第47話 優しい魔王の願いの行方・後
広い洞窟の中に青い光と白い光が満ちる。
ライアが背後から撃ち出した感覚強化と筋力強化の魔法を浴びて、錬と勇人は駆け出した。
邪神は竜の頭から下、首部分だけを異様に骨ばった人の上半身に挿げ替えた奇形の体で這いずり、真正面から二人に向かって腕を伸ばす。
青黒い触手のような魔力を纏った腕を、錬は正面から盾で受け止めた。同時に魔法で出来た小盾を横一列に展開し、後列へ伸ばされていた攻撃も全て防ぐ。
錬が邪神へ向かって敵の注意を引き付ける魔法を放つ間に、勇人は竜の巨体の背後へ回る。
のたうつ長い尾に、勇人の長剣が叩きつけられた。
斬撃は尾を根元から切り裂いたが、すぐに傷口を黒い靄が覆い、何事も無かったかのように修復されてしまう。
振り上げられた尾の一撃を食らう前に、勇人はすぐにその場を飛びのいた。
次の瞬間、邪神の体に幾百もの光の矢が降り注ぐ。
琉唯の広範囲攻撃魔法だ。
邪神の頭へ、上半身へ、胴体へ、翼へと突き刺さる矢が、黒い液体が固まって出来たような体を少しずつ削っていく様子を、四人は錬の魔法の盾をそれぞれ受け取りながら観察した。
攻撃が止んだ瞬間、邪神が何本もの弦楽器で奏でた不協和音のような咆哮を上げる。
無差別に放たれた衝撃波を盾で凌ぎ、四人は駆け寄って錬を先頭にした陣形を組みなおす。
「尻尾切ったけどすぐ回復された!」
「こちらでも観察していましたが、どの部位も怪我の修復速度に差が無いように見えます」
「腕以外の攻撃はいまのところけっこう軽い。けど毒かなんかありそうだ。盾の消耗が早い!」
「弱点見るスキル使ってみたけど弾かれた。立夏がどの位置に居るのかわかんないよ!」
錬の盾で攻撃を受け止めながらの情報交換に、ライアが険しい顔で頷く。
立夏が人との接触を最小限にとどめたお陰で、おそらく歴代の魔王に比べればまだ邪神の力によるパワーアップは少ないのだろうが、それでもさすがにそこらの魔獣などとは比べ物にならない固さだ。
ライアは話を聞きながら小声で呟いていた呪文を完成させ、敵の力を削ぐための状態異常魔法をいくつか飛ばしてから、三人に指示を出す。
「レンはそのまま敵の注意を引き付けてください。ハヤトは一度腕を完全に切り取ってくれますか。ルイはそれに集中砲火をして可能な限り消し飛ばしてください。治されても2回は同じ場所を攻撃して欲しいです」
「了解!」
返事と同時に、錬が再び敵の意識を自分へ向けさせる魔法を放った。
巨大な腕が咆哮と共に錬に向かって振り下ろされ、盾に防がれ軋んだ音を響かせる。
広い大空洞の中に反響した音は耳をつんざくような轟音と化したが、錬は微動だにしない。
盾自体の耐久度はとてつもなく高いが、それを持つ錬の体には、盾が吸収しきれなかった衝撃が伝わっている。ライアが後ろから彼に回復をかける間に、勇人と琉唯は息を合わせてタイミングを見計らっていた。
錬の数歩斜め後ろで邪神を見据え、居合斬りのような構えをとっていた勇人が、鋭い呼気と共に剣を振り抜く。
そこから飛ばされた斬撃が、腕を振り上げていた邪神の肩へと命中した。
切り落とされた腕へ間髪入れずに琉唯の矢が命中して弾き飛ばし、そのまま連撃を入れる。
腕は空気にとけるように消えていったが、どろりとした水面のような肩の断面からは再び腕が生えていた。
