#11『鉄柵』
エドワード・シムズが部屋へその老婆を入れようとして擦れ違った時、ものすごい臭気が鼻を突いた。
悪臭ではないのだが、確かにそれは心地のよいものではなかった。
何百種類もの薬草をこねて燻したような匂い。しかし、そのツンとくるような匂いがエドを安心させてくれたのも事実であった。
やはり、世の中に呪術者と呼ばれる人間は数多にいれど、どれも胡散臭い。しかし、全身をすっぽりと覆った土気色のローブと歩く度にジャラジャラと音を立てる無数の数珠。極めつけがこの香の香り。
纏っているオーラがほかのそれとは違う。信憑性にたり得る人間だ。
老婆はエドに案内されるがまま、応接間のソファに腰を下ろす。
エドは向かい側に腰を下ろすと老婆ではなく、先ほどは行ってきた戸口をサッと睨んだ。数秒の後、息を吐くとやっと老婆へ向き直る。
「すみませんね。ばたばたしていて。飲み物も・・・・・・・・・すぐ持ってくるよういいつけてあるんですが」
老婆は構わないという風に首を振った。
「何分、ここへ越してきたばかりでして。おおよそ、コーヒーの場所が分からないんでしょうね・・・・・・・・・まったく」
老婆は咳払いをしてエドの口を諫めるとやっと乾いた唇を開いた。
「で、ご相談とは?」
「ああ、そうでしたね。すみません、申し遅れました。私はエドワード・シムズ。見ての通り実業家です。今日、チャリボフさん、あなたをお呼びしたのは・・・・・・・・・といっても少し人に言うのも恥ずかしいのですが・・・・・・・・・それでも自分の命に関わることですので」
「ほぅ?」
チャリボフと呼ばれた老婆が身を乗り出し、その目には光が灯ったように見えた。
「7年前に戦争が終結したとき、私はニューオリンズの病院、それも所謂集中治療室にいました。頭に弾丸を受けたのです。ほんの数ミリずれていれば、即死だったようです。弾は取り除かれましたが、回復して人と話が出来るようになる頃には戦争は終わっていました。
幸い、後遺症もなくまさに奇跡という出来事でした。
それから数年、私が父の仕事手伝っていた時、事故にあいました。ハイウェイで逆走してきたフォードと正面衝突したんです。お互い100キロ以上は出ていたはずです。目が覚めたのはそれから2ヶ月後。
チャリボフさん。わずか3年もしないうちに私は生死の境を2度も彷徨い、そして奇跡的に生還しました。これを同お考えになります?」
老婆はふーむと言うだけでそれ以上は語らない。
「2度の九死に一生ならば、偶然と思えるかも知れません・・・・・・・・・事故から復帰して4ヶ月後。リハビリがてら庭を歩いていた時、庭先にナットが落ちているのを発見しました。
ふっとそれを拾った瞬間、私は雷に直撃を受けまた生死の境を彷徨い、また奇跡の復活を遂げたのです。
が、それでは終わりませんでした。自宅に戻って少ししてから、庭に落ちていた例のナットを踏み抜いたのです。それが焼け焦げて錆び付いていたばっかりに、破傷風にかかりました。これで今度こそ死んだと思いましたが・・・・・・この通りです」
エドは自分の身体を大きく見せるジェスチャーをし、バンと胸を叩いた。
「私は知りたいのですッ 自分は・・・・・・・・・凄まじい強運の持ち主ではないのでしょうか!? 今日はそのところを是非、調べて頂きたいのです!」
興奮気味のエドはソファから立ち上がる。
と、そこへコーヒーを盆に載せた女中が入ってきたのでエドは即座に席へ着いた。
「遅いぞ」
と横目で女を睨みながら呟くと、女中は深々と頭を下げ退室していった。
老婆はコーヒーを口に付けず、顔に手を当ててうんうんと唸る。
「父の事業を継ぐにしても、自分がそうした運を武器にできるのか知っておきたいのです」
そう言いながらエドはゆっくりとコーヒーをすすりながら立ち上がり、窓辺に立った。
大きいガラス張りのその窓からは鉄柵が付いた大きな門がすぐ下に見えていた。
その向こうに続く、レンガの道には夕日が差し、もうすぐ日がその姿を隠そうとしていることろだった。
長考した後、老婆はふんっと鼻を鳴らした。
「ご主人、ご主人は鉄というものの性質をご存じか?」
「鉄?」
エドは振り返りながら聞き返す。
「鉄には魂や血を閉じ込めておくという性質があると言われておる。ご主人の頭に直撃した弾丸はあなたの血を覚え、なんとしても奪い取るために」
「ど、どういうことです?」
「かつて弾丸だった鉄の塊は血に飢え、あなたを殺すために姿形を変え、狙い付けてきたのだ」
「私を? その鉄が?」
「ご主人を仕留められなかった弾丸は、溶かされて新たに鋳造され、フォードのナットになった。フォードは事故を起こし、パーツはジャンク屋へ売られ、ナットとして庭へ転がった。そのナットは雷、そして破傷風と・・・・・・手を変え品を変え、あなたを狙っている!!」
「そ、そんな・・・・・・・・・」
「そして今もその鉄はあなたのすぐ側にあるッ」
エドは驚きのあまり、手に持っていたカップを床へぶちまけた。フローリングには生暖かいコーヒーがいっぱいに広がる。
老婆はそれに一目もくれず、ささっと窓辺に駆け寄り、骨のような指をまっすぐ外へ向けた。
「あの鉄柵ッ、あの鉄柵こそ次なるご主人への刺客」
「あ、あの鉄柵はこちらへ越してくるときに買ったもので新品だぞ・・・・・・・・・」
「ナットは拾われ、リサイクルでもされたのだろうな。だが、同時にあなたの運が強いのも事実。それだけのことが有りながら、無事なのだから。ただ、あの鉄柵は早急に片付けるべきですな。それまでは一切近づかない方がよい」
老婆が語る中、エドは黒々と光る鉄柵を凝視していた。柵の上に付けられた鏃のような装飾が今まさに自分へ突付けらている気がして寒気を覚える。
「分かった・・・・・・すぐに手配しよう・・・・・・・・・・・・」
それが、エドが34年の人生で発した最後の言葉となった。 窓辺から立ち去ろうとしたとき、コーヒーで足を滑らせたのだ。全身を打ち付けた衝撃でガラスは瓦解し、エドの身体は真っ逆さまに地面へ落ちていった。
普通であれば死ぬような高さではない。
しかし、そこには鉄柵があった。無数の鏃を今か今かと待ち構えていた鉄柵が。
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