高校舞台のフィクション多すぎてちょっと憂鬱になる問題

コウキシャウト

高校舞台のフィクション多すぎてちょっと憂鬱になる問題

漫画でもアニメでもドラマでも映画でも、高校生が主人公だったり高校が舞台の作品が単純に多過ぎる気がします。これらはジャンルで言えば青春物とカテゴライズされる事が多いとは思いますが、「青春」が若い時代を意味していたとしても、別に高校(あるいは中学・大学)時代に縛られる必要は無いと思うんですよね。


これだけこういった作品が世に溢れていると、「青春=高校等の数年間=この数年間を有意義に過ごさなければいけないんだ!」という一種の押しつけがましさを感じますし、いくらそれらが「フィクション」とはいえ、この時代パッとしなかった自分にはちょっとした青春コンプレックスを植え付けます。これらの存在が気分を憂鬱にさせているという人って、実は潜在的に結構いるのではないのでしょうか。


そう、現実の世界には世話焼きの可愛い幼馴染、いつもノリが合う友人達、気軽に声掛けてくれる異性、一体感を感じる程に皆良好な関係のクラスメート達、自分に理解のある教師、可愛がってくれる先輩・慕ってくれる後輩、憧れの人との恋愛、解放された屋上、ゆるい校則・自由な校風、かっこいい・かわいい制服、異様に盛り上がる文化祭や夏祭り、遊びの選択肢が多い放課後等が誰にでも用意されてるわけではありません。


天国から地獄に突き落とすわけではありませんが、実際は勉強に忙しかったり、孤独だったりいじめ(自殺)だったり不登校だったりとフィクションで描かれる世界なんて幻と感じるような時間を過ごしている人だって沢山居るわけです。個人的に、たまに学生生活におけるいじめや自殺についてのニュースや記事のコメントを見る事が多いのですが、「学生時代なんて長い人生においてたったの数年間なんだから(凄く悩んだり命を絶つ必要はない)」的なことを仰る方を結構見つけます。その割には


「その数年間が凄く大事だと言わんばかりのフィクション多過ぎませんか」


と自分はツッコミたい位です。


これらのフィクションが凄く有害だと言うわけではありませんが、地味ーに人を嫌だったり憂鬱な気分にさせているとしたらもっと色々な形、色々な年齢の青春物が有っても良いのではと考えます。ただ、別にいじめだ自殺だ孤独だみたいなシリアスな現実をフィクションでもっと観たい、というわけでもなく「精神年齢だけ異様に若くなって張り切るお婆さん」とか「不登校だった人間が当時普通に学校に通ってた人達よりも何かで成功する」とか「いじめっ子の連中が皆何かのはずみでモンスターになり、もうあいつら人間じゃないから自由にやっつけるなり殺していいよとなったのでいじめられっ子がそいつらを知恵を駆使して退治する」とか学生時代を上手く過ごせなくなった人達が時に救われるような(?)、そういうある一部の人達にとってのリアルを上手くエンタテイメントに昇華した青春物フィクションが観たいですね。自分が書くべきなんでしょうか(笑)。

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