もう一度勇人と琉唯が邪神を攻撃する。結果は同じ。
ライアはそれを見て、二人に錬の後ろへ戻るよう指示を出す。
「二回とも回復の速度に変化無し。ただ、傷みに怯んでいる様子は多少あります。動き回って切り落とせそうな場所を片っ端から攻撃してください。形態から考えてリッカくんがいるとしたら胴体です。それ以外は攻撃して構いません!」
「わかった! 錬まだ盾もつか!?」
「行けるけど完全に後ろから攻撃できるときはそっちに注意引き付けてくれ! 回復入れたい!」
「了解! 勇人の回復は私がするから錬とライアが盾回復!」
「わかりました!」
それぞれがお互いの射線に入らないよう、動き回りながら邪神へ攻撃を当てていく。
それ自体はそれほど難しくないが、桁違いの再生力を持つ邪神は弱る気配がない。
一方が攻撃で引き付ける間にもう一方が回復をして、と庇いあってはいるものの、だんだんと全員の体が傷付いて行く。
比較的余裕があり体力の回復と戦闘の観察を担っていたライアは、一向に衰える気配のない邪神の力に疑問を持っていた。
女神とのこれまでの会話から考えて、邪神というものは神器の力で十分倒しきれる存在だ。
歴代の中でこの魔王だけが異様に邪神の力に恵まれて強くなるような理由がない。そのわりには異様に耐久力が高すぎる。
そこまで考えて、ライアは大空洞の中を見回した。
これだけの空間がありながら、邪神は初めからほとんど位置を変えていない。
あの場所から動きたくない理由があるのか。
「ハヤト、ルイ、祭壇を破壊してください! レンはその間邪神の動きを止めて!」
指示と同時に、間髪入れずに錬が邪神に突貫する。
掴みかかろうとする黒い腕を避け、魔法の盾で作った足場を駆け上がった錬は、以前勇人が鳥の魔獣にそうしたように、邪神の頭上から神器を振り下ろした。
竜を模した頭が地面に叩きつけられ、醜悪な牙が音を立てて砕け散る。
敵が動きを止めた隙に、勇人と琉唯は高火力の魔法を発動し終えていた。
相手は無機物なので、いままでのように、立夏に当たるかもしれないと心配する必要もない。
極大の刃と矢を容赦なくぶつけられ、鍾乳石で出来た祭壇は轟音と共に砕け散った。
竜が咆哮を上げる。
周囲に無差別に衝撃波が振りまかれ、勇人と琉唯を吹き飛ばした。
かろうじて防御が間に合った錬とその後ろにいたライアが走り、それぞれ二人を周囲の鍾乳石の柱の陰に引きずり込む。
異形の竜は守るべき祭壇を失ったからか、ばさりと大きく翼を広げ、大空洞の高い天井まで飛びあがった。
障害物の影を経由しながら合流した四人が、錬を先頭に盾の後ろへ入る。
錬がドーム型の光の盾で全員を保護した瞬間、竜の口から青黒い光の束が撃ち出された。
着弾したそれは、周囲に光と破片を飛び散らせる。
盾で保護された部分以外が、一瞬でクレーターのように抉り取られた。
「琉唯、あれ当てられるか」
天井近くを飛ぶ竜を見上げながらの勇人の問いかけに、琉唯はふんと不満げに鼻で笑う。
「こっちは虫にだって命中させてるんだからね。あんなデカブツいい的でしかないよ」
勝気な瞳が竜を見据え、弓を引き絞る。
白い光と風を纏った矢が、一直線に飛んだ。
竜の片翼の根元に命中した矢は、間髪入れずに爆発し、翼を完全に引き裂いた。
