第4話 矛盾
ヘムカは、いつの間にか眠っていたことに気が付き目を擦りながら顔を上げた。辺りを見渡しても、そこにあるのは不安を煽る暗闇。辛うじて突上窓から月光が差し込んでいるだけだった。
しかし、その月光も満天の雲に覆われ月そのものの姿を視認することは難しい。月光がぼかされて差し込む程度。
誰かしらのいびきと思われる轟音が鳴り響いているため、皆疲れてそのまま眠ってしまったのだろうとヘムカは考えた。踏んではまずいと思い、突上窓から体を乗り出しそのまま外へ出る。
ヘムカが外に出た目的は、単純に水を飲みたいからだ。村には蝋燭はあるが、貴重品であるため緊急時以外の使用は認められていない。このような場合は、月明かりを頼りに進むのだがそれすらもままならない。井戸の近くにあった建物を思い出しつつ、該当する建物に沿いながら井戸へと向かった。
日暮れとともに就寝し日の出とともに起きる生活を続けていたヘムカにとって、こんな闇の中を歩くのは初めてだった。
井戸に到着するなり、ヘムカは穴を囲う石垣に抱きついた。石垣は削ってあるといっても表面に多少なりとも凹凸は残っている。まるで鳥肌を撫でているかのような感触に襲われた。
水を汲み、喉の乾きを潤し帰ろうとすると誰かしらの足音が近づいてくる。近くの森で人間が彷徨いていたという情報を知っているヘムカは、思わず身構えた。そして、暗闇の中小柄な影が闇の中に映し出される。
「だ、誰……?」
その影は、ヘムカも聞いたことのある声で反応した。その影はさらに近づき、ヘムカが顔を視認できる距離まで近づいた。
「ヘムカお姉ちゃん?」
井戸にやってきた影、それは妹だった。
妹は井戸にいる人物がヘムカだと気がつくと強張らせていた表情を一気に緩ませた。ヘムカも同様に、近づいてきた人物が妹であるとわかると身構えるのを止めた。
「お姉ちゃんも水を飲みに?」
妹は井戸の底に沈んでいる容器を引き上げると、警戒中の不安を晴らすかのような顔でヘムカに喋りかけた。
「うん、今飲み終えたところ」
ヘムカも、妹に対して安堵したかのように答える。
妹は容器を石垣に載せ、水を手で掬うと口へと運んだ。
「それにしても、最初ここに誰かいるとわかったときは怖かったよ。暗いから誰かもわかんないし」
井戸にいた相手がヘムカだったからこそ軽口を叩けるが、改めて考えると怖いものだろう。村人は全員見知った顔とはいえ、明かりがなく直前まで誰かわからなかったら怖いと思ってしまうのは必然だ。
「それ、私もおんなじ」
代名詞を強調し、自分も同様に怖かったことをヘムカは伝える。
「そっちもかー」
警戒が杞憂だったことに二人とも緊張の糸が解れてしまったのか、井戸の石垣に腰掛けてしょうもない話でも思わず話し込んでしまう。
「じゃ、そろそろ帰る?」
「うん」
二人とも石垣から降りると、ヘムカの家の方角へと見る。本来であればこの薄暗い月光の中、何も見えないと思うのだが遠くに不気味な明かりが見えた。
「何あれ」
妹も不気味な明かりに目が入ったようで、ヘムカの貫頭衣の前身頃を掴む。
目を凝らしてよく見れば、それは一つだけではない。無数の光炎だ。しかも、その光炎は列をなして動いており確実にヘムカのいる村へと向かってきていた。
「怖いよぉ……。何あれ? 人間?」
ますます貫頭衣の前身頃を掴む力が強くなる妹。
そんな妹を見て、真っ先に思ったのは妹を守らなければということだった。
「とりあえず、ここに隠れていて」
炎の持ち主たちがどういう行動をするなかんて、ヘムカにはわかるわけがない。ヘムカにできるのは、とりあえず隠れさせることだった。
村の外に逃すことも考えたが、杞憂に終わった場合捜索が大変だし、何より先も見えないこの真っ暗闇の中に放つなど危険すぎるからだ。
ヘムカは、妹を隠す場所に井戸の石垣の影を指定した。しゃがんでいれば見えやしない。
「すぐ戻ってくるからね」
ヘムカは軽く妹の頭を撫でてやると、一笑する。
「うん……」
対する妹は、憂い顔をしながら拙い首肯をした。
妹を置いていくことは心苦しかったが、そんな悠長なことは言ってられない。ヘムカは急いで家へと向かう。先程歩いてきた道のりなので、暗闇といえどもある程度はわかりすぐに家へと到着する。
