第32話 賢い少女の胸の内・前
見慣れない様式の民家の中で、白雪琉唯は小さくため息をついた。
古びた木の少し艶のある濃い茶色、白っぽい土壁のかさついた質感、靴を履いたまま歩く、ざりざりした床の靴越しの感触。
西洋の小さな片田舎の民家のようにも見える、どこか見慣れない風情を持った、知らない誰かの家。
異世界の平民の生活様式なんて知らないのに、一体どう探索をすればいいんだろう。
琉唯はそう考えて、秀麗な眉を少しだけしかめる。
琉唯は自他ともに認める賢い少女だ。
成績も良かったし、勇人と錬と立夏という男友達とばかりつるんでいても、クラスの女の子たちの輪の中に問題なく混じれるくらいに要領も良い。
おかげで弓型の神器の扱いは教官役の兵士から褒められるほど上達し、優先して倒すべき敵の見分け方や効果的な攻撃個所についても、すぐに覚えることができた。
しかしながらそれが実践で通用するのかといえば話は別だろう。と考えることができる程度には冷静でもある。
大好きな友人である立夏が攫われ、こんな現実感の薄い出来事に巻き込まれて、琉唯だってそれなりに動揺してはいたけれど、なにせ一緒にやってきた友人達のほうが動揺していた。
勇人は一日5回は俺ってちゃんと強いのかなと首を傾げ、錬はまずそもそもお城で過ごすのが緊張すると顔を青くしているものだから、自分がしっかりしなくてはと気を引き締めざるを得ないというものだ。
いつもは立夏もいたから、自分がこんなに緊張することは無かったのに。ついそう思ってしまう。
彼はいつでも冷静沈着で、馬鹿なことをしがちな勇人と錬の手綱をしっかり握っていてくれた。いや、たびたびその馬鹿なことに乗っかってふざけていたけれど。
一番無鉄砲で元気でムードメーカーの勇人、ちょっとプレッシャーに弱いところもあるけれど優しく頼りがいのある錬、いつも穏やかで大人びている立夏。
立夏は小学生の頃からの、勇人と錬は幼稚園からの付き合いだ。
良い部分も悪い部分も良く知っていて、ひょっとしたら家族より一緒に過ごした時間が多いかもしれない。
琉唯は、本当に立夏を助けられるのか、不安で仕方がなかった。
はっきり言って自分達はこう、ちょっと馬鹿というか、どこにでも居そうな学生さんというか、そういうものでしかない。
だから女神様から、現地で手助けをしてくれる人を用意したという話を聞いたとき、とてもほっとした。
そりゃもうヒーローものの作品の主人公のような、強くて一人で事件を解決できてしまいそうな、頼りになる大人を派遣してくれたのだと思っていたのだ。
しかしながら驚いたことに、神殿にやってきたのは、自分達よりも小さな男の子だった。
勿論只者では無さそうな子だったけれども。それはもう責任感の強くて優しくて良い子そうな王子様だったけれども。
この子を巻き込むのか、と琉唯が申し訳なくなってしまったのは、多分人として当然の情緒だ。
そんなわけで、琉唯は見知らぬ他人の家探しという人としてあるまじき行為も、気は進まないが出来るだけ頑張ろうと決意していた。
正直な話、日記を見つけても、自分達はあまり役に立てそうにない。
女神様の加護のお陰で言葉も文字も理解できるけれど、手書きの文字というのはなんというか、草書体でも読んでいるような見え具合で、非常に理解しづらいからだ。きっと読むのはライアに任せきりになってしまう。
そのぶんどうにか役立つ情報を見つけられないかと、琉唯は目を皿のようにして家の中を見回した。
一体何という様式なのかは知らないけれど、家は頑丈さを優先したようなどっしりとした造りで、10年20年、あるいはそれより昔からここに建っているのだろうことがなんとなくわかる。
けれど家具はあまり多くない。実用的なものだけで、装飾的なインテリアというのは見当たらなかった。
その代わり、壁に子供が描いたのだろう絵がかかっていたり、手作りだろうクッションが置かれていて、殺風景な部屋を生活感のある優しい印象にしている。
