第30話 過去からのメッセージ

 それは、とある小説の一部分だった。



【「これ!」

 ミホカは違い棚(祖父母が旅行で買ってきたお土産の、よく解らない木彫りや置物が飾ってある)の前に立ち、そこに半ば埋もれるように置いてあった偰个靴拭w)を手にとった。

「これ、わたしがあげた・u氈セ蠕ですよね…?」

「え? ああ、そう言やそれ、ミホカがくれたんだっけ?」

 部屋に置いてあるのに、由来をすっかり忘れていた。それはu氈「修里箸④蓮Αであるが、けっこうデカい。┘螢◆の癖して、大きさだけなら大人のA並みだ。

 それは今となっては大昔に、ミホカが贈ってくれたものだった。

「置いといただけだよ。こんな可愛らしいの、堂々と飾っておくのも恥ずかしいしな」

「でも、残しておいてくれたんですよね。それだけでもなんか……嬉しいです」

「それは……。………まあ」】



 小説? 小説なのか、これは?

 ああ、きっと小説なのだろう。

 でも、たぶん……いや。、ただの小説ではない。何かがそう告げている。

 ここから何か、大切なメッセージを読み解かなくてはならない。これはそのためにこそ、書かれたのだ。


「畜生、なんなんだこれ。浅間は何を伝えたいんだ……?」


 特徴としては、登場人物がそのまんまおれたちの名前(シントとミホカ)になっていて、本文の一部が文字化けしていること。

 しかも、その文字化けは奇妙で、意図的に何かを隠そうとしているかのようだった。


 心の億の方で、これに呼応する記憶みたいなものがウズウズしている。

 その文章を眺めていると、強烈な既視感を――デジャヴみたいなものを感じるのだ。


「これ、あの時の……」


 おれがかつて、体験したこと。

 ついこの前あったことのはずなのに、もう何十年も昔のことのように感じられる日の記憶。伊勢川ミホカと一緒に過ごした、あの夏の出来事だ。


『そういえば、ミホカがはじめて遊びに来た時、あいつは興味津々に、この部屋にあるもんを眺めてたんだっけ。それで、たしか………』


 そう考えながら、全く造りが同じ部屋の中を、彼女があの時たどった場所を慎重に移動していく。


「これか」


 小説の本文にも出てくる「違い棚」。いろんな国の名産品に混ざってそこに置かれているのは、そう、ひよこのヌイグルミだ。


 おれはこの部屋にはちょっと可愛らしすぎるそいつを手に取った。

 小説にも書いてあるとおり、これは昔、ミホカと会った記念に彼女が送ってくれたものだ。その頃はすごい遠い場所に住んでたから、最近になって引っ越してくるまで、おれも彼女のことを忘れていたわけだけど。


「このヌイグルミが、どうかしたのか? ………あれ?」


 矯めつ眇めつ、手に持って眺めているうちに、気がついたことがある。

 ひよこの下半身に、くっ付いている卵の殻――。

 その内側をよく見ると、糸がボタンに巻き付いていて、それを取れば分離できるようになっている。


「この卵の殻、外れるんだ? よし」


 ボタンに絡まった糸を、ほどいていく。

 やがて、卵の殻が外れた。ひよこは、永いあいだ縮こまっていた足を元気に伸ばした。

 すると、お尻のあたりにポケットが付いている。

 中を開いて覗く。と、お神籤のように丁寧に折り畳まれた紙が入っていた。

 おれはその紙を、慎重に引き出した。

 月日が経過して黄ばみかけているけど、中に何か書いてあるみたいだ。

 おれは、それを広げて―――。



〝あなたが好きです。

     シントさんへ ミホカより〟



 頭が真っ白になった。

 最近の話じゃない。いったい、いつの話だ?

 おれはこれまで、何をしてきたのだろう?

 この娘はいったい、いつから返事を待っていたんだ? 夏に再会するよりずっと前。まだちゃんと会ったこともなく、どんなやつかも覚束ないはずのおれに、これをくれて………。

 そんな彼女からのメッセージに、勇気に、おれは気づきもしなかったのに、それを怒ったり、責めたりすることもなく、あんなふうに一緒に過ごしていてくれていた。

 もうとっくの昔に、おれに想いを伝えていた、伊勢川ミホカは。


「馬鹿………いったい何年前だよ。こんなの、気づくわけないだろ…………。……ッ!」


 何かがはじけた。おれはその紙切れをポケットに押しこみ、玄関の三和土を蹴立てて外に飛び出した。雨が降っている? 知ったことではない。


 行かないと。彼女が、待ってる。



 雨の中、伊勢川ミホカを探して、町を当て所もなく彷徨った。


 マンションに係員はおらず、インターフォンで伊勢川家の部屋番号を押したが反応はなかった。やはりここにはミホカはいない。近所を虱潰しに、回っていくことにした。

 公園、ショッピングセンター、バス停、郵便局、マンションの屋上や駅の中。しかし、どこにも彼女の姿はなかった。


 方向を変え、隣町の方まで走った。不思議なものだな、もう息なんて切れてるはずなのに、疲れなんて知らないみたいに足が動いた。


 やがて吸い寄せられるようにやって来たのは、神社がある丘の下だった。

 雨風で少々足場が危険だったが、松の木を伝って坂を下りていった。

 国道を隔てた正面には、おれたちの通う学校がある。あそこなら何か解るかもしれない。


 はずが。


「なんだ、これ―――……」


 絶句した。

 あたり一面は、洪水で溢れかえっていた。

 大雨で川が増水して氾濫したのかと思ったが、そういうレベルじゃない。目の前に広がっているのはどう見ても海だ。いまおれが立っているのも、荒れてはいるが砂浜のような場所だった。

 さらに驚くべきは――。


「学校が、ない……? いや、それどころか」


 国道のむこうにあった町そのものが、綺麗さっぱりなくなっていた。

 べつに水没したとか倒壊したとかいうわけではない。最初から建物も道路も、存在しなかったかのように。

 それで直観した。


『――この世界に、おれたちが通っていた学校はないんだ』


 かつてマサヲたちと駄弁りながら帰った道も、江ノ島さんと内緒話をした海岸も、浅間が助けに来てくれた駅だって、ここにはないのだ。

 だけど、殺風景な浦波の中に、たったひとつだけ、

 強風で騒ぐ海の上、100メートルくらい先に、ぽつねんと、或るものがあった。


「なんだ、あれ………」


 海上に立つ、赤い門のようなもの。

 それは、鳥居だった。

 ここからでは遠くてハッキリとは見えないけど、たしかに海の中に鳥居が立っていて、その中に岩場があるのが見える。そして、


「あれ……鳥居か? その先にあるのは………祠?」


 そう、突き出た巌石の上には祠が建っていた。学校の隅、部室の外にあったやつだ。

 どうして校舎も校庭もなくなっているのに、あれだけ残っているのか。詳細は不明だった。


 何にせよ、水の中にぽつねんと取り残されているので、そこまで行くことはできないだろう。

 そう思った時、気づいたことがある。


 おれの隣に、誰かいる。

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