一時間目 お前何巻四つ子ぐらしランドセルに入れてんだよ




 リムジンは嫌いだ。

 いい思い出が無い。

 特に朝、登校のために校門の前に停められる瞬間は最悪だ。

 死刑囚はきっとこんな気分で牢獄の扉を出るんだろう。

「「おツトめご苦労様です!」」

「務めてない。」

 そしてこの実況のJと解説のKにイジられるのが、一番最悪の瞬間だ。

「聞いたぜルイ? また見回りおじさんに捕まったんだって?」「あの人ルイが道でケンカしてると100%くるよな。」

「ロードワーク中にに絡まれてな。相手してやったらまた補導された。」

「それって昨日言ってた不良?」「朝やられてその日にお礼参りとかガッツあんな。」

「全員ワンコンボでぶちのめしたがな。」

「ヒュー! そうでないと! うーんこれはポイント高いですね~どうですかKさん?」「うーん、やっぱり喧嘩に関しては非凡な才能がありますよね~。」

「才能じゃない、努力だ。」

「それ才能がある人の言うことだぜ? YouTubeで似たようなこと東大生が言ってたもん。」「凡人は努力が応えてくんねえもん。」

「俺の身体ガタイを見て言ってるのか?」

 俺の身体ガタイはおよそ喧嘩には向かないものだ。

 今朝の朝食前の計量では身長は131.9cm、体重は26.2kg。

 2020年のデータでは、平均的な小5の男子の身長は139cm、体重は34.4kg。同じ学年の男子と比べれば、明らかに体格ガタイは劣る。

 相手が年長ならば女子幼稚園児にだって負けかねない。

 だが俺は最強を目指して古今東西の格闘技を修行しているため大人が相手だろうとねじ伏せてヒデブッ!?

「ごめーん、ボール取っ、て……」「ヤッベどうするよアレ……」「ゲッ、ルイ先輩じゃん……」

「ルイ! 返事しろー! ルーイ!」「だめだこりゃ完全に顎にクリーンヒットした。」

 ね、ねじ伏せて……

「お前殺気のない攻撃にはほんと対応できないよな。こういう飛んできたボールとか。」「こりゃまた保健室登校だな。」

「コイツぐらいだよな、登校するまでにケガして保健室登校するの。」「さすがうちの小学校のレジェンドだぜ。じゃ運ぶか。」

 ……い、いかん、意識が……



「――知ってる天井だ。」

「毎日のように見てるからだろ。」

「ハッ!? 祭屋まつりや、今は何時だ。」

「今からならギリギリ朝の会に間に合うぜ。それまで寝かしてやったんだ、頼むぞ。」

「JとKは?」

「お前押しつけて教室行った。」

「そうか。迷惑をかけたな。」

 危なかった、無遅刻無欠席無早退が途切れるところだった。

 俺は裂帛れっぱくの気合と共に保健室のベッドから跳ね起きる。文字通りだ。仰向けの状態から首筋腹筋背筋大腿筋を用いて体を回転させながら中空へと浮かび上がり、床までの高さを利用して立ち上がる。これぞ――

「――起死。」

「技名言わないでいいから押してくれよ。」

「任せろ。」

 俺は保健係だ。

 保健室に全校生徒で一番来ているからだ。

 いる時間では負けるが、回数であれば保健室登校の奴よりも多い。

 つまり俺以上に保健係に相応しい人間はいない。

 だからこうして朝は保健室に赴き祭屋まつりやの車椅子をエレベーターまで押す。

 言っておくがエレベーターに乗って楽をしたいからではない。

 その証拠に俺はエレベーターに乗っている間中腰になり立禅を行っている。

 この立禅というのは中国拳法――

「はよ押せや。」

「む、すまない。」

「んじゃなあヨッシー。」

「む、ヨッシーもいたのか。」

 俺達は無言で頷くヨッシーを残して保健室を出た。

 それで続きだが立禅というのは中国拳法、特に太極拳の站樁功として知られる。

 中国風の服を着て手を軽く前に出して立っている人間を思い浮かべれば、ほぼ全ての人間がイメージする姿がそれだ。

 だが俺がやっているのは空気椅子の様に――

「ボタン押さねえと来ねえだろ。」

「む、すまない。」

「お前また格闘技のこと考えてただろ。」

「ああ、站樁功についてな。」

「またかよ……お前ほんとそれ好きだな。なんでそんな強くなりたいんだ?」

「勝たねばならない相手がいるからだ。話すと少し長くなるぞ。」

「聞く気もねえよ。」

「なら站樁功は興味あるか?」

「ねーよ車椅子だぞ。」

「大丈夫だ足が使えなくてもできる站樁功もある。」

「駄目だこの言い訳じゃやらされる。あ、開いたぞ。」

「それでだな――」

「おーい! J! K!」

「さあ来ましたよKさん。これをどう見ます?」「うーん、早く祭屋まつりや助けてあげたほうがいいですね。あれはここに来るまでにまた格闘技トーク聞かされてましたね。」

「足やってからほぼ毎日ですからね~。」「日本代表そろそろ辛い時間帯です。ではここでピットインです。」

「助かったぜ……」

 クッ、今日も逃げられた。

 まあいい、帰りに話そう。

 俺達は四人でいつものように教室へ向かう。

 ……まずいな、話すことが無くなった。

 よく児童文庫のキャラが自分の考えを文章に起こしてたりするが、実際にやってみるとなかなか話し続けることが難しいな。

 いつもの四人での雑談なんて文字に起こしても面白くない。

 そもそも話す内容になるような刺激的なことが起きない。

「ふぅ……退屈だな。」

「「「お前といたらタイクツしねーよ。」」」

 何故だ……?



