少年、秋山零士はまだ知らない。#2

 薔薇十字団幹部二人が激突するよりも少し前、二人とは別に少年、秋山零士を追う者がいた。

「西条、路地から目標が出て来たぞ。本を手に持っているがどうする?」

 秋山零士が歩く少し後ろを一人の男が付け狙う。ジーンズに柄付きのシャツのみのラフな服装であり、スマートフォンで通話をしながら歩くその姿は、端から見れば普通の通行人にしか見えないだろう。

 しかし、彼はプロであった。

 どんな人物であろうと見つけ出し、どんな相手であろうと詳しく調べる事が出来る男ホームズ。

 所謂探偵であるが、彼への依頼はそのほとんどが裏社会のものであった。殺したいマフィアのボスの所在、ヤクザの組長を殺した犯人探し、果ては大頭領の暗殺補佐など、彼は殺し以外ならばどんな仕事であろうと完璧にこなすプロである。しかし、彼はその類い稀なる情報収集力と情報操作のスキルにより自らの姿も消し去っていたため見つけることが困難な人間でもあった。

 そして電話の相手、西条最上さいじょうもがみもまた一般人でない。

 西条最上は五キロほど離れたマンションの一室にいた。マンションの七階、そのベランダから双眼鏡を使って街を見下ろしており、その手にはスマートフォンが握られている。

「そのまま待機よろしく。ホームズさん」

 そう言って西条最上は不敵に笑った。

 西条最上、彼には名前が無い。

 中東で反政府組織に拾われた孤児であり、組織で名も無き少年兵として育てられた。しかし、彼は十四歳の時、自らに関わる全ての人間を殺し世界から姿を消した。その過程に何があったのか、そしてその後何があったのかは彼しか知らない。

 数年後西条最上は裏社会に武器商人として現れ、気に入った相手にあらゆる兵器を売りさばき、たった一人で戦争を終わらせてしまう商人として瞬く間に名を広める事となったのであった。

 そんな二人がなぜ日本に来ているのか。

 理由は明快である。彼らも本を狙っていたのだ。

 世界の全てが書かれた本。それは探偵にとっても商人にとっても魅力的な物であり、ビジネスの道具としてこれほど良い物は無いのだ。

「しっかし、その本が本当に伝説の創世記なのか?」

「俺の調べに間違いがあるとでも言いたいのか西条。秋山零士が今この瞬間に本を手に入れるという情報は確実なものだ」

「いつも思うがその未来予知のような情報はどこから仕入れてくるんだい?」

「いつも言ってるが企業秘密だ」

「そうかいそうかい」

 西条最上はケタケタと笑いながら、どこかを双眼鏡で見続けている。

「それで、お前が監視している教団の二人に動きはあるか?」

「今の所目立った動きは無いけれども、何やら不穏な雰囲気だねぇ」

「しっかり見張っておいてくれよ。突然こっちに現れても困る」

「分かってるよ。それで、秋山くんの方はどうなんだい?」

「こちらには何の変化も無い。不良集団から逃げ続けているだけだ。ただもし彼が本を開けようとする、もしくは追跡できない建物の中に入ろうとするのであれば俺の独断で拉致するぞ」

「了解。っとちょっと待て。こっちに動きがあった。二人が戦闘を始めた」

「……魔女の方が勝つのであれば殺せ。忍者の方が勝つのならその後の動向を俺が探ろう」

 ホームズは立ち止まり一瞬思案した後に最上へと指示を出した。

「了解」

 ホームズは電話を切り、秋山零士の後ろを静かにつける。

「こんばんはホームズさん」

 不意にホームズの背後から声がした。

 明らかに自分を呼ぶ声、何一つとしてボロは出していない筈であるにも関わらずホームズをホームズと認識した事実は少なからず彼の心を揺さぶった。しかし、彼は動揺を見せない。

