二時間目 それは、お前が女の子にしか見えないからだ
一気に踏み込む。
互いに手の内がわかっている以上、俺には速攻しかない。
左からのワンツー、その勢いのまま反時計回りに下段回し蹴り、反撃を走り抜るように躱し、引き戻す前の中段への突きか蹴りを取り手首ないし足首を極める。
このパターンなら――
!?
左手の感覚が――違う――なんだ――
「チョアッ!」
右手、右足、左足、左手、左手が動かない、だが立て――ガアッ!
まずい、ダメージを――意識が――。
「――知ってる天井だ。」
「お、おお! お、起きたか!」
「姉弟子……?」
……
……まだ、意識が混濁している。
なんだ……
たしか……そうだ、受けられて、払われて、投げられて、そして……
「グッ!?」
「お、おい! まだ動かない方がいい! しばらくこのままの方が……」
いや、そうではない。
この違和感は……
姉弟子が、やけに優しい……?
「姉弟子。」
「な、なんだ。」
「今日はどうしたんですか。」
「ど、どうとは。」
「……いえ。」
「なんだ! ハッキリと言ったらどうだ!」
む、いつもの姉弟子だ。
俺の勘違いだったか?
だがそれにしてはずっと俺の顔を覗き込んで――
!?
いや、違う、覗き込んでいるのではない、覗き込まざるをえないのだ、俺と姉弟子の間に見えるこの白い布、これは道着の上、つまり――
俺は今、膝枕をされているッッッ!
「姉弟子。」
「今度はなんだ!」
「なぜ膝枕を?」
「〜〜〜ッッ!」
ひょい。
ゴン。
「ババぁっ!?」
お、落とされた! 俺は今、膝枕から落とされた!!
「あ、ああ! す、すまな、すまん!」
な、なんなのだ、今日は……
俺の姉弟子、
そしてそんな
だからいつか殴り飛ばす。
しかしその戦士の姉弟子がなぜ……
「か、かゆいところは! な、ないか……?」
「……ありません。」
「そ、そうか……」
「……」
「……」
「……」
「か、かゆいところは!」
「ありません。」
「そうか……そうか……」
なぜ、俺をシャンプーしている。
?
俺の姉弟子は生まれながらの戦士だ。
その姉弟子が俺と一緒に風呂に入り、俺の頭をシャンプーしている。
?
「姉弟子。」
「は、はひぃ!」
「なぜ、シャンプーを?」
「……」
「そもそも、なぜ一緒に風呂を?」
「……」
「そしてなぜ姉弟子は水着を?」
「……」
返事がない、まるで屍のようだ。
なんだろうこれは、何か試されているんだろうか。
……とりあえず殴ってみたりしたほうが良いのだろうか?
「お前今、物騒なこと考えているだろ。」
なぜわかった……?
いや、姉弟子ならばその程度看破するとはできるだろう。
てっきり修行のやり過ぎで頭を打ってパンチドランカーにでもなってこんなことをしているのかと思ったが違ったようだ。
「お前今、失礼なこと考えているだろ。」
しかし、姉弟子と風呂に入るのは二回目だ。
前は、ここで修行をさせてもらうようになってすぐだったから二年前か。
俺が小三の時で姉弟子が小六の時だったな。
その一回きり以来、一緒に風呂に入ることなどなかったのだが……
……やはり、一発殴っておくか?
「……おい」
む、流石だ。また気づいたか。
「ど、どうだ。」
「は?」
「どうだと聞いている! 質問に答えろ!」
なんだ、なんの話だ、展開が読めない。
「ドキドキするかと聞いているんだぁ!」
「ええ……」
そう叫ぶと姉弟子は俺の前に周りポージングした。
腰に手を当て、
なんだこれは、ボディビルか?
「どうだぁ!」
どうだ、とは。
「感想を言えい!」
なんの?
「さあ、言え!」
なんだ、これはどうすればいいのだ。
いや、落ち着いて観察すれば良い、そうすればわかるはずだ。
まず、一度全体を捉え直そう。
姉弟子は、俺を見てポージングしている。
つまりこれは自分の
ならば簡単だ。
上から順に褒めていこう、姉弟子の
「首の太さが流石ですね、素晴らしき僧帽筋です。」
「太くない! 私の首筋はそんなに太くない!」
「アガガガガッ!?」
アイアンクロー!? 俺は今、アイアンクローをされている!?
と、頭皮が、頭皮が剥がされるっ!?