「ルイー、借りてた四つ子ぐらしの二巻返すぞ。」「ああ、これが三巻だ。」「ルイルイ、コンシーラーちゃんと塗れてる?」「大丈夫だ。また手鏡没収されたのか?」「ルイ、この間のプロテインのサンプル品まだある?」「ああ、少し待て、今出す。」「ルイルイ、この間もらったハンドクリームなんだけど、あのね。」「む、合わなかったか? じゃあこっちのはどうだ?」「ルイくんこれ四つ子ぐらしだよ……」「ルイー、これハンドクリームなんだけど……」「む、間違えたか。」「ちょ待てやスーパーボール転がしたの誰だよ車椅子通れねえだろ。」「みんなタイヘンだタイヘンだ今日転校生来るって転校生来るって!」「ルイ、これプロテインじゃなくて四つ子ぐらしだ。」「お前何巻四つ子ぐらしランドセルに入れてんだよ。」「無論全巻。」「他は?」「女子から頼まれたコスメグッズ。」「教科書は?」「置き弁。」「ロックだな。」「おい誰かアライッチの特ダネにふれてやれよ~、スネて観葉植物に話しかけてんぞ。」「なに? エイジ先生またパクられた? 今度は強制わいせつ? それともわいせつ致傷?」「すっかりつかまったことあるみたいになってるエイジ先生かわいそうだけどめっちゃ草生える。」「そういえばあの観葉植物サンセベリアっていうんだぜ。」「おぉお前物知りだな。末は総理か大臣か?」「マジかよ入閣確定じゃん。」「末は博士か大臣か、な。」「そういえば今日転校生来るらしいぜ。」「マジ!? 大ニュースじゃん!」「それさっき俺が言ったのおおおぉぉ!!!」「お前らもう朝の会始まってんだよいい加減席座れ。あと朱堂すどうお前は後で職員室な。てめえか俺の変なウワサ流してんのわ。」



 そんなこんなで朝の会が始まり、一日が終わり、保健室まで祭屋を送って、ヨッシーに挨拶した後、俺は下校した。

 俺は学んだ、文章にできないところは飛ばしてしまえばいいと。

「今日も一日のどかだったな。」

「転校生来たけどな。」「しかも美少女だったけどな、それをスルーかよ。」

「そうだったな。」

「そうだったなってなぁ……」「お前児童文庫みたいなこと起きないかなって言ってたじゃんかよ。」

「だがアイツは喧嘩を売っても買わなかった。」

「ふつう買わねえよ。てか売らねえよ。転校生もマジ驚いただろうな転校早々いきなりケンカしようって言われて。あっちの方がいまごろ児童文庫みたいって思ってるだろうぜ。」「とつぜん女子にしか見えねえ男子にケンカ売られたんだからなあ。ところで今日の下校はリムジン来ねえの? おむかえパターンだろ。」

「こいつやらかした日はリムジンで護送されるからな。あのスモーク貼って中見えなくなってるやつ。」「ホントなんでこいつ公立にいるんだろうな。マンガみてえなセレブのくせに。」

「ああ……今日は。」

 そう言いかけたところで、俺達は校庭を突っ切って校門にたどり着いた。

 ……よし、児童文庫のように飛ばそう――

「あー! ルイくーん! もぉ、またケンカしたって聞いたよ! 心配したんだからね!」

 ……飛ばそ「ルイくーん!」駄目だ地の文にも入ってくる存在感だ飛ばせない。

 俺は、迎えのリムジンの側に立つその人に向き直った。

「あ、あの人テレビで見た、ね、あれ!」

 ……俺は、そのツインテールの人物に向き直った。

「ねえほら、フェアリーさんだよ!」「ほんとだーフェアリーさーん!」

 …………俺は、そのゴスロリのフリルを着た人物に向き直った。

「フェアリーさーん、写真いいですかー!」「いいわよ〜! イェーイ!」「フェアリーさん、あれやってあれやって!」「あれ? も〜う、しょうがないんだから〜。じゃあみんな! いっくよ〜!」

