第2話
朝起きて、私は早速財布を掴んで出かける。伯生さんとずっと一緒の空間にいるのは耐えられない。それに、あの人自身が望んでいないはずだ。
白猪堵荘の周りは、観光地だから、店舗が並んでいる。少し時間をかければ、駅もあるけど、私にとって、この周りの空間だけで十分だった。それに、そこまで贅沢するお金はない。
喫茶店も、お土産店も、普通のショッピングモールもある。買いすぎてしまわないようにしないといけない。大家さんがお金を出してくれるけど、私ももうすぐ大人になるようなものだから、甘えるわけにもいかない。
書店でラノベを買って、喫茶店でのんびりしながら読む。それが一番楽しい。せっかく知らない土地に来たのだからもっと堪能するべきかもしれない。でも、少しは趣味に時間をかけたほうが心が休まる。
喫茶店でいつも読書をしている。喫茶店で、と言ってもその傍にあるベンチでだけど。何か食べてしまうと、お金はかかるし、読書にも集中できないから。
それが、最近はそうもいかない。何かを注文するべきか迷っている。
伯生さんが、私にご飯をくれない。台所に立つと追い出してくる。彼自身、カップ麺を食べてるから、自炊できるわけでもない。たまにピザをデリバリーしているのを見かけたことはあるけど、私の分はない。この間なんか、テーブルに饅頭が置いてあったから、手を伸ばしたら、「罰当たり」と罵倒されてはたかれてしまった。自分は食べていたくせに。
読書をしていると、そう言う悩みを忘れることができる。だけど文字から目を上げた時、胸の中に重いものがのしかかる感覚がする。現実に戻りたくない。
夏休みが終われば、私は地元に戻らないといけない。戻りたくない。
そんな悩みを抱えている暇もないけれど。
とにかく、大家さんかロバートさんに戻ってきてほしい。
夕方六時のサイレンが、あたりに響いた。気が付けば、すっかり景色が燃えるように、赤くなっている。温泉宿の湯気が立ち上っている。私はオレンジ色になった本のページを慎重に閉じる。
伯生さんがいないとき、正確には私が入るのを見られないようなタイミングを見計らって、家に入る。玄関は網戸だから、カラカラ鳴らないように気を付けて、サッと身をくぐらせた。蚊まで一緒に入ってきたから、肌に付いたところをパンッと叩く。
リビングに入ると、テーブルの上に花瓶が置いてあることに気付いた。
その時、勝手口が開いて、花を持った伯生さんが入ってきた。
「……何ですか、その花」
「もらったんだよ」
私は花粉アレルギーなので正直置いてほしくない。
でももらったものは捨てることもできないと思う。
というか、花がだめということは彼に伝えたはずだけど、何でリビングに置くんだろう。
嫌がらせかもしれない。
私は部屋にこもることにした。部屋全体を真っ赤に照らされていて、なぜか心が嫌にドキドキした。すぐにカーテンを閉める。薄いレースの生地だから模様から透けている。
伯生さんが優しかったころ、こんな会話があった。
「伯生さんは海外とか行かれないの?」
「いやぁ、海外には興味ないんですよ。ジッとしてたくて。怖いじゃないですか」
「じゃあ国内でもいいんじゃない?」
「それなら少しは」
「電車とかどう?」
「一度やってみたいですね」
テーブルに座って話していた大家さんと彼。私はソファでラノベを読んでいた。聞きながら、電車の旅ってどうなんだろうと考えていた。電車は何かと題材にする作品が多いから少しだけ憧れていた。
伯生さんと目が合った。彼は微笑んで、
「恵美理さんも行きたいんですか?」
そう訊いた。私は言葉が出なかったけど、多分表情で伝わった気がする。
あの微笑みは何だったんだ。
夏休みの間だけだけど、耐えられるか。さすがに死にはしないだろうけど、死にたくはなるかもしれない。
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