「もう一度聞くぞ……私の身体を見てどう思う! 言ってみろ!」
なんなんだ、どうすれば正解なのだ。
ふむ、褒め方を変えてみるか。
「オカダカズチカのような靭やかでかつ頑強さを併せ持った首です。」
「オカダさんな! ていうか首以外も見ろ!」
「棚橋「例えるプロレスラーを変えればいいってものではない!」むぅ……」
「……上腕二頭筋が「筋肉禁止!」むぅ……」
筋肉禁止か……
……
筋肉禁止か…………
「固まるなッ!」
「すみません。」
「私の! 身体を見て! ドキドキとか! ムラムラとか! しないかっ!」
「しません。」
「ガハッ!?」
姉弟子は膝から崩れ落ちた。
床に転がされたシャワーから水が流れる音が、やけにうるさかった。
「恋愛相談……?」
「そ、そうだ……」
「姉弟子が、俺に?」
「そうだ……」
風呂あがりの火照った
しかし、どうやら今日はなかなか火照りが収まらなさそうだ。
俺は、無言で姉弟子の言葉を待った。
姉弟子は、数十秒ほどジョッキの中の水面に目を向けていたが、顔を上げて話しだした。
「ルイ、私が男性が苦手だというのは知っているな。」
「ええ、三年前のあの事件ですね。」
三年前に姉弟子の学校で起こった、脱獄した死刑囚の小学校立て篭もり事件。
創立記念日で無人の学校は、子供だけが知っていた秘密の抜け道で校舎内に入り込んでいた児童数名と、ドアを蹴破り侵入した死刑囚だけの空間だった。
死刑囚によって徐々に上の階へと児童は追いやられ、そして最後は姉弟子がその手を血に染めることで死刑囚を撃退した、というのがあらましだ。
親や学校はこのことを口にしないように言ったが、子供、特に俺のような喧嘩士からすれば大いなる畏怖と賞賛を集めた、伝説的事件である。
夜の学校で、死刑囚を、ステゴロで再起不能にする。
これを聞いて、武者震いをしない喧嘩士などいない。
考えただけで体中全ての筋肉が闘争を求め、
だから俺も姉弟子を殴り飛ばしたくて仕方がないのだ。
だが、この話には続きがある。
伝説の後日談と言う、その輝かしさを損なうような話が。
「ああ……あれ以来、私は、男性に近づいてしまうと暴力を振るってしまうようになった。」
「それが、姉弟子が古武術に打ち込むキッカケになったと。」
「そうだ……あの頃の私は生半可な修行で、どうすれば暴力を振るえるかはわかっていても、どうすれば暴力を振るわずにいられるかは、何もわかってはいなかった……」
姉弟子は、プロテインを一口飲んだ。
「自分の意志とは別に、誰かを傷つけてしまう。本当は前みたいに仲良くしたい男子を、気がつけば声もかけないようになっていた。」
姉弟子は、もう一度プロテインを飲んだ。今度は顔を上げなかった。
「覚えているか、その頃の私を?」
「ええ、忘れることはありません。」
「そうか。」
姉弟子は、顔を上げた。
「あの時は、ごめんなさい。いつか、ちゃんと謝りたかった。」
「いえ、いい修行になりました。手加減無しの姉弟子と戦えたのは、あの時だけでしたから。」
「それは、骨を折られた相手に言うセリフじゃないぞ?」
「俺も姉弟子のアバラを折ったことがあります。それで分けでいいでしょう。」
「目もえぐったぞ?」
「入れたらハマりました。あれ以来目への攻撃を受けたことはありません。経験が生きているので。」
「君らしいな。」
「父上にも謝らないとな」と呟いて、姉弟子はまたプロテインを飲んだ。
「まあ、こうして今は、ようやく壁とそれを殴りつけてしまう拳に打ち勝てた。今なら、不意に男性から触られでもしない限り、投げ飛ばしたりはしなくなった……だが。」
ドン、とジョッキがテーブルに置かれた。
「男子との話し方が……わからなくなってしまった!」
「なるほど……」
姉弟子は元々、男子との付き合いが多いと聞く。
基本的に男友達しかいなかったが、あの一件以来、女友達が増えた。
そして最終的に六年のバレンタインでは高学年の女子のほぼ全員と男子の一部からもチョコを貰ったという。
これが死刑囚の小学校立て篭もり事件を上回るほどに有名という、ランドセル十個分のバレンタインチョコ事件である。
まあ喧嘩には関係の無いことだ。
「そして……女子との話し方がわからない!」
「なるほど……」
「月曜の朝は土日のお出かけトークじゃなくてマンガの回し読みがしたいし、ファッション誌の付録とかよりもプロレス紙の後ろ方の怪しげな筋トレグッズとかが気になるし、帰りの買い食いはタピオカとかバナナジュースとかの定番メニューじゃなくてラーメン屋に行きたいんだ!」
「そうですか。」
「だが、そんな私にも、好きな人ができた。」
「どんな女性ですか?」
「いや、男子だが。」
「え?」
「え?」
「バレンタインで女子からチョコをたくさん貰ったんですよね?」
「まあ友チョコだがな。あれ以来毎年お返しが大変でな……」
「……男子とは話せないのでは?」
「話せなくたって好きになることはあるだろ。ていうか、多少なら話せるからな。ちょっと緊張はするけど。」
意外だ。
あの姉弟子をそうまで変えるとは。
「いったい、どんな男なんです?」
「うっ……それは……」
姉弟子の顔が一気に赤くなる。
これが、姉弟子の照れた顔なのか。
「けん、ケンタくんはだな、フワフワしたお腹をした甘い匂いがする、ちょっと毛深い感じの……」
なんだ、テディベアか?
