第28話 転移(transfer)

 明るい夏の、昼下がりだった。風が吹いて、カーテンを揺らす。どこかで風鈴が、涼しげな音を立てている。

 ミーンミンミン……と、今日も蝉たちが、騒々しいのに妙に懐かしい声で、鳴き続けていた。

 さっきまでのは、夢だったらしい。その最後の声が耳許で大きく響いて、跳ね起きたというだけ。そういうことって、ないかな?


「あれ?」


 周りを見回す。何か違和感がある。

 いつもの自室だった。どこにでもある、暑い夏の日。


「なんでおれ………あれ?」


 学校はとっくに始まったはず……。何から何まで、ぜんぶ夢?


 いや、そんなはずはない。始業式があって、ミホカが転校してきて、授業が行われ、放課後には新しくクラブを作って活動を始めた。

 ううん正確には、作っている最中だった。もし計画が通ったら本格始動して、もっといろんなことができるようになる。ちょっとばかり面倒だけど、でもやっぱり楽しみだな。

 窓の外に目をやった。外はひっそりと静まりかえっていて、家には灯もともらず、人の姿もなかった。


「変だな? やけに静かで……。………」


 嫌な予感がした。部屋着のまま靴だけ履いて、外に出た。




 30分後。


「どうなってんだよ、いったい……」


 途方に暮れて、家に戻ってきた。

 町はまさに、もぬけの殻だった。

 遠くの方まで行ってみたけど、人っ子一人見当たらなかった。小中学校のグラウンドや、家の中を覗いでも誰もいない。お世辞にも出くわしたくない災いとかいう化け物も、今回は音沙汰もない。

 テレビを点けてみた。どのチャンネルも真っ暗で、何も映らなかった。どこも臨時休業を決めこんでいるらしい。


「夢じゃないよな」


 自分の頬を抓るなんていう古典的な手法を試してみたが、ちゃんと痛かった。いつだったか、夢の中で頬を抓ってみたら痛かったことがある気がしたので、あまり当てにならないかもしれない。

 その時だ。真っ暗になっていたデスクトップのモニターから突然、声がしたのは。


《麻賀多くーん! 聞こえますか~!?》


 念写でもされたように、女の形が浮かび上がってくる。

 こんな状況でもホラー映画を思い出してギョッとしてしまうが、画面に映し出されたのは元気に手を振るクラスメイトもとい部員仲間の――江ノ島ひとみだった。


「江ノ島さん!?」


 本体にマイクが付いてなかったか通信手段を確認しかけたが、その必要もなく、《ええと……この映像は、録画されたものでーす!》と告げた。ライヴでないなら応答はできないだろう。代わりに耳をそばだてた。


 彼女にしては珍しい、ものすごく真剣な表情で、


《えっとね、緊急事態だからよく聞いてほしいの。麻賀多くんは今日、家を出てから行方不明になっています》


「は………?」


 思いもよらない情報だ。

 おれはいま自分の家にいると思っていた(というか、そうとしか見えない)。ところが、ここは本物の家ではない。おれが元いたのとソックリな、だけど丸っきり別な世界ということになる。


《麻賀多くんがいなくなったのを知ってるのは、まだ私たち3人だけです。わかってること伝えるね。えっと……》


 江ノ島さんは可愛らしいメモ帳を取り出し目を落とした。判読が難しいらしく、急いで書き留めたことが伝わってくる。


《まずそこは、あの世とこの世の、境目のひとつです。普通の人間は入ることができないの。でも私の魂の力を使えば、なんとか通信ができるかもしれない。だからみんなを代表して、念波を飛ばすことにしました。声だけでも、受信してくれてることを祈ります》


 大丈夫、と返したかった。映像もちゃんと見えてる。だけどこちらの声は届きそうにない。


《どうして麻賀多くんが突然いなくなっちゃったのか。話し合ったけど、解んなくって……。

あさみゃんが言うには、まかちゃんがいなくなった途端に、収まってた「災い」が大量発生してるって慌ててます。数が多すぎて、1人ではどうにもならないかもしれないって。

マサミネくんもすごい血相で、「彼女が予定を早めたんだ、もう自由になってるなんて話が違う!」って言って、飛び出していっちゃって…。もう何が何だか……》


 なんだそれは? 要するに何が起こっているか解らないってことか?

 それともマサヲは何か知ってるのか。彼が説明していた、人の願いを叶える力がミホカに宿ってるという話を思い出す。

 けど、この場合どう考えてもおれの願い事とは無関係だ。誰が好き好んで全人類が絶滅した後のような世界に引きこもりたいと思うものか。

 でもだったら、なんでこんなことになってるんだ?

 いったい誰の、何の仕業だ?


《でね、他にもおかしいことがいっぱい起きてるの! この世にある物が全部、あの世の方に向かって引っ張られてる。

このままじゃここはあの世と同じ、物質の存在しない世界になっちゃう。魂だけの世界になっちゃうの。そしたらこの世は存在しなくなって、気がつかないうちに、ニンゲンはみんな消滅―――》


 映像は、そこで途切れた。再び画面が暗転する。


「……なんだよ、そっちはもう年の瀬の最終回スペシャルか? そんな面白そうな時に、1人だけ除け者に、すんなよな………」


 おれの空元気も、誰もいない空気中で空しく響くほかない。


 録画だと言っていたことを思い出し、試しに再生ボタンを押してみた。すると映像がもう一度、最初から流れ始めた。

 よし、ループ再生にしとこう。暇な時にYouTubeを流しとくようなもので、こういう時はこんな映像も多少の慰めになる。


 ……って、何やってんだ。それどころじゃないだろ。

 けど他に何ができるのかというと、何もないわけで。江ノ島さんが必死に語りかけてくる動画を連続再生したままベッドに突っ伏し、瞼を閉じた。


 どうせおれはここから出られないんだ。世界が終わりそうだからって、いったい何ができるっていうんだ?

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