第34話 賢い少女の胸の内・後
――ぱちり、と瞬きをした瞬間。
琉唯の目の前には、見慣れた午後の通学路の景色が広がっていた。
え、と口から震えた声が出る。
青い空と入道雲。じっとりしてまとわりつくような空気。うるさいくらいの蝉の声。
いつも通る道の途中にある、小さいけれど周りを囲むように木を植えられた公園。
近くのパン屋から漂ってくる甘い匂いと、道のわきで咲く名前も知らない黄色い花の香り。
制服姿の自分と勇人が、その何の変哲もない光景の中を歩いていた。
横に立つ勇人は額に汗をかいていて、時々それを腕で乱暴に拭う。
呆然とする琉唯に、勇人はぴかぴかした太陽みたいな笑顔を向けた。
「今日もあっちーな! ちょっと休憩してこうぜ!」
耳に馴染んだ明るい声に、琉唯は反射的に頷いていた。
「う、うん」
声に滲む戸惑いを気にせず、勇人は近くの公園へ入ってしまう。
琉唯はふらふらとその後姿を追った。
この公園は遊具が少なくて、いつもあまり人がいない。
けれど植えられた木が大きく枝を広げて葉をたくさん茂らせているから、夏はその下に大きな濃い影が出来て、歩道を歩いている時よりずっと涼しく、琉唯達四人はここを気に入っていた。
これは夢だ。
そう気付いているのに、いつもは不快なばかりの暑くてじめじめした日本の夏の空気が、見慣れた木漏れ日の景色が、離れがたくて足がすくんでしまう。
ベンチに勇人と並んで座り、琉唯はかさついた座面の木の感触に指を震えさせた。
「二人で帰るの久しぶりだなぁ」
「そう、だね。今日は立夏と錬、いないんだ」
「まああいつらだってお年頃だからいろいろ一人でやりたいこともあるだろうしなぁ。この前は立夏のやつ、隣町の古本屋まで自転車で爆走してなんか難しい本買い込んでたし。ママチャリよくあんなに速度出せるよなあいつ」
「立夏らしいや。あんまり運動してないのにどうしてあんなに足腰丈夫なんだろうね」
自分が勇人となんてことのない普通の会話をしていることに気付いて、琉唯ははっと口を閉じた。
だってそれが当然みたいに思えて、無意識に返事をしていたのだ。
ここがあんまりにも記憶の通りで、ほんの数日前までの当たり前が、泣きたいほどに懐かしくて、喉の奥と胸がぎゅっと痛くなった。
泣いてしまいそうだと気付かれたくなくて、琉唯は勇人から視線を逸らし、公園のすみにある、金具がすこしだけ錆びているブランコをじっと見つめた。
そんな琉唯に、勇人はどこか気まずそうに頭をかいて話しかける。
「あのさ、琉唯」
「……うん」
「俺、お前のこと好きなんだ」
「……え」
どうして。
琉唯はぱっと目を見開いて勇人の顔を見た。
いつも天真爛漫に笑う彼が、唇をぎゅっと閉じて、頬を赤くして、困っているような睨んでいるような緊張した目をして、琉唯を見ている。
琉唯は、勇人のことが好きだ。
けれどそれを本人にも、ほかの友人にも言っていない。
誰にも知らせる気が無いし、告白なんて絶対にするつもりがなかった。
なのに。
目の前の勇人は、ごく普通の恋する少年みたいに、琉唯の瞳を覗き込んでくる。
「前からずっと好きだったんだ」
「……」
「本当は俺、ほかの三人より琉唯とずっと一緒に居たいんだよ」
「……は?」
琉唯の柔らかい唇から、月の無い夜のような声が出た。
低く沈んだ声に、目の前の「勇人」が慌てたように手を振る。
「や、だって、一番好きなやつと一緒に居たいじゃん。優先したいっていうか。二人きりになりたいし」
琉唯はもう目の前の相手へ返事もしなかった。
勇人はいつも太陽みたいに明るくて、無鉄砲で、勇敢で、時々どうしようもないくらい馬鹿でしょうもない元気な男の子だ。
琉唯と立夏と錬のことが大好きで、そこに順位なんて絶対に付けられない。
