人々は選択する。
日本の新宿にあるビルの地下に、一人の男が監禁されていた。
前髪を隠すような長い黒髪にラフなジャージとパーカー姿。
男、
「よぉ、目が覚めたか?」
幽島睦に向かって一人の男が話しかける。
椅子に手足を固定された幽島睦の前に立つ男はスーツ姿であるが一つだけ普通とは違う所があった。顔に仮面を付けているのだ。そのため顔は見えず、声も少し籠っていたがその男を幽島睦は知っていた。
「お前は仮面の殺し屋か」
眠らされていた為か幽島睦の声はかすれている。
仮面の殺し屋。おそらく、日本の裏で仕事をしている人間ならばその名前を一度は聞いたことがあるだろう。幽島睦も何度か耳にしている。
冷酷無比に人を殺す素顔の見えない殺し屋として最近名を馳せている有名人。それが仮面の殺し屋であった。
「その通りだ。俺は巷で仮面の殺し屋と呼ばれる人間であり、冷酷無比に人を殺す、素顔の見えない殺し屋だ。そしてお前はそんな殺し屋に捕まってしまっている」
仮面の男は不気味に笑いながら肩を揺らす。
「ここはどこだ。俺は何故こんなところに捕まっているんだ」
「そう焦らなくても大丈夫だ。お前にはとある依頼をお願いしたいだけだからな」
いまいち状況が読めず幽島睦は考えをめぐらせ慎重に言葉を選ぶ。
「依頼だと。それにしては手荒な真似だな」
「手荒、そう手荒だ。だが、手荒に拉致される理由はお前にも分かっているんじゃ無いのか? 無名の殺し屋である幽島睦を指名手配Aランク指定の殺し屋であるこの俺が拉致する理由を」
幽島睦は唾を飲み込み思案する。
一体自分が何をしていたか、それを思い出していたのである。
幽島睦は無名ではあるがプロの殺し屋であり、素人相手に遅れを取るような事は無い。そのため拉致されたのであれば、それはプロによる犯行となる。
おそらく、目の前にいる仮面の男、もしくは彼の直属の部下が拉致を行ったのだろう。では自分がなぜプロに、それも業界では名の通った仮面の男に拉致されなければいけないのか。その理由に幽島睦は一つだけ心当たりがあった。
「もしかしてこの前のとある少年を捕まえる依頼に失敗したからか」
幽島睦は一週間ほど前に秋山零士という少年を捕まえる依頼に失敗していた。
依頼難易度の割には報酬が高額だったため依頼を受ける際は少し戸惑ったが、幽島睦はその仕事を引き受け失敗した。失敗の原因は同業者の妨害であり、その時に幽島睦は右腕を折られている。
秋山零士という少年がどのような人間で、なぜ依頼主が狙っていたのかは分からないが、同業者同士が依頼によって出会う事は珍しいものであった。
殺し屋へ依頼をする時は前金を用意するのが普通だ。その為、依頼内容に他の殺し屋が関わり、殺し屋が依頼に失敗してしまうとその前金が無駄となってしまうのだ。そうなってしまわないように依頼主はまずその標的の周りに殺し屋が関わっていないかを調べ、もし関わっていたとしたらそちらに話をつけるのが定石なのである。
依頼主にとっては依頼の成功が全てであり、依頼主は極力殺し屋に降り掛かるリスクを排除する事で成功率を上げるというのが一般的な仕事の流れであった。
そのため、殺し屋同士がぶつかる事は稀であり、ぶつかるような仕事はその標的が裏社会の勢力図を塗り替えてしまうような重要な鍵を握っている場合がほとんどなのである。
それをこんな無名の殺し屋に任せる事は普通あり得ず、自らが捨て駒とされたと思った幽島睦は他の殺し屋に出会った瞬間任務を放棄しその場から逃げだしてしまった。
殺し屋が依頼を失敗する事はあるが放棄する事は少ない。
依頼の放棄は信用問題に関わる事であり、放棄してしまった場合はかなりの実力者でない限り殺し屋として仕事をしていく事は難しくなる。
捨て駒として殺されそうになった可能性があるとはいえ幽島睦も例外ではなく、この先どうしようかと途方に暮れていたところ、今回の拉致が起こったのだ。そのため、拉致される原因はその依頼にあるのではと思うのは必然であるとも言える。
そしてその予想は正解でもあった。
