火の無い所に煙は立たない。

 時は戻って現在。ホームズが坂波の使いを殺害し車で証拠を隠滅した現場に幽島睦は直面していた。

 幽島睦は唐突に鳴り響く発砲音と爆発音に驚き、その場からの逃避行動を取ろうと辺りに気を配りながら路地裏に逃げ込んだ。それと同時に彼の背後から声が聞こえる。

「幽島睦様。お嬢様がお逃げになってもらって構わないとおっしゃっています」

 声の主は執事飼いシェアリーに仕える執事であった。

 再び驚きながらも幽島睦は執事のその言葉に疑心と安堵の表情を浮かべる。

「逃げていいのか?」

「はい、そのようにおっしゃっています」

「了解。なら逃げさせてもらうぞ。一応言っておくが秋山零士はこの少し先に行った所に居る。精々頑張ってくれ」

 そうして幽島睦はその混乱から逃げ去るようにして路地の奥へと走り出す。

「お嬢様如何致しましょうか」

 耳についている通信機で執事はシェアリーから指示を仰ぐ。

「爆発の方は私が対処しますのであなたは秋山零士の方をお願いします」

「了解しました」

 命令を受けた執事は秋山零士の居る方へ向かって走り出す。

「それでは私たちも参りましょうか」

 執事飼いシェアリーは新宿駅の近くの車の中にいた。車の中には運転手を除き合計で三人の執事がおり、シェアリーは彼らを連れて車を降りる。

 少し先には先程爆発した車が今なお炎上し続けており、そこに向かって執事に抱かれながら進む姿は、まるで映画の撮影かとも思えるようであった。







「なんだ。車が爆発したのか」

 ミルダが居るのは新宿駅のすぐ近くにある日本庭園の横道であった。

 爆発があったのはそこからは道を二本ほど隔てた場所であり、ミルダからは見えてはいなかったが、彼女はそれがすぐに車が爆発した音であると分かったのである。

 それは経験に基づくものでミルダは爆発音の種類を見抜く事が出来るのだ。

 五感の冴えているミルダが戦場に長期間身を置いていたからこそ出来る芸当であり、武器であった。

「凄いね。音も聞き分けられるのかい君は?」

 ミルダの目の前に居るのはココであり、ミルダがココを見つけたのは数分前の事であった。新宿に来て歩いていたら偶然目の前に現れ、からかって逃げるココを追って今に至る。

 ココは遊んでいたのだ。

 時間つぶしのようにミルダに手を出す事も無く、逃げ回っていたのである。

「こんなもん大して役にも立たねぇよ。そんな事より、足を止めちまったなココ」

「止まってあげたが正解さ。そろそろ祭りも始まるからね。僕たちも参加しにいこうか」

 ココは不気味な笑顔を浮かべ、爆発音がした方を見た。

 そして再び走り出す。

 逃げに徹するココを捕まえるというのは至難の技であり、この広い世界で透明人間を見つけるような物である。しかし、ミルダはそれをやってのける。それもまたミルダの人間離れした五感の発達による物であったのだ。








「さて始まったか」と、ビルの屋上から町を見渡していたのは仮面の男であった。

「君も始めるんだよ」

 仮面の男は背後からの声に驚きながらもそれを出さないように立ち振る舞って目を向ける。

「誰だお前は」

「顔を会わすのは初めてだったな。俺はホームズ、情報屋だ」

 ホームズと言う名前を聞き、仮面の男は思考を巡らす。

 謎の多き男であるが、ホームズが計画的で計算高い男であると仮面の男は知っていた。つまり、ホームズが男の前に姿を現したという事は十分な勝算があるという事にもなる。

 絶体絶命ではないが、仮面の男にとってかなり危険な状況であるには変わりない。

「やあ、僕も混ぜてくれないかなホームズ」

 その場に、さらに声が重なる。

「ココ」

 ホームズと仮面の男は二人して固まる。

 仮面の男にとって状況がさらに悪化したように見えたが、彼は考えていた。今なら混乱に乗じて二人を殺す事が出来るかもしれない、と。しかし、その考えはすぐに打ち消される事となる。

「仮面の君はちょっと止まっててね」

 ココが仮面の男を指差しそう言った途端、仮面の男は金縛りにでもあったかのように身動きが取れなくなってしまったのだ。

 仮面の男はどうにかして体を動かそうと試みるが、自分の体ではないと思える程にビクともしない。

「脳を支配する能力だ。仮面の男、いやコールマン、君では解く事は無理だよ」

「貴様、何故俺の名前を」

「俺に調べられない事なんか無いさ。そうだろうココ。君の一族の生き残りはやっぱり君だけみたいだ。だから君が世界最強で間違いないよ」

 ホームズは二人を見回し、二人の思惑を探る。

 ホームズは武器である情報を使い、出来る限り場の流れを支配する。彼はそうして世界を渡って来たのだ。

 情報量では誰にも負ける事が無いからこそ、自らの言う事が正しいと信用させる事ができ、同時に自らの得意な舞台へ引きずり込む事が出来る。情報がこの世において価値のある物であるから出来る戦い方であり、ホームズにしか出来ない戦い方でもあった。