琉唯は女の子なのに気にしていないのか、むしろいっそ性別に気付いてもいないんじゃないかというくらい全然女扱いをしない。ひとつも特別視をしない。
四人で当たり前のように家に泊まったり、お互いのお腹を枕にして寝転がって漫画を読んだり、何の気なしにジュースを回し飲みする。
子供のころからずっとそうだったから、もうそれが当たり前のようになっていて、家族より家族らしくて、当然のように一緒に居る。さすがにお風呂には一緒に入れないし着替えだって見せやしないけれど、本当にその程度の気遣いしかない。
琉唯の手を平気で握って、髪の毛をぐしゃぐしゃかき混ぜるように触ってきて、一緒にホラー映画なんて見ると、大騒ぎしながら涙目で抱き着いてくる。
本当に馬鹿なのだ。
遠慮がなさ過ぎる勇人に琉唯がすこしだけドキドキしていることなんて、全くこれっぽっちも気付かない奴なのだ。
そして琉唯は、そんな勇人のことを、どうしようもなく好きだった。
ああ、ここにいるのは偽物なんだ。
冷たい納得がすとんと心におさまった。
いつかライアから聞いたことがある。
この世界には人の心の中を読むような魔法は無いらしい。
魅了の魔法や睡眠の魔法は人の頭に影響を与えるけれど、それは人間の細かい思考や意識を理解しきれているわけではない、大雑把なものなのだと言っていた。
魔獣は琉唯を魔法で眠らせ、ある程度脳に影響を与えて夢の指向性を決めたのだろうけれど、琉唯の心の中を理解できているわけではないのだろう。
だから魔獣は琉唯に薄っぺらい、どこかで見たドラマでも混じったような、違和感のある夢しか見せられない。
琉唯のなかに、例えようもないほどの怒りが沸き上がった。
偽物の勇人に不躾に告白されたからだけではない。
琉唯は森のそばの家に住んでいた、優しくて一生懸命な小さな女の子と、その子のことが大好きなお父さんのことを思い出していた。
最初、ライアから夢を見せる魔獣の話を聞いた時、琉唯はせめて少女が死ぬ前に優しい夢を見ていれば良いと思った。お父さんとお母さんの夢を見て、そのまま苦しまずに死ねていればと思った。
けれど違うのだ。
結局偽物なんだ。
あの少女は大好きなウサギを追いかけて森の中へ入り、こうして偽物の夢を見せられて、そのせいで命を落とした。
そのせいで、家族を愛している一人の父親が、いまも苦しんでいる。
「……さない」
ぽつりと声が漏れた。
琉唯の瞳からぼろぼろと大粒の涙があふれ、頬を伝って落ちていく。
自分の中にこんな激情があるなんて思ってもみなかった。
「絶対に、許さない!!」
目の前が真っ赤になるような鮮烈な怒りに突き動かされて、琉唯は吠えるように叫んだ。
それと同時に視界が開ける。
自分の体は横向きに倒れていて、上に仲間たちが覆い被さっていた。
握られたままの神器が、手の中で金色の光を放っている。
仲間の体の下から琉唯が這い出すのと同時に、他の三人もはっと目を覚ます。
怨敵を探して周囲を睨みつける、女神の加護を受けた射手の瞳が、走って逃げようとしていた小さな白い姿を捕らえた。
ライアが咄嗟に彼女に感覚強化と筋力強化の魔法をかける。
琉唯の激情に影響されたのか彼女の身の丈ほどの大きさになった神器を、琉唯は流れるような動作で構えた。
光り輝く矢をつがえ、弓を引く。
琉唯の放った矢は一直線に飛び、魔獣の頭に深く突き刺さった。
小さな体は走っていた慣性で落ち葉に覆われた湿った土の上を滑り、木の幹に鈍い音をたてて激突する。
「油断しないで! 必ず仕留めてください!」
ライアが後方から声をかける。
魔獣は普通の動物よりずっと強靭だ。絶対に死んでいる、という状態にならなければ気を抜いてはいけない。
