第37話 もう、止まれない

「間もなく安積、安積です」


 そんな車内アナウンスが流れると、列車の速度が逓減し始める。

 その違和感でようやく目を覚ましたヘムカたちは降りるべく席を立つと、開くドアの方へと向かう。安積駅で降りる人は多いらしく、列車が停車するなり列車のドア周辺はかなり込み合った。

 人混みで一番避けるべきなのは、フードが取れてしまうことだ。周りに人が大勢いるため、ふとした拍子にフードが取れてしまう可能性がある。そのため、ヘムカはフードを前方を引っ張ると、樹に腕を掴まれながらどうにか人混みを行く。

 ヘムカは、まだ八歳という年齢を考慮しても背が低い。動く壁に押されているも同然で、周りの大人たちに合わせた早歩きをするのがやっとだった。

 改札にたどり着くが、自動改札なため二人とも切符を挿入するだけで無事に終わる。一応改札口には駅員もいるが、切符を紛失したらしい老人の対処に当たっておりヘムカのことなどまるで気にしてもいない。

 それでも樹は万が一ヘムカが緊張してしまうかとも思ったが、羽黒鉄道の改札の時のような戸惑いは一切ない。緊張で一杯だった。


「ふぅ」


 人混みから逃れられたヘムカ。春とはいえ人混みの熱気で汗ばんでしまい、思わずフードを取ろうとしてしまうがすぐに気が付き自制する。 


「大丈夫? ヘムカ」


「うん。それにしても、ここの拘置所なんだよね」


 まだ拘置所は見えないどころか駅構内である。とはいえ、ヘムカにとっても樹にとっても拘置所へ訪れるということは人生に大きな影響を与えかねない行為に等しい。二人はすでに緊張していた。

 手で扇ぎながらヘムカが辺りを見渡すと、街がよく見えるであろう巨大なガラスのを見つけた。

 近くまで行ってみると、高さは駅構内の高さの半分ほどまで。長さは、階段と階段の間、複線を跨ぐほどに長い。


「ああ、きちんと調べた。羽黒市内にも拘置支所はあるが、別の不審者が脱獄を幇助する可能性があるから、あと多すぎて対処しきれないという理由で全員安積に移送されたそうだ」


 樹は話しながら近づいてくる。

 仮にも指揮が取れた集団である。万が一ライベが部下の収容場所を発見したら、襲撃するだろう。その点でも、警察の判断は正しかった。


「そろそろ行こうか」


「そうだね」


 樹の後ろをついていき安積駅を出る。改めて振り返れば、その駅の大きさに驚いた。

 羽黒市よりも都会である安積市は、県下最大の人口を誇るということもあり商業が非常に発達している。

 羽黒市でしばらく暮らしてすっかり見慣れたと思っていた近代建築も、まだ序の口に過ぎない。しかし、無闇矢鱈に感嘆している暇もない。靴紐を固く結び直すと、駅前の交番に恐れ慄きながら道を進んでいく。


「やっぱり交番通る時って怖い?」


 小声で樹に聞いてみる。


「まあね。でも、一々交番の前で見つからないように行動するのも不審がられるから。西羽黒駅にも近くに交番あるし」


 樹は堂々と喋った。しかし、手に汗握っているため少しは緊張しているのだろう。それよりも、驚いたのは交番の位置だ。


「え? そうなの?」


「そうだよ。見えない位置にあったから仕方ないけどね」

 

 直線上では見えなかったかもしれないが、交番が近くにあれば巡回している可能性が高い。万が一遭遇していたら職務質問されていたかもしれないのだ。無事に合わずに済んで良かったと胸をなでおろす。

 その後も、しょうもない話を続けること十五分ほど。


「ここだな」


 しかし、ヘムカは何かを喋ろうにも尻込みしてしまう。その厳つい外観に気圧されたのだ。

 目の前にあるのは、何かの官公庁の施設かと思われる大きな施設と、それを取り囲む高いコンクリート壁。ここが安積拘置所である。

 学校などの壁とは比べ物にならないほど壁は高く造られており、厳重な警備体制というのがわかる。

 門扉で怖気づいていても仕方ないため、敷居を跨ごうと進む。しかし、すぐに警備員が二人の前に立ち塞がった。


「あのー。すみません。そちらのお子さん、ちょっとフードとってもらっても?」


 いざ取ろうとするが、どれだけ覚悟を決めていたとしても本番になると思うようにはならないものだ。


「どうされました? 光線過敏症とかですか?」


「いいえ」


 ヘムカは、ゆっくりとフードを取った。首輪を見られるとさらにややこしくなりそうなので、首輪は見えないようにしたが。

 しかし、警備員は顔色を変えなかった。

 今まで多くの起訴された人々を見てきた警備員にとって、狐耳が生えていたくらいでは別段驚くほどのものでもない。


「わかりました。ありがとうございます。ところでご用件は?」


「羽黒市の確保された言葉の通じない方々に面会に」


「……失礼、何の目的で面会に?」


 警備員は訝しんだ。

 不審者の行動は、一般常識から逸脱している。仮に日本人の知人がいたなら最低限の知識を得ていると考えたからだ。

 また、記者のようにも思えない。ましてや、子連れなのだ。

 すると、樹はヘムカに視線を向けた。


「この子──ヘムカが、その人たちと同郷のもので言葉が通じる可能性があるんです」

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