高い悲鳴を上げた竜が、地面へ真っ逆さまに落下してくる。
額からたれる汗と血を拭いながら、勇人が目を輝かせた。
「ダメージ通った!」
祭壇の破壊によって邪神の力の回復量が落ちたのだろう。
格段に再生の遅くなった体はそれでも歪な翼を生やしたが、再び飛び上がる前に、錬が巨体を覆うように竜の頭上に魔法の盾を張る。
行動範囲を制限された竜の真正面から、ライアがありったけの状態異常魔法を打ちこんだ。
明らかに動きの鈍った巨体の背後に回り込み、勇人が尾を切り裂く。
琉唯がそれを矢で弾き飛ばして消し去る。
それでも邪神はプログラムでもされているかのように、体を一定の体積に保とうと回復を繰り返したが、物理的に力を削ぎ落され、真っ黒なタールのようだった体は少しずつ密度を減らしていく。
内側から青黒い光を透けさせる異形の、竜の胴体と人に似た上半身の繋ぎ目の中に、人影が見えた。
立夏、と、彼の親友たちが言葉を漏らす。
竜の巨体が魔法の盾を打ち破って再び頭を上げるのと同時に、錬が敵の意識を自分に集中させる魔法を掛け直した。
敵からの攻撃が途切れていたお陰で、それぞれが回復魔法を掛け終えている。
ここからが正念場だと、誰に言われるでもなく全員が理解していた。
――暗闇に飲み込まれ、ゆらゆらと揺蕩うような感覚の中で、立夏はふと目を覚ました。
体の感覚は頭の天辺からつま先まで、痺れたように曖昧で覚束ない。
黒い霧がかかったような、濁った水の中にいるような、ざらざらとした視界だ。
視線を動かすことすら億劫で、自分がどこにいるのかもわからない。
壁を隔てたようなはっきりしない音が聞こえる。金属と石が打ち合わされるような硬質な音だ。
白い光が時折閃いて、そのたび体を苛む倦怠感が少しずつましになっていく。
ふと目の前に青黒いものが蠢き、何か液体が飛び散った。
ガラスに遮られるようにして目の前に付着したそれが、血液だと気付いた瞬間、立夏の意識が完全に覚醒した。
自分の体を邪神の力が包み込んでいる。
それを削り取るように、親友たちが白い光を纏った攻撃を放つたび、邪神が声なき悲鳴を上げて苦しんでいるのが立夏にはわかった。
しかし邪神を攻撃する側も、少なくない怪我を負っている。
邪神の腕が勇人の頭をかすった。額から流れ落ちる血が目を塞ぎそうになるのを、瞼の上を乱暴に拭って態勢を立て直す。
大きな盾を持っている錬も、その後ろで弓を構えている琉唯も、腕や足に怪我をして険しい顔をしていた。
その三人へ、背後に立つ少年の杖から時折光の球のようなものが飛び、傷口が癒される。口が大きく開いて、なにか指示を出している様子は見えるが、声ははっきり聞こえない。
戦いは優勢なのか、それとも勇人たちが押されているのか。それさえも分からず、立夏は眉をしかめた。
逃げろと言いはしたけれど、黙って聞き入れてくれるような奴らではないことを、立夏が一番よく知っている。
自分がこんな化物に捕まったせいで、親友たちが戦っている。
攻撃は邪神の手足や頭を狙っているのだと、立夏はようやく自由に動くようになってきた目で、勇人と琉唯の姿を追って気付いた。
一番狙いやすい胴体に立夏がいるから、そこを避けているのだ。
逃げてほしい。もう傷付かないでほしい。自分をここに置いて行ってほしい。
