第29話 石戸の中


     ●


 いったい、どれほどの時が経ったのだろう? ここに来てから、どれくらい?


 1時間くらいしか経ってないのかもしれないが、10年くらい経過しているのかもしれない。そのくらい、時間の感覚が失われていた。


 窓の外は仄暗いのが平常で、よく見たら太陽も月も出ていなかった。

 空が明るさを帯びることもあるが、部屋の灯りを気ままに点けたり消したりするようなもので、昼と夜の間隔と、一日24時間とはなんの関係もない。時計の表示も見るたびに出鱈目で、天気はアト・ランダムに変化した。


 実のところ、時間は止まっているのかもしれない。なぜなら不思議なことに、空腹も、喉の渇きも感じなかったからだ。

 けどその事実とは裏腹に、何かを食べたいような、味わいたいような欲求がしばしば湧いてきた。たぶん、胃ではなく口の方が食事を求めているのだろう。


 やむを得ず、時々コンビニで弁当などを買って食べた(不思議なことに、どの食べ物も腐るということがなかった)。代金は無人のレジに置いてきたが、やがて感覚が麻痺して、あらゆる飲食店が自分の家の冷蔵庫であるような気がしてきた。


 他の店や家にしても同じだ。全てがおれに向けて開け放たれており、RPGの勇者みたいに民家から欲しい物をかっぱらっていくことさえおれには許されていた。おれが何をしても、それを咎めることができる者などいない。他人のものを盗もうが、公園で裸になろうが、街に火を放とうが。


 しかし、結局そうすることはなかった――だってここでそんなことをして、それが何の役に立つ?

 いつものように生活しながら。台所には、殻になったゴミだけが溜まっていった。


 そうだな……。たしかに、楽なことは楽な生活だったよ。

 学校には行かなくていいし、過去にあったことを後悔したり、将来のことを心配する必要もない。だからここには、現在さえも存在しない。

 事前にやっておくべき課題もなければ、何かをした後で他人の反応に煩わされることもない。優しい声をかけてくれる人もいないけど、嫌なことも言われないで済む。希望もなければ、絶望もなかった。


 そんな中で、好きなだけ好きなことができた。不思議なことに、新しいテレビ番組の放送は止まっていても局によっては古い映像が流され続けていたし、動画サイトに付いてるコメントはまだ人々が生きているかのような錯覚を与えてくれ、サーバーは稼働を続けているのか最新タイトルのゲームだって遊び放題だった。

 だけど。


『………楽だけど、楽しくはないよな………』


 それに尽きた。




 結局、やることがなくなって、布団に横になって過ごすことが多くなった。


 人はこんな状況にあっても、夢をみる。嬉しい夢も、悲しい夢も見た。

 こんなツマラナイ世界にあっては、それが一番の楽しみになっていった。そこではいろんな人に――もう絶対に話せない相手や、一生その機会のなさそうな人物とも――出会って、いろんなことができた。

 次第に夢うつつの境界が曖昧になっていき、半醒半睡みたいな状態でいることが増えた。


 或る時、夢に3人の友達が出てきた。高校でいつも一緒にいた、毎日のように見ていた面子だ。

 どうやら何かイベント(文化祭か、卒業式か)があった後らしい。おれは用事があって、それを済ませてから弁当を持って渡り廊下に向かう。さすがに彼奴あいつらも、もう帰ったかな、と思ってる。

 すると、友達はもう食べ終わっているのだけど、雑談しながら待っててくれていた。

 弁当を広げる。おれが食べているあいだ、さっきまで話してた話を教えてくれたり、くだらないことで笑ったり、時々、窓の外を眺めたりする。

 彼らが待っててくれたことが、なんだか嬉しい。そんなこと口に出したりはしないし、この先、伝えることもないだろうけど。


 そこで目が覚めた。なぜか、目元が少し湿っている。

 ふと思う。


『あれ……あいつら、誰だったっけ?』


 昔のことが、思い出せなくなっていた。




 その日(?)もおれは、早く眠りがやって来てくれないか、さながらサンタクロースからのプレゼントを待ち侘びるように待っていた。


 外はさっきから雨が降っているらしく、次第に雨脚が強まり、豪雨になっていた。

とはいえ出かける用事もないのだから、雪が降ろうと霰が降ろうと鰯が降ろうと、天気は何も関係ない。


 今日はうまく寝入ることができなかった。たったひとり覚醒状態でい続けるのは拷問に近い。ただ寂しさが心を満たしていく。


 満ち足りた世界。居心地の良い世界。


 そうだ。この世界には足りてないものが一つだけあった。それさえあれば、おれはこの安らかな世界で、永遠に生き続けることを決めるだろう。


「………いい加減、誰か来てくんないかな。やさしくしてくれれば、誰でもいい………。誰だって、何だって…………」


 そんなおれの、強い願いが、幻覚を見せたのだろうか? 風に揺れるカーテンのむこうに、誰かが立っている気がした。

 気になって、上半身を起こす―――。



 その時、着信音がした。



 布団の傍に置いてあったスマートフォンが鳴ったのだ。そちらに向きなおって、表示を確認する。


「メール?」


 珍しい。メールなんて何年ぶりだろう? 差出人は、


「浅間れい―――澪那からだ!」


 懐かしさを覚える名前に、飛び起きた。すぐメールを開く。


 表示されたテクストデータを見て、おれは目を見開いた。

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