第36話 乗り換え
明朝五時半。日の出は終えているものの、まだ空の色は薄暗い。
そんなまだ多くの人が寝ており、一部の早起きの人間が目覚めている時刻。羽黒市一本の一両列車が市を横断していた。
その列車の中で、ヘムカたちはロングシートに腰を下ろしていた。ヘムカだけが目をこすりあくびをする。声を抑えようと手で口元を塞ぐが、声がくぐもるだけであまり効果はない。
無理もなかった。前日は拘置所へ行くための準備で忙しく、夜もあまり眠れていない。
ヘムカは前世の記憶こそあるが、体は正真正銘の八歳だ。子どもらしく、遅くまで起きていたりすることは体にとっても影響が大きいのだ。
ましてや、絶妙な温度調整がなされている心地よい車内のことだ。気を抜いたらすぐに眠りに誘われてしまう。そのため、無理に目をこすり寝落ちしないように尽力しているのだ。
「ねぇ、あの子」
「何かの病気かな?」
「聞こえるって」
時折聞こえてくるヘムカについて言及された小言も、寝落ち防止に役に立っているというのだから皮肉なものである。
幸いにも、今乗っているのは安積鉄道の列車。満員電車などと比べれば明らかに空間が目立つものであったが、以前にヘムカたちが乗った時と比べれば格段に人は多い。前回が丁度人が皆無な時間に乗ったのに対し、今回は丁度出勤の時刻。サラリーマンなどが比較的多く乗車しており、中には遠くの学校に行くであろう制服に身を包んだ学生もいた。ヘムカについて言及していたのも、学生たちである。
その中で、大きめのフードを被り車内の年齢層と明らかに異なるヘムカは非常に目立っていたのだ。
しかし、乗客の大半が一瞥をしたりする中で列車は無事に終点の羽黒中央駅に到着する。
前回同様に小銭と乗車券が乱雑に入れられた箱の中に、ヘムカも同様に小銭と乗車券を入れる。しかし、真面目な駅員だったのかヘムカを一瞥こそするもののごった返す改札の流動性を保ちたいが故か、特に何か声掛けすることもせずに改札を通過した。
「ここからだ本番だぞ、ヘムカ」
ヘムカは強く頷いた。
拘置所に行く上で、職員にヘムカの容姿がバレるのはほぼ確定だ。
拘置所は脱獄しないように警備が厳重。怪しい者など門前払いだ。それに、ライベの部下に話し合う面会室では必ず職員も同席する。
その上で緊張しないようにと、フードを被りながら衆目環視の状況下に置くことに決めた。しかし、本番はここからだ。
羽黒中央駅は、羽黒鉄道の他にもう一つの路線が乗り入れしているのだ。
羽黒鉄道の改札を通過し、別の路線の改札へと到着するがそこにいたのは尋常じゃないくらいの人の数であった。
「うわぁ……」
とはいえ、乗客の多くは早く列車に乗りたいのか脇目も振らず、駅に入るなり改札に一直線であった。
樹が自動券売機で安積駅行きまでの切符を二枚買い、ただ人混みの多さに驚いているヘムカの元へと戻る。
「本当に大丈夫?」
「うん。びっくりしただけ」
ヘムカは、樹から切符を受け取ると二人で自動改札を抜ける。駅のプラットフォームまで来るなり、ヘムカの異常さを周りが認知し始め微かにざわめき出す。
けれども、何を言っているのかまでは聞き取れない。隣の人にしか聞こえないような、最低限の声量で会話しているのだ。
「見られてるな」
樹が周りの迷惑にならないように小声でヘムカに告げる。
「うん」
羽黒鉄道が悲惨なのか、或いはこの路線が主要路線なのかは知らないが、プラットフォームに立って列車が来るのを待っている者の多くはヘムカの方を見た。
一瞬見ながらも、名残惜しそうに別の方向を向く者。一見興味なさげだが頻繁にヘムカを見る者。所作に隠す動作が一切なく、堂々とヘムカを見つめる者。様々だった。
すぐに列車到着のアナウンスが流れると、丁度すぐ列車が来て乗り込む。先に座っていた者の多くは視線を変えず景色やスマホに夢中だが、一目ヘムカを視界に入れたのであればプラットフォームにいた乗客同様の行動を取った。
しかし、以前のように迷いはない。拘置所へ行くのだから、否が応でもその姿を晒すことになる。
ヘムカたちは空いている場所を探すが、生憎場所は全て埋まっていた。大人しく羽黒駅のプラットフォームと反対側にあるドアの手すりに掴まった。
とはいえ、何もしないで立っているのはつらいことで寝不足を相まって急激な眠気がヘムカを襲う。樹に支えられて辛うじて立ってはいたところ、次についた駅で偶然一人分の場所が空いた。
「ヘムカ、座るか?」
樹の声掛けに首肯する。
ヘムカは、眠くてたまらないのだ。
だが、それと同時に乗車する人もいる。樹は、新たな乗客に取られないようにヘムカを支えながら移動し、空いている席に座らせた。
その場所に座ると、ゆっくりと目を閉じた。
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