家へと入るなり、ヘムカは近くにある人物を片っ端から叩いていく。暗闇で見えないので、村人だと確認次第叩いていった。
声を出して起こしてもいいが、最悪の場合この近くに来ていた人間に見つかってしまうかもしれない。
「……ん?」
呑気な声を上げながら幹部の一人が目を覚ます。ヘムカはその呑気な声の元に飛びついた。
「人間がこの近くに来ているんです! それも大勢で! すぐに対策を考えましょう!」
切羽詰まった様子でヘムカは幹部を説得する。しかし、返ってきたのは思ってもみない言葉だった。
「人間? そういえば俺は昔、狩りの時に人間と出くわしたことがあってな──」
口にしたのは、人間という言葉から関連付けられたであろう昔の自慢話。ひどく泥酔している幹部はまともに思考ができていないようだった。
焦燥に駆られ、辺りに雑魚寝している幹部を叩きまくっていると誰かが身を起こす音がした。
「ん? 嬢ちゃん? どうしたんだ。そんなに焦って」
声から察するに若い幹部だった。彼は寝てはいたものの、酔ってはいなかったのだ。
「た、大変です。大勢の人間がこの村に来ているんです。何かしないと」
理性的な言葉を喋る若い幹部に急いで駆け寄ると、ヘムカは事態を説明する。「そうか……」の言葉の後、しばし沈黙が訪れた。楽観視していた若い幹部といえども、この状況はさすがにおかしいと考えたのだろう。
「こんな夜中にか。交易目的なら絶対こんな時間に来ないだろう。すると、この村を襲うのが目的か」
喋ったのは二人のいずれかではない。落ち着いたヘムカの父親の声だった。父親もまた、会話をする二人の方へと近づいた。
「こいつらは酒を浴びるように飲んでたからな、当分は起きんぞ。とりあえず若い衆らをどうにかしないと。ところで──」
よりにもよってこんな日に襲われたことに絶望を感じながらも、父親は若者の避難を優先すべきと説く。しかし、その言葉は途中で止まった。誰かを探しているかのようだった。
ヘムカにはすぐに誰を探しているかわかった。妹のことだと。
「もしかして、嬢ちゃんの妹か? すまんな、生憎人の名前が覚えられなくてな……」
若い幹部も、名前は思い出せないながらも父親の考えていることを察する。
「井戸の影に隠れています。私も井戸にいましたが、隠れるように言ってこっちに知らせに来ました」
ヘムカは冷静に、自分がなしたことを二人に伝える。父親は考え、そして一つの決断を下した。
「俺が行く。お前は若い衆らを叩き起こせ。ヘムカは……隠れていろ」
若い幹部はすぐに若者たちを起こしに向かった。父親はヘムカを安全な場所に隠れるように移動させるつもりだったのだが、ヘムカは動かなかった。
なぜ動かないのか。父親が訝しげにヘムカを見るが、ヘムカは喋った。
「私も行く」
「駄目だ。ヘムカ、危ない。ここにいろ」
ヘムカの決断を、父親は尽く拒否した。
父親とて、ヘムカが大切なのだ。危険な場所へは連れていけない。
「いや、行くよ。だって私──大人だから!」
父親は、初めて自分が子に気圧される感覚を覚えた。生半可な決意ではない。ただならぬ決意であることがひしひしと父親にも伝わった。
「わかった。道案内頼む」
父親はヘムカのことを愛娘としてしか見られなかった。先入観を捨てて、改めてヘムカの方を見る。
妹のために全力を尽くす大人だと父親は思えた。
「了解!」
ヘムカはすぐに家を飛び出す。ヘムカには井戸まで往復した経験がある。それを活かし、父親をこの暗闇の中において井戸までの道を案内した。井戸の近くまで来ると、隠れていたであろう妹が石垣の影から顔を出す。
「お姉ちゃん?」
妹はまだこの暗さの中、目の前の二人を姉と父親だとは認識していないようで猜疑心が見て取れた。
「良かった、無事だったんだ」
妹が無事でいてくれたことに胸をなでおろした。
「お姉ちゃん!」
妹はヘムカの声に反応し、目の前の相手が姉であるとわかるなり飛びついてきた。
「ちょっと~」
ヘムカは微笑しながら妹の手をどける。構ってあげたいのは山々だが、こんなことしている暇などないのだ。
