九川 無量

本編

 20XX年X月X日,Y県Z村にて発生した放火事件,3人が死亡し1人が重体で現在も意識不明。その「意識不明」である私,「K河R子」が,本文において近況を報告する。


 何を言っているのか,と思うのはもっともだ。意識不明の人間からの文章?わけがわからないのは当然である。しかしこの文章を書いているのは,火災で燃焼し全身を焦がれたはずの私,K河R子に他ならないのである。かのコールドスリープの実験台第1号の,K河R子に他ならないのである。


 気がつくと東京駅の八重洲口のバスが走り始めているのを眺めている。人の流れが止むことのない通路を横目に,階段を降り地下街へと向かう。しばらくまっすぐ歩きいつもの喫茶店でコーヒーを味わう。以上が,あの日以降,燃えた後の,何事も思いつかない時のルーティン。文章を綴るのはいつもここに来てからで,ここ以外の場所では落ち着いて書けない。


 私は燃えたはずのあの日からずっと,気がつけば東京駅にいるのである。東京駅といえば,2,3年くらい前にふと立ち寄って以来しばらく来ていなかったはずで,しかしながらそのわずかな記憶が現在の大半を占めているようだ。あの日以来の記憶のほとんどは東京駅に侵食されている感じがする。


 不思議なことに?気がつけば東京駅。後々思い返してみれば,文章を書いているうちに,文章の世界に没入しているのか,眠っているつもりはないはずだが,まるで1日が回っていったのか,「気がつけば」,戻っているのか,進んでいないのか,再びバス,階段,地下街,喫茶店,コーヒー,以下繰り返し。


 燃えたはずの私の現状について,降霊術を疑う読者もいるかもしれない。現に私もそれを疑った。しかし,誰かに呼ばれたということは今のところないようで,じゃあただの幽霊なのかと思うところだが,だが私K河R子がはっきり言っておきたいのは,この文章を書いているのは私である,ということである。超常現象だと思うのは自由だが,現に私が書いているのは事実である点に留意願いたい。


 ところで本当にK河R子が書いているのか,誰か別の人が書いているのではないか,そう思うのが自然だと,私も思う。それなら,例の事件について,私しか知り得ないことをここに書くとする。


 いわゆる「客観的事実」というのは以下の通り。20XX年X月X日,Y県Z村にて発生した放火事件について。時間はちょうど深夜の0時あたり,何者かが私の家に放火した。私を含む家族4人はこの時間全員が就寝,逃げる間も無く,火はすぐに家を包み込みこんだ。駆けつけた消防により救出されるも,私以外の家族は死亡,私は意識不明の重体となった。放火した人物については何も分かっておらず,現在も未解決のままである。


 客観的事実は以上である。結局は人々の忘却に任せるままとなり,本事件を記憶する人は,ずいぶんいなくなったことだろう。それほどに時間は経過していた,数えてみたところ10年以上の時が流れていたのに気付いたのは最近のことだ。


 しかしながら「客観的事実」は何一つ解決をもたらさないし,当事者から見た視点を必ずしも反映するとも限らない。ここからは私の知る事実について記述することにしたい。多分信じる人はいないと思うが,こちらが事実である,ということは再度主張しておく。


 火が放たれた瞬間,私は当然のように眠っていた。異変に気づいたのは,明らかに燻したからのような匂いに包まれてからだった。その時には意識は沈んでいたかもしれない,一酸化炭素というものか,既に身体中に巡っていて,叫ぶ間も無かった。ごうと燃えて吹き付ける熱風に,痛覚を超えて,水晶を沸かせて,炭の味が広がる。寝室が別の家族も同じような目に遭っていたかもしれない。最後に見たのは,赤い,赤い赤い非日常と,夢のごとき恍惚であった。


 次に気づいたのは東京駅で。初めは何が何だかわからずに,とりあえず彷徨い歩いたような気がする。そうしてたどり着いたのが今のルーティンで,そのうちに慣れてきて,文章を書くにまで至った。


