第33話 賢い少女の胸の内・中

「こういった土地では、取水場や井戸などの水源から離れた場所に墓地を作ります。村の共同井戸と川の位置から考えて、おそらくあちらでしょう」


王子の固い声に小さく返事をして、一行は足早に墓地へと向かった。

村は相変わらず長閑で、小鳥が呑気な鳴き声を響かせている。

道の端を横切っていった野良猫にも怯えた様子はないからきっと大丈夫だろうけれど、ひょっとしてあの家で生活をしていた奥さんが、小さな女の子が、ゾンビとして蘇った形跡があるかもしれない。

それはゾッとすると同時に、ひどく物悲しい想像だった。

村はずれにある墓地は芝生のような背の低い草に覆われ、ところどころに花が咲く、日当たりのよい場所にあった。

全く見知らぬ共同体の、とてもプライベートな場所に許可も無く立ち入ることは恐ろしかったが、背に腹は代えられない。

琉唯は止まりかけた足をゆっくり進めた。自然と動きは大人しくなり、足音は小さく控え目になる。

それほど広くも無い敷地に、各家庭ごとに墓所が分けられているようで、30cmほどの長さの石柱が、それぞれに幾本か地面に置いてあった。

その表面に直線的な文字で名前が彫られているから、これが墓標なのだろう。

色とりどりの花が咲く墓場は、温かい日差しに照らされて、むしろ美しく見えるくらいに穏やかだった。


少女の墓はすぐに見つかった。

一番真新しい墓標だったからだ。

土はまだ十数日前に掘り返されたばかりだから、上を覆う芝生のような草もまばらにしか生えていない。

真新しい白い墓標に、同じく白い花で作られたリースがかけられている。

同じものがかけられた墓標がもう一つ。

幾分古くなって角が少し丸くなった石柱にかけられたリースの、まぶしいくらいに白い花が風に揺れていた。

花弁も葉もぴんとして瑞々しいそれは、きっと今朝供えられたばかりのものなのだろう。二つともが美しく整った形の綺麗なリースだった。

何度も作られたから。もういびつなリースを小さな手で苦労して作る少女はいないから。

どちらの墓も、掘り返されたような形跡も何か異変が起きたような痕跡も無い。

父親の願いが二人の復活ではなかったことがはっきりし、誰からともなく安堵のため息が零れた。

それじゃあ彼は、一体なにを願ったのだろう?

首を傾げる三人に、悲しげな表情をしたライアが、無理に笑ったような微かな微笑みを向けた。


「……良かった。それなら、何を願ったのかはある程度推測が出来ます」

「えっ、そうなのかライア。じゃあどうやって解決すればいいのかも?」

「はい。ひとまず森まで行きましょう。道すがら説明します」


目を丸くする勇人に、対照的に落ち着いた声のライアが返事をした。

先頭には錬、次に勇人、琉唯、ライアの順で道を進む。

前からの攻撃に強い陣形だ。森まではまだ遠いけれど、ライアが一番後ろに居たほうが声が通りやすいので、こうして歩くことにしたのだ。


「日記を見る限り、父親は真面目で責任感の強い人のようです。

生活は少々荒んでいたようですが、何か物を投げたり壊したりしたような痕跡はありませんでした。

彼は家族の死をひどく悲しんではいるけれど、それを受け止めきれていないわけではないのでしょう。

八つ当たりをするような性格ではないのだと、思います。

森でいま観測できている変化は、一定以上奥へ入れないという一点。

すぐに入口まで戻されてしまうだけで、入った人間が何か危害を加えられるわけでもない」


話し声はけしてうるさいわけではないのに、先頭の錬までしっかりと届く。

淡々とした声には、邪神の眷属を倒すための手掛かりを見つけたという喜びは少しも感じられなかった。

むしろ悲しさを堪え、あえて落ち着かせているような、静かな声。

琉唯はそれに共感した。

敵を倒さなければならない、というような気持ちはすっかり萎み、顔も知らない誰かの身に起きた悲劇に同情してしまっていたからだ。

急いでいるのにどこかとぼとぼとした歩みの四人は、話しているうちに森の入口へ到着した。

背の高い木がずらりと生え、藪がそこかしこに茂っている森は、その大きさのわりに生き物の声が少ない。

遠くに聞こえる鳥の鳴き声は、美しいけれど耳馴染みのないものだった。

獣道のような狭い道の前に立ち、四人は薄暗い木立の向こうへ目を凝らす。


「これはあくまで憶測です。

父親はただ純粋に、娘の死を悼んだのでしょう。そしてきっと、村で生活する他の子供たちのことを考えた。

そうしてこう思ったのではないでしょうか。

二度とこんな悲しい事が起きませんように、と」


ライアのその推測はきっと正しいと、琉唯は思う。

もう誰も死にませんように。こんな悲しい思いをする人が出ませんように。

自分が同じ立場だったなら、そんなふうに願うかもしれない。

そして邪神はその願いを叶えたのだとしたら。

誰も入れない森では、たしかに二度と誰も命を落とさないだろう。


「私、それで合っていると思う」


斜め後ろを振り向いてライアにそう言った声は、自分で思っていたよりか細かった。

そんな琉唯を慰めるように、前に立っていた勇人が背中を優しく叩いてくれる。

その様子にライアは微笑み、片手をすっと軽く上げた。

彼の手の中に、淡い黄金の光をまとった白い杖が現れる。

女神の使徒が持つ神器は、厳密に言えばこの世のものではない。だからこうして自由に出し入れが可能なのだ。

彼に続いて全員が手をかざす。それぞれの手の中に、ここ数日で使い慣れた武器が握られた。

それを見て、ライアが小さく頷く。


「私達は加護の影響があるので森に弾かれはしないでしょうが、中には危険な動物が、……ひょっとすると魔獣もいる可能性もあります。気を付けて。

では、行きましょう」


王子の号令と共に、女神の使徒一行は、初めての戦いの場へと歩みを進めた。

森へ一歩足を踏み入れた瞬間、琉唯は言いようのない奇妙な重さのようなものを頭上に感じた。

それは他の三人も同じようで、それぞれに神器を通して女神様に声を伝えようとするが、森に満ちた邪神の力に阻まれているのか、返事は何も返ってこない。

こうなる予感はしていたから、引き返しはしない。

進行方向は、あの家にあった日記の中から森の中について書かれたものを見つけていたライアが指示している。

森の中は村の人間の出入りがあるからか想像していたよりは歩きやすいが、それでも木々によって日差しが遮られて薄暗いうえに、落ち葉や草で地面が滑ったり、体重を乗せた途端沈んだりする個所がある。

太い木の根が地面からぼこりと飛び出しているし、細い枝が絡まるように落ちていて足先が引っかかりそうで、琉唯は地面に靴底を滑らせるように慎重に足を進めた。


「よかった。山で遭難した時よりは全然平気だ」


勇人がほっとしたようにそう言う。

確かに地形は山に比べればずっと平坦で、木や藪や背の高い木で視界が遮られてはいるものの、ある程度遠くまで見通しがきく。


「でも教官さんだって森の中を歩くときは十分注意しろって言ってたでしょ。さっきライアが魔獣が出るかもって言ってたし」

「うん。気は抜いてない。そういえばこの辺りってどんな魔獣が出るかもしれないんだ?」


窘めるような琉唯の言葉に、勇人は素直に頷いた。

琉唯が斜め後ろをちらりと見ると、話しかけられたライアは周囲に油断なく視線を向けつつ、少しだけ眉をしかめていた。


「ウサギが民家の近くまで来ていたという話を聞いて、すこし不思議に思ったのです。あれは臆病な動物だと本で読んだことがあったので。

……魔獣の中に、外見はウサギとほとんど変わらないものがいます。

身体能力も普通のウサギとほとんど同じですが、生き物に催眠効果のある魔法をかけて、寝ている隙に魔力や体力を吸い取ってしまうんです。

警戒心もウサギと同じく強いため、複数人で行動していたり、武器を持っているような人間に近寄ることは滅多にありません。なのでこの魔獣が発見されることは少ない。

ただし相手が子供であれば、襲う可能性は十分にあります。

少女はこの魔物に襲われ、眠ってしまったときに、偶然崖から落ちたのかと。

……そういう性質ですから、僕達が襲われる可能性は少ないですよ」


取ってつけたような最後の言葉は、水をかけられたように固まってしまった琉唯達三人を気遣ってのものだ。

魔獣に怯えたからそうなったわけではないとライアも理解しているだろうけれど、ほかにかける言葉が見つからなかったのだろう。


「もう少し行くと、リッカくんが通った可能性の高い地点に差し掛かりますが、そこから少し外れると、小さいですが崖のようなものがあります。

見つかっていない村人は猟師ですから仕事であちこち歩いていた可能性もありますが、おそらく、その、娘さんのお墓参りの一環として、事故が起きた場所へ赴いていたのではないかと思います。