「そうでも無いかもよ。ほら、僕に勝てる可能性を秘めた女性の到着だ」

 屋内から屋上に続く扉を蹴破り、一人の女が入って来た。

 その女はデュアルハンターミルダである。

 わざと残したとはいえ、ココが通った後の僅かな痕跡を頼りに彼を見つける事が出来るのはこの場に置いてミルダだけであり、だからこそココはミルダに可能性を感じていた。自らを楽しませてくれる遊び相手になってくれる可能性を。

「見つけたぞココ。鬼ごっこもおしまいか」

 気怠そうな雰囲気を醸しながら屋上に乗り込んで来たミルダは人の多さに視線を泳がす。

「なんだ人が多いな、どういう状況だ」

「これはこれは。デュアルハンターじゃないか。ケープから出稼ぎかい?」

 ホームズの言葉にミルダは目を細め、「誰だお前は」と、言うと同時に彼女はベレッタをホルスターから取り出し、引き金を引いた。

 銃弾はホームズの頬をかすめて空に消える。

「まあ待ちなよミルダ。彼は僕の友達のホームズだ」

 ミルダの銃弾はホームズを完璧に捉えていたはずだったが、それをココが認識操作によりずらしたのであった。

 ミルダはベレッタを仕舞い、舌打ちをしながらタバコを咥え火を付ける。

「ホームズが何でこんな所にいるんだ」

「彼も本が欲しいのさ」

 ホームズは生唾を飲み、状況を確かめる。今、自らが撃たれた事に驚怖したのだ。

 ミルダは流れを読まない。全てを受け入れ最速で行動に移す事が出来るミルダは流れに乗せられる前に全てを終わらせてしまうのだ。それを回避できるのはミルダの初手を避けられる人物だけであり、そう多くはいない。

 そしてホームズがどれだけ情報や話術を使って流れに引き込もうと行動しても、ミルダはその事実を受け入れ、対象を殺すだけであるため、ホームズに取ってミルダは相性が最悪の相手とも言えるのだ。

 流れを操るホームズと流れを気にしないミルダ。

 その事実を理解した上でホームズは考える。

 ミルダをこの争いに引き込んだのは誰なのか。それは他ならないココであった。ココがミルダをわざわざこの争いに巻き込んだ訳はホームズへの嫌がらせでもあったのである。

 ホームズとココは仲が悪い訳では無いが決して良い訳でもない。

 そもそも、ココに仲の良い悪いは存在しないのだ。ココにあるのは興味だけであり、興味がある対象には手を出し、興味の無い人間には何もしない。それがココであった。

 そしてホームズに対してココは遊び半分でミルダをぶつける。

「本当に面倒な相手だ」

 ホームズは小さく呟くが、それがココに聞こえていたかどうかは分からない。どちらでも良いと思いホームズは口にしたのだ。

 ホームズはまだ場の流れを支配する事を諦めておらず、さらに話し続ける。

「さて、落ち着いて貰えたかな? 俺は別に君たちと争うつもりは無いんだ。俺の本業は情報屋だからね。だから今回の争いを通して情報を求めているそれだけだ」

「あたしは危険な存在を排除しておきたい主義なんだが」

 ミルダはタバコをふかしながらココを横目で見る。

「といってるけど、ホームズは何か言いたい事あるかい?」

 ココは二人の間を取り持つように立っていた。

 いや、ホームズがミルダとの間にココを挟むように立ったのである。出来る限り自らに降り注ぐリスクを排除するその行動はホームズの癖である。

「待ってくれ、ここで争うのはあまり得策ではないと思うのだが……どうだろうか、君たちにも情報を流そう。それじゃ駄目か」

 ミルダはタバコを深く吸い、煙を空に流す。

 その時であった。銃声が屋上に鳴り響く。

 動いたのは仮面の男であった。

 自力でココの金縛りから抜け出した仮面の男は、懐から拳銃を取り出し引き金を引いたのである。

 銃弾はココに向かって飛ぶが、それがココに当たる事はやはりなかった。

「自力で解けたのかい? さすが名の知れた殺し屋なだけあるね」

「クソが。澄ました顔で避けやがって」

 仮面の男は舌打ちをし、懐からルーキフェルを取り出し、三発銃弾を撃ち出したのであった。

 同時に、金属音が三回響く。それはミルダがルーキフェルから放たれた三発の銃弾をベレッタの銃弾で撃ち落とした音であった。

 銃弾を避けた、防いだという結果を当たったという最良の結果に書き換えるルーキフェルだが、それにも弱点はある。

 それは銃弾が確かにそこに存在するというものだ。

 つまりは避けたという結果の銃弾と当たるという結果に変えた後の銃弾は同じ銃弾であり、放ってから当たるまでは1発の同じ銃弾が結果に向かって進んでいるという訳だ。

 それは本来であればあまり気にするような要素ではないが、今回の事象において非常に重要な点となった。

 改造された大口径のベレッタから放たれた銃弾はルーキフェルから放たれた銃弾をひしゃげ弾き飛ばした。そして弾かれた銃弾はその外れた結果を当たったという結果に変えるが、銃弾は同じな為銃弾はひしゃげたままなのである。