 静かに黙々と秋山零士の後をつけ続け、「坂波の使いか」と、後ろに居る人物に向かって声をかけた。

「……さすがですね。分かっておいででしたか」

「俺に分からない事なんて無いさ。大方、あの本の中に記されている不老不死に興味があるんだろう? だが君たちには過ぎた代物だ。素直に手を引く事をお勧めする」

「ご冗談を。あなたならば今のこの状況が分からないはずが無いとは思いますが、一応言っておきましょうか」

 ホームズが足を止めて振り返るとそこにはきっちりとしたスーツ姿の男が一人立っており、その飄々とした雰囲気は如何にも胡散臭い。

「わざわざ言う必要は無いさ。今の口ぶりからして、どうせ少し離れた場所からスナイパーが俺と西条を狙っているのだろう。しかし、そんな事は関係ないさ。俺が死んでもホームズは死なないのだからね」

 男は眉間に皺を寄せホームズを睨みつける。

「どういうことだ」

「そのままの意味さ。俺を、君たちごときが本当に見つけられるとでも思ったのか? 舐めすぎだ。そして罰として君は今ここで殺して上げよう。逃げ惑う人々に紛れる少年を君たちは見失う。そして本物の俺が少年を捕まえるのだ。そう、それが良いな。そうしよう。西条もそろそろ邪魔になってくる頃だから丁度いい」

「何を言って……」

 次の瞬間、男の言葉も終わり切らぬ内に発砲音が太陽の傾きかけた新宿の街中に響いた。

 撃たれたのは坂波の男であったが、撃ったのはホームズでは無い。

 撃ったのは男のすぐ後ろにいた一般人であったのだ。

 目撃した人たちの悲鳴が響き渡り、恐怖が街に伝染していく。

 それと同時に、人ごみに紛れ込むようにしてホームズが動き出した。撃たれ倒れ込む男を余所に人ごみの中をすり抜けていく。

「さようなら」

 言葉を吐き捨ててその場を去るホームズとすれ違いで倒れる男と、それを見る野次馬に突っ込む無人の自動車。自動車は男もろとも群衆を轢き殺し、そして爆発したのであった。

 敵の排除と証拠の隠滅。ホームズと男が話していた様子を見た通行人も、男を撃った一般人も、全てが燃え盛る車によってこの世から消え去ったのである。

 その騒ぎを他所にして、ホームズは路地に入り込みスマートフォンで電話をかける。

「よくやった。タイミングも全て完璧だ。後は秋山零士を確保するのみ。見失ってないだろうなワトスン」

「もちろんです。マスター」

「ワトスンとはまたふざけた名前を付けたねぇ。君らしいよ」と、不意にホームズの背後から声がした。

 ホームズが慌てて後ろを振り向くとそこには西条最上が立っていたのであった。その顔には悪戯な笑みが張り付いている。

「なぜお前がここに居るんだ西条。二人を見張っとけと言ったはずだが」

 ホームズは電話を切り、呆れたように溜め息をついた。

「いやぁすまない。しかし、僕の居る場所を何者かが襲撃してきそうな予感がしてね。もしかすると僕は君よりも勘が冴えているのかもしれない」

 ケタケタと笑う西条最上を見てホームズは再び大きく溜め息をついた。

「お前とは長い付き合いだが、ここまで深く入り込んで来たのは初めてだな最上。命が惜しくないのか」

「いやね。君と渡り合うには少しばかり不利な気がしたからさ。先手を取るならこのタイミングかなと思ったんだ。今回はワトスンの存在を知れただけでも大きな収穫だ。賭けに出てみてよかったよ」

「やはり無理してでもお前は殺しておくべきだったか」

 ホームズの顔が歪む。

 憎しみに満ちたような血走った目は鋭さを増し真っ赤に染まる。

 その顔を見て西条最上は口を隠しながらいやらしく笑った。

「そう簡単には殺されないさ。君も僕のしぶとさは分かっているだろう。それじゃあ、そろそろ行かないと。ワトスンくんに少年を横取りされちゃうからね」

 言い残し西条最上は後ろ手を振りながらその場を去り、残されたホームズは再びスマートフォンを手に取り電話をかける。

「ワトスン、早急に秋山零士を確保しろ」

「了解しました。しかし、周りに同じように少年を狙っている人物が数名居ますがどうしますか」

「それは俺の方で対処する。本と少年の確保が最優先だ」

 電話を切ったホームズは西条最上の歩いて行った方へ向かって静か歩き出す。


 そして物語は少年を中心に、少年とは関係なく動き出す。

 少年、秋山零士は未だそれを知りはしない。



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