「それで、優しくて、明るいというか朗らかで、それで頭が良くて笑顔がかわいくて、あと思いやりがあって、それで……」
「なるほど、だいたいわかりました。」
面倒くさいな、切り上げよう。
「何だその態度は! 自分で聞いておいて!」
「あがががが。」
姉弟子は本当にこういうところは鋭いな。しかしこのアイアンクロー、どれだけの握力があればできるんだ。
さて、それでもわからないことがある。
「それで、なぜ、俺に?」
なぜ、俺に恋愛相談を持ちかけたのか。
その疑問がまだある。
「それはだな――」と姉弟子は言ってジョッキを飲み干すと、またドンと置いて話しだした。
「理由は四つある。」
「四つ、ですか。」
「ああ、まずは、お前は学校外で一番気の置けない友人だ。それに、口も固いし、こういうことも遠慮なく相談できる。」
「俺が、ですか。」
「少なくとも格闘技の話に着いてこれるのはお前ぐらいだ。つまり、趣味が合う。」
「なるほど。」
「そして、女友達が多い。おしゃれの知識もある。聞いたぞ、クラスの女子全員にメイクのアドバイスを毎日していると。」
「そんな話、誰から?」
「JとKだ。」
「アイツらか……」
姉弟子と知り合いだったのか……
意外な交友関係だな。
「そのことでしたら、単にアドバイスしているだけです。知識なんてありません。それにアドバイスも、たまたま読者モデルをしている女子と同じ班になった時に一度してから、他の女子にも流行っているだけです。」
「でもランドセルの中身の半分が化粧品なんだろう?」
「お祖母さんの教えだからです。知っているでしょう、化粧品会社の社長だって。」
「ああ、あの……個性的な人の奥さんなのか。」
「いえ、それは父方のお祖父さんでお祖母さんは母方の方です。」
「お前の家系どっちも濃いな……オホン! 話を戻すぞ。最後の理由だが、それは……」
姉弟子はそこで、タメを作った。
「それは?」
「それは、お前が女の子にしか見えないからだ。」
バシィッ!
音を立てて俺の拳は、姉弟子の掌に受け止められた。
「続けていいか。」
「どうぞ。」
「手に殴りダコとかできてるからそれを隠して、あと筋肉のラインが見えないような服装をして喋らなければ、まず男とは思われないだろう。」
俺の膝蹴りを額で潰してきたところに張り手、続いて肋に抜手、払われたところに飛び膝蹴りを放つ。
それを捌きながら、姉弟子は俺の
ん?
「姉弟子、一ついいですか?」
「なんだ。」
「なぜ恋愛相談に俺の
俺は、足払いから卍蹴りの要領で放った金的を姉弟子の内股で止められた体勢のまま尋ねた。
前の三つの理由はわかる。
納得できない部分もあるが、姉弟子が俺をそう評価したならばそうなのだろう。
だが、
俺がどんな姿でも恋愛相談に関係はない。
「買い物に付き合ってもらうと思ってな。だが男子では行きづらい場所なんだ。」
「なるほど、女子のフリをしろと。」
「ああ、こんなことを頼めるのはお前しかいない。やってくれるか?」
「わかりました。それで、何を買うんです。」
「下着だ。」
?
「いや……あえて言うのならば『ランジェリー』だ!」
!?
「何故です?」
「何故って、まず女子力を鍛えた状態で告白するだろ。」
「はい。」
「それで、つ、つ、つきあ、つき……」
「付き合う。」
「そう! それだ! で、そうしたら……その……するだろ?」
「何をです?」
「その……アレだ……おいお前私に何を言わせる気だ。」
?
「何だその態度は、ピュアなのかピュアなのか! ああそうだ、セ、セックスだ!」
?
????????
?
「何故?」
「な、なにがだ! ハッキリ言えい!」
「何故、付き合ったらセックスを?」
「それが恋人というものだ! 私は様々な文献や動画サイトを見たから詳しいんだ! お前ももっと勉強せい!」
俺の
一瞬の浮遊感のあと、背中に衝撃が走り、腹へと抜け、少しして口から空気が塊となって出ていく。
それと同時に、意識が遠のいていくのを感じた。
床に叩きつけられ、失神していく自分を、いつになく冷静に分析できていると、俺は今、実感している。
おそらくそれは
走馬灯のように、あるいはゾーンに入った時のように、感覚が引き伸ばされている。
だからか、もうコンマ数秒で落ちるという時でも、恋愛というものに全く縁のない俺でもわかる。
たぶん姉弟子は恋愛というものを根本から間違えていると。
俺は最後に、そういえば姉弟子の前回の相談は買ってもらったばかりのスマホでアダルトサイトを見まくってたら高額な請求をされたことだったなと思い出しながら意識を手放した。
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