人々は選択する。#3
時を同じくして薔薇十字団本部でも一人の魔女が選択を迫られていた。
薔薇十字団の本部はスペインから西に位置する孤島にあった。
海に浮かぶその島は東京ドーム五個分ほどの大きさであり、そのほとんどを薔薇十字団本部である真っ黒で巨大な教会が占めている。
千人単位の教団員が生活する本部の島は魔術により迷彩が施されているため、他の人からは見えず、また地図にも乗っていない。
そのためその島の存在を知る者はほとんど居なかった。
「
書類の積まれたデスクの前で真っ白のローブを着て座っている男、幽邑は書類を手に持ったまま声のした方へ顔を向けたが、その素顔はローブに隠れて分からない。
「テレンスか。彼女は僕と同じ世紀を跨ぐ者であり、絶望を超えた者だ。彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。僕はそれを否定はしないし、止めるつもりも無い。それが僕の考えであり、平和の作り方だからね。僕の流れを受け入れられない人間は僕が舵を取る船には乗せられない。そうして僕はやってきたんだ」
一方、幽邑とは真逆の真っ黒なローブを羽織る長髪の男テレンスはその赤い目を幽邑に向けた。
「そうは言っても幹部の中から反乱分子が出るのはあまり宜しくはないぞ」
「彼女が僕たちとは違う行動を取ったとしても僕は彼女を反逆者とは見なさないさ。僕の操る船を降りたからといってそれは罪には値しない。悲しくないと言ったら嘘になるけど、僕は笑って送り出すよ」
「それは未来予知の結果か?」
「いや、これは僕の情だよ。注意して欲しいのは馴れ合いではなく、戯れ合いでも無いという事であり、僕たちが上であるという事だ。僕が敷くレールの上を、僕に付いて歩いて来ていれば間違える事は無く、いずれ近いうちにも平和な世界を手にする事が出来るだろう。しかし、別の道がある可能性を僕は否定をしない。だからこそ、その道を目指す人間が現れたのなら頑張って欲しいと上から目線で言っているんだ。僕が平和実現の為に歩んで来た数百年の道をたった数十年の下準備で超えられると本気で思っている彼女に対しての情なんだ。まあまだ彼女が別の行動を取るとは決まった訳ではないからね。今夜の集会で全てが決まるだろう」
実に傲慢な考え方だが、幽邑は至って真面目であった。
薔薇十字団の団長にして全てが謎に包まれた男。しかし、彼が居なければ薔薇十字団がここまで大きくなることはなかったと言うことを団員全員が理解していた。
それほどまでに薔薇十字団にとって彼は偉大な男であったのである。
「荒れそうだな」
「それが組織というものさ。僕たちは仲良しごっこをしている訳では無いからな」
「あなたらしい答えだ」
言い残し、テレンスは部屋を出た。
「テレンス。ちょっと付き合ってくれないかい」
部屋を出てすぐにテレンスは声をかけられる。
声は真横から聞こえ、テレンスが目を向けるとそこには白衣を纏った男が壁にもたれかかっていた。
「ヘッセ。君が集会でもないのに自室を出るなんて珍しいじゃないか」
テレンスとヘッセは言葉を交わしながら幽邑の部屋から離れるようにして廊下を歩き出す。
「リトルは僕の親友だからね。君たちの考えを聞いておきたいと思って」
「幽邑はリトルの行動を見守ると言っていたから安心するといい。リトルが裁かれる事は無いと思って大丈夫だ」
「そうか。なら良かったよ」
「……君も少し身の振り方を考えておいた方が良いぞ。リトルに付くのか幽邑に付くのか。今夜の集会は荒れるからな」
「そうだね。でも僕もリトルと一緒になってここを出ていったら君たちは困るんじゃないのかい」
「リトルだけでも大変なのにヘッセまで対立するとなると厳しいのは確かだ。魔法のスペシャリストと回復のスペシャリストが居なくなるんだからな。しかし、幽邑が自由にさせるのが良いと判断したのだからそれが正しいことは間違いない」
「まさか教団としての歴が最も長い幽邑とリトル二人が対立するとは思わなかったよ」
「それは私もだ。しかし、だからこそこういう時は私たち他の幹部がしっかりしないといけないんだ」
「……そうだね。それじゃあ僕はちょっとリトルの様子を見てくるよ」
ヘッセは立ち止まり、廊下の分かれ道をテレンスとは逆の方向へ歩いて行った。
それを見送ったテレンスは長く続く廊下を目的地に向かって歩きながら考えを続ける。
団長である幽邑と代々薔薇十字団に貢献してきた血筋であるリトルの決裂は大きな波紋を起こし、下手をすれば大規模戦闘に発展するだろう。そうなった場合を考慮して薔薇十字団の幹部十三席の一席に座るテレンスも身の振り方を考えなければならなかった。