ですので、多分そこが一番、会える可能性が高いのではないかと考えました。そこに居なければ、もう少し周辺を回ってみましょう」

「おう、了解」


まだ比較的精神的な余裕のありそうな勇人が、代表してライアに返事をする。

琉唯の頭の中には、あのシーツに刺繍されていたウサギと、家の柱についていた自分の腰くらいまでの高さしかない傷、そして綺麗なブーケがぐるぐると思い出されていた。

あの女の子はウサギを追いかけて、夢を見せられて、そのまま死んでしまったのだろうか。

そうだとしたら、せめて幸せな夢が良い。

痛みを感じることもなく、眠ったまま息絶えていたのなら、少しは。

そこまで考えて、首をぶんぶんと横に振った。

今はこんなふうに湿っぽくなっている場合じゃない。

弓を握る手にぎゅっと力を込め、琉唯は目の前に意識を集中した。


歩いているうち、右手にごつごつとした大きな岩が見えてくる。

たくさんの岩の間にはトゲのある細い低木が生えていて、ここを通ろうと思ったらかなり苦労しそうだ。

左側は直径15mはありそうな歪な穴がいくつも重なるようにぼこぼこと開いていて、その一帯の地面が抉れるように低くなっており、こちらも通るには適さない。ここが例の崖なのだろうか。

大穴と岩石地帯の間には20mほどの距離があるので歩くのには困らなさそうだが、ここですばしこいウサギの魔物に出会ったら、多分追いかけて倒すのは大変だろう。


「ここは昔ドラゴン同士の縄張り争いがあったそうで……、っ、これは」


ライアが立ち止まるのと同時に、他の三人も周囲を急いで見回した。

加護のお陰で強化された五感が、何かの気配を感じ取っている。

森の中だからこれまでの道中でだって動物の気配は感じていたけれど、それとは違う、もっとねばつくような感覚だ。

なにか、異様なものが、自分達を見ている。

琉唯の額に汗がにじむ。

こんな嫌な視線を感じることは、彼女にとっても、勇人と錬にとっても、当然生まれて初めてのことだった。

先頭に立つ錬が悔しそうに歯を食いしばる。


「せめて、方向だけでもわかれば……」


錬の大盾は神器の中で一番防御性能が高い。それは勿論盾なのだから当然のことなのだが、ただの物理的な攻撃や魔法攻撃に対してだけでなく、魅了や睡眠の魔法といった向けられていることに気付きにくい攻撃も、術者のほうへ盾を構えておくだけでほぼ完全に防ぐことができる。

そのため四人は周囲を警戒しつつ、錬のそばへ寄った。

何が自分達を見ているのか分からないが、誰かがそれを発見したなら即座に錬をその正面に据え、後ろに三人が隠れて琉唯の矢で攻撃をするつもりだ。可能なら近づいて、勇人が敵に切りかかってもいい。

訓練では感じなかった緊張と恐怖のせいで、ほんの数秒の時間がずっと長く感じる。

遠くの敵を攻撃する射手という立場だからか、琉唯は他の三人よりも気配に敏い。

どうやら女神の加護が筋力よりも五感への強化に偏っているようなのだ。

そんな彼女の人よりも良く聞こえる耳が、どこか不自然な葉擦れの音を捉えた。


上に、敵が。

気付いて声を上げようとした瞬間、琉唯達は耐えがたい睡魔に襲われ、地面にがくりと膝をついた。

四人の体が折り重なるように倒れ、最後まで耐えようとした錬の体が全員を庇うように重なり、その上に大盾が覆い被さる。

樹上に見えた白い影と、その赤い瞳をまぶたの裏に焼き付けて、琉唯の意識は仲間たちと同じく、眠りの中へ消えて行ってしまった。

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