「その通りだ。お前は依頼を放棄し失敗した。依頼主は相当怒っていてな、それで俺が呼び出された訳だ。まあ本来ならば俺がお前のような人間を相手にする事はほとんどない訳だが、今回ばかりはちょっと興味があってな。お前の拉致対象であった秋山零士という少年、そいつについての情報を知っている限り教えろ」
言いながら仮面の男は幽島睦に顔を近づける。
仮面越しに放たれる威圧感の中で幽島睦は悩んでいた。
情報を教えたら用が無くなって殺されてしまうだろう。しかし、教えなくても仮面の男の力があれば別のルートから情報を得る事が出来てしまうため殺されてしまうだろう。
幽島睦は都合がいいため捕まえられ、生かされているに過ぎなかった。その為どちらを選択しても茨の道であり、地獄である。
ならば残された方法は一つ、誰も知らないであろうと思われる情報を知っている振りをするしかない。
「俺は――」
「誰も知らない情報を知っている、とでも言うのか?」
仮面の男は幽島睦の言葉に重ねるようにして言葉を放った。
「まさか図星だったか? お前の事はしっかりと調べさせてもらった。お前程度のレベルの殺し屋が持てる情報網なんてたかが知れている。全てのルートを調べ、お前が何を知っているのかはこっちも把握しているんだよ。だからそんな稚拙な方法で俺を欺こうなんて思わない方がいい。何より、俺が知りたいのは、お前が対峙したときの少年の印象なんだからな」
仮面の男は馬鹿にしたように笑っているが、顔が見えないためその心のうちは一つも分からない。
「少年の印象?」
幽島睦は探るようにして言葉を発した。
「そう、印象だ。どんな雰囲気だったか、どんな話し方をしていたか、どんな態度だったか、どんなことでもいいから教えな。情報提供、それが俺からお前への依頼であり、教えるだけでお前は自由になる事が出来る」
「なぜそんな事が知りたいんだ」
「……お前は知らないかも知れないが、秋山零士という少年は今、この業界のど真ん中にいる。全ての組織が少年を狙っている状況であり、その中でお前は僅かではあるが少年に接触した。その知識は重要で金になるんだよ」
仮面の男は上半身ごと顔を近づけ、幽島睦の頭を右手で掴む。
「だから早く言えよクズが。俺の時間を無駄に使わせるな」
まるで先程までとは別人かのように仮面の男の声色が変わる。荒々しく幽島睦にぶつけるように叫びながら幽島睦頭を激しく揺らし椅子の背に打ちつけた。
衝撃が脳を揺らし、目眩がするが幽島睦は思考を止めない。どうすればこの場を乗り切れるのかを考え続けていたのであった。それが弱い殺し屋の生き残る術だと彼は理解しているのである。
仮面の男は一息つき、スーツの襟首を正す。
「さて、話す気になったか。俺もあまり気の長い方では無いからな、早めに決断して貰えたら嬉しいのだが」
そう言った瞬間、すぐ近くの部屋から爆発音が響き、衝撃は壁に振動して部屋全体に広がる。
明らかに異常な状況に幽島睦は混乱するがそれを顔に出さないように努めながら、少しでも状況を有利に進める為に仮面の男を視界に捉え続けた。
もしかしたら天井が落ちてくるかもしれない。もしかしたら床が抜けるかもしれない。そういった可能性にいち早く対処できるように備えておくことが無名である彼のモットーであったのだ。
「マスター、侵入者です!」
部屋の角にある鉄の扉を開け一人の男が勢い良く入ってくる。
「誰で何人だ」と、仮面の男は気怠そうにしながら首だけを男の方に向けた。
「数は不明、執事のような格好をした男です」
「執事だと?」
仮面の男は上を向き、首の力を抜きながら何かを考えている。そして幽島睦を数秒見てから、男の方へ向き歩き出した。
「今向かう、お前はこいつを見張っておけ」
言い残し仮面の男が部屋を後にしたその瞬間、また近くで爆発音が鳴る。
どうやらこの建物内のどこかで激しい戦闘が行われているようで、銃声音が絶え間なく聞こえて来ていた。
幽島睦は再び考える。
今が絶好の機会であるのは確かだが、手足が縄で椅子に繋がれている状態ではどうする事も出来ない。その中で何が最適なのか。
隙を探す幽島睦と鳴り響く戦闘音。そして数分後、コンコンッと扉を叩く音が部屋の中に響いたのであった。
幽島睦と見張りの男は同時に扉を見て、同時に目を合わせる。
見張りの男が少し戸惑っているのが分かる。
