-83- 萌葱千草

「蒔苗ちゃんは黄金郷真球宮おうごんきょうしんきゅうぐうが起こした事件そのものについてはしっているのかしら?」


「はい! 不勉強な私でも流石にその事件は知ってます! 確か1万人以上が犠牲になった最大のダンジョン災害ですよね?」


「その通りよ。突如として開いた直径3キロメートルにもわたるダンジョンの入口が、とある地域をまるまる呑み込んだ……。今から25年前……ダンジョンが現れて5年目の出来事だったわ」


 蟻の巣の事件は異質とか異常とか言われてるけど、最大と言われることはない。

 それはこのダンジョン災害が存在するからなんだ。

 学校でも当然習うし、毎年事件が起こった日にはテレビで特集も組まれている。


 25年経った今でも消えない傷……。

 その傷が深いのは、ダンジョンに吞み込まれてしまったがゆえに死体すら確認することが出来ず、残された人々の中で区切りをつけられないからだ。

 もしかしたら、まだどこかで生きているかもしれない……。

 ダンジョンを抹消すれば取り戻せるかもしれない……。


 もちろん、可能性はゼロじゃない。

 すでに定着したダンジョンは抹消してもその下にあったものが消失しているという事象は科学的に証明されたわけじゃない。

 あくまで今までのすべての例でそうなっていたというだけだ。

 黄金郷真球宮の場合は例外ということもあり得る。


 しかし、ゼロじゃないと思うからこそ人々は苦しむ。

 可能性を捨てることが出来ず、囚われ続けているんだ。

 もしかしたら、紫苑さんもその1人なのかも……。


「当時はDMDが徐々に浸透し、人々の心に希望の光が差し込み始めた時代だった。ポラリスのロールアウトがダンジョン出現から3年、つまり事件が起こる2年前のことだったから、この時期には量産に加えて数々のカスタム機、改良型の開発も進み戦力はそれなりに充実しつつあった。ただ、脳波の増幅と受信の技術がまだまだ発展途上だったから、DMDは本当に高い適性を持つ選ばれた人だけの力だったことは覚えておかなくてはいけないわ」


「戦いたくても戦えなかった人が、この時代よりもさらに多かったということですね」


「そう……。でもね、この時期にはまだ存在していたのよ。生身でダンジョンに挑む『迷宮調査隊』がね。DMDを操れない人は自分自身の体を使って戦っていたの」


「迷宮調査隊……。もしかしてお父さんも?」


「ええ、迷宮調査隊の隊員だったらしいわ。そして、黄金郷真球宮を抹消すべく戦いを挑んだという記録も残っている。これは本人から聞いた話だけど、中学校を卒業してすぐに隊に志願したらしいわよ。なんとも破天荒な人よね」


「ちゅ、中学卒業って……15歳くらいじゃないですか!? 未成年ですよ……!?」


「私もそう言ったんだけどね。健人さんは『訓練期間中に16歳になってたよ』って返すのよ。いや、そういう問題じゃないんだけどって言ったら『16歳から結婚していいんだからもう一人前だよ』ってね。温和そうな人に見えるけど、それはそれとして頑固な人でもあったんだと思うわ。私が直接関わったのは短い時間だったけど……」


「お父さんがそんなことを……! でも、本人が頑固なのはいいとして、よくそれが認められましたね。言ってしまえば未成年を戦場に送り出すようなものなのに……」


「それだけ恐ろしい時代だったのよ。ただ、健人さんはたぐいまれなる戦いの才能を見せた。彼の所属する部隊が犠牲を出しつつもダンジョンを抹消したこともあったし、最終的に健人さんは生身でのダンジョン探査が禁止されるその日まで生き残り、結婚し、子どもを残している……。確かに一人前の男と言われても反論は出来ないわね」


