第2話 元に戻るものと戻らないもの

「ただいま」


 ヘムカたちが家に帰ると、両親はすでに朝食を作り始めていた。母親は地床炉じしょうろの上に置かれた焙烙ほうろくで木の実を炒っており、一方の父親は草原で狩れたウサギの燻製を捌いている。そのせいか、家中が芳しくなっていた。


「ああ、お帰り。ヘムカ、少し手伝ってくれ。お前の好きなウサギ肉だぞ」


 父親はヘムカにウサギの燻製を誇るようにまるまると見せた。

 ヘムカは、転生しておいしいものが少なく絶望しかけたが一方でウサギ肉だけは好物だったのだ。

 父親から石包丁を渡されると、適度なサイズに刻んでいく。

 そんな食欲を掻き立てる匂いを嗅いでしまえば、妹はただ待ってはいられなかった。


「私も手伝う」


 浅い言動のまま妹は調理場まで走っていくと、何か頼ってほしくて父親と母親を交互に見る。しかし両者ともに妹に振れる仕事などない。ヘムカが石包丁を握れるのは、年齢はもちろんとして落ち着いているということもあった。同年代と比べても落ち着きがない妹には、両親のみならずヘムカも当分調理には参加できないということで一致していた。

 ましてや、朝食の調理に使っているのは火と石包丁。初めての調理にはいささか危険すぎた。

 父親は母親とヘムカから目配せを受けると、妹に対し膝を少し曲げた。


「ごめんな、今手伝わせることがないんだ。でも、やれそうな仕事があったら頼むことにするよ」


「本当?」


「ああ、本当だ」


 父親は妹の頭に手を乗せて撫でる。

 妹にとっても心地よいのか目をつむり蕩けたような表情をする。


「わかった」


 無事に納得してくれた妹は、おとなしく床に座り朝食ができるのを待つ。すると、皿に乗っかった木の実と捌かれた燻製肉を両親とヘムカが持ってやってくる。

 すると、妹は早速手を伸ばして食べ始めた。

 そんな妹を見て、ヘムカはもどかしさを感じた。

 いただきますとごちそうさま。両方ともこの世界にはない単語だ。異世界ものでは主人公たちが広めているケースもあったが、別世界の文化を持ち込むべきなのかと考えるとやはり積極的にはなれなかった。

 そして、食器もそうだ。東アジアでは箸が使われているが、この世界では箸もなければスプーンもフォークもない。手づかみだ。最初こそ抵抗はあったが、今では違和感を覚えつつも食べれるようになっていた。


「ねぇ、ヘムカお姉ちゃん。この木の実おいしいよ?」


 考え事ばかりで全く食べていないヘムカを見て、妹は摘んだ木の実を無理やりヘムカの口の中に入れる。


「うん。おいしいね」


 甘さや酸味などない。種実類のような味だ。けれども、農業をあまりしないこの地においては貴重な主食である。燻製も食べれば、すぐにお腹が膨れる量だった。


「ヘムカお姉ちゃん? もう食べないの?」


 妹が木の実を口いっぱいに頬張らせて質問する。


「うん。お腹いっぱいになったから」


 妹が両親の方を見ると、両親も食事を終えていた。そのため、残りの木の実を独占できると思ったのだろう。焙烙を手づかみする。


「あっつい!」


 妹は反射的に焙烙を上へ投げてしまい木の実が宙を舞う。そして、そのまま床に落ちると謹んだ高い音を立てて割れてしまった。

 その瞬間、家族団欒の場は静まり返った。

 衛生観念などないこの世界においては、床に食べ物が落ちようとあまり気にしない。けれども、焙烙は別だ。作るのに長い時間かかるため、貴重品扱いだ。

 真っ先に沈黙を破ったのは父だった。父はヘムカを見つめてこう言った。


「ヘムカ、すまん。修復魔法」


「わ、わかった」


 ヘムカは散らばった焙烙の破片を集めると、念じた。すると、すぐに焙烙の破片に数多の色の光が宿り重力を感じさせられないような、まるで穏やかな水の中にあるかのように浮遊しくっついていく。こうして、以前と同じ状態になると床の上に静かに置かれた。

 焙烙は無事に元に戻ったが、家族間の空気はすぐには戻らなかった。

 焙烙が元に戻る様子を何も言わず見届けた父親は、焙烙が元に戻るとすぐに妹の方へと視線を向けた。


「こっちへ来なさい」


「……はい」


 妹は耳としっぽから力が抜け、自身の行為を反省するかのようにただ父親に従い外へ出ていった。

 こうして残された母親とヘムカ。


「そ、それにしても、ヘムカの修復魔法本当にすごいよね」


 空気を変えようと、母親はヘムカの修復魔法についての話を振った。

 ヘムカの修復魔法は、たまたまヘムカが身に付けたものだ。以前、魔法に秀でた村人に魔法適正を見てもらったことがあったが、修復魔法に長けているとのことだった。そのため、ヘムカが自力で才能を開花させたのである。なお、修復魔法以外には何も使えない。


「そんな便利なもんじゃないよ。疲れるし、あんまり出番ないし。それに、魔力に敏感だから日によってこそばゆいんだよ」


 魔法には魔力が必要だ。そして、その魔力は常に空気中に漂っていて自然に体内に吸収される。けれども、日によって多い日や少ない日もあり多すぎる日だと皮膚がむずむずして痒くなるのだ。

 前世では低気圧になると偏頭痛になる体質だったため、転生しても気候により体調を左右されるという柵からは逃れられないのかと嘆いたものだ。


「でも便利よ。万が一壊れたときとか本当に大助かりなんだから」


 修復魔法が使えるからといって、別に壊すのが許されたわけではない。ごく普通の亜人として、ごく普通の規律を守り生活を送る。ヘムカとしてもそれを守っていた。この普通に暮らすということを、ヘムカは幸せに感じているのだ。

 そんな中家の扉が開かれる。すすり泣く声が聞こえ、妹が戻ってくる。

 泣いてはいるが、大泣きした形跡はない。軽く叱っただけのようだ。


「ヘムカ、すまんな。こんな日に」


 父親はヘムカに謝罪するが、肝心のヘムカは意図をつかめていなかった。


「ん? 今日何の日だっけ」


 そもそも、この世界は暦が曖昧だ。冬の間は暦が止まる。それに、現代日本とは違って休日や祝日という概念がない。あくまでも農作業の時期を知るためのものでしかない。農家からすれば重要だったが、ヘムカは違うので暦がわからないのも自然なことだった。


「何って誕生日だろう。自分の誕生日くらい覚えたほうがいい」


 ああ、そうだったとヘムカは思った。

 亜人に誕生日に祝う風習はない。しかし、八歳の誕生日は違う。八歳になると、子どもは子どもでなくなってしまい大人になるのだ。

 そして、ヘムカは今日八歳になっていた。


「だからこそ、家で宴を開こう。ささやかだがな」


 父親は直前まで妹を叱っていたとは思えないほど爽やかな笑みを浮かべた。

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