「無事でよかった。さて、ヘムカに──」
我が子と無事再開できたことに、強面の父親の顔も少なからず解れる。しかし、ヘムカの母親のことが心配な父親はすぐに動こうとしてヘムカに指示を出そうとした。
ヘムカたちが見たのは、こんな真夜中では絶対に見ることのできない光炎だった。
炬火が家に当たろうものなら、村にある易燃性の茅葺き屋根は容易にその火の粉を貰い受ける。そして、瞬く間に猛火となっていた。
三人はただ何も喋ることも動くこともなく、悍ましい風景に立ち竦んでいた。
そして父親は歯を全力で食いしばった。わずかばかり歯茎から生えている歯のバランスが崩れる。だが、そんなことどうでもよかった。真っ先に母親を無事を確認しなければならない。危険だとはわかっていても、一歩一歩。着実に父親は歩みを進めた。
しかし、そんな違和感のある動きをしていればヘムカは父親の心中を察することができた。
「お父さん、大丈夫?」
愛娘の心配そうな音色。父親にとって妻も大切な存在だが愛娘も同様だ。心配は絶対にかけまいとヘムカの方を向いた。
「二人ともよく聞いてくれ。俺はお母さんを助けに行ってくる。ここでじっとしていろよ」
先程、大人だからとヘムカの同行を認めたのに。やっぱり危険だからついてくるななんて、なんて自分勝手な父親だと父親は自認する。
けれども、家族全員父親にとって大切な存在だ。一人も欠けてはいけないと思っている。今回は、先程とは違って危険も大きい火の粉が降り注ぎ人間も近くにいるかもしれない。火が明かりになって先ほどと比べても大幅に人間に見つかりやすいのだ。
父親は覚悟を決めると、一歩一歩着実に家へと向かう。
しかし、ヘムカも同様に不安だった。家族愛ならヘムカも負けてはいない。自分は大人であると心の中で復唱すると父親のすぐ側に付いた。
「ヘムカ、付いてくるな。危ないぞ」
父親は諭すような優しい声でヘムカを退けた。
「いや、私も行く。だって私も大人だもん! それに、二人の方がもっと多くの人を助けられるかもしれない!」
ヘムカは、大人しい少女だという自覚はあった。両親の言うことには常に従った。だからこそ、両親から愛されていると思っていた。しかし、あろうことか父親はヘムカの頬を引っ叩いた。
痛みよりも、父親がヘムカを叩いたことに対する衝撃のほうが大きくヘムカは何かしらの反応をするわけでもなくただ頬に手を当てながら呆然と父親を見ていた。
「落ち着け、ヘムカ。大人が取り乱してどうする」
ヘムカは大人になったからこそ、大人の責務を全うしようと頑張りすぎた。今回の事件も、頑張って助けようとするがあまり慌てすぎたのだ。
「二人行って、もし二人とも亡くなったらあいつはどうなるんだ!?」
父親はきつく拳を握りしめると、打って変わって声を荒げた。
「あっ」
一人よりも二人。火の手が上がったことを寝ている人たちに伝えれば助かる可能性は上がっただろう。ヘムカもそう信じていた。
だからこそ、多数の命を優先するがあまり一つの命──妹の命を考慮していなかった。先程は妹のために全力を尽くしていたのに。
一人の命より複数人の命が大切というのは、間違ってはいない。けれども、そんな重大な判決をすぐに行うのは大人としても家族としても倫理的にも駄目だと、少なくとも父親は強く思えたのだ。
「すまんな、ヘムカ。早速矛盾しているな」
父親だって、ヘムカの思いを無碍にはしたくない。父親のただのエゴであった。
父親は渋々了承したヘムカを慰めてやりたい気持ちでいっぱいだ。けれども、時間はもうない。助け向かうことは、人間と遭遇する可能性が高い。すなわち、危険が大きすぎるのだ。今生の別れになるかもしれないのに、愛娘たちを怒鳴りつけたくはなかった。
「ヘムカ、これは大人としての命令じゃない。家族としての命令だ。強く生きろよ。じゃあな」
いつものように朗らかな笑みを浮かべた、ヘムカの父親がそこにいた。
「お父さん!」
ヘムカは咄嗟に父親に向けて手を伸ばす、しかし、父親は全速力で火の手が上がっている方へと向かって行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます