それぞれは願いを胸に押し通す。
秋山零士は創世記を片手に新宿の町を歩いていた。
秋山零士の手にある創世記は世界の全てが書かれている本であるが、彼はそれを知らない。それもそのはずであり、彼がその創世記を拾ったのはつい先程の事であった。
町の不良集団から逃げるため路地に入り込んだ結果、偶然拾う事となったのである。
そう、秋山零士がそれを拾ったのは偶然のはずであった。彼自身、創世記の事は知らず変わった収集癖がある訳でもない。
それなのに秋山零士は創世記を拾ってしまった。
そして今も、創世記を持ちながら町中を逃げ回っていた。
秋山零士を追っていたのは麻薬販売を生業としているガネーシャという名の集団であり、彼らは秋山零士を殺す気であった。
ガネーシャはこの辺りでは有名な不良グループである。
悪い噂の絶えない集団であり秋山零士は彼らを嫌っていた。いや、嫌う事で自ら争いに飛び込もうとしていたのだ。
退屈を嫌い、平凡を嫌った秋山零士は自らの住む場所で最も恐れられている集団をターゲットとしたのである。
「よう。見つけたぜ」
声と共に秋山零士の目の前に入れ墨の入ったスキンヘッドの男が現れる。
「こんばんは上坂さん。どうされたんですか?」
「俺を前にしてその態度、いい度胸じゃねえか。下の奴らにも見習わせてやりたいぜ」
「いやいや、ガネーシャって言ったらみんな上坂さんみたいに墨入っている人ばっかじゃないですか。墨入れて度胸は入ってないとかそれは無いでしょ」
秋山零士はいかにも作ったような笑顔をわざと顔に貼付けながら上坂を見る。
「どうだ、今ガネーシャに入るならまだ俺の力でお前の罪を無くしてやってもいいんだぞ。俺はお前を気に入っているんだ」
「それこそご冗談を、俺があんたらを嫌っているのは知ってるだろ」
二人の間に静寂が訪れた。
どちらも何も喋らずに睨み合っているその姿は、端から見れば喧嘩寸前のように見え周りの一般人は皆一様に二人の周りを避けて通っている。
「上坂さん!」と、声が聞こえ上坂の周りに人が集まって来るが、それを見ても秋山零士はその場から動かず彼らを睨んでいた。
それは虚勢でも何でも無く秋山零士は数人を相手にしても負けない力を持っていたのだ。彼は腕力こそ無かったものの人間離れした反射神経を持っており、それを生かす事の出来るバネと俊敏性も持っている。
まさに喧嘩に理想的な才能。
避けることに徹した秋山零士を捕まえる事が出来る一般人はおらず、一方的な攻撃を彼は行う事が出来るのだ。
その強さを知っているからこそガネーシャも恥を惜しんで圧倒的な数によって秋山零士を追い詰めていたのである。
「どうするんですかこいつ。早く攫っちまいましょうよ」
ガネーシャの男の一人がそう言った瞬間だった。少し離れた場所で爆発音が響く。
そしてそこに居た全員がその音の方を見た。
音の方、道路一つを挟んだビルの向こう側からは煙が上がっており、何かが起こった事だけを秋山零士たちは知る。
一体何が起こったのか、秋山零士の頭の中には様々な思いが浮かんでは否定されていく。もしかしたらガネーシャが他の誰かと抗争を起こしたのかとも考えるが、ガネーシャでナンバー3に位置する上坂に未だ何の連絡も来ていないのはおかしい。
秋山零士はガネーシャの面々を見ながら様子を窺い、その場から離脱しても大丈夫だと判断し爆発の方へと走り出した。
慌てて追いかけてくる上坂を振り切り秋山零士は爆発の地点へ急ぐ。
非現実的な日常を好む彼はその爆発に何かを感じ取ったのである。自らを楽しませてくれる何かがそこにあると直感で思い走りだしたのだ。
「どうなってんだ」
爆発地点に辿り着いた秋山零士は車がビルに突っ込み炎上している光景を見て言葉を漏らし立ち尽くす。
事故であるはずだが、明らかに人が、ドライバーが死んでいる。そして、ブレーキ痕の残っていない道路に秋山零士は違和感を感じていた。
居眠りにしては突っ込む場所と突っ込み方が変であり、故意でその場所に突っ込んで行ったように見えたのだ。
秋山零士はスマートフォンを取り出しすぐさま知り合いに電話する。相手は秋山零士と仲のいいゴシップライターであった。
「もしもし、園山か」
「電話が来るのではと思っていましたよ。今ガネーシャに追いかけられているんですよね。そしてその途中で爆発が起きた。その詳細でいいですか?」
「あぁ、頼む」
「私は新宿を拠点にヤクザや警察などに情報を販売していますが、その私でも、今回の騒ぎは元が掴めません。ただ、こっちの業界では有名な殺し屋の姿が数人目撃されています。そのためもしかしたら、私たちでは対処できない事態が進んでいる可能性があります」
「結局、何も分からないって事か?」
「分からない事が分かっていますので料金はいただきますよ。とにかく、ヤクザ絡みではなく、もっと強大な何かが動いている事は確かです」
それを聞き、秋山零士は電話を切る。
周りを見渡し現状を把握しようと試みるが、人が多すぎる混乱の中で情報を集めるのは至難の技であった。新宿を活動拠点とするゴシップライターが全体像を掴めないと行っている以上、さらに多くの情報を得るのは難しいと思ったほうがいいだろう。
また、これがヤクザ絡みの犯行では無いにも関わらず彼は事故とは言わなかった。つまり、故意である事はほぼ間違いなく何かが起こっているのも間違いは無い。しかし、全てが霧に包まれており見えてこないのである。
その時であった。
秋山零士は知っている姿を見かけた。
ゴスロリの服装の少女が数人の執事を従え歩いているその姿は間違えようも無く執事飼いであった。
秋山零士は執事飼いを知っていた。
その見た目も相まって殺し屋の中でも有名な執事飼いは、その業界の情報を集めだすとココと同じくらいにすぐに知る事が出来る殺し屋である。
知られず見つからない事が殺し屋として優秀であると思われがちだが、実際は知られているのに生きていることが重要であり、それはその殺し屋の強さに比例するのだ。
隠密性を重視する殺し屋は相対した時に確実に殺す事が出来ない殺し屋であり、執事飼いや仮面の男、ココなど自身が人間離れした力を持っている彼らはたとえ警察や軍隊に邪魔をされたとしても標的を確実に抹殺出来るため隠れる必要がないのである。
そしてそのような殺し屋である執事飼いがこの新宿の町中に居るという事態は異常であり、執事飼いの真剣な顔がこの事態の規模の大きさを現していた。
しかし、秋山零士はその事態に高揚していた。
自らが望んでいた未知なる世界が目の前にある。業界で有名な執事飼いが目の前にいるのだ。まるでサッカーのスーパースターを見るような目つきの秋山零士はゆっくりと執事飼いに近づいていき話し掛ける。
「こんばんは。執事飼いさん」
声をかけられ振り返ったシェアリーは目の前に現れた秋山零士を見て驚く。
その驚きはシェアリー自身が秋山零士に接触出来たという事に関してであった。
秋山零士には近づく事は出来ない。それは秋山零士を狙う人間には常識であり、共通認識であった。
秋山零士には魔術の力が施されており、触る事はもちろん近づく事すら出来ないはずである。しかし、秋山零士の方から自分の意思で、シェアリーの元へ近づいて来たためその常識が消え去ってしまったのだ。
これはシェアリーにとって絶好のチャンスであり、同時に慎重に考えなければいけない局面でもあった。
創世記は秋山零士の手の中。
ここで殺せば手に入れる事は出来るが、そう簡単に殺せる相手ではない。彼女は目の前の好機に対して思考を巡らせる。
「あなたは誰ですか?」
そうしてシェアリーが瞬時に選んだ選択は保留であった。分からない振りをし、どうにかして側に置いておく。そうして然るべきタイミングを待つ事を選んだのである。
「僕は秋山零士と言います。あなたの事を知っている位にはそちらの世界に関わりを持っている一般人です」
「それで、その一般人が私に何の用が?」
「いえ、この辺は僕の縄張りでしたので、あなたのような方がこの爆発のあった場所にいるというのはどういう事なのかと思いまして」
「なるほど、少し説明して差し上げてもよろしいですがその為には場所を変えましょうか。ここは危険ですので」
シェアリーは思う通りに事を運ぶ。
執事飼いは強く、しかし、無駄な殺しをしない穏やかな人物であると知られており、そのため場所を変えようと提案してもそこまで警戒される事は無いと考えての提案であった。
そしてその想像通りに秋山零士は頷き、二人は人の少ない路地に潜り込んだのである。
だが、そう上手くは行かないのが秋山零士という人間の特性であった。
その場から離れようとするシェアリー達の耳に再び大きな爆発音がどこかで響いたのである。
シェアリーは音のした方を見てから考えるそぶりを見せ、執事に何かを伝える。
「少し様子を見てきますのでここに居てもらってもいいですか? 安全の為に一人執事を残していきます。何かあるようでしたら彼に」
秋山零士は少し戸惑っていたが、ここでシェアリーに逆らう価値はないと判断したようで快くそれを了承する。
そして、シェアリーはその場を去り、路地には秋山零士と執事が残されたのであった。
「執事飼いさんって何て言う名前なんですか?」
2人残された路地で沈黙を嫌うようにして話しだした秋山零士であったが、執事は何も語らない。
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