第二幕『さまことなりくにやかう』12



「お待たせしました。こちらガーリックサーロインステーキと、フィレステーキと、チキン南蛮と、ハンバーグステーキトマトソースがけと、ボロネーゼパスタと、スパゲティナポリタンと、ミートソーススパゲティと、シーフードドリアと、トロフワ卵のオムライスと、ロースカツカレーと、シーザーサラダと、生ハムとルッコラのサラダと、山芋とオクラのネバネバサラダと、マルゲリータピザと、4種のチーズピザと、カリカリポテトと、大盛り唐揚げと、特製ハンバーガーセットと、ビーフシチューと、鯖の味噌煮御膳と、まぐろたたき丼と、ライス大盛りと、生ビール中ジョッキになります。ご注文は以上でよろしいでしょうか」


「はーい。どうもありがとう」栞菜は愛想の良い笑顔で応える。


「ごゆっくりどうぞ」


 陣平は、フロアに戻って行く店員の背中を無意識に眼で追い、考える。


 自分は、いまなにをしているのだろう。


 正午過ぎ。昼時を迎えたファミレスの店内は、多くの老若男女で賑わっていた。


「陣平くん、飲み物は本当にお冷だけでいいの? ドリンクバーもあるよ? ほら、お酒も」生ビールのジョッキを握りながら栞菜が尋ねてくる。


「まあ、勤務中だからな……」


 テーブルに乗らないほどの料理と栞菜を交互に眺めながら、陣平は力なく応じる。


「そっか。とりあえず食べましょうか。いただきまーす」陣平の前にカトラリーボックスを置くと、栞菜はジョッキを一気に煽った。


「ああ。お昼から飲むお酒って、なんでこんなに美味しいのかしら」


 そこには、心から幸せそうな栞菜がいた。


 整いすぎた容姿のせいか、テーブルを通り過ぎる人のもれなく全員が、栞菜をチラチラと見ていく。


 なぜ自分はいま、今日知り合ったばかりの女と、それも魔女と、ファミレスで昼食を摂っているのか。陣平は無感情にハンバーグを切り分けながら、ここに至った経緯を思い出す。 


 桐崎の部屋から脱出した栞菜と陣平は、出口である魔法陣から、なんの変哲もない路地に吐き出された。


 辺りを見回すと電柱の巻付看板が眼に飛び込んでくる。看板の印字によると、どうやらここは飯田橋の一角らしかった。代官山から飯田橋までの七キロ強の距離を、一瞬で移動してきたようだ。魔法陣で移動するのはこれで二度目だが、未だ現実だとは思えないし、慣れない。陣平はそう思った。


 栞菜曰く、魔女は東京のあちこちにこういった魔方陣の抜け道を持っており、移動や、人間の捕獲に使用しているらしい。それら魔方陣は、壁の落書きや無造作に張り付けられたステッカーに巧妙に紛れ込み、同族ですら見つけるのは容易ではないらしい。


「つまり、東京には、魔女の道が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされてるってことか。差し詰めオレたち人間は、いつでも巣にかかって喰われるのを待っている小虫みたいなもんか」