 ………………俺は、その俺と同じ小学校の児童から写真を撮られまくっているその人に向き直った。

「「「「「「「「「「もっこり〜♡」」」」」」」」」」

 俺は、美容家でオネエタレントのフェアリーさんこと武田耀生たけだようせい(60)に向き直った。

「お前のジイちゃんほんと強烈だよな。」「ガンバ。」

「……うむ。」

 ……児童文庫ならこういう時、飛ばせるんだがな……いや、俺に諦めは似合わない。絶対に飛ばしてやる。



「――だから〜ルイくんは金髪にしたほうがゼッタイ似合うよ〜!」

「ははぁ……」

 ……限界だ。

 五分しか飛ばせなかった。

 お祖父さんの美容トークを聞き流そうにも、強烈な存在感で強制的に頭に文字を思い浮かばさせられる。

 まるで無理やり何桁もの数字を語呂合わせで覚えようとした時のような、脳に直接情報を流し込まれているような感覚を味わう。頭の中で何かがきしむ感覚だ。

 ある種の天才だと思う。このキャラの強さでバラエティ番組に毎日のように出ているのだろう。しかも最近はYouTubeのCMで動画を再生する度に出てくるので、画面の中でも外でも逃げ場が無い。

「あ、そういえば、速水はやみさんとこのお嬢さん覚えてる? いま中学生だって前会った時はこーんなに小さかったのに。もうすーぐに大きくなっちゃうんだから。」

「はい。」

 ――俺はそこに幸福を見た。速水はやみさんとこのお嬢さん、つまり速水はやみ道場の壬希みき姉弟子は、喧嘩士の強敵の一人だ。

 つまり美容トークが終わったということだ。

 あれを聞いてると脳震盪が起きた時のように平衡感覚が無くなる。

 危なかった。

「――それでね、お嬢さんが最近遊びに来ないからまたどうぞって。」

「姉弟子が?」

「ちょっともう、姉弟子って、いくら道場の娘さんでもその呼び方は固すぎ〜! お姉ちゃんとかの方がカワイイわよ。」

 姉弟子とはここ一月ほど会っていない。

 ハッキリ言ってまだ、会いたくはない。

 まだ姉弟子に勝つ新技が開発できていないからだ。

 だが、たとえどんな状況でも喧嘩してこそ――

「――喧嘩士だ。」

「ケンカはダメよ。」

 むぅ。



 我が家の風呂は外のプールに面している。サウナの水風呂代わりに入れるようにとお祖父さんがこの家を建てるときにこだわった、と聞いている。美容に関することへのストイックさは住む家にまで現れているのだ。その内容はともかく、生活の全てを一つのことに捧げるところは尊敬と好感が持てる。なにより、これだけの施設は修行の為になる。

 帰宅してまず行くのはサウナだ。予め脱衣所の冷蔵庫で作り置きしていたプロテインを飲み、数種類のサプリメントを500mlの水で飲む。そして低めの温度で20分。ストレッチをしながら、呼吸を整え、瞑想する。

 呼吸は修行の、そして喧嘩の基本だ。格闘技に限らず、あらゆる運動は呼吸を乱した方が負ける。呼吸なくして肉体ガタイ精神メンタルも正常ではいられない。逆に言えば、肉体ガタイ精神メンタルに問題があれど、呼吸が整っていれば勝機はある。例えば米軍の訓練において基本的な筋トレや格闘術に並んで各種の呼吸法がレクチャーされることは有名ではあるが、これは呼吸によって心身へのデバフを抑え、取り除き、バフを与えることを目的としている。

 これは一見オカルト的ではあるもののその実科学的な視点に立ったものだ。もし夜寝る時に寝つけないのであれば、大きく鼻から息を吸い、吸ったのにかかったのと同じ時間全身に力を入れて息を止め、その倍の時間をかけてゆっくりと息を吐きながら全身の力を抜くことで実感できるだろう。気がつけば朝になっている。呼吸にはそれだけの力がある。

 そして呼吸で心をしずめられるのであればその逆も、たかぶらせることもできる。

 息を吸い、止め、吐く。

 その一連の動きを繰り返す都度、身体ガタイから汗が吹き出す。呼吸に連動して全身ガタイ中の汗腺が開閉する。

 瞑想の中、自分の身体ガタイの中で暴れ回るような衝動を自覚する。今すぐにでも、打ち、殴り、薙ぎ払いたくてならない。身体ガタイが修行の為のコンディションへと変異していく。筋肉に力が入り、抑えつけなくては今にも暴れ出しそうだ。

 アラームが鳴る。20分だ。サウナを飛び出るとシャワーを浴びる。熱めのお湯が全身ガタイ中を流れる。そしてそのまま外へと走りプールへと飛び込む。バタフライで向こう端まで泳ぐと直ぐ様に上がり、プールサイドのサンドバッグへと走る、そして――


「チェリャぁぁっ!」


 飛び蹴り、打ち、殴り、殴り、また殴り、蹴る。思う存分、ローキック、ハイキック、裏拳、打撃を好きなだけ加えていく。

 そして全身ガタイ中に乳酸が溜まり重く動けなくなったところで、チェアへと向かい横たわる。数分後、全身ガタイ中の血管が開いて乳酸が溶けていくのを感じた。よし、整った。


「まずは夕のロードワークだ――起死。」


 体幹で跳ね起きる。アップは終わった。さあ、修行だ。



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