指を拾う

尾八原ジュージ

指を拾う

 わたしが住んでいる築四十年の木造アパートの近くには、わりと大きな川が流れている。その辺りによく人間の指みたいなものが落ちているので、わたしは頻繁にそれらを拾いにいく。

 川原の雑草の間に転がっていたり、石の影に隠れていたりするそれらは、どう見ても切断された人間の指にしか見えない。細長くて、爪が生えていて、指紋や皺があって、赤い切り口の真ん中に骨が見えて、見つけるたびに「やっぱり指だよなぁ」と思うのだけれど、どうしてそこに指が落ちているのかはわからない。親指っぽく太いものもあれば、小指らしく細いものもある。男性のものらしきがっしりしたものもあれば、いかにも手弱女といった風情のほっそりとしたものもある。子供っぽい小さなものも、老人らしく皺くちゃなものもある。とにかく色んな「指」が落ちている。

 指なんか落としたら、わたしなんか大騒ぎしてしまうと思うのだけれど、河原で悲鳴が聞こえたとか、事故や事件があっただとか、そんなことはわたしが知る限り一度もない。ただ川の近くを歩いていると指らしきものが落ちているので、わたしはそれを拾っていく。誰かに咎められたこともなければ、指を拾うところを見て悲鳴を上げられたなんてこともない。少なくとも、今のところは。


 七月も半ばを過ぎ、夏はじりじりと熱を増していた。道路から陽炎が立ち上り、麦藁帽子をかぶったわたしは、下からの熱にくらくらした。舗装路が溶けそうな暑さだった。

 もしも本当にアスファルトが溶けて靴底が道路にくっついてしまったら、どうすればいいだろう。靴を捨てていこうか。でもそうしたら、今度は一歩踏み出したところで靴下が道路にくっついてしまうに違いない。靴下を捨ててまた足を踏み出せば、今度は裸足で熱されたアスファルトを踏まなければならない。きっと火傷してしまうだろう。ここはやみくもに動かず、夜になって辺りが涼しくなるまで、地面にくっついたままじっと待つのがよさそうだ。暑い日に外でぼーっと立っているだけというのは、さぞ辛いことだろうけども。

 万が一道路が溶けるほど暑くなったら、わたしは川まで行けなくなってしまう。それは困る。そうなればいっそアパートを出て、川原に住んだ方がいいかもしれない。

 考え事をしているうちに、すぐに川原に到着してしまう。わたしは目を皿のようにして地べたを探し始めた。


 一昨年の九月に仕事を辞めた。何の夢も予定も見通しもなかったけれど、突然スイッチが切れたみたいに、なんにもしたくなくなったのだ。

 それまではそこそこ激務の職場で、そこそこ明るく真面目に働いていたというのに。半年に一度は海外旅行をして、友達と遊んで、彼氏を作ったり別れたりしていたのに。「宮地さんっていわゆるリア充だよね」と言われて内心得意になったりしていたのに、突然プツーンと頭の中で何かが切れる気配がして、そういうものすべてがどうでもよくなってしまった。

 退職して、恋人と別れて、友達と連絡をとらなくなった。両親が亡くなったときに実家もなくなってしまったから、こうなるとわたしのことを気にする人は誰もいなくなった。誰にも会わなくなり、遊びもしなくなってからは自然と倹約するようになったけれど、それでも生活しているだけでお金は出て行く。元々金遣いが荒くてさほど貯まっていなかったわたしの預金の残高は、確実に減っていった。

 めんどくさくて死にそう、と思いながら、わたしはそれまで住んでいたマンションを解約し、家賃が安くて今にも潰れそうなアパートに引っ越した。失業手当の受給期間が切れ、預金残高が六桁を割って、いよいよ就活とかしなきゃならないのかなぁなんて考えながら、しかしまだアルバイトを探してすらいない。面接のためにほどほどの服を着て出かけ、全然知らない人と話したりするのは、今のわたしにはハードルが高すぎる。それよりもとにかく生活費を削ろうと思って、わたしは川原に通い始めた。

 最初はその辺に生えている名前も知らない雑草をとって、小鍋で煮たり炒めたりして食べていた。ものすごくまずいけれど、食べられないということはなかったし、タダだし、何もお腹に入れないよりはマシだった。ついでにお肉もタダで食べられればいいんだけどな――と思っていたわたしが発見したのが、「指」だったのだ。

 初めて見つけたときは驚いた。だけどたまたま居合わせた知らないおばさんに「これどうしましょう」と尋ねたら、「ああ、この辺よく落ちてるからいいのよ。ほっときなさいよ」と平気な顔で言われてしまった。