 さて,以上が事件についてのリアルタイムな情報で,以下の記述は全て燃えた後の日に収集した情報となる。あの日に感じたことほどの鋭い感覚を持つことはないが,むしろ現状を理解する上ではこちらの方が重要だろう。


 私がなぜ文章が書けるか?理由として考えられるのが,私がまだ「死んでいない」ことである。かの火災ののち,病院に運ばれて懸命な治療を施されたようで,意識は戻っていないものの何とか生命を繋いでいる。といっても,身体はもはや炭に等しく,皮膚なんてものは全て燃え尽きてしまい,最低限の臓器の活動が停止しなかったというだけのことだ。どう頑張っても,意識が戻ることはなく,ただ日がむなしく過ぎていく。


 私に転機が訪れたのは,燃えたから1ヶ月が経った頃で,国を代表する大病院に移ることとなった。なんでも,研究対象として私の身体に興味を示したとのこと。たしかに,火災で全身を焦がれたにも関わらず生命活動が続いている,というのはなかなか目にかかれるものでもない。治療を続ける,といっても全身を循環させているだけなのだが,ことには一応変わらないものの,明らかに私の前に人が来ることが増えた。目を背けるもの,好奇心を隠せないもの,同情するもの,同じ人間だとは思わないもの。


 そしてその日はやってきた。その病院が主体となって研究しているコールドスリープ技術の実験台となることになったのである。いわゆる冬眠のことで,今となってはそう珍しくない技術だが,この当時は動物実験ですら大騒ぎしていた時だ。病院としては,私をコールドスリープにかけることで体内活動を抑え,生命維持の負担を減らそうという意図であり,元々生きているのか死んでいるのか境界にいる私が晴れて実験台となったわけだ。いきなり生体でやったら大変だろうから,気持ちはわからないこともないが,当時の私の文句があれば話が変わったかもしれないけれど,結局今に至るまでコールドスリープを続けている。


 以上の燃えた日以降ことは,現在のルーティンの間に調べて知ったことである。あの日から既にかなりの日時が経っており,私自身も記憶は定かではない。感覚だけが私を生かしているようで。


 私は死んだのだろうか?たしかにコールドスリープで生かされているのは事実だ。だが,本来なら燃え尽きて灰になっていたはずではなかっただろうか?なぜ生かされているか?人間の好奇心に殺され,人間の好奇心に生かされるというのは,不愉快を極めることではないだろうか?


 思えばあの日,誰が火を放ったのだろうか。当時の私は見ていないのでわからない,といってしまえばおしまいなのだが,なんたる運命か,ごく最近になって,放火の原因について次々に知ることとなった。


 なんでもZ村は,今考えれば随分とおかしなところで,家族含む私たちの知らないところで,いわゆる「密儀」が行われていたようだ。村を取り仕切るごく数名によるもので,あるときは家畜に杭を通し,あるときは香を焚き,あるときは薬草を摂取し,あるときは排泄と乱舞,と挙げたらキリがないが統一感のない儀式が行われていたようだ。読者の察する通り,私達の家を燃やすのも儀式の一環だったのである。


 これらの事実を知って私は怒りを覚えただろうかのか……だがその頃には既に,私は最後の計画を準備していた。ここまで長々と,私のことを書き連ねていったが,そろそろ終いにしたい。私K河R子について多少なりとも知ったところで,読者がどうとなることはないだろう。だから私から働きかけよう。今,私はありったけの紙を用意した。ここまで書いてきた文章を印刷して,大量の紙束を東京駅の天から降らして,紙で山を作ろう。地上を白黒一面に染め上げて,次々に積み重ねよう。人の上に,車の上に,プラットフォームの上に,ビルの上に,すべてを紙で覆い隠そう。嘘も本当も,建前も本音も全て紙の下。万物は平等だ。


 そうして出来た白の一面に,私は火を放つ。

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九川 無量 @Rik_memo

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