第39話 勇敢な少年のとある決意・前

ライアが居なくなったことに、銅勇人は戦闘が始まった瞬間に気付いた。

いつもなら後方からライアが全員にありったけのバフをかけて、出来る限り短期決戦でかたを付けるのに、受け慣れた魔法が魔獣を目の前にしても誰にも放たれなかったからだ。

え、と小さく呟いて振り向くと、琉唯が同じように確認していた。錬もちらちらと後ろを気にしている。

最後尾に居るはずの小柄な姿がどこにも見当たらなくて、けれど前方では町の住人たちが必死に松明を振って魔獣を追い払おうと苦戦しているから、ライアがどこにいるのかいつまでも探してはいられない。


「加勢に来た! 全員俺より後ろに下がってくれ!」


錬が門番の男達の前に割り込み、大盾を構えてスキルを発動する。

日が落ちて暗くなった林の中を、大盾から放たれた魔法の光が明るく照らした。

途端、無差別に人間を襲っていた魔獣が、魔法の効果に釣られて錬を集中的に攻撃し始めた。

盾の内側にいる錬は球状の光に囲まれているため、魔獣の攻撃は届いていないが、あと数秒も経てばスキルの効果が切れてしまう。

突然のことに呆然としている門番たちを放置して、勇人は錬に向かって剣を振った。

勇人たちの神器は、ゲームのシステムを基に作られたおかげで、フレンドリーファイアを防いでくれる。

そのお陰で勇人が剣から放った幾重もの魔法の刃は、錬の周りに集まった魔獣だけを切り刻んでいった。

後ろからは琉唯が魔力で作られた矢を放ち、錬の敵を引き寄せる魔法の範囲外に居たらしい魔獣を次々に撃ち落としていく。


「なん、何だお前ら!?」

「いいから、下がってくれ! オレらでなんとかするから!」


目を白黒させて目の前で起きる攻防を見ていた門番が、身を守るのも忘れて大声を出した。

急な出来事に驚くのは当然だけれども、こっちだって別に余裕があるわけではない。

雑な返事をして、勇人は目の前を飛ぶ何十匹もの魔獣に意識を集中した。

魔獣から集中攻撃を受けていた錬が、自分を覆っていた光が切れる前に、再び別の魔法を使う。

小さな半透明の盾がずらりと横に並び、魔獣たちを木の柵の向こうへ押し返すのと同時に、勇人が剣を大きく横薙ぎに振った。

盾に沿って押し出され整列させられた魔獣に、魔力で出来た特大の刃が命中する。

ばらばらと魔獣が落ちていくが、さすがに素早い。

全てには命中させられなかったし、そのうえ邪神の魔力に中てられた魔獣たちは狂暴で、これだけ仲間の数を減らされても、一向に逃げようとしなかった。


今度は錬が空中に数体の人影を作り出す。

敵を誘因する効果のある人影に、生き残った魔獣たちが飛び掛かる。それを狙って琉唯が衝撃波の効果を持つ矢を打ち込んでいくと、何匹かが纏めて撃ち落とされた。

ここまでやれば、もうあとは数匹しかいない。

ほっと息をついた勇人の耳に、ばさりと何か大きな生き物の羽ばたきが聞こえた。


「っ、上、何か来た!」


琉唯の声につられて上を見れば、先程までの攻防で細い木や枝がなぎ倒されて見晴らしの良くなった上空から、何かが飛んでくるのが見えた。

そこに居たのは、翼の端から端までが4mはあろうかという大きな鳥だ。真っ黒な羽毛はカラスに似ているが、嘴の中にはびっしりと細かい牙が生え、形容しがたい奇妙な鳴き声を上げる姿は、勇人たちが今まで見たことのあるどの鳥とも違う。