「残念ながら人間を喰う魔女にとってはそうかもね」自嘲気味に言う陣平に、栞菜は少し申し訳なさそうに応じた。


「それより、陣平くんはなにか食べたほうがいいかも。貧血でふらふらじゃない。ちょうど向こうにファミレスが見えるからそこに入りましょう」


 と、栞菜の提案で、二人はファミレスに入ることとなる。


「ところで、逆志磨さんは家舘さんのところに戻らなくて大丈夫なのか?」


「え? なんで? 戻るなんて嫌よ」


 陣平の質問に、栞菜は心底不思議そうに言った。


 予想のはるか斜め上をいく栞菜の返答に、陣平の思考は一時停止する。一瞬考え込んでから思い付いた言葉を口にする。


「一人にして心配じゃないのか? もし、家舘さんがあの魔女に殺されたりとかしたらどうするんだ?」


「ないない。あの魔女が鈴璃を殺せるとは思えない。心配するだけ時間の無ー駄」


 ポテトスティックをつまみ上げながら栞菜は言う。その言葉には、友人が故の信頼関係が感じられる。のかな? 陣平はわからなくなる。


「まあ、そう言うことだ」


 ポテトスティックを栞菜の手から奪い取った鈴璃は、それを自らの口へ放り込む。


「あら、早かったわね。ってどうしたのよ、その格好」


 全身ずぶ濡れで現れた鈴璃に、栞菜と陣平は面食らう。


「ちょっと頭を冷やすため、神田川に浸かってきた。水がかなり汚れていたから、ついでに浄化もしてきた」


 栞菜の隣に腰を下ろした鈴璃は、顔にはり付いた髪をうざったそうに搔き上げる。細かい雫が数滴テーブルに落ちた。


「なにそれ? あの魔女に負けたの?」


「負けるわけないだろう」鈴璃は水の入ったグラス手に取ると、ヤケ酒よろしく、中身を一気に飲み干す。


「あいつは消えた」


「どういうこと?」


 栞菜は訝しげな顔をする。陣平は黙って鈴璃の様子を窺っている。


「鳴茶木真愛が現れた。あの魔女は、奴に消された」


 その名前を訊いたとき、一瞬空気が張り詰める。


「そいつ、このまえアンタが言ってた奴よね?」栞菜の問いに鈴璃は頷いた。


 陣平は身体が一気に強張るのを感じる。記憶に楔のように食い込んでいたその名前が、いま初めて自分の前に現れた。


 鳴茶木真愛。藤柳が叫んだ名前。スマイリースーサイドの実質的な黒幕。


「どんな、奴だった?」


 陣平は、緊張により喉にからんだ自分の声を訊く。


「狐面で、煙管を吸っていて、着物で、飄々としている、なかなかに愉快で、特徴的な話し方をする奴だった。そして、いまで出会った魔女の中で最も危険だ。特に言葉がな」


「言葉?」


「声なのか、音なのか、話し方なのか、あるいはその全てなのか。ともかく、奴の言葉には不穏な旋律があった。恐らく精神支配の類の魔術。あれに取り込まれると、逃れるのはほぼ不可能だろう」


「精神支配……取り込まれるっていうのは?」


「奴の思い通りに動く人形のようになるということだ。一度取り込まれれば、自分の意志で動いているつもりでも、無意識に鳴茶木の思い通りに動かされている。現に私も実際取り込まれかける感覚の一端を感じた。非常に不愉快だった」


 鈴璃は、眉を顰め、自らの感じた嫌悪感を一切隠さずに吐き捨てる。


「じゃあ、あの部屋にいた魔女も、鳴茶木に取り込まれていたってこと?」


 生ビールのお代わりを注文した栞菜は鈴璃に向き直る。


「そうだ。私をおびき出すために今回の事件を起こしたと言っていた」


「鈴璃をおびき出すため? なんで?」


「さあ? 私に興味にあるとかなんとか、そんなことを言っていたが、はたして本心かどうか。掴み所のないやつだったからな……というか私にも酒をよこせ」


 運ばれてきたビールジョッキを奪い取ろうとする鈴璃を、栞菜は華麗な動きで巧みにかわす。


「それでおめおめと逃げてきちゃった訳ね。天下無敵の鈴璃ちゃんが。ぷぷ」栞菜は笑いを堪えながら口元に手をやる。


「おい、うるさいぞ」鈴璃は栞菜を睨みつける。


「それで、どうするの? このまま逃げっぱなしでいいの?」栞菜は挑発するような視線を鈴璃に向ける。


「はっ、まさか。喰らうに決まっているだろう」


 鼻で笑った鈴璃は、ナイフとフォークを持つと、眼の前にあったステーキを優雅な動作で切り分け始める。


「私はあいつを喰う。鳴茶木真愛の諱を。遠慮も、慈悲も、例外もなくな」


 綺麗に切り分けたステーキを口に運ぶ鈴璃の眼は、不敵な光が宿っていた。


「それで、坊やはどうする?」


 どうする? 不意に投げかけられたその質問の意味を、陣平は自分でも驚くほどすんなり理解した。鈴璃がなにを言いたくて、自分がなにをするべきかを理解していた。


「もちろん捕まえる。刑事として、何ものにもとらわれず、何ものをも恐れず、何ものをも憎まず、良心のみに従い、鳴茶木真愛を逮捕する。そして法の元で裁く」


「実に青臭くて坊やらしい台詞だな。それを訊いて安心した。怖気付いて逃げ出すかとも思っていたからな」


「まさか、あんな危険な魔女、野放しにして逃げられるか」


 陣平は真っ直ぐに鈴璃の眼を見据えて答えた。


 鈴璃と陣平。そのとき、初めて二人の視線が真正面から繋がれる。


 陣平の答えに、鈴璃は満足げに唇の端を上げ、頷いた。


「ただし、一つ約束しろ」


 自分の眼の前に皿を並べ終えた鈴璃は、真剣な表情で陣平の眼を見つめた。


「今回の件で分かったはずだが、もう先走って行動するな。あくまでも坊やの仕事は、私の監視とサポートの筈だ。正義感が強いのは悪いことではないが、感情に任せて動くと簡単に命を落とすぞ。そんな死に方をされたんじゃあ私も目覚めが悪い」


 鈴璃の口調は、今までになく真剣な響きを帯びていた。


「そうよ」栞菜が話を継いだ。「いつも鈴璃や私が側にいるわけじゃないからね。無茶しちゃ駄目よ。あなたは人間なんだから」


「ああ。悪かったよ」陣平は気まずそうに頭を掻いた。


 確かにあのとき、鈴璃と栞菜が現れなければ、自分は確実にここにはいない。あの部屋で失血死した後、桐崎に眼玉をくり抜かれていただろう。頭に血が上っていたとはいえ、自らとった直情的な行動を改めて思い返すと、陣平はぞっとする。