邪神を介して何人もの絶望の慟哭を頭に流し込まれた立夏は、立ち上がる気力を全て奪いつくされていた。
だから諦念に染まった立夏の腕が動いたのは、助かりたいという欲求からではない。
ただ目の前で怪我をしているともだちを、助けたかったのだ。
邪神の中に取り込まれた立夏の腕が動いた瞬間、勇人たちの目には希望が灯った。
攻撃が効いている。邪神の立夏に対する支配が弱まっている。
あと少し、もう少しあのどす黒い青色の体を切り裂けば、いまに形を保てなくなって立夏を吐き出すかもしれない。
そう思い、軋むような疲労をため込んだ体を無理にでも動かす。
四人の持つ神器が持ち主の想いに応え、いっそう輝きを増した。
人の胴体に無理矢理生やされたような竜の頭を勇人の剣が切り飛ばした瞬間、邪神の巨体が震え、ぴたりと動きを止める。
叫び声のような音を発して、異形の竜の体が崩れ落ちた。
溶けるように崩れた体は立夏を中心にして、無数の腕を生やした巨大な人間の上半身へと姿を変る。
そしてその中にいる立夏にも、幾本もの指が這い、溶け込むように体へとめり込んでいった。
これまでほとんど動かなかった立夏が、苦痛にもがき、喉をそらせる。
動揺して一瞬動きを止めた勇人たちに、背後からライアが気付けがわりに集中力強化の魔法を投げつけた。
「弱まった力の代わりに、彼の魔力を利用しようとしているのでしょう。攻撃するたび宿主が弱ってしまう。短期決戦にします。邪神の動きをレンが抑え、ルイが迎撃、ハヤトが胴体を切り裂いてリッカくんを引きずり出しましょう!」
「おう!」
「任せて!」
「よし、行くぞ!」
迷っている時間は無い。
錬が魔法の盾を邪神の体を覆うように展開し、その場から動かないように封じ込める。
盾の隙間を縫って伸ばされる腕と魔力の弾丸を、琉唯の矢が叩き落していく。
全員の死角が無くなるよう、下がった位置からライアが指示を出す。
勇人は邪神に駆け寄り、剣を振り上げた。
違う、これじゃ立夏にも怪我をさせる。
持ち主の中に生まれた躊躇いを読み取り、剣がゆらりと溶けるように姿を変えた。
両腕が光に覆われ、瞬く間に白と金の鎧で守られる。
勇人はそれを邪神の体に突き入れた。
すぐさま閉じようとする隙間を無理矢理押し開き、立夏に手を伸ばす。
「立夏!
助けに来たぞ!」
立夏は邪神の力に浸食されながら、その声を聴いていた。
すぐそばに居るはずなのに、壁一枚隔てたように遠く聞こえる。
体中が痛い。
他人の記憶に頭の中を浸食されて、意識も何もかもが消えてしまいそうになる。
真っ黒な骸骨のような手が、頭に、首に、心臓に、腹に、足に、ずるずると潜り込んでくる。
痛み自体より、その感触がたまらなく嫌だった。
自分はこんな悍ましいものを知らない。
いままで僕に差し伸べられてきたのは、もっと優しい手だ。
頭を撫でる最初の父さんの大きな手。
抱きしめてくれる母さんの優しい手。
暖かくて無遠慮な親友たちが繋いでくれる手。
指を握る妹の小さな手。
力強く抱きしめて守ってくれた、父さんの手。
それらの記憶が化物の冷たい手の感触に塗り替えられそうになり、立夏は腹の底から激怒した。
ふざけるなよ。
ひとに断りもなくこんな所へ連れて来やがって。
散々振り回しやがって。
いい加減にしろ。
もううんざりだ!
