白猪堵荘(しらいどそう)にあめがふる日
片葉 彩愛沙
第1話
ぎゅっと、掌で砂を固める。しっとりとした砂は、簡単に形を作る。
ぽつん
手の甲に刺激を受けた。雨だ、と私が直感した途端、雨粒は増えた。長袖にドットの染みを作る。
「い、いま?」
固めた砂に覆いかぶさる。家の形を作っていた。もうすくで完成というところなのだ。
パーカー越しの背中に、ぽつぽつと振り続ける。止みそうな気配はない。むしろもっと強くなりそうだ。
「おい」
声がして、私はその体勢のまま、顔をハッと上げた。公園の入り口に、伯生さんがビニール傘を持って立っている。眉間にしわを寄せて、明らかに不機嫌だ、と私に見せつけている。ワイシャツは濡れていないけど、ジーパンの裾のほうが濡れて藍色を深めていた。
伯生さんはザクザクと革靴で地面を踏み鳴らしながら、私へ近づいてきた。
グッ、と傘を私のほうへ傾けてくれる。
「あ……っ」
私は立ち上がってその中に入る。
ありがとうございます、と声を出しかけたところ、彼は私の家を蹴飛ばした。
ザフッとあっけない音を立てて、家は倒壊した。
「な……」
「無駄なことするな。所詮砂だろ。だのにわざわざ守って、あほか」
涙が出そうになった。確かに彼にとってはそうかもしれないけど、私にとってはかけがえのないものだった。
「無駄じゃないです」
私はそう言ったが、彼は無視し、靴に付いた砂を落とそうとしていた。
「……というか、傘持ってましたっけ?」
彼は今朝、私と同じように手ぶらで出かけていた。
「ああ、コンビニにいたからパクってきた」
「はぁ?! 戻してきてくださいよ!」
「うるせぇな。わかりゃしないだろ」
さっさと帰るぞ、と彼は顎で示した。私は彼に見えないように、最低、と口の形だけ作った。
雨は強まりはしないけど、勢いは弱まらない。
私たちが帰ろうとしているのは、『白猪堵荘(しらいどそう)』という、元宿泊施設だ。
避暑地として、最大四人の旅行者が泊まれる、自然の中の別荘。
住人は、伯生さん、大家さん、ロバートさんと、私の四人だ。
いま一緒に相合傘をしているこの男の人が、伯生さんだ。彼は白猪堵荘を買い取って、生涯ここで質素に隠居するらしい。まだ三十代だけど、宝くじを当てたのだとか。正直羨ましい。
大家さんは、この別荘の元管理人だ。私の親戚で、お盆に親戚一同が集まる際に見かけたことがある。うるさくもなく、静かすぎない、ちょうどいいおばちゃんだ。料理や洗濯、掃除までしてくれる寮母さんのような立ち位置で、ほとんどしゃべったことがない私にも優しくしてくれた。
ロバートさんは、若い外国の男の人。金髪碧眼のイケメンだ。筋肉マッチョで、力仕事を何でもこなす。はっきりと聞いたことは無いけど、多分軍事関係の人だと思っている。「電気を開けてください」と言ったり、途中に英単語を入れたり、日本語は完ぺきとは言えないけど、こっちが意図を汲み取ることはできる。
そんな良い人二人は、いまは不在だ。大家さんは入院中で、ロバートさんは多分出張だと訊いた。
「わ、ちょっと!」
玄関に付いた途端、伯生さんが濡れた傘の水気を払った。私が目の前にいるのにも関わらず。せっかく乾いていたのに、結局濡れてしまった。
「何するんですか……」
「目ざわりだ」
それだったら、最初から迎えに来なければいいのに。
私はそう思ったけど、いつものことなので諦めた。マスクが濡れてしまったから、私も玄関先で少し雨粒を落とす。そのまま後を追って中に入った。
彼はお腹が空いたらしく、カップ麺にお湯を注いでいた。料理をする大家さんがいなくなってからは、こんな感じだ。
私がそれを見つめていると、彼は睨んできた。
「やらねぇからな」
「……わかってますよ」
私は逃げるように二階へ上がった。
彼は、私に食事を与えてくれない。彼が見ているうちは物を口に運べない。
私は、いまこの伯生さんと二人暮らしだ。最初からこんな扱いをする人じゃなかった。むしろ真逆、ほかの二人と同じように、優しくて紳士的な人だった。それなのに、二人きりになった途端こんな感じで、私はどうしたらいいのかわからなくなった。
私はこの夏休みの間だけ、白猪堵荘にお世話になることになっている。両親に、「少しは環境を変えたらリフレッシュされるんじゃないか」ということでおばさんに話をしてくれたそう。まだ、八月の二週目だ。電話をかけて迎えに来てもらうこともできたけど、しなかった。地元へ戻りたくなかった。そのうえ、伯生さんを除けば、ここはとても居心地が良かった。彼と会わないように、出かけていれば良いんだから。
濡れてしまった体を温めるため、お風呂のスイッチを入れた。白猪堵荘はそこそこ古いけど、こういうところは最近のと変わらない。
少しして、湯はり完了の音楽が流れた。
私はすぐに準備をして中に入った。風呂蓋を閉め忘れていたらしくて、湯気で満たされていた。
「わ、あはは」
おもしろかった。自分の体も見えない。そのまま手探りで洗い、湯船に浸かる。
ふぅ、と一息つく。つかの間だけど、癒される貴重な時間だった。
ガララッ
突然窓が開いて、私の体はビクッとした。
見ると、伯生さんがいた。
「ちょ、ちょっと、勝手に開けないでください!」
「知るか」
一言そう洩らし、どこかへ行ってしまった。窓を開けあられたせいで、湯気が逃げていく。しとしと音が聞こえる。
周辺に彼の気配がないことを確かめ、窓を閉じる。
裸を見られたかもしれない。でも湯気がもくもくだったからそれで見えなかったかもしれない。
そういうことにして、私はそそくさと上がった。
時々軋む階段を上って、部屋に入った。
はやくここを出たい気持ちがあったけど、学校という現実に戻るのも気が引けた。自分をすごくわがままだと思っているけど。
でも、現実に戻ることをせかされている気がした。
どういうわけか、優しかった伯生さんが豹変して私に冷たい、という事実。もし、彼が優しいままだったら、完全にこっちにとらわれていたと思う。でも、優しくないから、少しだけここを離れたい気持ちが大きくなった。
夏休みも残り少ない。戻らないといけない。
夕焼けの空に、町のあちこちから湯気が立ち上って溶けていく。町全体が燃えているように見えた。
「……かゆ……」
せかされる気持ちが大きくなった。背中が痛くて痒くなってくる。
二人暮らし状態になってから、ずっとこんな感じだ。多分、心理的なものが体の状態にも影響しているんだと思う。
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