この教団の中でも最も古株な幽邑とリトル。
リトルはすでに百年以上教団に属していたが、幽邑に至ってはいつから教団に居るのか誰も知らなかった。遥か昔から幽邑が教団に属していたという記録はあるが古すぎる記録の為、実際の所は誰も分からない。もしかすると薔薇十字団始祖とも繋がりがあったのではないかと噂されているほどに彼の存在は謎に包まれていたのだ。
では何故そんな二人が仲違いを起こしたのか。
そもそもの原因は幽邑の考え方であった。
この薔薇十字団は始祖の作った世界平和という目標の為に活動しており、その活動は始祖が残した手記“平和の理”に基づき行われている。
世界を平和に導くための道筋が全て書かれたその手記には“創世記と呼ばれる神の作りし産物を、現れるであろう秋山零士という日本人に渡し自らを復活させる”と、書かれていたのである。
しかし、幽邑は創世記を秋山零士には渡さず、教団にて保管すると幹部に声明したのであった。
リトルはそれを快く思わず、結果幽邑との対立関係が出来たのである。
幽邑は考えを口に出さない男な為、何を考えているのか分かりづらい事が多くそれが今回の火種になったとも言える。幽邑は創世記を教団で保管する理由を語らないのだ。
ただ一言それが正しいからと言ったのみであり、明確な理由を明らかにしていなかった。
だが、幽邑にはそれが許されたのだ。
何故なら幽邑は絶対に間違いを起こさないからだ。未来を予知する力が幽邑には存在し、彼の言う事は今まで間違った試しがない。だからこそ皆、彼に付いて来ていたのである。
そのため今回も幽邑の考えは正しく、間違っては居ないのだろう。しかし、今回ばかりはリトルがそれを良しとしなかった。
幹部の一人が反対したからには幽邑だけを信じる訳にはいかい。
リトルはすぐに幽邑に抗議をしたが幽邑は考えを変えるつもりは無く、それを良く思わないリトルによって今夜の集会が企画されたのであった。
それを踏まえた上で幹部十三席に座るテレンスはどうするのか。
結論から言うとテレンスは幽邑に賛同していた。何故なら、テレンスは幽邑に返しきれないほどの恩を感じているからだ。
赤目の子として生まれた町で迫害されていたテレンス。彼に手を述べ救い出したのは間違いなく幽邑その人だったのである。
絶望から救ってくれた幽邑。その恩人を裏切ることなどテレンスには考えられなかった。
しかし、もしリトルやヘッセのように他の幹部が幽邑と対立しだせば薔薇十字団の存続自体も怪しくなって来てしまう。それは幹部の一人としても捨て置けない問題であったのである。
個人の感情と幹部としての立ち位置。板挟みになりながらテレンスは悩む。
「取りあえず話を聞いてみるか」と、目的地のドアの前で立ち止まったテレンスは一呼吸置きドアをノックした。
「誰だ」
中から気怠そうな声が聞こえてくる。
「テレンスだ」
「……入れ」
ゆっくりとドアを開きテレンスは中に入る。
中にはタバコの煙が充満しており、その煙の発生源であるタバコを吸っていた男はソファに座りながら本を呼んでいた。
「どうした」
「分かっているだろヴァニティ。今夜の件だ」
ハーフパンツに長袖の黒シャツというラフな格好であるヴァニティは本を閉じ、テレンスを見た。
白人の多い薔薇十字団では珍しいアジア生まれであったヴァニティ。
元傭兵の彼は有名な不死者の一人であり、薔薇十字団最強の男であると同時にリトルの次に幹部歴の長い男でもある。
テレンスはそんな薔薇十字団の中で幽邑やリトルと同じくらい影響力のあるヴァニティの動向を探りに来たのである。
「今夜の件ねぇ」
ヴァニティはタバコで一杯になった灰皿に無理やりタバコを押しつけコーヒーを一口啜る。
「逆にお前はどうするんだ?」
その問いにテレンスは一瞬だけ考える素振りを見せる。
「……薔薇十字団の管理を幽邑から任されている私は中立で居なければいけないと考えている。だから同じ中立であるあなたの意見を聞きたいんだ」
「別に俺は中立でも何でもねぇよ。ただ興味が無いだけだ。俺は俺の親の仇を取れればそれで良いからな。創世記が手に入るんならどっちでも変わらない」
「ならばあなたは今回動かないと言うのか」
ヴァニティは机の上に置いてあったタバコの箱から新たなタバコを一本取り出し、銀のジッポで火をつける。
「俺に動いて欲しいのか?」
「……あぁ。幽邑の味方をして欲しい」
「それに何の意味がある」
「少なくとも薔薇十字団は存続する」
「……テレンス。薔薇十字団とは何だと思う」
ヴァニティはタバコをふかしながらテレンスを見る。
「薔薇十字団は世界に救いの手を差し伸べる組織だ。それが共通認識だろう」
その言葉にヴァニティは首を振った。
「それが間違いだテレンス。薔薇十字団は平和を押し付ける集団だ。自らの不幸の鬱憤を晴らす為にそれらしい大義名分を付け遂行する集団に過ぎない。そんな組織が内部分裂により崩壊するのは運命だとは思わないか」
「私は平和を押し付けた覚えなんか無いぞ」
「それは幽邑が指揮を取っているからだ。あいつが行う行動は全てが世の為となっている。そうすることで自らの業を押し付けているという自覚を感じづらくしているんだ。だから薔薇十字団はここまで大きくなった」
「私たちは幽邑に操られていると」
テレンスの目が鋭くなるが、ヴァニティはそれを気にせず話を進める。
「操られている訳では無いさ。幽邑は導いているんだ。人々が内に秘めた思いを叶えられるように場を演出している。しかし、数世紀生き、予知者でもある幽邑が何の得も無くそんな事をすると思うか。あいつは確実に何かを計画している。俺はそれが怖くて仕方が無いんだよ」
「それこそ無い話だ。幽邑は自らの為に他を犠牲にするような人ではない」
「だから言ってるだろ。幽邑は導いているんだ。行き先は分からないが人々をどこかへ導こうとしている。おそらくリトルもそれを――」
その時であった。ヴァニティの言葉を遮る様にして爆発音が教団に響いたのである。
「何だ!」
「リトルだろう」
慌てるテレンスとは対照的にヴァニティは落ち着いていた。まだ長いタバコを消し、ゆっくりと立ち上がる。
「リトルだと? まさか幽邑を」
「リトルじゃ幽邑は殺せないさ。まあ何かを起こしたのは確実だ。見に行こうかテレンス」
そうしてタバコとジッポをハーフパンツのポケットに仕舞い部屋を出たヴァニティを追い、テレンスも部屋を出たのであった。
「全く、君はせっかちな人間だ。今夜の集会まで待てなかったのかい」
爆発により半壊した部屋からは傾きかけた月が見え、部屋の中心に幽邑は立っていた。
空を飛ぶリトルを見る幽邑、しかし、依然として表情はローブに隠れたままで伺えない。
「あなたの手の中から抜け出すにはこのタイミングでないといけないと思ったのよ」
怒りと悲しみを含んだ声を放つリトルは黒い竹箒にまたがり空を飛んでいた。
「手の中とは人聞きが悪い。僕は君たちを不幸にした事は一度も無いと思うんだけど」
「……そう、あなたに付いて行けば間違える事は無かったわ。でも私はあなたの作る平和ではなく、私の作る平和を信じて行きたい」
「君は僕の作るレールから自ら外れるのかい」
「あなたと私は見ている場所が違うから」
「そうか……残念だよリトル。でも僕はその行動を賞賛するよ。自ら未来を作りたいと思うその意思こそ人の価値だからね。君の作る未来を楽しみにしているよリトル」
「見逃してくれるの?」
「見逃すも何も、僕には誰かに何かを強制する権利なんてないからね」
「ありがとう。そして、さよなら幽邑」
言い残しその場から立ち去っていったリトルを見て、幽邑は小さく溜息をつく。
「幽邑何があった」
そして空の彼方へ飛んで行ったリトルと入れ替わりで幹部のCが部屋に入ってきた。
その顔には戸惑いが浮かんでいる。
「ちょうど良かった。C、リトルが逃げた。殺す必要はないから追いかけてくれないかな」
幽邑がCに向かってかけた言葉。
だが、反応したのはCではなかった。
「俺が追いかけようか?」と、声を出したのはヴァニティであった。
「いや、それよりも幽邑の身の安全が先だヴァニティ」
Cの後ろからヴァニティとテレンスが部屋に入ってくる。三者三様の表情を浮かべる幹部達に幽邑は落ち着いた声で言葉をかける。
「ヴァニティはリトルを追いかけるには強すぎるから駄目だよ。そして僕の安全も気にしなくていい。僕はそんな柔じゃないさテレンス」
「……Cに追わせる理由は何だ」
幽邑に対して疑問を呈するヴァニティ。リトルの対立の直後ということもあってかその場には緊張感が生まれる。
「Cが最適だからだよ。それに元々反逆者はCの管轄だからね。それとも何だいヴァニティ、君まで僕を疑ってるのかい」
「そもそもお前を信用した事が無いんだがな」
「それもそうだ。それが、君が幹部である理由だったね」
幽邑はケタケタと笑うがフードで表情が見えない為その姿はどこか不気味である。
「大丈夫、未来は変わらず僕たちの元にある。テレンス幹部を集めてくれ集会を開くよ」
「分かりました」
そして幽邑はその場を後にしたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます