第45話 優しい魔王の願いの行方・前
黒宮立夏はぼんやりと曇り空を見上げ、それからゆっくり瞼を閉じた。
こめかみの上あたりがじんじんと痛む。熱が出ているような、肌の上にもう一枚膜がかかったような鈍い感覚がする。
この世界に来て今日で何日目なのだろうか。最初は数えていたけれど、黒い影に意識を乗っ取られるようになってからは、正確な時間経過がわからない。
とにかくあれからずっとろくに眠れていないのだから、それは疲労だって溜まるだろう。
立夏は他人事のようにそう思った。
あの黒い、歪な、人影のようななにか。立夏を元の世界から連れ去ったもの。
それが邪神と呼ばれているのだと知らなかった立夏は最初、それをただ、あれ、だとか化物、だとか呼んでいた。
化物のせいで異世界へ飛んだばかりのころの立夏は、まだ自分の境遇に驚きつつも、余裕をもって周囲を見回していた。
あのとき同じ場所にいた親友三人が、自分と一緒には来なかったからだ。
こんな目に遭っているのは自分だけなのだと安心できた。
真後ろに立って上から自分を覗き込むように見つめてくる悍ましい黒い影は確かに恐ろしかったが、化物に憑りつかれて見慣れた通学路から突如見知らぬ土地へ飛ばされ、しかもそこは地球ですらなさそうだ、とくれば最早悩むより開き直ったほうが早い。少なくとも立夏にとっては、恐怖よりもある種の呆れというか、なんだそりゃ、という気持ちが勝った。
願いを、願いを、と延々と問いかけてくる声も、一日中聞かされれば虫の鳴き声とそう変わりなく感じてくる。
なにせこの化物は、最初は本当にそれだけの薄っぺらな存在だったからだ。
延々音を発し続ける壊れたでかくて黒いラジオでも持たされてサバイバルを余儀なくされたような気分の立夏は、もう腹をくくって水場を探す他になかった。
それと同時に、化物よりもまず現地人が怖かった。
おばけなんてものはどう扱おうが文句の出るものではないが、生きている人間はそういうわけにもいかない。
こんな化物付きの見慣れぬ少年がうろついていたら、まともな危機感のある人間なら排除しようとするだろう。立夏はそう考えた。それに反撃して怪我でもさせてしまっては寝覚めが悪い。
だからなるべく、人の手が入っていなさそうな、草も生え放題で獣も出る場所を選んで最初の拠点を構えた。
どうにか火種を熾して焚火をし、ノートで紙鍋を作って水を少しずつ煮沸して飲んだ。それで体に不調が無かったため、今度は自分の見知った植物に近いものを探し、川で魚を釣り、それらを適当に煮込んで食べる。意外と食べられる味の暖かい食事を口にできた時、立夏は背後に化物を張り付けたまま、心底安堵してため息をついた。
生きるのに必死過ぎて、それ以外の情報を受け取る余裕がなかったとも言える。
それから数日生き延びるうち、立夏はやけにホイホイと魚が釣れると不思議に思った。
そのへんで拾った木の枝と、制服のボタンをとめていた糸を解いて作った釣り糸、ゼムクリップで作った針を素材にした粗末な釣り竿での釣果としては、やたらと入れ食いだったのだ。
それに魚が釣れた後は、やけに疲れた。最初は釣りに集中しすぎて疲れているのかとも思ったが、それにしては顕著に過ぎる。
そこでやっと立夏は、自分の背後で延々願いを叶えると言い続けるなにかの存在を意識した。
つまりこの存在は自分の、魚が食いたい頼むから釣れてくれ、とぶつくさ小さく文句をたれる言葉を聞き届け、魚がひょっこり釣り針に引っかかるよう不思議な力でも発揮してくれていたのだろうか。
対価に自分の体力か何かを吸い取って。
何もしてこないなら居ないのと一緒だ、と屁理屈を捏ねて無視してもいられなくなり、しぶしぶ立夏はこの化物について考えるようになる。
本当はもっと早く対策を立てなければいけなかったのだろうが、いかに図太い立夏でも、見知らぬ異世界でサバイバルをしつつオカルトじみた存在を調べるのは荷が重く、現実逃避をして精神を回復させていたのだ。こればかりは仕方がない。
立夏はほんの少しずつ、意図的に願い事をして、自分の体力の減りを見極めることにした。
餌付きの釣り針に魚を食いつかせるのは多少の疲れで済んだ。餌なしではもっと疲れる。
枝になった木の実を落とすのは簡単。しかし地面に落ちた木の実を浮かべててのひらに乗せるのはなかなか疲れる。
火をつけた薪の火力を維持するのはそれほど難しくないが、一から火を付けようとするとそれよりも疲れる。
つまり物理的に可能な範囲での些細な事なら、この化物は意外と柔軟に願いを叶えてくれるようだった。
しかしながら、自分で出来る事なら化物に叶えてもらう必要はない。
立夏はそこで、自分の知らないこの世界の知識を、化物から得られないだろうかと思案した。
まず手始めに、いままで見つけてはいたが食べてはいなかった、紫色の馴染みのない果物について質問してみよう。そう決めて、よし、と立夏は意気込んだ。
その意気込みが肩透かしになるくらい、簡単に化物との対話は成功した。
この果物は食べられるのか。
是。
自分が食べて害はないのか。
是。
この辺りの人間もこれを食べているのか。
是。
どう食べているのか。
生。煮る。砂糖。
初めの質問が一番疲れず、最後の質問が最も疲れた。
この情報を自分が化物を介さず調べようと思ったなら、同じように最初の疑問の答えが一番得やすく、順に答えを得るための手間が増えていくことだろう。
立夏は邪神が願いを叶える際の対価の法則について、この時点である程度理解した。
そうして立夏は自分に憑りついた化物と対話を続け、これが邪神とだけ呼ばれている存在であること、人間の願いを叶えることに固執していること、願いを叶える際に魔力を吸い取っているのだということ、どうやら人格というか性格というか、そういったものが無いのではないかということを知っていく。
この頃の立夏にとって、邪神は滅茶苦茶にデザインが最悪ではあるものの、便利な道具のように思えていた。
その認識が間違いだとわかったのは、森の中で兵士から逃げ回る最中、一人の男に出会った時だ。
ある日水を汲みに川へ行った立夏は、鉄や皮で作られた揃いの防具を着た人間に見つかってしまった。
いつかこんな日が来るだろうと思っていた立夏は素早く森へ逃げ込み、異世界へ持ち込んだ荷物と干した魚の入った鞄だけを拠点から持ち出し、逃亡を開始した。
自分を発見した途端、兵士達の顔が緊張し、腰に下げた剣に手をかけた、あの様子。まるで猛獣にでも遭遇してしまったような、本能的な怯えが彼等にはあった。
そりゃこんな化物を背後に引っ付かせた人間が居たら怖いだろう。
立夏はそのことに対して悲壮感の欠片も感じなかったし、当然のこととして受け止めていた。相変わらずサバイバルに忙しく、感傷的になる暇がなかったからだ。
適当に枝や草を折って痕跡を残した方向の反対に進んだり、足跡を残してその上を踏みながら後退して進行方向を誤魔化したりと、ほとんどやけっぱちに知識を投入して捜査網を攪乱させながら、立夏は異世界なんてクソ食らえだと悪態をつきつつ森を歩いた。
そうしていい加減疲れ切ったころ、ふいに、ぼこぼこと地面に穴の開いた奇妙な地形に行き当たり、白い花のリースを手にしてしゃがみ込んでいる男の背中を見かけたのだ。
その瞬間、空気がどろりと暗さを増したような気がした。
後ろに立つ邪神は、以前はこんなにもくっきりとしていただろうか。
そんな疑問を覚えた頭の中が、ぷつりと照明を消されたように、一瞬で真っ暗になる。
再び目を開けた瞬間、目の前には見知らぬ男が立っていた。
その男が目を閉じ、ぐらりと地面に開いた穴に向かって倒れていく。
咄嗟に立夏は男の腕を掴んだ。
それでどうにか男が頭から落ちていくのは防いだが、斜めに傾いた体がずるりと穴に滑り落ちることは防げなかった。
引きずられるように一緒にずるずる穴に落ち、ぐったりと底に座り込んだ男のそばで、立夏は地面に蹲ったまま泣いていた。
心臓がドクドクとうるさく鳴っている。
頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されたような気分がした。
知らない景色が、いくつもいくつも瞼の裏に見える。
これはなんだ。
ウサギを何羽も仕留めて家に持ち帰る男の太い腕。笑いながら彼に抱き着く少女と、柔らかな笑顔の女性。二人が粗末な寝床ですやすやと健やかに眠る姿。