「そうですね。でも、お父さんは生身でダンジョンに潜ったせいで……あっ! 黄金郷真球宮が深層ダンジョンということは、もしかして死蓮花しれんかの呪いを……!」


「このダンジョンで受けた可能性もある。もしそうだとすると呪いを受けてから10年以上も呪いが潜伏していたことになるけど、そもそも呪いなんて言われているくらいだから、その潜伏期間もハッキリしていない。ありえないと断じることは出来ないわね」


 お父さんを死に至らしめた可能性があるダンジョン……。

 もしそれが事実なら、私にとっても因縁のある場所だ。

 今は呪いなんて言われているけど、深層ダンジョンの闇を暴けば病気のように対処法が見つかるはず……。

 そして、それが見つかれば未だに呪いが潜伏している人たちの命を救うことが出来る。


 やはり、私も挑まなければならないダンジョンなんだ。

 血に刻まれた因縁の地……黄金郷真球宮!


「……話が少しそれてしまったわね。本題はなぜ紫苑さんが黄金郷真球宮に執着しているのかということ。その理由は……母親が事件に巻き込まれたからよ」


「紫苑さんの母親ということは……私のおばあちゃんですか?」


「そう……名前は萌葱千草ちぐさ。大樹郎さんの妻で、七菜さんのお母さん」


 七菜……お母さんのお母さん……。

 今までその存在を意識したことはなかった。

 お爺ちゃんの話題はたくさん出てくるけど、そういえばおばあちゃんの話はまったく聞かない。

 それはもうすでに帰らぬ人となっていたからだったんだ……。


「当時、大樹郎さんと千草さんは別居していたのよ。ポラリスのロールアウトから大樹郎さんは多忙を極め、家庭のことなんて気にかける余裕がなかった。きっと千草さんもそれはわかっていたはず。それでも自分から離れていく夫を受け入れられなかったのか、逆に夫に自分のことを心配させまいと離れたのか……今となってはわからないけど、千草さんは大樹郎さんの元を離れ、実家がある新潟県騎虎市に帰って来ていた。そして……ダンジョン災害に巻き込まれた」


「そんな……そんなことって……」


「大樹郎さんはもちろん戦ったわ。自分の妻と多くの人々を救うために。さらに日本にいたほぼすべてのDMD操者が戦いに投入されたから、当時は絶対に抹消できるという空気感が世間にも広がっていた。だから、そこまでの混乱は起こらなかった。でも……相手は深層ダンジョンだった……。脳波が届く限界までDMDを進めても、コアの気配すら感じられない。だから生身の迷宮調査隊も投入された。理論上、人間は制限なくダンジョンの奥に進めるから……。でも、やはりそれは理論上の話でしかなかった。戦闘能力で劣る人間ではDMDの最大到達点にも迫ることが出来ず、撤退を余儀なくされた。こうして人類は抵抗するすべを失った……。黄金郷真球宮出現から約1年後、ダンジョンは完全に定着してしまった」


 今を生きる人間が、最初から勝ち目のない戦いだったと振り返るのは簡単だろう。

 仕方なかったと悲しむ人々を慰めるのも……簡単だ。

 でも、当時の人々の絶望は私たちには計り知れない。

 きっと大切なものを失った人たちの時間は止まったままなんだ。


「大樹郎さんは後悔と自責の念に押しつぶされてしまった。多くの人々を救えなかったこと、そして何より自分の妻を失ったこと……。どうしても多くの人は救えなかったにしても、自分の妻だけは1日でも家族の時間を作っていれば、今でも自分のそばにいたのではないか……。そう考えると、仕事なんて手につかなかった。彼の時間はそこで止まってしまったの」


 お爺ちゃんだって人間だ。

 そうなってしまうのが普通のはずなんだ……。


「でも、それでも、彼は数年の時を経て自らの意志で立ち上がった。もう二度と自分と同じ悲しみに囚われる人間を生み出さないために……! 黄金郷真球宮出現から5年、ダンジョンそのものの出現から10年が経過したその年に、彼は深層迷宮探査計画『アイオロス・プロジェクト』を立ち上げた!」


 並々ならぬ強い意志……。

 だからこそお爺ちゃんは死してなお迷宮王として語り継がれていくんだ。

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