人々は選択する。#2

「それで、ここは仮面の男の拠点のど真ん中だがどうする気だ」

「それは問題ありません。今、私の執事達がこの建物内を暴れ回っていますので、それに紛れて走り抜ければ大丈夫です。それでは行きますよ」

 シェアリーは執事にお姫様抱っこの形で担がれながら扉から出て右に曲がり、その後を幽島睦は着いて行った。

 廊下に出て幽島睦の目に真っ先に入ったのは横たわる死体の数々であった。シェアリーの執事がやったのであろうそれらは無機質なコンクリートの床や壁に真っ赤な血を撒き散らしており、血の臭いに幽島睦は一瞬顔を顰める。

 殺し屋にとって死体は見慣れたものだ。

 日常の風景。ごくありふれた一場面。

 だが、幽島睦のような多人数を相手にする力のない殺し屋が大量の死体を目にすることは少なく、久しぶりのその強者の仕事に気圧されてしまっていたのであった。

 しっかり付いていかなければと気を引き締め直す幽島睦。

 シェアリーの後ろを歩くその廊下には窓も一つも見当たらず、番号の書かれた扉が並んでいるだけのその様はまるで刑務所のようでもあった。

 階段の前にある看板には地下三階の文字が見え、彼らはそのまま地上一階まで一気に駆け上がっていく。

 実に順調な脱出。しかし、仮面の男がそう簡単に獲物を逃す訳はなかった。

「何処に行こうとしてんだてめぇら」

 二人の倒れた執事の上に座りながら、仮面の男は入り口の前で彼らを待ち変えていたのである。

「あらごきげんよう仮面の人」

 執事に下ろしてもらったシェアリーは全く物怖じしない様子で仮面の男と対峙する。

「なにがごきげんようだ泥棒猫。そいつは俺の得物だ。そして秋山零士も俺の得物だ。お前みたいな小娘には荷が重いからおとなしく家で寝てな」

「私も一緒に遊ばせては貰えないのですか? 保護者つきですからいいでしょう?」

 言いながらシェアリーは小さく笑い、執事の袖を掴んだ。

「本当に食えないガキだ。俺の家を荒らした落とし前をつけてもらわなきゃいけないな」

「子供の戯れに本気にならないで欲しいのですが」

「それは無理な相談だ。……全く、ココの野郎の対応もしなくてはいけないのにお前までとは面倒くさいことこの上ない」

 その言葉にシェアリーの目つきが変わる。

「ココも秋山零士を狙っていると」

「あ? 何だ知らなかったのか。ココやホームズ、日本の組織だと坂波あたりも狙っているって話だぜ」

「ホームズなどは知っていましたがまさかココのような男まで動くとは」

「まあお前は今ここで死ぬから考えても意味がないぞ」

 その瞬間、仮面の男の手が動いたように見えた。幽島睦に見えたのは少し動いた手だけであり、仮面の男が何をしようとしたのかは分からなかった。

 そのため動作を見て身構えた幽島睦であったが、すでに動作は完了した後だったのである。シェアリーの隣にいた執事が彼女の目の前に飛んで来たナイフを中指と人差し指でキャッチしていたのだ。

 仮面の男は目にも留まらぬ速さでナイフを投げ、執事はそれに対応しキャッチした。名も無き殺し屋にはハイレベルすぎる戦いを見て幽島睦は困惑し立ち尽くす。

 ここでどう動くのが正しいのか、様々な思いが彼の脳裏に渦巻いた。

 今日は本当に神経の使う日だと幽島睦は嘆く。

 一歩間違えれば死が待っている綱渡り。そんな地獄のような状況でも彼は諦めず、細い一筋の道を探し続けているのであった。

 そんな緊迫した状況で大きく動いたのはシェアリーであった。

「相変わらず手の早いことで」と、言うと同時にシェアリーは指を鳴らし、その合図に合わせて執事が動き出す。

 走り出した執事は仮面の男との距離を一気に縮め、拳による打撃を繰り出した。異常な速度での移動と攻撃。人間離れしたその攻撃を、しかし、仮面の男は軽々と躱して見せたのであった。

 執事に比べると仮面の男の動きは鈍いが、それでも最低限の動きで執事の近接攻撃を躱すその身体能力は常人のそれとは違っていた。

「面倒くせぇ」

 言いながら仮面の男は懐から銃を取り出す。

 側面に十字架が埋め込まれた長方形のような形をした真っ黒な銃。

「ルーキフェル」

 銃を見てシェアリーが言葉を漏らす。

「あれが……」と、呟く幽島睦はそれを初めて見るが、それが何なのかは知っていた。

 仮面の男は様々な銃を使う事で知られており、特にルーキフェルと呼ばれるその銃は仮面の男の代名詞とも言えるものであった。

 曰く、遥か昔、地上に落ちて来た天使が持っていた十字架を埋め込んだ銃。

 嘘か誠か、神の加護を受けたその銃から打ち出される銃弾には奇跡の力が宿ると言われているのだ。

 まさに空想の産物。その話を信用する一般人などまずいないだろう。

 だが、裏の世界にはそういった考えられない力を持ったものが少なからず存在しているのであった。

「これで終わりだ。神の鉄槌を食らえ」

 仮面の男は執事に向かって引き金を引いた。

 飛び出す銃弾と、射線を見て回避行動を取る執事。空を切って執事の背後の壁に激突した銃弾は、しかし、執事の体を貫いたのであった。

 避けても必ず当たる銃弾。それがルーキフェルの奇跡の能力であったのだ。

 背後の壁に当たったはずの銃弾はその事象そのものがなかったかのようにして別の結果、つまりは執事の体に命中するという結果へと変化する。撃てば当たる。訪れた結果を起こり得る最良の結果に書き換える力がルーキフェルには備わっているのだ。

 今回の場合、ルーキフェルは執事が避けたという結果を執事に当たったという最良の結果に書き換えたのである。

 銃弾が執事の左足にヒットするのを見て、ここぞとばかりに仮面の男は弾丸を放つ。

 次々に命中する銃弾とその場に広がる血。

 明らかに致死量の血が執事からは流れ出ており、執事はその場に倒れ込む。

「さて次はお前だぜお嬢さん」

 言いながら仮面の男はこちらに視線を向けた。

 執事飼いシェアリーは執事が強いという話を聞いた事があってもシェアリー自身が強いという話は聞いた事がない。実は強いということもなくはないと思うが、立ち姿から見るにその可能性は薄いだろう。

 付いた相手を間違えたかと幽島睦は胃を痛める。

「どうするんですか」と、幽島睦は仮面の男を見つめながらシェアリーに向かって小さく呟く。

「何を焦っているのですか? 私の力は知っているでしょうに。仮面の男は私に取って強敵にはなり得ません」

 シェアリーはわざとなのか、幽島睦の方を見ながら仮面の男に聞こえる大きさの声で話しだした。

「おいおい。まだそんな口が叩けるのかよ。俺も舐められたもんだな」

「あなたこそ、何を突っ立っているのですか? まだ勝負はついていませんよ」

 シェアリーに突きつけられた銃口と殺気。ビビって腰が引けてしまうような殺気が仮面の男からは漏れ出ており、幽島睦は生唾を飲んだ。

 しかし、シェアリーは物怖じしない。毅然に立ちながら仮面の男を見返すその姿は幼い少女のような外見とは裏腹に勇ましかった。

 その時だった。

 仮面の男の背に掌底が打ち込まれたのである。

 鈍い音が響き、仮面の男の体が宙を舞う。掌底を繰り出したのは先程撃たれたはずの執事であった。

 仮面の男は受け身を取ってよろめきながらも体勢を立て直し、執事から距離を取る。

「てめぇ何で動いてんだ」

 焦燥混じりの疑問の声。

 それもそのはずであり仮面の男は確かに執事に銃弾が当たったのを確認したのだ。超人といえど急所を含む五発の銃弾を受けてこうも動けるはずがなく、何かがおかしいと仮面の男は察した。

「私はお嬢様の執事です。何時如何なる時も、お嬢様を残して倒れるという事はあり得ません」

 喋る執事の体に先程まで流れていたはずの血は流れておらず、さも当たり前かのようにそこに立っていた。

「なるほど……色んな執事がいるとは聞いていたが、こんな化物もいたとはな。不死身には初めて出会ったぜ」

 不死身。その名の通り死なぬ身体を持った者であるが、その存在は既に数人確認されている。

 ヨーロッパの魔女、中国の麒麟、アメリカの特殊部隊隊員など、裏の世界で不死身と呼ばれる人間は少なからず存在するのだ。

 しかし、この執事のような世に知られていない不死身は非常に珍しく、その存在が見つかるだけで様々な組織が手に入れようと動き出すほどの珍事である。

「私が常に近くに置いている執事なのですから、これくらいは出来て当然でしょう。彼は何があっても私を守る、さながらナイトのような存在ですよ」

 すらすらと出てくるその言葉に仮面の男はため息をつき、シェアリー達を横目で見てからルーキフェルを仕舞った。

「やめだやめ。割に合わねぇ。ここで手の内を見せても旨味はない、かといってこのままこのゾンビを倒す手だても思い浮かばない。もう行っていいぞお前ら、面倒だ」

 そう言って仮面の男は近くのカウンターの上に座ったのだった。

「あら、諦めが早いですね。どうしたんですか?」

 首を傾げながらシェアリーは仮面の男を目で追う。

 彼女はその行動を訝しんだのである。

 仮面の男は業界内でもしつこい事で有名だ。そんな男が自分たちを素直に見逃してくれるのかと考えていたのである。

 しかし、戦おうにも仮面の男が殺し屋の中でもずば抜けて強いのは間違いなく、執事一人と使えない殺し屋一人という現状、下手に手も出せない。

 様子を伺うシェアリーを見て仮面の男は言葉を継ぎ足す。

「俺の目的は最終的に秋山零士に集る物をいただくことだ。つまりはリスクリターンの話だ。ここでお前達を殺し、その無名の殺し屋を手に入れても知れる情報は限られているからな、どこから誰が見ているか分からないこの場所でお前のような人物に奥の手を見せ、奪い合いの際不利になるのは避けておきたいんだよ。俺は慎重な男だからな」

