少年、秋山零士はまだ知らない。

「何だこれ?」

 秋山零士は新宿駅のすぐ近く、ビルとビルの間に出来た細い路地を疾走中に一冊の本を見つける。彼が手に取ったその本には、どこの国の物とも分からない文字が書かれていた。彼は思う、何故自分はこの本を手に取ってしまっただろうかと、普段ならば拾わないような物、道端に捨ててあるゴミだ。

 しかし、拾ってしまった。この本に何か魅力があった訳ではない。むしろ、よく落ちているゴシップ誌よりもどうでもいい代物だ。

「どこ行った秋山!」

 疑問に支配されていた頭は、唐突の怒声により現実に引き戻される。

 声の聞こえた大通りの方では鉄パイプや金属バットを持った連中が大声で彼の名前を呼び続けていた。

「うるせえな。もう少し奥まで隠れとくか」

 秋山零士は路地の向こうに広がる大通りを一瞥し、本を抱えたまま細い路地のさらに奥へと消えていった。



 同時刻、少年が本を手にした場所の真上でビルの屋上から少年を見ていた人物が居た。

 黒のローブに黒のとんがり帽子で手には箒を持っているその姿はさながらおとぎ話に出てきそうな魔女のようであった。

 そう、彼女は魔女である。現代には殆ど見る事の出来ない本物の魔女であったのだ。

「ついに彼が本を手にしましたよ」

 女はスマートフォンを取り出し、話し始める。

 姿に似合わない近代科学を使って誰かとやり取りするその様は、側から見ると異様で、しかし、可笑しくもあった。

「教団がどう思おうが関係ないわ。私は私個人の意思で彼に接触する。それこそが創始者の真意なのだから」

「それを黙って見逃す訳にはいかない」と、電話先に向かって意思を示す魔女の背後から突如声がする。

 中世的な少年のような声。彼女の振り返る先に立っていたのは長身の男であるが、しかし、その格好は到底普通とは呼べないような物である。

 例えるならば漫画などでよく見る、全身真っ黒な忍者のような服装であった。唯一見えている目は黒く細長い。睨んでいる訳では無いのだろうが、その目からはしっかりとした威圧感が放たれている。

「リトル、私の任務はあなたを捕縛する事だが、正直あなたとは戦いたくはない。どうか素直に教団に帰還しては貰えないだろうか」

 男の声には反応せず魔女リトルはじっと男を見つめていた。

 リトルというのは彼女の本当の名前では無く、彼女の所属する薔薇十字団で名付けられた名前であった。

 薔薇十字団は遥か昔より存在する秘密結社である。

 文献として初めて登場したのは十七世紀初頭であり、世間一般的に詳しい事はほとんど知られていない。そしてこの二十一世紀においてもそれは変わらず、闇に包まれた秘密組織であった。教団の全貌を知っているのは十三人の幹部のみであり、リトルはその中の一人である。

 狭き門のそのまた更に狭き扉をくぐりたどり着いた十三席の椅子の一つ。その道は酷く過酷であり、常人ならばたどり着けない。権威を持てない時代であった頃の女性ならば尚更である。しかし、彼女は諦めず、そしてようやくその席を手に入れたのであった。

 では何故彼女はそうまでして幹部の座を欲しがったのか。

 リトルが生まれたのは第一次世界大戦の最中であり、魔術師の家系に生まれた彼女はそれを好ましく思ってはいなかった。大戦中、魔術師は兵士として各地に派遣されており、そのため親が家に居る事は少なく、寂しい子供時代をおくる事となったのだ。

 リトルはそれが嫌いで、戦争が無くなればいいといつも思っていた。

 そんな時にリトルの親が戦争で死ぬ事となる。

 両親を無くしたリトルは泣き続け、戦争を憎むようになった。誰よりも強く、全ての子供を助けられるようになる為にリトルは魔法を研究し続け、そして十三歳ななるころには現存する全ての魔法使いを超える力を身につけていたのであった。

 リトルが薔薇十字団の門を潜ったのはその頃である。

 きっかけは父親の部屋を片付けていた時に見つけた手紙である。薔薇十字団の紋が入った手紙、リトルの父は教団の幹部であったのだ。その手紙を頼りに薔薇十字団を探しだし入団した最強の魔法使いリトルは魔法により自らの時間を止め不老となる事でその力をさらに伸ばし続け、数十年後ついに薔薇十字団幹部となったのであった。