横たわる魔獣のもとへ錬と勇人が駆けつけ、動かなくなった魔獣の首を勇人の神器である剣が刎ねた。
数秒の沈黙の後、敵が完全に動かないことを確認して、張りつめていた空気がふっと緩んだ。
思わずふらついた琉唯の背中を、ライアがそっと支えてくれる。
礼を言い、琉唯とライアは勇人と錬のもとへ駆け寄った。
勇人が琉唯の方へ向き、にかっと笑顔になる。
「琉唯! ありがとな! なんかでっけー声が聞こえたから起きれた! お前あんな声出るんだなぁ」
無遠慮なもの言いに、琉唯は笑って彼の頭を叩く。錬にも叩かれて、勇人はライアのそばに退避した。
遠慮がちに叩かれた場所を撫でてくれるライアに、あいつら狂暴なんだよと愚痴る姿は本当に馬鹿っぽい。そして錬に、年下に迷惑かけるんじゃないと叱られて、むっとした顔をしつつもしぶしぶ勇人はライアの頭を撫で返した。お礼をしているつもりなのだ。
やっぱり勇人はこうじゃなきゃな。
琉唯は一人で内心ほっとした。
そんなしょうがない三人組を微笑ましそうに見ていたライアが、遠くの一点を見つめ、目を瞬かせる。
「あそこ、人が」
その声に、じゃれていた三人組は体ごとそちらへ向いた。
ぼこぼこ空いた穴のうちのひとつの中に、土や岩ではなさそうな影が見える。
底までの深さがあるから穴の中は完全には見えないが、それは人の頭に見えた。
近づいてみれば、10mほどの穴の底に、足を投げたすようにして壁にもたれて座る男がいる。
どこにでもいそうな、白人種らしい、普通のおじさんだ。
彼は目を閉じ、少し苦しそうな顔をして眠っているように見える。
四人は顔を見合わせて、穴の中に降りた。
男性に四人が近づくと同時に、鈴の鳴るような音がすぐそばで響く。
神器から音が鳴っているのだ。
その音は次第に大きくなり、あふれ出した金色の光が周囲を照らしていく。
ひと際大きな音と光が神器から発され、余韻を残して消えた後、森に入ってからずっと感じていた重苦しい空気がすっと軽くなった。
それにつられるように、眠っていた男の瞼がゆっくりと開く。
ぼうっと焦点の合わない目で周囲を見渡し、世にも美しい武器を持った少年少女が目の前にいることに気付いて、男は目を見開いて座ったまま後ずさろうとする。
「き、きみたちは、一体」
混乱しているようだが、ごく普通の人間らしい反応をする男の様子に、四人の肩に入っていた力が抜けた。
一番後ろに居たライアが、男の前に歩み出る。
この国の人間であれば、実際に目にしたことのない者でも王族の容姿は伝え聞いているし、絵姿で見ることもある。
特徴的な金髪碧眼に、男は余計混乱して汗を流しながら、それでも慌ててその場に平伏した。
ライアは慣れた態度で男のそばにしゃがみ込み、そっと肩に手を置く。
「顔を上げよ。楽にしていて構わない」
落ち着いた穏やかな声で語りかける王子の様子に、男は手を震わせつつも言われた通りに顔を上げる。
ライアは彼に、まず最初に邪神についてと、連れ去られた少年のことを説明した。
男は、それに会ったのではないか、なにか願い事をしたのではないかと訊ねられ、苦しげにぐっと目を閉じる。
「た、たしかに、少年に会いました。神々しいような、不思議な雰囲気の……。ああ、申し訳ありません。あの時はなんだか頭がぼうっとして、熱でもあるかのような……、気付いたら、願い事をしていて。もう子供が森で迷って死なないようにと」
自分が何か恐ろしいことをしてしまったのかと怯える男の背中を、ライアが辛抱強く撫でて宥める。
大丈夫、仕方が無いのだ。あなたが悪いわけではないと声をかけられるうち、男は頭を下げ、少し落ち着いた様子で小さく首を振った。
「あの後、自分は目眩がして、立っていられなくて……。倒れる瞬間、そういえば、あの子は驚いたような顔をしてこっちを見ていました。