 スーツの襟首を正しながら話す仮面の男を幽島睦は静かに見ていた。

「……ここは行って大丈夫だと思う」と、シェアリーに向かって幽島睦は囁く。

「どうして断言できるんですか?」

「殺気も無ければ予備動作も無い。何より雰囲気が柔らかくなっている。あれは敵意のない証だ」

 幽島睦、彼を一言で表すならばそれは臆病だろう。

 臆病で人一倍怖がりな彼は齢十四にして読心術をマスターし殺し屋となったのだ。

 きっかけは不良に絡まれたとかそんな事。普通ならば絡まれて不運だと思う程度だが、幽島睦は二度とそんな事が起こらないように読心術を学び、事前に回避できるようにしようと試みたのである。

 しかし、結果として彼はそれがきっかけで殺し屋の世界に引き込まれてしまうのだが、彼は平穏な生活を諦めず、その力で大きな戦闘に巻き込まれないようにする事で今日まで生きてきたのであった。

「仮面を被った俺を相手によく見てるじゃないか、大した物だな。しかし、なるほど。理解できたな。秋山零士という存在を拉致するには最適だった訳だ」

 幽島睦の声が聞こえていたのか、仮面の男がゆったりとした喋り方で話しだした。

「最適?」

「そう、秋山零士の周りには寄せ付けない力が働いているんだよ。だから近づくには溶け込むか、巻き込まなければいけない。だからお前は最適だったということだ」

「それが、あなたが狙われる理由です」

 シェアリーが仮面の男を見ながら言葉を付け加える。

「そしてこの力を私がもらっていいんですね」

「……ああ、もっていっていいぞ。俺は俺のやり方で近づくからな。危険を身の回りに置いておく必要は無い」

 溜め息を付き、仮面の男はシェアリーの問いに答えた。

 敵意のないことを確認したシェアリーは執事を自分の元に呼び幽島睦に向き直る。

「ではいきましょうか」

 そうして彼らはビルの外へと出る。

 二人の指名手配Aランク指定の殺し屋による戦いとしては実に呆気ない幕引き。

 だが、幽島睦は無事外に出られた事にほっと安堵した。

 ビルの外では人が波を作っており、太陽は夕日に向けて少し傾きかけている。

 おそらく四時くらいであろうか、日の光はビルの窓に反射して地上に降り注ぐ。今出て来たビルは一見すると普通のビルにしか見えず、先程まで中で戦闘が起きていたとは誰も思わないだろう。

「それでは、私の家まで来てもらいますので」

「了解。もうどうにでもしてくれ。俺にはもう何がなんだか」

 疲れ果てた幽島睦は首を左右に回して鳴らしながら最低限確保された安全に身を委ねる。

「では今、車を呼びますので」

 シェアリーが目線をおくると同時に執事がどこかに電話した。そして数分で三人の目の前に黒いリムジンが止まる。執事が後部座席の扉を開けるとシェアリーは中へ入り執事に誘導された幽島睦も後に続いて席に座る。

 運転席にはまた別の執事が座っており、幽島睦はミラー越しに合った目を反射的にそらし、窓の外を見る。

「それでは、あなたに聞きたい事とやって欲しい事ですが」と、車が動くと同時にシェアリーが話し始めた。

「あなたにはまず、秋山零士について感じた事を教えて欲しいのです。そして彼に接触し、行動を監視しておいて下さい。それが、私があなたに頼みたい事です。命の危険を感じればすぐに逃げていただいて結構ですので」

「逃げていいのか?」

「ええ、逃げていただいて大丈夫です。私が把握したいのはあくまで秋山零士の行動ですのでそれが分かれば十分です」

「……なるほど。それじゃあ取りあえず秋山零士についてだが、正直な所掴み所がなくて殆ど分からない。とにかく近づこうとすると何かが起きるんだ。例えば、後ろを尾行しようとすると警察官に職務質問されたり、前からすれ違おうとすると他のチンピラに因縁をつけられたり、俺がどれだけ気配を消しても近づくのは難しかったよ」

 幽島睦はそうして思い出せる限りシェアリーに秋山零士についての印象を教えた。

 その後、自らがこの世界の勢力図を塗り替えるような争いに巻き込まれるという事を勘付いていながら、目をそらし、雰囲気に紛れて流されていくことを選ぶ。



 しかし、それこそが幽島睦という人間に託された任務であったと言う事を知る者は二人だけであった。


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