「うむ。素直なのはいいことだ。さて、とにかくいまは食事を摂れ。少なくない量の血を流したのだからな」


 鈴璃は嬉々として料理の皿を陣平の前へ並べ始める。


「それよりあなた、その格好どうにかしたら? みんな見てるわよ」


 栞菜は、鈴璃の服を指差して言う。


 鈴璃は視線を落とし、自らの身体を見やる。ずぶ濡れになり全身にぴったりと張り付いたベスト、ワイシャツ、トラウザーズにより、この上なく顕になっている体躯が、そこにはあった。


 店内にいる男性全員が、その婀娜あだやかな姿に熱視線を注いでいた。陣平もようやく鈴璃の格好に気付き、気まずそうに視線を逸らした。


「おお、そうだった。どおりでなんだか不愉快だと思った」


 鈴璃は、自らに注がれる熱視線など意に介さず、その場に立ち上がると、両の掌を軽く叩いた。すると、鈴璃の周囲を爽やかな薫風が吹き抜け、たちまちに服を乾かした。


 一瞬で様変わりした鈴璃に、熱視線を注いでいた男性たちは、なにが起きたか理解できないといった様子で、お互いに困惑顔を見合わせていた。


「ちょっと鈴璃。人間の前で魔術を使っちゃ駄目でしょ」栞菜は小声で鈴璃に耳打ちをする。


「ああ、快適だ。さあ、食事にしよう」


 新品同様に綺麗になった服にご満悦の鈴璃は、再び椅子に腰を下ろす。その晴れ晴れとした笑顔には、栞菜の注意など耳に届いてないようだった。


 栞菜は、やれやれといった表情で溜息をつく。


 ふと、陣平がなにか思いついた様子で口を開く。


「ところで、魔女の力を食べるというのは理解したんだが、鳴茶木のことはどうやって探し出すんだ?」 


「探し出す必要なんてない」


 陣平の質問に鈴璃は、涼しい顔でそう言いながら味噌汁の椀を口へ運ぶ。


「じゃあ、一体どうやって奴を捕まえるんだよ?」


「奴の狙いは私だ。待っていれば、いずれ向こうから会いに来るさ」


「んな悠長な……」


 直ぐに行動を起こすべきだと考えていた陣平は、鈴璃の言葉に肩透かしをくらった気分になる。


「そう肩肘を張り過ぎるな。物事は起こる時には起こるし、起こらない時にはなにも起こらない。それに、奴の目的がわからない以上、下手に動き回るのは危険だ」


「じゃあ、オレは」


 未だ落ち着かない様子の陣平に対し、鈴璃は落ち着き払った様子で言う。


「今の坊やに出来るのは、英気を養うことくらいだ」


「リラックスだよ、陣平くん。リラックス」栞菜が眼を細めて穏やかに言う。


「待てば甘露かんろ日和ひよりあり。さ」


 鈴璃はそう言うと、食事を再開する。その所作は、これ以上その話題について話すことはないと陣平に告げていた。


「……わかったよ」


 不服そうな顔で、まぐろたたき丼をかきこむ陣平を見て、鈴璃と栞菜は顔を見合わせ笑いあった。


「それより坊や、動くようになったんだな、その左腕」


 陣平の左腕に眼をやり、鈴璃は言った。


「ああ。今日になって突然動くようになったもんだから、自分の腕なのになんだか違和感がある」


 まるで動作確認をするように、陣平は念入りに自らの左腕を動かしている。


「なんにせよ喜ばしいことだ」


「それはそうと、なんだか昨晩のことがうまく思い出せねえんだよ。確か深夜の街で家舘さんに会った気がしたんだが……」


「ん? 私は昨晩坊やに会ってなどいないぞ」


 鈴璃はあっけらかんとそう言ってのける。


「でも、会っただけじゃねえんだよ。傘で空を飛んだり、スカイツリーの上で一緒に酒を呑んだりして……」


 口に出せば出すほど、夢を見ていたと言われても仕方のない内容だと思わざるを得ないが、鈴璃の言葉。真古登の赦しの言葉。現実離れした不思議な光景。彼方に見える夜行。その全てが、まだ頭の裏に鮮明にこびり付いている。やはりあれが夢だとは、到底思えなかった。


 陣平はしばらく考え込むと、ある一つの結論に行きつく。


「家舘さん。アンタ、もしかしてオレになにかしたのか?」


 陣平は鈴璃に疑いの眼を向ける。


「知らないな。夏なんだし、百鬼夜行にでも遭ったんじゃないか? この季節には多いと訊くだろう。漆黒の都の中を跳梁跋扈ちょうりょうばっこする、この世ならざるものたち。古来から語り継がれる出処不明のお祭り騒ぎ。愉快な異形たちの百鬼繚乱ひゃっきりょうらん


 鈴璃はそこまで言うと、箸を置き、両の掌を胸の前であわせると、眼を閉じた。


 そして片眼を開け、ニヤリと笑い、言った。


「ご馳走様でした」






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