見慣れない具材の入ったスープ。子供の小さな手で木皿に置かれるパン。キルトのクッション。大きさの違う何枚ものワンピースを縫う荒れた指先。
痩せこけて、それでも優しく微笑む母親。白い花のリース。芝生に覆われた墓。泣いて赤くなった少女の目。雨音に包まれた家の中で泣きながら抱き合う父と娘。
ウサギの刺繍。少女の体が収められた小さな棺。二つに増えたリース。テーブルの上の花瓶にさされた枯れた花。クローゼットにしまわれたまま一度も袖を通されなかった、少女がもっと大人になった時のためのワンピース。
乾きに苦しむ人間が、人ですらない体に作り替えられて、干からびてひび割れた地面を這いずり回る様子。いつかの夏に行われた祝祭の日に、村中を飾る花の鮮やかな色。
大人びた少女が優しく笑う表情。綺麗なドレスを着て得意気にスカートの裾を揺らす無邪気な仕草。それが腐って蛆に塗れながら誰かに食いつくありさま。
暗い洞窟の中で奇妙な祭壇に跪く、花模様の入れ墨を腕にいれた片足の無い女。同じ入れ墨の腕が抱きしめる、事切れた男の冷たい温度。その男が照れくさそうにアクセサリーを差し出す姿。
見知らぬ人間の幸福と絶望が、立夏の脳を焼き尽くしそうなほどに溢れていた。
その奔流がおさまったころ、立夏は自分の背後に立つ邪神が今までよりずっと存在感を増し、己の背中にべたりと接近していることに気付いた。
自分の腕が、足が、じわじわと蠢く黒いシミのようなものに覆われている。
よく見ればそれは肌についているわけではなく、そこだけが邪神の体を構成する、どろりとした闇のようななにかに纏わりつかれているらしかった。
ここに来てやっと、立夏は邪神が己の想像以上に危険な存在であることを直視した。
それはそうだ。
人間一人をどこかの世界へ攫えてしまうような存在が、ただの便利な道具であるはずがない。
この地獄のような記憶が邪神と無関係であるはずがない。
これは、災厄なのだ。
神と呼ばれる悍ましいなにかなのだ。
立夏の胸に、冷たく沈み込むような納得が生まれた。
眠っている男はどんなに肩を揺さぶっても起きなかった。
生きてはいるが、今後目を覚ますのか、わからない。
森の中の空気は一変している。
この男の望む何かが、叶えられてしまったのだろう。
立夏にはそれが自然とわかった。
この邪神は人の望みを叶えたがっている。
そして叶えるたびに力を増している。
いや、むしろ、存在が濃くなっていると言ったほうが良いのかもしれない。
邪神の存在が確立されつつある、という感覚が立夏にはあった。
それと同時に、邪神が自分を取り込みつつあることも自覚した。
邪神に対するこの奇妙な理解と納得は、つまりそういうことなのだろう。
いまはまだ自分はこうして意志を持ち思考していられるが、そのうちに邪神と融合し、願いを叶えて彷徨うだけの存在になるのだ。
それを避けるためには、とにかく人間に会わずにいるしかない。
立夏は後ろ髪を惹かれながらも、眠り続ける男を穴の底へ残し、どうにか上へ登ってその場を後にした。
人気のない場所へ行かなければならない。
けれど、自分はいま、既に誰かに追われる身のようだ。
人が歩いた形跡のない場所を選んで進みながら、立夏はどうすればいいのか悩んだ。
その間にも、脳裏には自分が経験したのではない記憶が泡のように浮かんでは消えていく。
出来るだけ誰も居ない場所へ行って、けれどその後は?
この得体のしれない神様を連れて、ずっと人から逃げ続けるのか?
それは無理だ。自分はまだ人間なのだから、食料も水も睡眠も必要だ。
ふと、先程見た誰かの記憶の一場面を思い出した。
あの祭壇のようななにか。そうだ、邪神というくらいなのだから、こいつを神と崇める集団がいるんじゃないか。そこへこいつを預けてしまえば。
いや、こんな無自覚に災厄を振りまく危険物を信者の元へ送るなんて正気の沙汰じゃない。
そもそもそんなことになれば、自分もどうなるか分からない。邪神を祀る邪教なんてろくでもないに決まっている。
けれど、この記憶は果たしていつの時代のものなのだろうか?