勇人の後ろで腰を抜かしてた門番の一人が、近くに倒れていた仲間に肩を貸して逃げながら、青い顔をして悲鳴を上げた。


「ルチグァの死骸の匂いで誘われてきたんだ! お前らも逃げろ!」


狂暴そうな鳥の魔獣が、甲高い鳴き声を上げる。

なんだってこんなに次から次に問題が起きるのかと、勇人は恐怖よりも苛立ちを感じた。

居なくなったライアのことは気がかりだけれど、さすがにこれを放置して探しに行くわけにもいかない。

門番の声を背中越しに聞きながら、錬が盾を構え直した。


「琉唯、あいつを正面から撃ってくれ。勇人は後ろに回って。俺が盾出すからそこを足場にして行けるか?」

「大丈夫。頼んだぞ」

「おう」


錬が再び大盾から、敵を誘い込むための魔法の光を放つ。

それを真正面から浴びた鳥の魔獣は途端に錬に嘴を突き出して突進し、防がれれば鋭い爪の生えた脚で体を掴もうと飛び掛かる。

そこへ琉唯の矢が射られ、魔獣は苛立たしげに鳴き声を上げた。

狂ったように攻撃を繰り返す魔獣の意識を錬と琉唯がひきつけている間に、勇人は木立の影を迂回して魔獣の背後に回る。

それを確認した錬は、小さな魔法の盾を何枚も作り出して、勇人の足元に階段状に並べていった。

その間無防備になる錬を守るために、琉唯が雨のように幾本もの矢を作り出して魔獣へ放つ。

数が多いぶん威力の低い矢は羽ばたきに阻まれてほとんど届かないが、その場に魔獣を引き留めるには十分だった。

勇人は淡く光る盾を足場にして駆け上がり、鳥の魔獣の頭上に飛ぶ。

光をまとった剣が真っ直ぐ振り下ろされ、魔獣は悲鳴一つ上げる間もなく首を切り落とされた。


返り血を浴びながら、勇人は地面に着地し、素早く前へと駆け出す。

先程まで勇人がいた位置に魔獣の体が落ちてきて、鈍い音と土埃を立てた。

生臭い匂いと、肉と骨を断ち切った感触がまとわりついて、勇人は思わず顔をしかめた。

臭くて不快でどうしようもない。せめて目に入らないようにと髪をかき上げ、額や瞼を擦る。

なにより嫌なのは、生き物を殺したのに、そんな感想しか出ないということだ。

あの森でウサギの魔獣を殺したときも、今も、勇人は少しも躊躇しなかった。なんとも思わなかったからだ。

それがとても薄情に思えて、勇人はぐっと唇を噛みしめた。

駆け寄ってきた仲間たちに怪我は無いかと聞かれ、頷きだけを返す。

口を開けると盛大にかぶった血が入ってきそうで、喋れないのだ。

二人がおろおろしていると、聞き覚えのある声の主が駆け寄ってきた。


「ちょっとあんたたち、大丈夫なの!? ああもうそんな血まみれになってなによもう駄目じゃないの! ほら水くらい持ってきてやんなさいよ!」


息を切らしてやってきたミラベルの声に、三人組を恐る恐る遠巻きにしていた門番たちが、大慌てで桶や水瓶を持ってきてくれた。

足元がぬかるむくらいに水を被れば、服に染みた血はともかく、頭や顔に浴びた血はすっかり洗い流された。

べしゃべしゃになっている勇人に、ミラベルは遠慮なく抱き着いてくる。


「もう、心配したじゃない! でもありがとねぇ、あんたたち魔獣やっつけてくれたんでしょ? あたし、ちょっとのぞき見してたのよぉ。格好良かったわ!」

「あああありがとう、いやえっと、離れて! 頼むから! ごめん!」


スタイル抜群の美女に抱き着かれて真っ赤になっている勇人に、門番たちの生暖かい視線が集まる。

笑っていた錬と琉唯も同じように抱き着かれ、同じように慌てだすので、この突然やってきて大活躍をした少年少女に対する門番たちの疑心は自然と薄まっていった。

わざとやってくれたんだろうな、と、鈍い勇人もさすがに気付く。

口の上手いライアが居ないからミラベルがその代わりに、急に町にやってきた腕の立つよそ者が警戒されないよう、間抜けで親しみやすい印象を付けようとしてくれているのだ。

