第二幕『さまことなりくにやかう』13



 桐崎の部屋に展示されていた眼球たちは後日、鈴璃の立会いの元、陣平と九郎率いる捜査員たちによって回収され、DNA鑑定の為に科警研に送られた。


 しかし、DNA鑑定された十九対、三八個の眼球たちは、その中のどれ一つとして身元が判明しなかった。だが、それらは紛れもなく人間の眼球であり、事件の証拠に他ならなかったが、被害者の身元が判明しないという事実が捜査を著しく遅らせた。唯一、深山圭人は眼球のDNAが一致したが、彼自身が身元不明の為、謎はかえって深まり、科警研と警視庁は揃って頭をかかえることとなった。


 眼をくり抜かれていた不道友巳は、病院へ緊急搬送されたものの、衰弱が激しくその場で死亡が確認された。そして、九郎を含め、その場にいた捜査員の誰もが不道友巳という指名手配犯の存在を覚えていなかった。




「報告では、その桐崎って魔女は、何処かに消えてしまい生死不明。事件は一応の解決を見たが、なんだか後味が悪いな。それに、不道友巳か……確かになんとなく覚えているという感覚はあるんだが。記憶が薄れていくって言うか、夢で見た知らない人間の話をしているみたいな気持ち悪い感覚だな」


「はい。もうオレも殆ど不道のことを思い出せないです」


 夕暮れが迫る薄暗い刑事部屋、デスクに腰を下ろした九郎と陣平は、鑑定結果が記された書類を眺めながら苦々しげに吐き捨てる。


「因果絲か……鈴璃と組んでたときに何度か訊いたことがある。こればっかりは俺たちにはどうにもならんな」


「存在が消えて世界を創り替えるなんて、言葉では理解できても、実感はできないんですよね。世界から記憶はおろか、痕跡も残らず消えてしまうから。でも何故肉体は残るんでしょうね?」


「さあな。その辺のことはわからん。鈴璃に訊いたところで理解できる範疇の仕組みかどうかも怪しいからな。それにその桐崎の話じゃ、いまこの話をしている瞬間にも、世界は創り変わっているってことだろう? ゾッとしない話だな。現実が信じられなくなりそうだ」


 九郎の言葉に、陣平は桐崎の言っていた言葉を思い出す。


 この世界の真実。


 被害者たちの存在が消えてしまい、身元が判明しなくとも、眼球が残っている以上、それは魔女による殺人の被害者たちだという事実は存在している。それは本来、消えるべきではない命が消えてしまったことを意味していた。例えそれが犯罪者と呼ばれる人間たちだとしても。その事実が陣平の心に深い影を落とす。


「そういえば、左腕動くようになったんだな。おめでとう」


 話題を転じるように、九郎は陣平の左腕に眼を向け言った。


「ええ、おかげさまで。ご心配おかけしました」


「回復したのは何よりだ」


 心から嬉しそうに言う九郎を見て、陣平は少し照れくさそうに笑った。


「さて、今日はもう上がらせてもらおう。ちょっと用があってな」


 九郎のその言葉に、陣平は面食らう。


「珍しいですね。どんなことより仕事優先の管理官が」


「たまには息抜きも必要さ。それにこっちの用は、きっと仕事よりも楽しいからな。お前はどうするんだ?」


「本日中に仕上げないといけない報告書があるので、それが終わったら帰ります」


 九郎の笑顔はなにかの企みを物語っていた。その企みが、自分に関係ないことでありますようにと陣平は心の中で祈る。


「そうか。あまり遅くなるなよ。じゃあお疲れさん」


「はい。お疲れ様です」背を向け手を振り部屋を出て行く九郎を、陣平は見送った。辺りには静寂が訪れる。


 デスクに戻り、パソコンと向かい合った陣平は、大きな溜息をつく。


 因果絲を断つ。そんな人間に知覚すら出来ない魔術が存在しているということは、いまもどこかで救えるはずの命が消えていっているのではないか。今回の事件にしても、もっと早く気付けていれば救える命があったのではないか。葛藤と恐怖が、次々と陣平の頭の中に去来する。


「クソッ」次々と頭の中を満たす感情を追い出すかのように、陣平は頭を振る。


 魔女とは本来そういう存在。人間とは別の次元に、出鱈目な理の中に存在している生きた厄災。だから、人間である自分がなにも出来なくても仕方ない。無力なのが当たり前。そう自分に言い訊かせてみても、何故だろう、そんな真っ当な正論ではどうしても納得できない。


 分をわきまえた考えをしているつもりだったが、どうやらそうではなかったらしい。思考が自然に魔女の方へと向いて行く。そして己の無力さに行き着く。


 無力感と共に陣平は、正論を受け入れられない自分自身の未成熟さにも憤りを感じた。


 窓の外では、まるでそんな心象を表すかのような強い夕立が、薄暮の近付く街に激しく降り注いでいた。


 何気なく廊下に出て、窓越しに夕立を眺めていた陣平は、窓に映り込んだ壁に貼ってあったあるものに気付き、振り返る。


「あれ? ここに貼ってあった指名手配書って、五枚だったっけか? 確か六枚だった気がしたんだが……気のせいか」


 彼方のビルに設置されている大型のモニターからは、見覚えのあるアイドルが、とびきりの笑顔で流行歌を唄っていた。




 夕立が霞ヶ関を通り過ぎるのを同じくして、陣平は警視庁庁舎を出た。国道一号線沿いの歩道を歩いていると、どこからか見覚えのある車が現れ、陣平の真横で停止した。後部座席側のサイドウィンドウが降りる。


「御機嫌よう坊や。いま帰りかな?」


 窓から鈴璃が顔を出す。運転席には雨耶が収まっており、陣平に向け会釈をする。


「家舘さん、それに雨耶さんも。どうしたんだ? こんな所で」


 陣平は急に現れた鈴璃たちに驚きの声を上げる。


「迎えに来た。乗れ」鈴璃は車のドアを開けて言う。


「わかった」


 鈴璃の口調になにかを感じた陣平は、車の後部座席に乗り込んだ。


 音もなく発車した車は、国道一号線を走る。車内では誰もが無言だったが、麻布台一丁目に差し掛かり、東京タワーが視界を覆ったあたりで、陣平はおもむろにその口を開く。


「なあ、どこに行くんだ?」


「私の事務所だ」


 陣平は身体が強張るのを感じる。


「まさか鳴茶木真愛が……」


「あー違う違う。ただのパーティだ」


 一瞬訊き間違いかと思った。想像だにしなかった言葉に、陣平の耳にはパーティという単語が、初めて訊く言葉のように感じられた。


「パ、パーティ? 何の?」


「九郎主催の、坊やの回復祝いらしい。先刻奴が事前の連絡もなく、大量の食材を抱えて事務所に現れたときは何事かと思ったぞ」


「管理官が、オレのために?」


 更に思いがけない情報に陣平は素っ頓狂な声を上げる。


「いまごろ霧耶と一緒に、ノリノリで料理の真っ最中だろうさ。まあ、メインディッシュは私が作るがな」


「家舘さんて、料理出来るんだな」


「なにを言う、これでも中々の腕前と評判なんだぞ。なに、安心しろ。腕によりをかけて作ってやる」


 鈴璃は得意気な顔で言う。


「それに、栞菜もいま、事務所に向かっているそうだぞ」


「逆志磨さんまで。なんだか悪いな。オレなんかのために」


 陣平の声は気恥ずかしさと罪悪感、そして先ほど感じた無力感により、小さくなっていった。


「そう自分を卑下するな」鈴璃は身を乗り出すと陣平の頭を軽く小突いた。


「それに、今回ばかりは、あの愚か者の九郎に感謝だな。こうやって無理矢理にでも引きずっていかないと坊やは休息を取ることをしないだろう」


「この前も思ったんだが、家舘さんはオレの性格を、オレよりもよく知っているみたいだな」


「ずっと見ていたからな」


 自らの本質を見抜かれ、陣平はばつが悪そうに笑う。


「まあ、その青臭さと熱血さが、坊やを坊やたらしめているのだから、それを否定する気はないさ」鈴璃はそう付け加える。


 陣平の眼の前に、小綺麗にラッピングされた九センチ四方の小さい箱が差し出される。


「何だこれ?」


「開けてみればわかる」


 箱を受け取った陣平は、ラッピングを外し、蓋を開ける。


 中には、品のある光沢を放つ、ワインレッドのネクタイが入っていた。近くで見ると細かい格子柄があしらわれていて、一見して質の良さがわかった。


「ネクタイ?」


「今回の事件の発端を見つけ出したのは、坊やだ。そのネクタイは功労賞といったところだ。どうせ今回も、自分にはもっとなにか出来たのではないかとウジウジ悩んでいたのだろう?」


 心を読まれているのかと思うほど、考えていたことを的確に言い当てられ、陣平は閉口するしかなかった。


「今回坊やは十分な働きをした。ほら、早速締めてみろ」鈴璃は人差し指を、宙で一振りする。


 無言で箱の中身を眺める陣平の首元から、ひとりでにネクタイが外れる。陣平は言われるがままネクタイを手に取る。


「何だか、派手じゃないか?」


 新しいネクタイを締めた陣平は、照れ臭そうに鈴璃に向き直る。


「いいや、そんなことはないぞ。よく似合っている。それにそのネクタイには坊やに厄災が降り掛からぬよう、まじないをかけておいた。ありがたく使うがいい」


「良くお似合いです。輪炭様」


 鈴璃に次いで、運転席の雨耶が落ち着いた声色で言った。


「私の相棒であるなら良い物を身につけろ。口と態度が悪くても、身嗜みさえ良くしておけば大抵の人間は本能的に心を開いてくれるものだ」


 その言葉に、陣平は妙な既視感を感じた。しかしそれは直ぐに霧散し、ずっと抱えていた違和感が腑に落ちる感覚の方が勝った。


 九郎が締めていたあのネクタイは鈴璃が送った物だったのだ。ファッションに興味のない九郎は、コーディネートなど考えず、そればかり締めていたから、時々ネクタイのみが浮いて見えていた。


 このネクタイは鈴璃から正式に相棒と認められた証のようだ。そう感じたとき陣平は、心の中で「なるほどね」と呟き、微笑した。


「おい、訊いているのか?」


 ネクタイを眺め、無言でいる陣平に、鈴璃は不満げに声をかける。


「あ、ああ……。ありがとな。大事にするよ」


 屈託のない笑顔で礼を言う陣平に、すっかり毒気を抜かれた鈴璃は、少し赤くなりながら窓の外へ眼を向ける。


「わかればいい」


 少し開いた車の窓からは、心地いい雨上がりの外気が流れ込んでくる。


 陣平は、今回の事件の発端を見つけ出すきっかけになったのは、芽衣のオカルト趣味のおかげだということを思い出す。


 今度メシでも奢ってやるか。陣平は小さく呟いた。


 夕陽が沈みゆく街には、大きな虹がかかっていた。


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