#12『風見鶏』

 理解できない。

 まだ、9歳になったばかりのケプラ・カーロイにはその現象が理解できなかった。

 目線は30分以上前から屋根の上を向いている。正確には屋根の上に取り付けられた、風見鶏を彼の視線は追っていた。

 鶏を模した鉄板で出来たそれは、正面を向いた鶏と矢印でその日の風向きを知らせてくれるものだ。代々、農業を営んでいるカーロイの家では風向きを知ることは畑を耕すのと同じぐらい大事なこと。

 そして今もそれはギィギィと軋みを漏らしながら動いている。それ自体は何も不思議ではない。ただ一つ、まだ9歳のカーロイにはなぜ風も無いのに風見鶏が動いているのか、それだけが不思議でたまらなかった。

 不意に風が通り抜けると風見鶏は瞬時に向きを変え、西へ向いたり南を指したりする。しかし、風が止むと風見鶏は音を立てながら数度回転すると、決まった方角―南南東を指す。風で動いているのとは違う明らかにおかしな動き方だ。

 自分が幼すぎるからこの不思議な現象を理解できていないのか。カーロイはただ現象を確認するようにずっと風見鶏を見つめていた。


「カーロイ」

 自分を呼ぶ声でケプラ・カーロイは振り返った。

 しばらく上を見上げていた所為で首が痛む。

 振り返ると農作から帰って来た祖父がいつもの優しい笑顔を浮かべて立っていた。カーロイは祖父の視線を誘導するように風見鶏へ再び視線を投げる。

 丁度、無風。

 風見鶏はやはりギィーッと同じ方向を指し示す。

 背後から祖父の近づいて来る足音がしてすぐ傍で止まった。

「気づいたかい?」

 祖父はカーロイの肩にポンと手を置いたまま喋った。

「あれは………」

「風も無いのに風見鶏が動く。そんな時は止まった方角に必ず死人が出る。覚えておくといいさ」


 理解できない。

 その二つの現象に直接的なつながりが見えない。

 子供だからこそ、そんな違和感があった。

 しかし、次の日カーロイの家から丁度、南南東に住む老人が死んだ。

 その後も、カーロイが学校を出て働き出すまでに7度そんなことがあった。風も無いのに風見鶏が回り、何処かを指さす。すると決まってその方角で誰かが死ぬ。それは純粋な寿命であったり、事故であったり、理由は様々だったが、兎に角祖父の言った通り、死んだ。

 だから、少年、そして青年になっていくカーロイは次第にその現象を当たり前のことだと理解するようになった。


 働き出して数年がたったある休日、庭仕事をしていたカーロイは再びあの音を聞いた。ギィーギィーっと風見鶏が鈍く回る音だ。

 顔を上げて汗を拭くと無風であることに気が付いた。

 振り仰ぎながら屋根を見ると風見鶏が回っている。また、どこかで誰かが死ぬ、そう思ってしばらく見つめていたが、様子がおかしい。

 風見鶏が止まらないのだ。グルグルと只管に回転し続け、一向に定まらない。

 不気味だった。なにか予想外の出来事が出来るのかもしれない。家の中から病気がちになった祖父が自身を見つめている。

 嫌な予感が的中するかのように、翌日祖父が死んだ。




 息子に呼ばれて屋根の上を見上げたカーロイは、その時のことを強烈に思い出していた。

 祖父が死んでもう11年になる。

 結婚し、子供も出来た。

 6歳になるその子供が屋根を指さしているのだ。

 屋根の上には相変わらず、風見鶏が乗っている。

 それが激しく回転している。

 風はない。

 また、誰かが死ぬのか、カーロイは汗を拭きながらしばらく見つめる。

 子供頃から起きる不可思議な減少はいつの間にか生活に染み込み、さして珍しくも無い、いわば行事のような物になっていた。

 今度は誰が死ぬ。恐怖や不安はない。

 しかし、いつまでたっても風見鶏は止まらない。

 無風のままいつまでも、いつまでも鉄の鶏は回り続けるのだ。


 サッと血の気が引いた。

 祖父の事を思い出したのはその為だった。

 この家に住んでいるのは妻と息子に自分を入れた3人。

 無論、誰も寿命で死ぬほど年老いていない。

 だが、近いうちにこの中の誰かが死ぬ。


 途端に汗が噴き出した。

 熱さから来る汗ではなく、じっとりとした嫌な冷や汗だ。

 乾草の匂いをやけにくっきりと感じ取ることが出来た。

 この家で誰かが死ぬ、そして自分には、どうすることも出来ない。

 それは自然の摂理のように決まりきった法則としてカーロイの中に染みついていたのである。

 

 カーロイは黙って息子を抱き上げると家の中へ入った。

 戸の閉まる音で妻が彼と息子を見る。まだ、食事には早すぎる時間だ。

 不思議そうに眉間に皺を寄せる妻にカーロイはわざと目線を逸らし、首の裏を摩った。首筋にはじっとりと気持ちの悪い汗がにじみ出ていた。

「どう………したの?」

 異変を肌で感じ取った妻がナプキンで手を拭きながら子供に駆け寄る。

「いや…………なんでも、ないが………どこか、旅行にでも行かないか?」


 自分でもなんでそんなことを言ってしまったのか。

 しかし、妻を説得し荷造りさせ、家を出て、そして街を出る列車に乗る頃にはカーロイの中に奇妙な納得感が生まれていた。

 この3人のうちの誰かが死ぬ、だったらせめて最後に思い出を作ってもいいではないか。そんな考えが後になって湧いてきた。

 最初は少し戸惑いがちだった妻も、街から遠ざかっていく内に幾分高揚感が生まれ始めている。息子は殆ど初めてに近い遠出に最初から興奮しっぱなしである。


 カーロイ達は海辺の街に一泊することにした。

 別段何か変わった物があるわけではなかったが、静かで穏やかな海の綺麗な町であった。

「………ねぇ」

 子供を寝かしつけた妻が低いトーンで尋ねる。

 窓辺に立っていたカーロイは振り返って妻に視線を向けた。

「なんで急に旅行なんて………」

 彼女の口調は怒っている様子ではなく、純粋な疑問だった。

「なんで………そう言えば、3人で旅行したことなんてなかったな、って」

 妻は鼻息を漏らしながら微かに笑って

「子供が10歳になったら海外にでも行こうって言ってたのはもう忘れたの?」

「そうだったっけ?」

 妻は笑いながら呆れるように首を振ったが、カーロイの視線は寝息を立てる息子をじっと見つめていた。

 これは3人で行く最初で最後の旅行になる。そう思うと、作り笑いは限界だった。

 窓へ視線を向けた。

 暖色の間接照明が焚かれた薄暗い部屋に息子の寝息だけが響いている。

 少しすると妻の寝息も聞こえて来たが、カーロイはそれでもしばらくの間窓の外を見つめていた。



 激しい揺さぶりでカーロイの意識は深い眠りから覚醒させられた。

 誰かに抱き起される様に肩を掴まれ、上半身だけをベッドから持ち上げられる。熟睡の真っ最中だった所為か、頭がぐらぐらと回転し、眼が意識しても開こうとしない。

 しかし、しっかりと目覚めていた耳だけは妻の必死な叫びを捉えていた。

「あなたッ! あなたッ!」

 尋常ではない叫び方。

 カーロイは即座に風見鶏の事を思い出した。

 引っ張る様にして瞼を開けると、悲痛な顔をした妻が自分の顔を覗き込んでいる。

「な、なにがあった!」

 乾いた喉から声を絞り出す。

 息子に何かがあったのか、ベッドを見るが息子の姿はない。

 妻は彼の腕を引っ張ってベッドから起こすと、テレビの前へ連れていく。

「これ………」

 妻が指さす画面よりも先に、その前で指をくわえたまま映像を凝視している息子に目が留まった。フハッと安堵の溜息を洩らし、やっとテレビを見た。

「街が………」

 画面いっぱいに映し出されたのは土砂に埋もれた広大な土地。一見するだけではそれが何なのか分からないが、カーロイ達には直ぐに分かった。

 これは自分達の街だ。

 昨夜未明に起こった巨大地震によって地滑りが起こり、街全体に土石流が流れ込んだのだとテレビのニュースキャスターは伝えている。

 住民は突如の出来事で逃げ遅れ、殆どが生き埋めになっているという。

 街の至る所で死者が出たのだ。

「あなた………」

「ああ、分かってる」

 妻の言わんとしていることは直ぐに察知できた。もし、昨夜あそこで寝ていたら……




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