立夏は歩きながらしばらく考え込んだのち、邪神に質問をした。
お前を崇める集団は存在するのか?
是。
今も組織的に活動しているのか?
否。
信者は邪神を計画的に探している?
否。
活動拠点は残っているのか?
是。
僕が行ける範囲にもあるのか?
是。
そこに人はいるのか?
否。
どれくらいの期間人が近づいていない?
50年。
僕がそこへ行くにはどんな手段がある?
歩く。獣。魔法。
魔法。そう言われて、立夏は眉をしかめた。
そりゃあ神がいるなら魔法だってあるだろう。自分はファンタジー世界に異世界トリップしてしまったというわけだ。
だったらもふもふした魔獣だとか可愛いエルフだとかをおともにしてくれればいいのに、自分のそばにいるのはこんなクソ災厄邪神野郎である。
理不尽すぎてシンプルに苛ついたが、こんなところで呑気にキレ散らかすわけにもいかない。
立夏は深呼吸をし、次の質問を考えた。
移動するための魔法は、努力すれば僕でも習得できるのか。
是。
五体満足で人格や記憶や精神や魂が傷付かず後遺症も残らず、周囲のものを巻き込まないという前提で、その魔法を今すぐ習得できるか。
是。
習得してすぐ使うことは出来るか。
是。
それなら、ここで覚えてしまってもいいのだろうか?
しかしながらこの邪神の答えが信頼できるのかもわからないし、どこかに落とし穴がある可能性だって十分ある。
悩んでいると、ふと森の中に奇妙な気配が入ってきた。
立夏はそれまで、気配を感じる、などという創作物の中くらいでしか見かけない技能を自分が持っていることを知らなかったが、この感覚はそうとしか例えようがない。
じりじりと肌を炙られるような、癒されるような、相反する感覚が体にまとわりついている。
心なしか背後の邪神も、嫌がって体を縮めているように見えた。
まさかこれを倒せる人間でも来たんじゃないだろうか。それこそ、勇者とか、そんなものが。
だとしたら頼りたい気もしたが、邪神に乗っ取られかけている自分が助けてもらえる確証はない。
立夏は腹をくくり、邪神に移動のための魔法を教えてくれるよう頼んだ。
その途端ぐらりと体が揺れ、立夏は柔らかな腐葉土で覆われた地面に倒れた。
先程見知らぬ男の願いを邪神が叶えた時のような、頭になにかを流し込まれる感覚がする。
それに耐えようと集中すると、歩くどころか立っているだけの余裕すら無くなるのだ。
かろうじて呼吸だけはしながら、立夏は地面の上で小さく丸まって、自分の脳が作り替えられていくような不快感に耐えた。
やっとそれが治まると、今度は鈍い頭痛に襲われる。思わず呻き声をあげてしまい、それがまた頭に響く。
せめてもっと回復してから移動したかったが、贅沢は言っていられない。
頭痛と吐き気を堪えながらしばらく進むうち、森の中の気配がふと足を止めたのを感じた。
安心して木に背を預け、ずるずると座り込む。少しでも休息を取りたい。
ぐったりと休んでいると、体力ではない何かが少しずつ回復していくのを感じた。おそらくこれが魔力というやつなのだろう。
もう少し、できればひと眠りしてから、という立夏の望みは虚しく断たれた。
森を覆っていた邪神の力が、己の後を追ってくる何らかの存在の放つ力によって晴らされたのだ。
自分を追ってきたらしい誰かが邪神の力に対抗できる存在だということは、これで確定したものの、会っていいものかは相変わらず定かでない。
くたびれきった体を引きずり、立夏は草木をかき分けて森を進んだ。
転移魔法を使って人気の少ない場所へ飛ぶことは確定している。けれどまた意識を乗っ取られたら、このやたら人間に関わりたがる邪神は勝手に町へでも行くかもしれない。
それを阻止するために、立夏は願い事の文言を考えた。
「……目的地への移動は基本的に徒歩でいい。方向の補助だけが必要だ。できるだけ人目を避けて効率よく邪神の神殿に向かうことを最優先にしてくれ」
そう言って覚えたばかりの転移魔法を使う。目的地を矯正するために、自分の意志に外側から邪神の力が干渉してくるのがわかった。