 そして今、ある理由から彼女は薔薇十字団を裏切ろうとしていた。

「C、やっぱり幹部のあなたが私を止めに来たのね」

 リトルは目の前に立つ男、薔薇十字団幹部十三人の内の一人Cに向かって寂しげな表情を見せる。

「世界中から戦争を無くし、子供達を笑顔にする。それが口癖だったあなたが争いの火種になろうとは。いったい何を考えているんだリトル」

「我らが始祖の願いは、私たちの願いでもある。しかし、幽悒(ゆうゆう)はあの本を彼から奪い、教団の礎にしようとしている。それは始祖の望む道では無いわ。この反逆は自らの信念を元に、どちらが戦争根絶に近いかを照らし合わせた結果よ。Cあなたなら私の思いも分かってくれるでしょう? 最も私に近い存在、私と信念を共にするあなたなら」

 リトルはCに向かって手を差し伸べるがCはその手を見た後、小さく首を横に振った。

「それは出来ない。教団は今や世界を裏から統べる存在の一つとなってしまった。教団幹部である我らの裏切りは、おそらく大きな争いを呼ぶだろう。あなたもそれは分かっている筈だ。幽邑は何を考えているのか分かりづらいが、彼は決して悪人では無い。本も彼ならば有意に使ってくれるだろう。今ならまだ遅くない。教団に戻るんだ」

「それこそ出来ない相談だわ。幽邑が何かを考えているのは分かっている。しかし、始祖の意思とは違うその行動に黙って従う訳にはいかないのよ。だから私は私の意思で彼の真意をたしかめてみようと思った、それだけよ」

 リトルの言葉を聞き、Cは小さく息を吐いて目を伏せた。

「リトル。いくらあなたが強くとも、私との相性を考えれば分が悪いのは分かっているはずだ」

「あなたも分かっているはずよ。私が負け戦をするほど馬鹿ではないと」

 睨み合う二人の間を風が吹き抜けた。それを合図に両者は激突する。

 リトルが使うのは魔法であった。

 魔術ではなく魔法であり、その二つの決定的な違いは原理である。魔術とは使う際にその事象の原理を理解し、作り出す術であるのに対し、魔法は既にある物の力を借りて作り出す技であった。

 魔術は無から原理に基づき自らで作り出す物であり、魔法は精霊から力を借り既にある力を応用するものということである。

 現代において魔法を使える人間は少なく、それは精霊を見る事が出来る人間が少なくなって来ていたからであった。精霊を見る事が出来るのは幼少期に精霊とふれあった人間だけであり、リトルは魔法使いであった親の影響もあり精霊が見え、そして精霊に愛される。

 だがそれはそこまで特別な事ではない。昔は世に魔法使いが溢れていたのだ。しかし、魔女狩りによる減少と第一次世界大戦時に戦力としての魔法使い招集によりその数は激減してしまったのである。

 そのため現代には魔法使いと呼ばれる人間はほとんど残っておらず、今なお減少し続けていっているのであった。

 リトルは空に手をかざし精霊を呼ぶ。

 精霊を呼び、願いを込め対話することで精霊はリトルに力を与えてくれる。本来ならば精霊との対話、俗に言う詠唱という時間が必要であり、すぐに技を出せる訳では無い。しかし、最強の魔法使いであるリトルはその不老を生かした悠久の時間を精霊との対話に使っているため、詠唱を必要としないのである。

 彼女が最強の魔法使いである所以。

 精霊に愛される才能と途方もない時間を費やす努力が成した賜物だ。

 リトルは箒に乗り、風に乗る事で屋上からさらに二十メートルほど上空に飛んだ。上空を飛ぶリトルの手には扇が見え、彼女が扇を振る事で風の刃が発生したのであった。

 空を切り裂く鎌鼬。その風の刃はCに向かって飛んで行くが、それは全て躱される事となる。

 いや、外れたと言う方が正しいだろう。

 Cは呪術使いであり、呪いを使う男であった。

 薔薇十字団のメンバーは入団した時にCにより制約の呪いをかけられる。それは誓いの儀式と呼ばれ、薔薇十字団を裏切った人物は呪いによって殺されてしまうのだ。そしてその呪いをかけられた人物はかけた人物であるCには攻撃が出来ない。そのためリトルの攻撃は全て外れてしまったのである。

 本来ならば、Cの呪いにより裏切り者は死ぬはずであったが、リトルは自らにかけた魔法により体の時間が停止しているため発動したはずの呪いが侵攻せず、生き続けているのである。

 だが、攻撃が当たらない制約は発動しているためリトルには攻撃手段が無い。

 それを理解している為リトルは上を取ったのである。

 Cの攻撃手段は体術と呪術であり、空中に対して有効打は無いに等しい。

「それでどうするんだリトル。制約の呪いがかかっている以上私からは逃げられないぞ」

「私はあなたをこの場に止めて時間を稼げばいいだけ。だから申し訳ないけどこのままのんびりさせて貰うわ」

 箒の上でわざとらしく欠伸をするリトルをCは見つめる。そして二人に硬直状態が訪れたのであった。


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