目を見開いた立夏の正面に、勇人がいる。
必死に前へ進もうとする勇人の腕は光を放つ鎧で守られているが、それ以外の箇所に邪神の体が触れるたび、じゅうじゅうと音を立てて皮膚が少しずつ焼けていた。
立夏を引っ張り出すための隙間をこじ開けることは出来ても、すぐに閉じようとするその向こうまで腕を伸ばすことができない。
自分を呼ぶ勇人の頬がじりじりと焼かれるさまを見て、立夏の胸の中に激情が生まれた。
植え付けられた他人の絶望の記憶のせいで萎れていた心に、再び火が灯る。
自分の頭に潜り込む邪神の手を両手で掴み、立夏は一切の躊躇なくそれをへし折った。
邪神の魔力で出来た手は立夏の魔力と心に浸食するが、所詮まがい物だ。体の中に本当に手や腕が埋まっているわけではない。
思い返してみても、邪神がこれまでに、立夏の体自体に傷を付けたことは無かった。この黒い手もそう見えているだけのまやかしなのだ。
自分を体内へ留めようと絡みつく腕を引きはがし、踏みつけ、振り払い、立夏は前へと足を踏み出す。
邪神の体から勇人を遠ざけたい一心で伸ばした立夏の手を、鎧に包まれた勇人の手が掴んだ。
「ぉおりゃあっ!」
掛け声とともに邪神の体を勇人が蹴りつけ、その反動で立夏を引き抜く。
体内から立夏に向かって伸ばされた黒い腕を断ち切るように、錬の盾が振り下ろされた。
琉唯の特大の矢が宿主を失った邪神の頭に命中し、その隙に走り寄ったライアが勇人と二人で立夏の体を邪神から遠ざける。
四人の持つ神器が、鈴に似た音を発した。
段々と大きくなるそれは反響して響き、邪神の悲鳴をかき消す。
真っ暗な大空洞の中を、目も開けていられないほどの真っ白な光が照らし出した。
自分を守ろうとする親友たちに囲まれながら、その光を、立夏はただ圧倒されて見つめていた。
曙光のようだ。
青空を切り裂くように白く輝く、朝日に似た光だった。
邪神の夜闇のような体はその光に洗われ薄くなり、やがて嘘のようにふっと消えてしまった。
そして四人の持つ神器も、邪神と共に光に溶けて消えていく。
後に残ったのは、反響しながら小さくなっていく、高く澄んだ鈴の音だけだ。
人知を超えた光景に立夏がぽかんとしていられたのはほんの数秒のことだった。
すぐに親友三人に囲まれ、立夏はぐっと言葉に詰まる。
なんて言えばいいんだろう。
さっきは勢いに任せて助け出されてしまったけれど、本当は助かりたくなんてない。
誰にも知られないまま消えてしまいたい。
けれどこんな気持ち、どう問い詰められたところで、説得されたところで、打ち明けられる気がしなかった。
押し黙る立夏の耳に、ずずっと鼻をすするような音が聞こえる。
疑問に思うより先に、親友たちが容赦なく立夏に抱き着いた。
「立夏だ!!!! り゛、り゛っがだぁ!!!!」
「怪我してない!? 大丈夫!? し、心配しだんだよりっがぁ!!!!」
「オレッ!! もう会えな゛い゛がどおもっ、お゛も゛っで……!!!!」
親友たちはめちゃくちゃ汚い発音で思い思いに叫び散らかしながら、それはもううるさく泣いた。泣き過ぎてえずきそうな勢いだった。
攫われてからずっと心配で心配で仕方なかった相手に会えて、問い詰めるだとか説得するだとかいう発想が出るはずもないのだから、当然といえば当然である。
そしてなんと言ってもやっぱり、三人は馬鹿だし単純なのだ。
いろいろあったけれどとにかく、立夏が元気に邪神の腕をぶち折りながら出てきたからよかった! 万歳!
