のようにも感じられた。いずれにしても、この時間には、特別な何かが働いているような、そんな気さえした。


「どうして七夕の日はいつも天気が悪いか、知っていますか?」


 沈黙を破ったのは、若く、高い、綺麗な声だった。

 どこかで聞いたことのあるような質問は、僕の胸を鋭く刺し、僕の顔に、小さな雨を降らせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る