そうだ、ライア。

いつも三人を見守りながらニコニコしている少年の顔を思い出し、勇人ははっと周囲を見回した。


「そうだ、今それどころじゃ……。ライアが居ないんだよ! 見かけなかったか?」


慌てる勇人に、ミラベルの肩を恥ずかしそうに押し返していた友人二人も、はっとして慌てだす。


「あ、そうだライア! さっきまで後ろにいたんだけど、いつのまにかいなくなってたんだ。見かけてないか?」

「は? え? ちょ、待ってちょうだい。ライア? 金髪碧眼で名前がライア? ライじゃなくて?」

「ライ、あ、そうだ、そう呼べって」


ミラベルの困惑する演技に、三人組はそういえば偽名を使っていたんだったと思い出した。いやしかし、ライアはもう身分を明かしても良いと言っていたんだったか?

こういう時は一体どうすればいいんだろう?

全く慣れない状況に、三人組は余計におろおろと狼狽えてしまう。

それが自然と頼りない子供らしさを醸し出すのだと三人組は気付いていないが、町の自治を任せられるような面倒見のいい門番たちはさすがにこれを放っておけず、何事かと寄って来ては口を開き始めた。


「なんだ? あれか、さっきの一番ちっこいガキが居ないんだな?」

「そうらしいんだけどぉ……、この国で白っぽい金髪で碧眼でライアって言ったら、王子様よ」

「は?」

「だから、王子様がお忍びで来てたってことでしょ? それが目を離した隙に急に居なくなったって……、誘拐?」


誘拐。ミラベルのその一言に、三人組は顔を見合わせて固まった。

治安が悪いとは聞いていたけれど、あんな危ない魔獣が出てきたそばで、誘拐?

行き当たりばったりの金目当ての犯行にしても、ずいぶん怖いもの知らずだ。

そうでないとするなら、もしかしてライアが王子だとバレていた?

けれど身代金目当てにしたって、王子様の誘拐なんて、いくらなんでも危険すぎやしないだろうか。

国に知らせが行ったら全力で探されるだろうし、捕まれば死刑になったっておかしくない。

それなら、死刑になることなんて気にしていないような、よっぽど危険な人間が潜んでいたんだろうか。

そこまで考えて、勇人の顔から血の気が引いた。

目の前の友人二人も似たような顔をしているし、周りの大人達もざわざわと落ち着かない様子でいる。


「はぁ!? いや待て、知らねえぞそんな」

「知らないで済まないわよどうすんのよ、兵士が大挙してやってきちゃうわよそんなの! ねえちょっとあんたたち、本当に王子様? 同姓同名の別人だったりする?」

「えっと……本当に王子様です」


まるで本当に慌てて怯えているかのようにふるまうミラベルに気圧されて、勇人は恐る恐る返事をした。

途端、周囲の大人たちが顔を覆って呻き声を上げ始めた。


「おいおいおい、いや、なんだってそんな、俺達は誘拐なんざやらねえ」

「そりゃそうだけど、あれでしょ、最近変なよそ者も増えてるって言ってたじゃない。そのへんじゃないの? まずいわよ万一こっちまで関係あると思われたら! ちょっと他の人たちにも声掛けてさ、探しましょうよ。ちゃんと探したって証言してもらえれば心証良くなるでしょ! ね! そこの三人も私達は関係ないって後で言ってくれるでしょ!?」

「えぁ、はい! 言います!」

「よし! 言質とったわよ! じゃあ誰か妙なやつを見なかったか聞いて回りましょ! ほら早く!」


迫力につられて返事をした勇人に頷き、ミラベルの口車に乗せられた門番たちは大慌てで町中へ駆け出した。

門番の何人かは倒した魔獣に土をかけ、血の匂いで他の魔獣が寄ってこないよう処理をしているから、全員に協力してもらうわけにはいかなかったが、4人だけで知らない町の中を探すよりはずっと心強い。

礼を言う勇人たちをミラベルは手を振ってあしらい、にわかに騒がしくなり始めた町を焦りの滲む目で見つめる。


「一番怪しいのは北西地域よ。あの辺りはどこの町から来たんだかもわからない、身元が怪しい奴らが集まってるから。それに家同士も密集してなくて、ちょっと物音立てたくらいじゃ周りに聞こえないからね。そっちから探しましょう。町中のほうは門番連中が探してくれるから。

いいこと? 時間がないわ。あたしとそこの剣持ってる子、そっちの盾と弓の子の二人ずつに分かれるわよ。弓の、ええと」

「琉唯です」

「そう、ルイちゃん。あなた弓兵なら気配には敏いでしょ。あたしもちょっとは腕に覚えがあるから、一人が探索係でもう一人が周りに危険が無いか警戒する係になるの。

協力してくれない奴が居たら、ちょっとくらい武器とか王子様の身分で脅して良いから、とにかく話を聞いて回って。空き家があったら勝手に中に入っちゃって大丈夫よ。

あんたたち魔法が使えるなら、なにか手掛かりを見つけたら空に向かって魔法を打ったらいいわ。町中からなら見えるでしょ。それじゃ行くわよ!」


急き立てられるように走り回り始めると、時々人探しに協力してくれるらしい住人たちが、4人に声をかけてきてくれる。

意外と協力的なのは、面倒ごとに巻き込まれたくない、という打算的な対応なのかもしれないけれど、勇人たち三人にはありがたかった。

誘拐という、人間の害意に満ちた事件は、魔獣を相手にするのとはまた違う恐ろしさがある。

単純に攻撃してくる敵を倒すなら問題ないが、誰を疑ってどう対応すれば解決するのか分からないじっとりした害意に、少年たちは耐性が無いのだ。

手当たり次第に家の戸を叩いて聞き込みをする合間に、ミラベルは勇人に話しかけてくれた。

勇人の顔があまりにも固いので、緊張をほぐそうとしてくれているのだろう。


「それにしても凄いわね。あんな大きな魔獣を一刀両断なんて、なかなか出来ないわよぉ。長いこと剣の修行をしてるの?」

「ん、いや、全然っす。ちょっと前から訓練始めました」

「へえ、才能あるのねえ」

「そんなことは、無いと思うけれど……」


言いながら、勇人は自分に訓練をつけてくれた兵士の言葉を思い出した。

経験が無いにしては、驚くほどためらいが無い。こんなに怖がらない子は初めてだ。

そう言ってくれる兵士にとっては誉め言葉のつもりだったのだろうけれど、勇人にとっては、お前は異常だと言われているような気分になる言葉だった。

なにせ勇人は平和な日本で生まれ、ごく普通の家庭で育った、優しい少年なのだ。

暴力をふるうことに抵抗がない、なんてことは、長所ではなく短所にしか思えない。

それも、周りには可能な限り気付かれたくない部類の、特大の短所だ。

琉唯と錬はもちろん、この世界で知り合った優しいライアにだって知られたくない。

そしてなにより、立夏には絶対に知られたくなかった。


立夏が邪神に攫われて、その邪神が人間の持つ強い悲しみに反応するという話を聞いた時、勇人は正直に言って驚きはしなかった。

それまではどうして立夏なんだろうと悩んでいた胸に、その説明によって、納得がすとんとおさまったのだ。

邪神が出てきた亀裂に一番近い場所に居たのは、立夏ではなく勇人だったにもかかわらず、邪神はまっすぐ立夏へ腕を伸ばした。

その理由を勇人たち三人は、ライアにはまだ伝えることができていない。

できることなら、伝えずに済ませておきたいとずっと思っている。

なぜなら立夏自身が誰よりも、そのことを知られたくないと思っているだろうから。

立夏は、両親から虐待を受けていたのだ。

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