そんな気持ちで胸いっぱいになっている三人には、それまでの立夏の苦労だとか、複雑な心境だとか、そういうものに思いを馳せるだけの余裕なんてひとつもないのである。
ただ再会の喜びに泣き喚く以外にすることなんてない。
立夏がいる。触れる。あったかい。それだけで十分だったのだ。
会えて嬉しいと、心配していたと、生きていてくれてよかったと、真っ直ぐな喜びの気持ちをこれでもかというほどにひたすらぶつけられて、立夏は固まった。
どうすればいいか、わからなくなってしまったのである。
ひとまず痛いくらいにしがみ付いてくる三人の背中をぽんぽん撫でてやった。
そうすると余計とんでもない声量で泣きだすので逆効果だった。立夏は知る由もないが、全員訓練の成果が出て肺活量が上がっているのだ。
最早なにをやっても泣く勢いの三人に、どうすることもできず、立夏は黙った。
そして、そうすると、なんだか勝手に涙が零れることに気付いてしまった。
一度流れてしまった涙はおさまらず、次から次へと溢れてくる。
三人の仲間入りを果たして、立夏は声を上げて泣いた。
今まで生きてきて、こんなに恥も外聞もなく大声で泣いたのは初めてだった。
父さんとの思い出が頭に浮かぶたび泣いて、母さんの悲しみを思って泣いて、物心つく前に父親を喪ってしまった妹のことを思って泣いた。
自分を助けに来てくれた親友たちの存在がありがたくて、自分が幸せなことが申し訳なくて泣いた。
もう家族四人では行くことのない花見の約束を思い出した。幸せになりなさいと言ってくれた、最初の父さんの言葉を思い出した。自分と妹を心配する、抱きしめてくれた腕と最期の声を思い出した。
そのたび涙があふれ、とめどなく流れ落ちていく。
そうしているうちに、いつのまにか周りの三人のほうが先に泣き止み、立夏を心配してぎゅうぎゅう抱きしめたり背中をさすっていることに気付いたけれど、まだ涙は止まらなくて、ひぐひぐと喉を鳴らしながら泣いてしまう。
やっとそれがおさまった頃、泣き過ぎてぼうっとする頭で、立夏は母親のことを考えた。
母さんはこんなふうに、身も世もなく泣けているんだろうか。
こんなふうになってみて初めて分かったけれど、大声で泣くというのは案外難しいのだ。
切っ掛けというか、ある種の思い切りというか、よくわからない勢いがないと、我慢に慣れた人間の涙腺というのは決壊しないのである。
帰ったら今度は、僕が母さんをちゃんと泣かせてやらなくちゃ。
悲しさを受け止めて、一緒に抱えて、そうしてまた家族みんなで暮らそう。
自分がここにきてから何日も経ったけれど、妹の面倒は勇人のうちの人たちが見てくれているんだろうか。早く帰ってお礼を言って、僕も妹のお世話をしてやらないと。
早い子だともうそろそろハイハイが出来るようになるらしいし、最初の一歩を見逃したら絶対後悔する。
そこまで考えて、立夏は自分が自然と、生きたいと思っていることを自覚した。
そうか、僕、生きたいのか。
みんなと一緒に生きていたいのか。
あんなにつらくて、いまだってまだ胸が痛くて悲しくてしんどいのに。
自分が幸せになるなんておこがましいと思っているのに。
でも、幸せになれるかもそうじゃないかも分からないし、この先自分のことを許せる日が来るのかも分からないけれど、僕はきっと、みんなと離れたくないんだ。
この気持ちを抱えたまま、これからも大切な人たちと、歩いて行きたいんだ。
ぐす、と鼻をすすりながら、立夏は親友たちの顔を見回した。
「帰ろっか」
がさがさの声でそういう立夏に、三人がへにゃっとした笑顔で頷く。
そしてふと思い出し、四人は親友たちの再会に遠慮して一歩離れた場所で黙っていたライアを見た。
キラキラした王子様は目を真っ赤にしていた。手に持っているハンカチもくしゃくしゃのぺしゃぺしゃになっている。
明らかに泣いた後である。
貰い泣きでもしたのか、あるいは怪我でも痛いのかとおろおろ心配する四人に、ライアは手をひらひら振って心配ないと言い訳をした。
「そ、それより、はじめまして! 僕はライア・エル・ファルシールと申します! 女神様から命を受け、邪神退治のために三人と一緒にここへ来ました。リッカくんは楽しいかただと、お噂はかねがね聞いていましたよ!」
