第3話 その宴会は誰が為に

「乾杯!」


 木製のコップがぶつけ合う音が聞こえると同時に村の男たちの喚声が辺り一帯に轟く。家の中にいるヘムカからすれば、耳を塞ぎたくなるような大声だった。

 ヘムカの成人を祝して行われた宴会は、ヘムカの家族の他に村長やら村の重鎮。そして、彼らの家族も参加したため、一瞬ささやかという言葉の意味を今まで誤用していたのかと思えるくらいの喧騒だった。

 主役であるはずのヘムカは全く相手にもされず、ただ村の男たちが喚き散らかすのみ。居心地が悪くなり、混沌と化している家の居間を立ち去り家を出る。

 まだ昼下がりということもあって、そこには案の定男たちの喧騒に耐えられなかった参加者が風に当たっていた。

 すると、村の幹部の夫人たちがヘムカに気がつく。


「あら? ヘムカちゃん。あなたもこっち来たの? 宴の主役なはずなのにね」


「全くです。何かと理由をつけて騒ぎたいだけですよね、あれ」


 ヘムカは村の幹部の夫人たちに同調し軽く世間話をする。

 やがて夫人は去っていったが、別の夫人を見つけるなり談笑を始める。彼女は夫たちのことを批判していたが、彼女もまたただお喋りがしたいだけ。似た者夫婦であった。

 ヘムカは家の壁に持たれ腰を下ろし、穏やかな風に当たる。夜風の雰囲気も好きだが、昼間の風も中々に乙なものである。しかし、比較的冷涼なこの地域だからできたことであった。

 風に当たりつつあれこれ考えていると、家の扉から出てくる人がいた。


「悪いな、ヘムカ。お前の宴なのにな」

「すまねぇ、嬢ちゃん」


 出てきたのは二人。一人はヘムカの父親、もうひとりは村の若い幹部だ。二人はヘムカに対して詫びを入れた。

 この若い幹部は悪酔いするらしく酒を減らしているらしく、常識は弁えている。

 父親はヘムカの隣に蹲踞のような座り方をして一息ついた。


「ヘムカが大人か……」


 父親はヘムカに何かしらの返事を求めるわけでもなく虚空に呟いた。いろいろ思うところがあるのだろう。父親が様々なことを思案していると、ヘムカの方に向き直る。


「ヘムカ」


 改まった声掛けに、ヘムカも父親同様に向き直る。


「大人になったからこそ楽しいこともある。だが、逆もある。苦しいこともあるだろう。一人で抱え込むな。つらかったら俺たちに言え。その場に俺たちがいなきゃ信頼できる人に助けてもらえ。わかったな」


 父親から真っ直ぐな目を向けられ聞かされたのは大人になるにあたっての心構えだ。きっと、両親ともにその言葉通り楽しいことも苦しいこともあったのだろう。


「わかった。そうするよ」


 ヘムカは、告げられた言葉を胸に受け止めた。本当の八歳だったら、きっとよく意味がわからなかっただろう。しかし、ヘムカは違う。前世の経験も経て、少しばかり同年代と比べて大人びている。今告げられた言葉にも、価値があるのだときちんと理解していた。


「何かっこつけてるんだ」


 口を挟んだのは、先程父親と一緒に家の外に出た村の若い幹部だった。彼はビールを注がれたコップを持っており、それをヘムカに渡した。

 前世において酒は二十歳以上でなければ飲めなかったが、祝い事の際しか飲めないもののここでは子どもも大人も当たり前のように飲んでいる。村の人から言わせれば、酒ならばお腹を壊すことがないらしい。