 ここで結果に矛盾が生じる。

 ひしゃげた銃弾は本来であれば真っ直ぐ飛ばない。しかし、銃弾がココの体に当たればそれは銃弾が真っ直ぐ飛んだということであり、ひしゃげた銃弾ではあり得ない結果がそこに生まれるのだ。

 “起こり得る”最良の結果に書き換えるルーキフェル唯一の弱点。起こり得る最良の結果が干渉によって変えられることでその能力は消失する。

 異質な眼とそれを可能にする技術を持ったミルダのみに許された銃弾に銃弾を当てるという神業。もちろん、ミルダはそれを知っていてやったわけではない。ルーキフェルという銃の存在は知っていたが、その能力自体を彼女は知らなかったのだ。しかし、彼女の直感がその銃弾を打ち落とせると判断したのだ。直感による圧倒的な判断力。

 この場においてもそれは絶大な力を発揮したのであった。

「ブラボー、さすがだねミルダ」と、それを見てココは拍手する。

「あんたがルーキフェルの持ち主か。生憎、ココはあたしの獲物なんでな」

 短くなったタバコを踵で踏みながらミルダは仮面の男を睨む。

 数秒の沈黙と睨み合いの後、仮面の男は判断する。

「化物どもが」

 仮面の男は言いながら後ろに下がり、そのままビルの屋上から飛び降りたのである。

 取り出したフックショットを屋上の端に引っかけ、反動を利用し窓ガラスを割って数階下に潜り込む。

 それは、まさに最適な判断であった。

 仮面の男は決して弱い男ではない。むしろ、殺し屋の中でも有名な最強の一角であった。しかし、この場においてそれは意味が無く、仮面の男は自らを最弱と判断したのだ。

 実力を理解し弱さを認め、最善の行動を取る事が出来る彼の強さ。

 それほどまでに、この場の強さは狂っていたのだ。

「やはりあいつは賢いな」

 ホームズは仮面の男が居た場所を見て呟く。

 その行為が如何に絶妙であったのかをホームズは分かっていたのだ。最高のタイミングで攻撃に転じ、実力差を理解し逃げ出すその様はまさに殺し屋の手本のようである。

 常に相手より上へ立つ事を目的としているホームズには出来ない芸当であり、それが情報屋と殺し屋の差でもあった。

「それで、君はどうするんだいホームズ?」

 ココの問いに少しの間を置き、ホームズは空を仰いだ。

「どうしてこうなっちまうかなあ」

 深呼吸をして再び二人を見るホームズ。自らの天敵である二人を目の前にして、しかし、ホームズは恐れてはいなかった。殺し屋にも引けを取らない経験と、自分よりも流れを操作できる人物はいないという絶対の自信。それを武器に彼は再び状況を操作する。

「俺はまだ負けないぞココ」

 次の瞬間、爆発が屋上に広がった。

 屋上から1つ下の階層である九階の部屋が爆発し屋上が崩れ落ちたのだ。ホームズが作っておいたもしもの時の為の保険。

 瓦礫となって崩壊する足場の上で三人はそれぞれ別の行動を取る。

 ミルダは即座に状況を判断し、崩れ落ちる床より早く動いて隣のビルに飛び移り、ホームズは崩壊に乗じてミルダとは反対側のビルへ飛び移る。そしてそんな二人を横目に、ココは悠然とその場から姿を消したのであった。

「まさかこの手を使う事になるとは」

 呟きながらホームズは隣のビルの非常階段を駆け降りどこで間違えたのかを考える。いや、ホームズは間違ってはいなかった全てはココが狂わせたのだ。

 ビルを爆破する手段は本来使うはずの無い物であり、同時に最終手段でもあった。あらゆる情報を駆使し予知することがホームズの特技ではあるが、それはココには通用しなかったのだ。誰にも捉える事が出来ない人物だからこそ情報が少なく、行動を予知できないのである。

 気まぐれが過ぎる男ココ。情報を用いて戦場の流れを操るホームズだが、一歩引いて戦場に立とうとしないココにその能力は通用しないのだ。

 ホームズは奥歯を強く噛んだ。

 どうするのがベストだったのかを突き詰めれば切りがなく、極論を言えばこの争いに参加したのが間違いだったとも言える。

 悪くなった流れを変えようとホームズはスマートフォンを手に取る。

「ワトスン。そちらの首尾はどうだ?」

「マスター。それが少しばかり問題が発生しています」

 歯切れの悪い言葉を聞き、ホームズは更に眉間に皺を寄せるのであった。


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