そうだ、穴に滑り落ちて、あの子が腕を掴んでくれたんです。だから頭からは落ちなかった。一人で引き上げられなくて、せめて座らせていってくれたのでしょう」
男の話を聞いて、琉唯は立夏らしいと思った。
彼は冷静だけれどお人好しだから、逃げている最中だったのに、男を放っておけなかったんだろう。
ライアは微笑んで、それから少しだけ躊躇った後、唾を飲み込んだ。
少年の喉がこくりと動くその仕草に、彼が感じている迷いのようなものがこちらへも伝わってくるように思えて、琉唯は目の前の男と少年から少し視線を逸らしてしまった。
「……それから、僕たちは、あなたに謝らなければいけないことがある」
ライアは必要があったとはいえ、男の家を勝手に漁ったことを謝った。それに続いて、琉唯達三人も頭を下げる。
男は慌てて首を横に振り、そんなことはかまわないと言ってくれたけれど、あの家の穏やかで深い悲しみの痕跡は、他人が勝手に見て良いものではない。
それから、例の魔獣について。
そして彼の愛娘が、ひょっとしたら、その魔獣のせいで命を落としたのかもしれないということ。
ライアがそれを男へ伝えるとき、琉唯はもう完全に、彼らのことを見れなくなっていた。
胸がへんにばくばくして、指先が冷たくなる。
悪いことをしたわけではないのに、緊張して、苦しくて、走って逃げ出してしまいたくなるのだ。
でも自分なんかより、娘を失った父親のほうがずっとずっとつらいだろう。
それを思うと、悲しさに胸が張り裂けそうだった。
「娘を」
男が絞り出すように言葉を紡いだ。
「娘を見つけた時、たしかに服に、白いウサギの毛が、ああ、そうか、それで」
皺のある目元から、ぽろりと涙がこぼれる。
男は節くれだった手で顔を覆い、俯いた。その隙間から、小さく嗚咽が漏れる。
四人は邪魔をしないよう、黙ってその姿を見守っていた。
しばらくして泣き止んだ男が、涙を乱暴に手で拭い、落ち着いた様子で顔を上げる。
目元にくまができ、頬がやつれた、悲しみ抜いた父親の顔には、ほんの少しだけ穏やかな笑顔が浮かんでいた。
男は四人に頭を下げた。
「ありがとうございます。仇を、討ってくださって」
琉唯は耐えられなくなって、ボロボロと涙をこぼした。
勇人も、錬も、ぐっと唇を引き結んで泣いている。
男はその様子を見て、そしてそばのライアが目尻を濡らして微笑むのを見て、もう一度彼らに、ありがとうございますと礼を言った。
娘を失った父親の悲しみは、これで晴れたわけではない。
彼はこれからもずっと、胸の内にぽっかり空いた隙間に苦しみ、何度も家族を思って泣くのだろう。
けれど、少しは、自分たちは助けになれたのだろうか。
父親思いの娘が天国で心配しないよう、支えの一つになれただろうか。
琉唯は目元を乱暴に手の甲で擦った後、無理矢理に口角をキュッとあげた。
泣きだした少年少女を困った顔で見ている子供好きの父親に、大丈夫だと伝えたかったからだ。
それを見て表情を緩める彼の姿に、琉唯はまたちょっとだけ目尻に涙があふれた。
これからの旅の中で、またこんな事があるのかもしれない。
悲しい事件に直面して、泣き出してしまうかもしれない。
けれど琉唯は諦めずに進もうと決めた。
自分の力なんて些細なものだけれど、四人で力を合わせれば、悲しむ誰かにほんの少し力を貸してあげられるのだと気付いたからだ。
邪神の力の影響が消えた森の中は静かで、木漏れ日が頭上から降り注ぎ、美しく輝いている。
その緑の光は、いつか公園で仲間たちと共に浴びた夏の日の木漏れ日に、よく似ていた。
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