 おばさんはすぐに歩き去ってしまい、わたしはしばらく指をつまんで立ち尽くしていた。どうしようか迷ったけれど、お腹が減っていたのでつい、それを草と一緒に持ち帰った。人間の指なんか食べたことはもちろんないけれど、背に腹は代えられない。何にもせずに畳に転がっているだけでもお腹は減る。そして雑草だけだとお腹はいまいち満たされない。タンパク質がなければやっぱり駄目だ。

 わたしはアパートに帰ると、どこの誰が落とした指だか知らないけれどすみませんと思いながら、それを草と一緒に煮てスープを作った。正直うまかった。出汁が出ていて、ちゃんと味がある。噛みしめるとじんわりと旨味が口の中に流れ出て、わたしは「肉じゃん」と実際口に出して言いながら夢中で食べた。

 それから川原で指を拾うのが、わたしの日課になったのだ。


 川は穏やかに流れていた。

 川幅は広く、向こう側に渡るには少し遠くにある橋を渡らなければならない。橋の向こうにも指が落ちているのかどうか、まだ行ったことがないのでわたしは知らない。もしもこちら側に落ちている指を拾いつくしてしまったら、そのときは向こう岸に行ってみようと思う。

 晴れの日も雨の日も、向こう岸に人の姿を見たことは一度もない。ひょっとして書割ではないかと思うほど、川の向こうには動くものが見当たらない。

 水面が太陽光を反射して、きらきらと輝きながら流れていく。わたしは子供時代にピアノを習っていたことを思い出す。宮地さんの弾く『河はよんでいる』は何だか眠そうだね、とピアノ講師に言われたことがある。それがいいよね、と彼女は言った。川が流れてくのずーっと見てると、私も眠くなるもん。先生の名前はもう覚えていない。あまり目立つタイプではなかったけれど、きれいな人だったような気がする。

 おばあさんみたいに腰を曲げ、そこら辺の草むらをかき分けたり、石をひっくり返したりしながら、わたしは指を探した。男のでも女のでも大人のでも子供のでもいい。とにかく食べられさえすればそれでいいのだ。

 やがて蟹みたいな形をした石の影に、一本の指が落ちているのを見つけた。わたしはそれを大事に拾い上げた。土を払ってみると、若い女性らしいきれいな指だった。形の整ったピンクの爪が桜貝のようだ。わたしは再び、昔ピアノを教えてくれた先生のことを思い出す。持っていたビニール袋に入れると、お肉が確保できたことに少しほっとした。そしてわたしはまた、指が落ちていないか辺りを探して歩き始める。

 なかなか見つからなかった。欲を言えばもう二、三本欲しい。そうすれば明日の朝も肉入りのスープが食べられる。草のスープばかり食べているとお腹が満たされないし、顔がどんどん緑色になっていくような気がする。そういえば顔つきもバッタに似てきたんじゃないかしらなどと自嘲しつつ、そのくせわたしはここ数日、まともに鏡を見てすらいない。

 指。指。指。どこかに落ちていないだろうか。

 なかなか目的のものは見つからず、わたしは曲げていた腰をぐっと伸ばしてトントン叩き、ああ、と欠伸をした。汗がこめかみを流れ落ちていく。疲れて、頭がぼんやりする。

 日光を遮るもののない川辺に座って、水面を眺めた。川はきらきらと輝きながら、わたしの右から左へ淡々と流れていく。二十四時間三百六十五日、少しも休まずに流れているのだ。すごいな、と思わず呟いてしまう。誰に頼まれたわけでもなさそうなのに、誰かが褒めてくれるわけでもなさそうなのに、すごい。お疲れ様です、などと勝手に労いながら、もしかするとわたしの知らないところで誰かが川を褒めたり、元気づけたりしているのかもしれないという可能性に思い当たる。誰も見ていない真夜中なんかに、川はその流れを止めてこっそり休んでいるのもしれない。半年に一度は旅行に行ったりするのかもしれない。でもわたしはそれを知らないので、ただ「すごいな」とかぼやいてしまうのだ。

 ふと手元を探ってみると、乾いた土に半ば埋もれていた指がわたしの指に当たった。太くて頑丈そうな指だった。大きさの割には爪がやけに小さく、わたしは手先を使う何かの職人を連想する。長年細かい作業をするうちに爪が削れてしまった、そんなドラマが感じられる。わたしはその指もビニール袋に入れた。

 これで二本。まあいいか今日はこれで。暑いし。あとはその辺の雑草でも摘みながら帰るか。

 わたしはゆっくりと立ち上がり、ああ、と声をもらしながらもう一度伸びをする。まだなんとかかんとか、働かずに生きていけそうだ。ほっと穏やかな気持ちになって、剥がれかけたスニーカーの底をぺたぺた言わせながら、わたしは家路についた。

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