 当初はヘムカは前世の倫理観から戸惑ったが、井戸水でお腹を壊すことは少なくなく諦めてビールを飲むようになっていた。

 ヘムカはビールの注がれたコップを受け取ると少しずつ口の中へと流し込む。

 一方の若い幹部はというと、酒を減らしているとか言っている割には注がれていたビールを一気飲みしていた。


「この村は開村以来危機に見舞われたことなんてないだろ?」


 若い幹部は呆れたように言った。要は、格好つけているがそんなことこの村では起きないと言いたいのだ。


「気を抜かないに越したことはないからな」


 父親自身、この村が何かしらの危機に見舞われるとは思ってもいないのだろう。


「そういや──」


 父親の話を聞き、若い幹部は何かを口走った。ヘムカも、父親も若い幹部の方を向く。


「ウサギを狩るため少し森から出たんだがそこで怪しいやつがいてな」


 若い幹部は遠目に見える森の方を指差した。


「怪しいやつ?」


 気を抜くなと言った側から気が抜けない言葉が聞こえてくる父親。本当に気の抜けないことだからなのか、この場で重要視しなければヘムカに言ったことの説得力が大いに欠けてしまうためか。父親は若い幹部の話に出てきた不穏な言葉を聞き返す。


「ああ、獲物を借りに森の近くまで行ったんだ。そしたら、妙な音がしてな。近づいてみると、何やら人間がこちらの様子を窺ってたんだ。すぐにどこかへ消えたけど」


 ヘムカたちが住んでいる村は、最寄りの人間の居住区からも相当離れている。ヘムカは人間と出くわしたことはないが、村の人からはそう聞かされていた。


「ただ迷い込んだだけとかでしょう」


 楽観的で若い幹部は早々に私意を結論づける。この村にはとりわけ何か珍しい作物や鉱石があるわけでもない。技術水準も人間と比べても劣っているだろう。人口も、百人程度。この村を襲うメリットはないからだ。

 若い幹部は他に喋り相手がほしいのか、どこかへと去ってしまった。

 一方の父親は一考する。単に交易目的の接触か。あるいは、奴隷の補充か。ただの八つ当たりの可能性もある。


「お父さん?」


 父親は、考えるがあまり表情が固くなっていた。そんな父親を心配したヘムカが、顔を覗かせる。

 そして、改めて今日という日がどんな日であるかを思い出す。今日はヘムカの成人を祝った日だったと。朝家族の空気を淀ませてしまったのだからせめて、こんな日くらいは楽しませようと。

 明日大人たちに諮ろうと考えるも、やっぱり脳裏によぎるのはヘムカだ。ヘムカも大人になったのだから、早速考えてもらわなければならない。


「大丈夫だ、ヘムカ。今日はいっぱい楽しもうか」


 そう言って、父親はヘムカを連れて家の中に入る。家の中では我が物顔で振る舞っていた村の幹部たちどんちゃん騒ぎを起こしていたが、父親がそれを押さえ込み改めてヘムカを主役に据えた。

 ヘムカはビールを飲んだり飲まされたり。途中、村の幹部の一人が途中まで村の幹部が事実上の主役だったことを指摘。そしたらお前もそうだってではないかということになり口論が勃発。いつしかじゃれ合いというには少し過激な戯れへと発展した。

 心の底から楽しかったわけではないが、皆が自分自身を祝ってくれているようで嬉しかった。

 幹部同士の戯れは比較的高齢者が多いこともあってか、すぐに体力が持たなくなり終わってしまった。アルコールが入っていたこともあり皆寝入ってしまっている。そんな中、事後の静寂を楽しみつつビールを少しずつ飲んでいく。すると、戯れに巻き込まれ少々ふらふらしている父親がヘムカの隣に座った。


「ヘムカ。どうだ? 宴は」


 ヘムカは思ったことを整理する。少々父親に言うには小恥ずかしいものだったが、こんなときでなければ言う機会もないと思い腹を決める。


「ちょっとうるさかったけど、すごく良かった。私、幸せ」


「そうか、なら良かった……」


 父親は穏やかに一言発言すると、手をヘムカの頭の上に乗せてゆっくりと撫でる。

 ヘムカは家族愛とはこういうものなのだなと感じつつその心地よさに身を委ね、すぐに寝てしまった。



※この物語は、未成年者の飲酒を許容・推奨するものではありません。

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