画竜点睛 #3

「やっと着いたか」

 西条最上が成田空港についた数日後、場所を同じくしてミルダも日本に着いていた。

 黒のタンクトップに紺のハーフパンツであるが、髪は縛ってはおらず、サングラスをかけている。

 腰にホルスターは着いておらず、手に持っている鞄の中に愛銃であるベレッタは仕舞われていた。

 ミルダの依頼はココに本を持っていかれたため結果として失敗に終わったが、ミルダがそれで責められるという事はなかった。ココが相手にいたという事実は全世界の本を狙っていた人物に行き渡っており、世界最強のココに負ける事は、失敗でも何でも無い、災害のような物として扱われることが普通なのである。

 だが、それをミルダは好んではいなかった。

 負けた事実から目をそらす事は出来ず、しっかりとした決着も着けないままで居る事が嫌であったのだ。

 そのためココを追って日本にまでやって来たのである。

 タクシーに乗り、渋谷に向かうまでの間、ミルダは寡黙に外を見つめる。彼女の良く知った武器商人ならばこの町を見て、平和すぎて馬鹿らしいと言うのではないのかと思いながら、ミルダ自身もこの平和を気持ち悪い思いを抱いていた。

 少し突けば崩れ落ちてしまいそうであり、また崩れてしまった後にも平和を信じていそうなこの国の人々に違和感を感じているのだ。

 しかし、その平和があるからこそこの国の発展があったのかとも思うと、それでもいいのかとも思えてくる。

 ふらふらと揺れる思考は昔からであり、幸せとは無縁の生活をして来た為に解答を導きだせないのかもしれない。

「お客さん着きましたよ」

 運転手の言葉でミルダは目的地に着いた事に気がつく。

 一言も発さず会釈だけをしてから彼女はお金を払った。

 有名な殺し屋のほとんどはその仕事柄、世界中に飛び回る事が多く様々な言語を操る。トレジャーハンターであるミルダもその例外ではないが、ミルダはあまり話す事を好まなかった。完璧に話す事が出来ない言語だからこそ失言を恐れ、必要最低限の話ししかしないのである。

 タクシーから外に出て、ミルダはまず人の多さに辟易する。

 しかし、多過ぎる人ごみの中でミルダは目立っていた。外国人、それも筋肉質で異質な雰囲気を纏っている彼女は到底一般人には紛れなかったのである。

 ミルダはそんな町の中を目的地に向かって黙々と歩いていく。

 そしてビルの前で足を止めた。

 その時だった。そのビルの中から一人の男が歩いて出て来る。

「やあミルダ。また会ったね」

 まるで友達にでも会ったかのようにミルダに対し挨拶をしたのはココであった。

「ずいぶんとフレンドリーな挨拶だな。そこまで仲良くなった覚えはないんだが」

「そう言うなよ。僕と君の仲じゃないか」

 軽く笑いながらココはミルダの前に立つ。

「そこのカフェで少し話そうか。積もる話もあるだろう? 別に戦う理由も無いんだから穏便に行こうよ」

 ココが指差す先には洒落た雰囲気の喫茶店があり、ミルダはココの数歩後ろをついて喫茶店へ入っていく。

 奥の席に座り、ココはウエートレスにミルダの分も注文を頼んだ。

「何勝手に注文してんだ」

「大丈夫、南アフリカ出身の君でも飲めるような紅茶を頼んでおいたから」

「あたしのことを調べたのか?」

「気になる相手は調べないとね。恋愛の基本だよミルダ」

「なら惚れた弱みであたしのお願いを聞いてくれないか」

「僕はサディストだからそれは無理かな。いくらでもいじめてはあげるけどね」

 似合わない冗談に疲れたミルダはタバコを取り出し一服する。

 吐き出した煙は店の薄暗い照明に照らされながら上へ昇っていった。

「お待たせしました。アイスティーとカフェオレです」と、二人の沈黙を埋めるようにしてウエートレスがテーブルに二つの飲み物を置き小さく礼をして去っていく。

 ミルダは自らの目の前に置かれたアイスティーを一口のみ、またタバコを吸い出す。

「どうだい日本のアイスティーは。悪くないだろう?」

「そんな事よりも早く用件を話しな。何も無いなら今すぐその眉間をベレッタで撃ち抜いてやるからよ」

「そう焦らなくても大丈夫だよ。本はもうすぐ秋山零士と言う少年が拾う事になっている。おそらくその時に一悶着が起こるんだけれど、僕はその争いにちょっかいを出そうと思っているんだ。だから君もそこに来るといいよ。まともにやっても僕には勝てないんだから」

 悪戯に笑い、ココはカフェオレを飲む。

 ミルダは何も言い返さず、タバコをふかしながらココを睨んでいた。

 彼女は理解しているのである。正攻法でココは倒せず、殺すのならば何かに気を取られている時しかないという事を。そして、それが本を手にする上で最も効率のいい方法でもあるのだ。

「もしも、あんたが誰かと戦っているとして、それを横から撃てばあんたを殺す事が出来ると思うかい」

「いい質問だね。僕は僕が殺されるとは全く思わないよ。そもそも、僕の気を引けるほどの存在が居ないからね。必然的に隙を見せる事も無い。でも普通に相対するよりかはいいだろう?」

 ミルダは背もたれに体を預けながら上を向き、何かを考えている。

「どうしてあんたはあたしにそこまで協力してくれるんだ」

「愛。っていうのは嘘だけど、まあ君がこの争いの中で僕を殺せる一番の可能性を持っているからかな。仮面の男や執事使い、ホームズなんかもやってくるみたいだけどちょっと役不足なんだよね。みんな僕を見つける事すら出来ないんだ。僕を見つける事が出来たのは君を含めて六人、その中の一人はもう死んじゃってて、他の四人は本に興味の無い変わり者だから、この争いを楽しもうと思ったら必然的に君と争うしか無いんだよ」

「……随分と余裕だな。仮面の男といえば神に愛された男っていうので有名な奴じゃないか」

「そうだね、でも僕を見つけられなければ意味が無いよ。彼にも何度かチャンスを上げているんだけどね。彼が神に愛された男なら、僕は戦いに愛された男とでもいうのかな。能力が戦いに最適過ぎて正直つまらないよ」

 それを聞きながらミルダは短くなったタバコを消し、新しいタバコに火をつける。

「理解できねーな」

「理解して欲しいとは思ってないよ。君は僕を殺し、本を手に入れる事だけを考えていれば良い」

「ハッ、いいぜ。殺してやるよ。軽口が叩けないように何度でも殺してやる」

 煙と共に言葉を吐き出すミルダと緊張感なくカフェオレを飲むココ。

「期待してるよ。それじゃ、そろそろ行こうか。宴が始まる」

 店を出てすぐ、ココは創世記の落ちている場所だけを伝えてそこから消えた。

 そしてミルダも、その場所に向かってゆっくりと歩き出したのである。


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