-56- ライド・オン

「……そうだ。みんなにこのことを連絡しないと!」


 我に返りDphoneで愛莉たちと連絡を取ろうとする。

 しかし、いくらメッセージを送っても正常に送信されない。

 電話をかけてみても愛莉たちに繋がらない……!

 Dphoneを使い始めてから今日まで通信障害なんて一度も経験したことがない。

 進化した通信端末には圏外も不具合もほとんど存在しないはずなのに……。


 いや、Dphoneでも絶対に電波が届かない場所が1つだけある。

 それは……ダンジョン!

 Dphoneはダンジョン由来の技術で作られていると言っても、通信そのものに脳波を使っているわけじゃない。

 だから、地上からダンジョン内へは絶対に繋がらない。


 きっとあの空間の歪みは地上とダンジョンを隔てている『なにか』と同じようなものなんだ。

 当然確証はないけど、今でも普通のウェブサイトにはアクセス出来るあたり、Dphone本体の不具合や電波障害だとは思えない。

 でも、あの歪みの内側だけダンジョンのようにこの世界から隔絶されていると考えれば……辻褄は合う!


「確かマシンベースはあの方角になかったはず……!」


 私は祈りながら育美さんに電話をかける。

 長いコールの後、電話の向こうから聞き慣れた声が聞こえてきた。


「蒔苗ちゃん大丈夫!?」


「はい、大丈夫です。病院内にも混乱はありません。今のところはですけど……」


「よかった……! こっちはかなり混乱してて、今情報を集めている最中なの。でも、とりあえずマシンベースはあの歪みに巻き込まれていないわ」


「本当によかったです……! 育美さんとも連絡を取れなくなったらどうしようかと思ってました!」


「育美さん……とも? まさか、あの歪みの向こうに誰か知り合いがいるの?」


「はい。あっちには私の通っている学校があるんです。それでおそらく愛莉たちが中に……」


 電話の向こうから育美さんの息を呑む音が聞こえた。

 その後、少し低くなった声で会話は続く。


「愛莉ちゃんたちが心配で仕方ないと思うけど、今は病院で待機しててほしいの。決して1人でマシンベースに行こうとしちゃダメよ。しばらくしたら迎えが到着する予定だから、その子と合流して一緒にマシンベースに来て」


「わかりました。ちなみに迎えにはどなたが来るんですか?」


「……本当は良くないんだろうけど、もう飛び出しちゃったからなぁ。えっと、学校を早退した蘭ちゃんがそっちに向かってるの。何に乗ってるのかは不明だけど、少なくとも徒歩よりは速くマシンベースに着けると言っていたわ」


「蘭が私を迎えに……!? でも、お嬢様なら運転手付きのリムジンとかに乗っていそうですし、かなり安全に移動出来るかもしれません!」


「それだと本当にありがたいわ。ごめんね……本当はマシンベースから迎えを出すべきなんだけど、今は尋常じゃないくらい混乱してて……」


「気にしないでください! それより私が呼ばれるということは、あの歪みはダンジョン関係ということで間違い無いんですね?」


「ええ、新たなダンジョンが出現する時と同じ反応を検出しているから、あの歪みは新ダンジョン誕生の余波と考えられているわ」


「余波だけであの規模ですか……!? 一体どんなダンジョンが生まれてくるんだろう……」


「まったく予想がつかないわ……。ダンジョンがこの世界に現れてから30年、これほどの異変は起こったことがないから……」


 育美さんから焦りと恐怖の感情を強く感じる……。

 この人が私との会話の中で、これほどまでに負の感情をあらわにしたことは初めてだ。

 それだけ事態は深刻なんだろう……。

 安易な励ましの言葉は逆に不安を煽ると思う。

 でも私は無意識のうちに、無責任な言葉を口走った。


「心配しないで育美さん。私が全部なんとかしますよ」


 まだ何がなんだかすらわかっていないこの状況で、あまりにも適当な言葉だ。

 いよいよ育美さんにも怒られるかなと思った。

 でも育美さんは少し黙った後、穏やかな声で言った。


「うん、お願い蒔苗ちゃん。きっとあなたの力が必要になる」


 育美さんから焦りや恐怖の感情が薄れていくのを感じる。

 私の励ましの言葉……そんなに良かったかな?

 それとも私ではなく、私が操縦するアイオロス・ゼロに希望を感じたのかな?

 あの謎のオーラを使えば、この事態も収拾出来ると……。


 どちらにせよ、私の戦う意志に変わりはない!