誤魔化すように自己紹介を始めたライアに、立夏はとりあえずお辞儀をする。とにかくこの件でいろいろ力になって貰ったんだな、ということは理解できたので。
「えっと、黒宮立夏です。その、なんというかご迷惑をかけたようで」
「いえいえそんな! 非常に得難い経験をしました! お役に立てて光栄です!」
「はぁ、どうも……」
初対面の人間からニコニコキラキラと好意100%の笑顔を浴びせられ、立夏は目を白黒させた。
親友たちはこの天使のような顔の少年に、一体どんなふうに自分のことを話したのやら。
気になるが、こんな暗くて辛気臭い場所でする話でもないだろう。
周囲に浮いている魔法らしい光の球が気になってちらちら視線をやりつつ、とにかくここを出ないと、と立夏が言いかけたその時。
大空洞の天井から、小石がばらばら落ちてきた。
それ自体は戦闘中もよく起きていたことだったのだが、五人は何故だかそれが気になって、石ころの落下地点から離れる。
直後、そこへ頭ほどはありそうな岩が落下した。
大きな音を響かせて、そこかしこへいくつも石が落ちてくる。
五人は弾かれたように出入口へ走り出した。
地鳴りのような音が鳴り響き、天井が本格的に崩落し始める。
「いやまずいまずいまずい!」
「やばいでしょ階段無いんだよどうやって戻るの!?」
「は!? 邪神倒したのに!? 無事に帰れないの!?」
「脱出イベント開始すんなクソゲーか!」
地球人四人組の罵倒に答えるかのように、大空洞の入口へ巨岩が落下して塞いでしまう。
悲鳴を上げながらそれを回避し、五人は駆け回って比較的石の落ちていない地点へと避難した。
天井どころか地面にも亀裂が入り、いよいよ逃げ場は減りつつあった。
「あっそうだ僕転移魔法ある! えっでも全員いける!? いけるか! 一発くらいなら行けるわ集まって!」
「立夏ーーー!!」
歓声を浴びつつ、立夏は指先で空中に印を描いていく。
邪神に憑りつかれていた残滓の強い魔力が、まだ立夏の中には残っていた。
それに邪神は移動のための魔法を覚えたいと立夏が願った時、細かい制限を付けなかったせいか、一人用も複数人用も、なんでもひっくるめて教えてくれていたのだ。
お陰でとんでもない頭痛と不快感に襲われたが、まさかこんな場面で役に立つとは思っていなかった。
立夏の指先の動きに連動して、五人の足元に大きな魔法陣が現れる。
大昔に伝承が途絶え、失われた魔法だ。手順が増える代わりに多人数の移動と、柔軟な転移場所の指定が出来るこれを立夏は選んだ。
神殿まで転移で移動したせいで、建物の外の地上の様子を知らないため、安全策として速さより正確さを優先したのだ。
立夏の指が複雑な印を描き切る。
あとはありったけ魔力を注ぎ込めば魔法が発動する、というその時、五人の足元に亀裂が入った。
ぱっくりと地面が裂け、がらがら砕けて底の見えない暗闇へ落ちていく。
立夏たちはとっさに避けたが、亀裂の近くにいたライアの体は、ぐらりと後ろに向かって倒れていった。
そばにいた立夏が咄嗟に手を伸ばす。
まるでスローモーションのように、全てがゆっくりに見えた。
目の前で落ちていくライアの姿に、あの日の父親の姿が重なる。
間に合わない。届かない。
更に前へ進む。体が亀裂に向かって傾いていく。
背後で勇人たちが立夏を引き留めようとした。既に彼自身が落ちかけていたからだ。
親友たちの手が自分の腕を掴み損ねたことにも気付かず必死に手を差し伸べてくる立夏に向かって、ライアは魔法を放った。
衝撃波で押し戻された立夏の服を勇人が掴み、錬と琉唯が体重をかけて二人を安全地帯へ引き寄せる。
魔法の光に照らされた明るい金髪がふわりと広がり、すぐに暗闇に飲み込まれて見えなくなった。
立夏の叫びと共に流れ出した魔力に反応して、足元の魔法陣が輝き、発動する。
四人は地上へと転移した。
その直後、大空洞が完全に崩落する。
陥没した大地を、脱出した四人は言葉を無くして呆然と見つめた。
膝から崩れ落ちた立夏が手をつき、握りしめた拳で地面を叩く。
立夏が引き上げられるのを見て、落ちていくライアは、安心したように微笑んだ。
きらきらした金髪の残像とその笑顔が、瞼の裏に焼き付いていた。
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