指先が空中に印を描ききった瞬間、体内の魔力がごっそりと抜けていく。
弾けるように広がった魔法の光を、立夏は無感動に眺めた。
はじめて使う魔法だというのに、そこには驚きも感動もなにも無かった。
また意識がブラックアウトする。
ぐらぐら揺れる視界に気付き、はっと頭を上げると、そこはどこかの山中だった。どの方向へ向かえばいいのかだけは、頭の中に方位磁石でも入れられたかのように理解できる。
また見覚えのない凄惨な記憶が増えていた。自分が邪神に願ったせいなのか、それとも意識を無くしていた間に誰かと接触したのか、一体どちらだろう。
後者の可能性が高い気がしたが、少なくとも今は周囲に人がいる様子は無かった。
周りは見渡す限り人工物が一つもなく、食べられそうな野草や木の実もあったが、誰かが採取に来た形跡もない。
そこで立夏は、自分がほとんど空腹を感じていないことを自覚した。
邪神によって意識が何度か乗っ取られたせいだろうか。
それとも体のつくりが変わるほどに、融合が進んでいるのだろうか。
どちらにしろ、自分はいよいよ人間でなくなりつつあるらしい。
これは母さんに顔向けできないな、と立夏は思った。
息子がこんな得体のしれないなにかになるなんて、真面目なあの人は想像だってしたことが無いに違いない。
まだ小さな妹だって、こんな黒い何かにまとわりつかれた腕では抱き上げてやれない。
親友たちには言うまでもなく会いに行けない。絶対に心配されるし泣かれてしまう。
ああ、けれど、帰れるかどうかそもそもわからないのだから、心配するだけ無駄だろうか。
神殿に邪神を閉じ込めたところで、自分もそこから離れることが出来ずに朽ち果てるかもしれないのだし。
第一邪神のせいでここへ来たんだから、邪神の機嫌を損ねたら帰れないんじゃないだろうか。
神様だって人だって、どこかに閉じ込められるなんて嫌に決まっている。
足場の悪い山道を歩いて幾日か経った頃、立夏は自分の体にまとわりつく邪神が、以前よりずっと重く大きくなっていることに気付いた。
どうやら時間経過でも力を増していくらしい。
それが分かっても、疲弊した体と、悲惨で優しい記憶の数々に蹂躙された脳みそは、大した危機感を覚えなかった。
そりゃそうかとしか感じない。どんどん状況が悪くなっていくわりには、案外動けているなとすら思った。
こんな得体のしれないものに憑りつかれて、ただの男子高校生が一人で頑張ったにしては、上出来じゃないか。せめてそう思わせてくれ。
出来るだけ誰も巻き込まずに済んでいる。これでも努力はしたんだ。なんの意味も無いのかもしれないけれど。
あの倒れていた男の人が無事に助かったかだけは気になるが、きっとあの時森に入ってきた誰かがどうにかしてくれたと思っておこう。
目的地が転移魔法の範囲に入ったことを感じて、立夏はためらいなく魔法を発動した。
曇り空の森の中から、真っ暗で静かな洞窟の中へと、魔法は滑らかに立夏を運んでくれる。
椅子のようにも見える祭壇のくぼみに座り込み、冷たい石に体を預けて、立夏はほっと溜息をついた。
邪神が素直にこの場に留まったのを感じたからだ。
今まではゆらゆらふらふらと蠢いていた気配が、おさまりの良い場所を見つけて伏せた猫のようにじっとしている。
上出来だ。これでいい。
案の定自分もこの場から出る気力を失ってしまったが、薄々そんな気はしていたから。
この判断が正解だったのかなんてわからないけれど、自分に出来る事なんて、この邪神と心中もどきをすることくらいのものだ。
何の音もしない、色も無い、静かで孤独な神殿の中で目を閉じると、瞼の裏に様々な風景が通り過ぎて行った。
大半は例の見知らぬ記憶だ。最近は元の世界のことを思い出すより、別の誰かが見た景色を見ることのほうがずっと多い。
時々その中に混じる自分の記憶で一番多いのは、寝そべって見上げた青空だ。
あの日見たあの色が、自分の中に、ずっと焼き付いている。
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