 育美さんとの通話を終え、病室で蘭の到着を待つ。

 数分後、Dphoneに到着を知らせるメッセージが届いた。

 ナースステーションのナースさんに事情を話し、病院を出ることを伝える。

 私がマシンベースからの患者だということは伝わっていたようで話はすんなり進んだ。


 その後、階段を降りて1階正面玄関にあるロータリーを目指す。

 院内はにわかにざわつき始めているが、急患が運び込まれている様子はない。

 あの異変による怪我人はまだ出ていないってこと?

 不思議な感覚を覚えつつ、病院から出て蘭の乗っている車を探す。


 ……ない。リムジンがない。

 あの黒くて長い車体を持ったお嬢様が乗っていそうな車No.1の車はどこにもない!

 いや待て待て、リムジンに乗って来ているというのは私の勝手な思い込みだ。

 他の高級車の可能性だってある。


「蒔苗さん! こちらですわ!」


 ほら、蘭の声は聞こえている。

 どこかに高級車が……ない!

 というか、ロータリーに車自体が少ない!

 一体どこから声が……。


「ここですわよ、ここ! こっちのバイクですわ!」


「えっ!?」


 声の方を見ると確かにバイクがあり、ライダースジャケットを着込んだ女性がまたがっている。

 顔はヘルメットで見えないけど、確かに蘭の声だったような……。


「ふふっ、まあこの姿を見せるのは初めてですものね。ほら、これでおわかり?」


 ヘルメットのバイザーを上げると、その中に黒い瞳と黒髪が見えた。

 ……やはり誰だかわからない。


「カラコンとカツラがないとダメですのね……。致し方ありませんわ!」


 ライダーの女性はヘルメットを外すと、どこからともなく取り出した金髪のカツラを頭に被せた。

 そこで私はやっと蘭を認識することが出来た。


「蘭! えっと……どこから突っ込んでいいのかわからない!」


「突っ込んでる暇などありませんわ! 今は一刻も早くマシンベースに向かうべきですわ!」


「それは確かに……」


「ですが、カツラをつけるまで私と気づいて下さらなかったのはショックでしたわ……。一度この本当の姿も見せたことがありますのに……」


「ご、ごめん……。ほら、蘭といえば金髪縦ロールがトレードマークだからさ。それが見えないとなかなか気づけないというか……」


「ふぅむ、まあそれだけ私も金髪が似合う人間になってきたということですわね! しかし、バイクの運転には邪魔になりますので、走行中はしまっておきましょう!」


 蘭はバイクの後ろに装備されているボックスにカツラをしまった後、もう1つのヘルメットとライダースジャケットを取り出した。


「これは蒔苗さん用ですわ。ヘルメットは当然として、服装も流石にバイクに乗るには軽装すぎますから、これを今着ている服の上から着ていただけませんか?」


「うん、わかった!」


 私もこのラフな服装でバイクは怖かったから助かった……!

 ちょっと違和感はあるけど服の上からライダースジャケットを着込み、ヘルメットをしっかり被る。

 そして、蘭の後ろにまたがって彼女の腰に手を回す。


「しっかり掴まっていることですわ! 過度にスピードは出しませんが、慣れていないお人には十分驚くべき圧がかかりますので!」


「了解! でも、蘭がバイクを運転出来るなんて思わなかったよ。お嬢様だからてっきりリムジンにでも乗ってると思ってた」


「確かにリムジンにも乗りますわよ? でも私はただのお嬢様ではなく、マシンを扱う黄堂重工の社長令嬢なのですわ! だから体が、血が! マシンのうなりを求める! マシンと共に駆けたいと叫ぶ! ……こともあるのですわ」


「だから通学にバイクを使ってるのね」


「ええ! もちろん、お父様は危ないと言って反対しているのですが、こればかりは本能が求めるものゆえ……どうにもなりませんわ。でも、そんなわがままも今日は役に立つ! 道路はすでに危険を感じて避難を始めた人々で混み合い始めていますわ。少々マナー違反ですが緊急事態ですので、わたくしは渋滞している車の間をすり抜けたり、あまり知られてない抜け道を通ってマシンベースを目指しますわ」


「蘭、緊急事態なのは確かだけど、だからといって事故を起こしたらいけないわ。後ろに乗ってるだけの私が偉そうなことは言えないけど、安全運転でお願いします!」


「大丈夫大丈夫、ギリギリルールは破りませんので。掟通りの地元走り……とくとご覧あれ!」


 アクセルを回すと、蘭のバイクが唸りを上げる!

 大きな音だけど雑味がない、静かな叫びのようなエンジン音だった。

 車体はゆっくりと加速を始め、病院の敷地内をゆっくり走る。

 そして道路に出た時、バイクは再び唸りを上げて加速する!


 私はただ蘭の背中にぎゅっと体を寄せていた。

 年上だけど私より小さい蘭の背中が、今は大きく力強いものに思えた。

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