第41話 勇敢な少年のとある決意・後

暗い部屋だ。

スローモーションのような視界の中を木屑と土埃がぱらぱらと飛び、それがランプの明りで白っぽく照らされている。

その向こうに男が一人立ち、手にノコギリを持っていた。

その前に、テーブルと、工具箱と、それから、ぎざぎざの切り傷のできた、紫や赤色でまだらに染まった白い腕が。

指先が全部赤黒くなって、爪の欠片が所々落ちて、手の甲が流れた血で真っ赤に染まって。

服が赤く血を吸いぺたりと肌に張り付いている。

腫れた頬。

何かを踏んで一瞬下に目を向ける。小さな歯が落ちていた。

ライアのきらきらした金色の髪が汚れて赤茶けた色になっていて、力なく垂れた頭が、ほんの僅かに動いてこちらを向いた。

片目が閉じられている。

そこにランプに照らされてきらりと光るものがあって、勇人はそれが何かわからなかった。

きっと実際には1秒にも満たない時間。異様な状況下で研ぎ澄まされた神経のまま、勇人はライアを見つめる。

ああ、そうか。

瞼の上からまっすぐに、針が。


侵入者に目を見開いた男は、手に持っていたノコギリをライアの首目掛けて振りかぶった。

敵の排除より目の前の相手を殺すことを優先したからだ。

ほとんど反射のように動いた勇人の剣が、それを弾き飛ばす。

もう一歩踏み込んで勇人は男を殴り飛ばした。

自分が攻撃をする担当だからだとか、そんな事は考えていなかった。

ただ、目の前の男が憎い。

殺してやりたい。

こんなに明確な殺意を持ったのは初めてだ。

ふざけるな、と叫んだような気がしたけれど、頭の中が滅茶苦茶になって口から勝手に言葉が出たから本当にそう言ったのかはわからない。

剣を床に落としたことにも気付かないまま、壁際に倒れ込んだ男を見下ろし、勇人はただ握りしめた拳を振りかぶった。


「顎に当てて!」


後ろからミラベルの声がして、なんの疑問も持たずに拳を男の顎に打ち込む。

骨が砕けた感触がした。男がぐるんと白目をむき、口が開きっぱなしになる。

勇人の後ろから駆け寄ったミラベルが細い腕を伸ばし、男の口の中に指を突っ込んで、何か小さな丸いものを取り出した。

それを床に捨て、男の手足を拘束する。

後ろからは錬と琉唯が必死になってライアに回復魔法をかける声がした。

二人とも声がひきつったようになっていて、多分琉唯は吐きかけている。呼吸音が少しおかしい。

足元にぼたぼたと水滴が落ちて土の床に染みているのに気づいて、勇人はその時やっと自分が泣いているのだと理解した。


どうして。

なんで。

なんでこんな酷いことが出来るんだ。

あいつはいいやつなのに。

こんなことをされる理由なんてないのに。

勇人はそっとミラベルの肩を押しのけ、男の首を掴む。

太い血管の中をどくどくと血が流れる振動が肌に伝わる。

指に力を込めようとした、瞬間。


「駄目、です」


掠れた声がした。

それから錬と琉唯が必死になってライアを止めようとする声も。

振り向くと、ライアが血まみれの手をテーブルについて、ゆっくりと立ち上がっていた。

あまりにもどこもかしこも傷だらけだから、回復魔法をかけている二人は、どこを掴んで座らせればいいのか分からないのだろう。

顔を真っ青にして、ライア、休んで、動かないで、と声をかけながら回復魔法を唱える二人を、ライアはすっと片手を軽く上げただけの動きで制止した。


「その人をそれ以上傷付けてはいけません」


思いもよらないことを言われて、勇人は思わず手から力を抜いた。

どこの傷から染みたものなのかもわからない血で汚れた髪を頬に張り付かせたまま、ライアは治ったばかりの瞳を真っ直ぐに勇人へ向ける。

片目の睫毛が血で固まって束になっていた。

涙と共に目尻から伝った血が首筋まで垂れて赤黒い筋を作っている。

目の前の男の手で満身創痍にされたライア自身にそう言われ、勇人はわけがわからなくて、はくはくと酸素を求めてあえぐように口を開いた。


「なんで」

「先程腹を殴っていますね。ハヤトの力で一般人を殴ったなら、内臓に傷がついていてもおかしくありません。手足も拘束しました。自決用の毒もミラベルが取り除いてくれています。猿轡もしてくれましたから、舌を噛み切ることも出来ないでしょう。今の彼は無害です」


そう言われて見てみれば、勇人がライアを見ていた間にミラベルがやったのか、口に布を噛まされている。

そもそも顎を割られているのだから、そんなことをしなくたって舌なんて噛めないんじゃないか。

麻痺したような巡りの悪い頭でぼんやりそんなことを考えていると、ライアが錬を申し訳なさそうに見おろした。


「すみませんが、彼にも回復魔法をかけてくれませんか」

「は?」


真っ青な顔で魔法をかけていた錬が、あっけにとられて動きを止めた。

琉唯も勇人も同じだ。なんならミラベルだって言葉を無くしている。


「そのままだと死んでしまう可能性がありますから。取り調べを受けて刑を執行されるまで、きちんと生きていてもらう必要があります」

「は、だって、こいつ、お前にそんなひどいことをしたんだぞ!? 死んで当たり前だろ! なんで、いや、わかるけれど、でも、こいつは」

「そのひと、は」


勇人に返事をしかけたライアが、こぽりと血を吐いた。

慌てて魔法をかけようとする錬と琉唯を首を横に振って拒絶し、ライアは三人をゆっくりと順番に見つめる。

一番最後に勇人の眼を見つめて、ライアは再び口を開いた。


「ハヤト。きみがその男を殺す必要なんてありません」

「……」

「約束していただけないのであれば、僕はこれ以上治療を受けませんよ」


無茶苦茶なことを言い出したライアの肩を、琉唯が必死の形相で掴んだ。

なんとかライアを座らせようとしているのだ。でもあんなに震えていては、大した力は入っていないだろう。


「わかった! わかったから! あいつになにもしないから、回復魔法もかけるのわかったから、だからライアも治して。お願いだよ、無理だ、死んじゃうよこんな傷!」


ひゅ、ひゅ、と喉に引っかかるような悲鳴じみた呼吸をしながら琉唯がそう懇願すれば、錬もわかった、と掠れた声で答えて男のそばに寄り、治療魔法をかけた。

あっけにとられていた勇人も、それを聞いて我に返り、男の首からぱっと手を離す。


「ライア、な、治してくれ、しなないで」


ぼたぼた涙を流しながら、勇人は小さい子供のような頼りない声でそう答える。

怒りも憎しみも悲しみもまだ胸の中で渦巻いているけれど、いま出ている涙はきっと混乱のせいだ。

ライアはやっと安心したような微笑を浮かべ、ぎこちない動作で椅子に座った。

いたる所に直視するのも恐ろしいような傷がいくつもついて、髪にも服にも地面にも染みるくらい血が流れて、きっと想像を絶するほどの苦痛に苛まれているだろうに、どうしてこの少年は笑えるのか。

男にやけくそのように何度も魔法をかけていた錬は、傷が治ったのを確認すると、すぐにライアの傍に戻って治療を再開した。

勇人はまだ動けずに、倒れた男のそばにいる。


「ライ、ア」

「はい」

「なんで……?」


なんでこんなことをするのか?

どうしてそんなに平気そうにしているのか?

なにもわからないから、どんな質問も言葉にならない。

ライアはそんな勇人に申し訳なさそうに困り眉をした微笑みを向けて、いつもの透明で綺麗な音に戻った声で返事をした。


「僕は昔、ある人身売買組織の摘発に関わったことがあります」

「……え、それ、え?」

「ええと、ひらたく言うと奴隷商ですね。この辺りの国ではどこでも違法なので、国際的に指名手配をされて、主要な人物はおおむね捕まりました」


何度も念入りに魔法をかけていた琉唯も、もうすっかり平気そうな顔をしているライアの足元にへたりこみ、勇人と彼の話を疲れ切った様子で聞いている。

許容量を超えた出来事が起きすぎて、多分頭がぼうっとしているのだ。

錬は何かあってもすぐに動けるように立っているが、それでも友人二人と同じように、一体何の話が始まったんだろう、と困惑しながら仲間たちを見守っていた。


「彼はその人身売買組織に赤ん坊のころに拾われ、育てられたそうです。そうしてこういった、その、人を傷つける仕事を習ってそれをずっと行っていたのだと言います。今回僕を誘拐したのは、偶然邪神に出会って僕と二人きりになるチャンスをくださいとお願いをして、その機会をものにしたから、ということのようです」

「え、あ、じゃあ立夏が近くに」

「リッカくんが転移した直後のことでしょう。おそらくは魔力の使い過ぎで、一時的な失神状態に陥り、その際彼を乗っ取っていた邪神がそこにいる、ローチの願いを叶えたのだと思います。彼は、組織で自分を育てていた人たちが捕まって大勢処刑されたので、彼らの未練を叶えるような形で、僕を、ある種の善意から殺そうとしていたようです」

「……は?」


善意で殺す、というのは、一体何だろう。

それはどんな感情なんだ。

先程からずっとまともな相槌も打てなくなっている勇人に、ライアは辛抱強く言い聞かせるように言葉を紡ぐ。


「彼は善悪の判断基準が我々とは違います。自分が国家権力から追われる身だということは自覚しているでしょうが、自分の行っている仕事が悪行なのだということは、そのため自分がきみに殴られたのだということは、理解していない。彼には罪の意識がありません。何を償えばいいのかも理解していない。

……そして自分がこれからおそらく死刑になることにも、きみに殴られたことにも、特別な感情は抱いていない。

彼に罪を償わせるためには、罪を犯したのだということをまず理解できるだけの教育をしなくては。……難しいでしょうが、司法の手に任せましょう」


勇人は無意識に、ローチという名前らしい男を見下ろした。

怪我を治された男は、意識を取り戻していた。

それなのに、暴れるでも逃げるタイミングを見計らうでもなく、手足を縛られたまま素直に壁にもたれかかって座っている。

ライアの話をきょとんとした顔で聞き、ふと勇人の視線に気付いて目を合わせた。

にこり、と。

子供のような笑顔がローチの顔に浮かぶ。

つい先ほど自分を殴り飛ばして顎の骨を砕いた相手に対して、ただ無邪気に、目が合ったから挨拶代わりにそうしたというような顔で笑ったのだ。


「ひ」


勇人の口から短い悲鳴が上がった。

なんだこれは。

どうしてそんな顔をするんだ。

こいつは何を考えているんだ。

未知に触れて混乱しゆっくりとあとずさる少年の肩に、ミラベルが手を置き、仲間たちのもとへと誘導してくれた。

無茶苦茶な価値観で起こされた事件と、それに関わる人間の心境がなにも理解できず、途方に暮れて肩を寄せて固まる三人の少年少女の姿に、ミラベルはため息をつく。

そしてその三人に囲まれて行儀よく座っている王子様を見て、更に深くため息をついた。


「ねぇ、ちょっと聞いてくれる?」

「へぁ、はい」


まだ傷が比較的浅かったらしい琉唯が返事をする。

土埃を被ってしまっている少女の黒髪を撫でて、ここ数年ですっかり人間の薄暗い部分に慣れてしまった女は苦笑した。


「あのね、この王子様、酷い目に合ってる人に会ってはいろんな支援をするのが日課なのよ。人助けしてないと死んじゃうみたいな生き物なの」

「はあ」

「だからまあ、いろんな種類の、人間の直視したくないような部分を山ほど見てるの。でも王子様と違ってあんたたちは慣れてないんだから、あんまり考え込まないほうが良いわよ。受け流しちゃっていいの。そうそう起きないわよこんなこと」


そのミラベルの言葉に、三人はそれぞれ、これまで周囲から聞いていたライアの話を思い出していた。

勇人も、そういえば訓練をしてくれた兵から、そんなことを聞いたような覚えがある。

誰にでも分け隔てなく優しいライア様。どんな悲惨な病人にも、凶悪な犯罪者にも慈悲深く接する、天使のような第三王子。

そりゃあ、拷問を受けた直後なのに犯人を庇って、きちんと裁判を受けるべきだから治療をしてやってくれなんて言うような人間は、たしかに分け隔てなく慈悲深いのだろう。

完全に行き過ぎている気がするけれど。

もうなにがなにやらという気持ちになっていると、ふいに穴の開いた天井のほうから、大勢の人間が騒がしく動き回る音が聞こえてきた。

町の住人たちだろうかと三人が立ち上がり、身構えていると、穴から見覚えのある鍛えられた巨躯が下りてくる。

それはやっと戻ってきたギルベルトだった。


低い天井に頭がぶつかりそうで身をかがめている屈強な戦士は、犯人以外の人間達をさっと観察したあと、ライアにもの問いたげな視線をよこした。

護衛のいない間に大怪我をした王子はそっと目を逸らす。

どう見ても拷問部屋という様子の室内と王子を見比べ、げんなりした顔をした後、ギルベルトは転がっていたローチを荷物のようにひょいと抱えた。


「近くの町に詰めていた兵士と間諜とで協力して、この近辺の後ろ暗い連中を片っ端からとっ捕まえている。だからまあ、この町はいまは比較的安全だ。場所を借りてテントに寝るぞ。準備するからついてこい。こんな場所に座り込んでいては体が休まらんだろう」


ここしばらくすっかり世話になっている、頼りになる見知った大人であるギルベルトにそう言われて、少年少女はほとんど刷り込みのようにほっとしてよろよろと歩き始めた。

一番身長の近い琉唯がライアに肩を貸す。傷は治ったものの、出血がひどくて足がふらついていたからだ。

言われるがままに移動し、ミラベルの天幕に入れてもらい、用意された食事を食べて、それでやっと勇人は自分の頭がまともに回り始めたのを自覚した。

仲間たちはそれぞれ体を拭くために別のテントに入ったり、護衛のために外で見張りをしたり、落ち着くために外の空気を吸ったり、仕事仲間の元へ行ったりと動き回っていて、いま天幕の中に居るのはライアと勇人だけだ。

勇人は血を流し過ぎて少し体温の下がっているライアに分厚い毛布を掛けてやりながら、もうすっかりいつも通りだという顔をして静かに横になっている彼の隣に、クッションを置いて座り込む。

天幕の中は意外と天井が高く、清潔で広々としている。

こうしていると先程までいた、あの薄暗く血の匂いのする狭い地下室での出来事が、まるで悪い夢だったかのように思えてしまう。

それまでは別にそんな気はなかったのに、勇人の頭に、ふとひとつの思い付きが生まれた。


ライアに、自分の悩みを伝えたら、彼はなんと言うんだろう。

あの狂った男にすら同情しているように見えたライアは、自分にも同情するんだろうか。

それとも、そんな奴だったのかと拒絶するだろうか。

そう考えたところで、思考の中にミラベルの言葉がぽんと割り込んできた。

そういうんじゃないのよ。

と、さもおかしいと言わんばかりに笑いながら言っていたあのひと。

あれを思い出すと、ひょっとして自分がなにか間抜けなことで悩んでいるような気もしてきて、勇人は落ち着かない気分になりつつぽつりと言葉を零した。


「ライア、あの」

「はい。どうしました?」

「疲れてるときに悪いんだけれど、ええと、な、悩み相談っていうか、していいかな」

「ええ、勿論。なんでも言ってください」


仲間に頼られて嬉しそうに笑うライアに、勇人は逆に気まずくなって頭を掻いた。

立夏のことはさすがに錬と琉唯にも相談しないと話せないから、相談したのはミラベルに話したのと同じようなことだ。

あの時よりも、自分に対する疑念は更に深まっている。

なんせどう見ても頭のおかしい犯罪者だったとはいえ、殴ってしまった。首にかけた手には明らかに殺意があった。あの時ライアが止めてくれなければ、本当に人を殺していたかもしれない。

錬も琉唯も仲間の凄惨な傷に動揺していて、勇人のしたことをそれほど深刻には考えていないようだけれど、ライアはあのとき冷静に全員の動きを見ていた。

オレはきっとクズなんだと話してしまってから、勇人は後悔した。

これは悩み相談というか、まるで愚痴だ。魔法で治ったと言ってもついさきほどまで重症者だった少年に向かって、何をしているんだろう。

しゅんと肩を落とす勇人の頭を、ライアはぽんぽんと撫でた。


「ハヤトは本当に優しくてよい子ですね」


微笑ましそうな顔をして年下の少年にそう言われ、勇人は自分が非常に情けない生き物になったような気がして眉をしかめた。


「ふふ、そんなに不満そうな顔をしなくても」

「……いや、するでしょ。この状況はするでしょ」


実際不満だったので、隠さない。ライアが悪いわけではないけれど、その返答ではやはり勇人は納得できないのだ。


「あのね、ハヤト。きみは自分のことを酷い人間だと思っていますが、それは違います」

「……」

「きみは性格が悪いわけでも社会性が無いわけでも道徳心が無いわけでもありません。ちょっと馬鹿でキレやすいだけです」

「えっ」


真正面からけなされたのだが気のせいだろうか。

あっけにとられる勇人を見て、ライアはますます楽しそうに笑った。


「いいですか。本当に悪い人というのは、人を殴った後にそこまで悩みません。自分を正当化できますから。ハヤトはとても思い切りが良くて行動的なので、相手を敵と見做せば容赦なく攻撃できますが、それはそれだけのことです。きみがこれまでの人生の中で、誰か一人でも、何の理由もなくひとを殴ったことがありますか?」

「……それは、ない、けど」

「そうでしょうね。きみは理由もなしに一方的に誰かを傷付けることは出来ない。優しいからです。その代わり、理由があると少々暴走しがちなところもあるようですが、まあ、若いですから。正常の範囲内でしょう。いまきみは、さきほどの男を殺しかけたことについて、後悔していますね」

「そりゃあするよ」

「きちんと後悔をして、反省して、自分を律しようと努力できる。それはとても大切なことですよ」

「……あり、がとう?」

「ふふ、どういたしまして。ですから、きみは自分自身で心配しているような、罪のない人間に一方的に平気で暴力をふるう酷い人間ではなく、やられたときにやり返す力が若干強くて頭に血ののぼりやすい人間というだけです。なので、ちょっと馬鹿でキレやすい、と表現しました」

「あ、ハイ……」


納得がいってしまった勇人は、思わず正座になって下を向いた。

オレってキレやすいんだな。そうか。馬鹿の自覚はあったけれど、多分自分で思ってるよりもっと馬鹿なんだろうな。

ますますしょんぼりしてしまった彼を見て、ライアはふわふわと笑う。


「きみはいま女神の加護という大きな力を持っています。大抵の人間には負けません」

「ん? うん」

「調子に乗ってもおかしくない状況だと思いますが、ハヤトはそういうところがありませんね。むしろとても謙虚で、力をふるうことに対して慎重だ。必要な場面でのみ思い切りのよいところがあるようですが」

「そうなのかなぁ」

「無自覚なんですねえ。……そういうひとはね、大丈夫です」

「……」

「大丈夫ですよ。こんなに悩んで気を付けようとしているじゃないですか。きみは良い奴です。先程のような常軌を逸した状況なんてそうそう起こりませんし、起こったとしても二度目は反省して、一度目よりずっと冷静に振舞えるでしょう。ハヤトはちょっと馬鹿ですが学習しない人間ではありません」

「……」

「嬉しかったです。僕のために怒ってくれて」


ライアは感謝を込めて、勇人をぎゅっと抱きしめた。

ライアの髪にはまだ、水浴びではおとしきれなかった血が少しだけこびり付いている。

鉄の匂いが僅かにして、けれど暖かかった。

すぐに離れて行ったその感触に、彼がちゃんと生きているのだと改めて安堵して、勇人はライアが被っている毛布の端をぎゅっと握った。


「ありがとう、ハヤト」

「……あたりまえだろ。友達じゃん」


目元が熱くなって、じわりと涙がにじむ。

泣きそうになっていることに気付かれたくなくて、勇人は下を向いた。

そうか、オレ、大丈夫なんだな。

立夏の隣に、また当たり前みたいに立っていていいんだ。

みんなと一緒にいていいんだ。

勇人は座ったままクッションごと床の上でずるずる動き、ライアに背中を向けた。

ぼたぼた涙がこぼれてクッションに染みているので、どう考えても泣いていることはバレただろうけれど、ライアは何も言わないでいてくれた。

立夏に会いに行こう。

今度こそあいつを助けて、そのあとで、新しい友達を紹介しよう。

勇人は自分がぐすぐすと鼻をすする音だけがする天幕の中で、そう決めた。

胸の内に新しい決意を抱き、明日からまた、少年の旅は始まる。

仲間を頼ってひとつ荷物をおろしたぶんだけ、その足取りは軽くなることだろう。

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