「開けなくていいのか?」
幽島睦はここぞとばかりに、男に向かって言葉を発した。
「仮面の男だった場合、早く開けないと叱られるぜ」
喉からひねり出したその言葉は少し震えていたようにも思えたが、それが殺し屋の中では一般人に近しい幽島睦が出来る精一杯の行為であった。そして、この場においてそれは有効打であった。
「五月蝿い黙っていろ」
見張りの男は幽島睦を睨みつけ、扉の方へ向かって足を進める。そして扉を開けたその瞬間、扉の向こうから飛んで来た蹴りによって男は吹き飛ばされる事となったのだ。
男は地面に頭を打ちつけ、うずくまっている所を消音器付きの銃で打ち抜かれる。
部屋の床には血が溢れ、少女と男がそれを跨ぎ部屋に入って来た。
幽島睦はその少女を知っていた。
十歳前後の見た目にゴスロリの服装、その後ろには執事の格好をした男を引き連れている少女の名はシェアリーであり、執事飼いと呼ばれる殺し屋であった。
仮面の男と同じく有名な殺し屋だ。
彼女が常に引き連れている執事が異様に強く全てを完璧にこなす者として知られており、時には数人をつれて歩いている事もあったため執事飼いと呼ばれるようになったのである。
「こんばんは、幽島睦さんですね?」
シェアリーの声は可愛らしいものであるが、その目は酷く冷たく、まるで人形のようでもあった。
「そうだが、どうしてあんたのような奴がここにいるんだ」
幽島睦の頭は追いつかない。
ここはたしかに仮面の男の拠点の一つであり、そこに仮面の男と同じ指名手配Aランク指定の殺し屋である執事飼いのシェアリーがいる。それを踏まえると未だに響いている銃声は、おそらく彼女の執事が仮面の男と戦っているものだろうが、そんな指名手配Aランク指定の殺し屋同士の戦いはまず聞いたことがない。
特に執事飼いは仕事を選ぶ事でも有名であり、そのような依頼をこなすとも思えなかった。
一体何が起こっているのか。
この部屋に入ってきた上に自らの名を知っていたことから、もしかすると自分を助けに来たのではないかとも思う幽島睦だが、仮面の男と敵対するようなリスクを犯してまで助けを寄越す人物に心当たりはなかった。
「秋山零士、と言えば分かりますね? 私も少年にちょっと興味がありまして」
再び出て来た秋山零士という少年の名前に、幽島睦は驚いた。
仮面の男だけではなく、執事飼いのシェアリーにも狙われている人物など未だかつていただろうか。それも依頼ならまだしも私的に狙っているとなると尚更である。
そして、その中心にいる少年を拉致する任務を何故自分が依頼されていたのか、疑問が深まるばかりであった。
「俺をどうする気だ」
「どうもしません。ただ情報をいただいて、お望みならばその後解放して差し上げますよ。ここからの脱出も保証します。どうです私に協力してくれますか? 仮面の男よりはいい条件であるのではないのかと思いますが」
絶望の間際で急に現れた救いの手。本当にその手を取ってしまっていいのであろうかと幽島睦は考える。目の前の出来事を整理するだけでも大変であるのに次々と訪れる異常自体に頭が追いついていなかったのである。
しかし、考えた所で結果は同じであった。
この場でシェアリーを倒して逃げる事は出来ず、手を取らなければ無理矢理にでも連れて行かれるだろう。また、このまま時間を稼ぎ仮面の男との鉢合わせを狙っても二人の戦闘の中で生き延びれる自信も無い。
それならば……
「分かった。君たちに協力するからここから逃げさせてくれ」
幽島睦は決意を決めてシェアリーの目を見る。
窮鼠猫を噛む。両手両足を椅子に縛られた情けない姿ではあるが覚悟を決めた人間のその姿は異様な威圧感を放ち、部屋の中にはひりつくような緊張感が生まれていた。
しかしながら、流石と言うべきなのかシェアリーはそんな空気も物ともせずに幽島睦の目を見つめ返し、スカートを小さく摘み上げて会釈をする。
「ありがとう。……彼の拘束を外してあげて」
シェアリーに指示された執事は幽島睦の拘束を外し、立ち上がった幽島睦は紐で拘束されていた手首をさすった。
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