この国の一般的な平民の生活水準がどんなものなのかは知らないけれど、この家は食うや食わずやという生活ではないのだろう。
キッチンの収納にはかたまりの岩塩のほかに、蜂蜜の入った小瓶もある。
小さな紙に細かい、けれど読みやすい丸い字で書かれているものは、スープのレシピだろうか。
ピクルスらしき野菜の壺詰めがあったり、塩漬けの肉があったり、タマネギが天井から吊るされていたり、食材はそれなりにあるのに、なんとなくだが料理をした形跡が薄い。
かまどの灰に触れてみると、空気中の水分を吸ったのか少し湿ったような感触だったので、ここ数日は火を熾すことも少なかったのかもしれない。
木の板を組んだだけの棚の上を見ると、素焼きの土器のような見た目の小さな器や、木の匙など、必要最低限の食器が置かれている。
テーブルのそばには5脚の椅子があるものの、そのうち3つは壁際に置かれ、二つはテーブルの長辺に二つ並べて置かれている。そしてそのうち一つの座面に、擦り切れかけて色褪せた、パッチワークキルトのぺしゃんこのクッションが置かれているのだ。
あ、と琉唯は目を瞬かせた。
これ、きっとクッションのあるほうに小さい子を座らせて、隣に座る大人がごはんを食べさせていたんだ。
椅子が5脚もあるのは、夫婦と子供、それから祖父母で使っていたのかもしれない。
いまは二人分しか使われていないようだし、見つかっていない村人は男性だと聞いているから、お父さんと子供の二人暮らしだったのだ。
それなら子供だけ避難したのだろうか。小さな村だから、知り合いが連れて行ってくれたのかもしれない。
不思議に思いつつも、琉唯は友人二人に声をかけた。
「ここ、お父さんと子供で生活してたみたい。椅子がそういう感じ」
そう言うと、それぞれ室内を見て回っていた勇人と錬が琉唯のそばへやってきて、なるほどと頷いた。
「言われてみるとそうだな。あっ、俺さっきこんなの見つけた」
錬が足早に柱の一つに近づき、これ、と指さす。
そこには小さな傷があった。
50cm程度の高さから始まって、おそらく1mより10cmか20cm高い程度まで、不規則に横向きに付けられた傷だ。上のほうにある傷ほど新しいものに見える。
「これさあ、身長測るやつかな」
言われてみれば、確かにそう見えた。
親が子供を柱のそばに立たせて目印をつけ、成長を刻む、日本でも馴染みのある行為だ。
異世界にもこういうのってあるんだ、と琉唯は少し感動した。
「ほんとだね。小学校一年生くらいかな。こっちの人の平均身長ってよくわからないけど」
そう思って部屋の中を見回すと、また違う発見がある。
比較的新しい家具は、ひょっとしてお父さんの手作りなのかもしれない。
花瓶に挿されたままカラカラに干からびて枯れてしまっている花は茎の長さが不揃いだけれど、これは子供が小さな手で摘んできたものなのかも。
そうした細かな発見はいくつもあったけれど、肝心の日記のような、詳しい生活の様子がわかる物は見当たらない。
琉唯たちはすることがなくなり、扉が開けっ放しになっている寝室の中を覗いた。
そこではライアが黙々と紙の束に目を通していた。
ほとんど瞬きもせずに、驚くほどの速度で読み進めていくその集中力に、何が書いてあるのかと尋ねる事すらためらってしまう。
声をかけるのを忘れていたと謝罪するライアに、琉唯は邪魔をしないよう小声で気にしないでと返事をする。
しかしそうなるとやることが無い。
三人は無言でちらりと見つめ合い、とにかく静かに大人しくしていようと決め、仕方なしに寝室の中を眺めた。
ここも飾り気のない部屋だ。
木箱の中には生活用品と、すこしくたびれた玩具が入っている。
見慣れない形のベッドの上を見ると、しわのあるシーツがかかっていた。
ワンポイントのウサギの刺繍の付近は、着古されたTシャツの襟元みたいによれよれだ。
きっと小さな子が噛んだり引っ張ったりしてしまったのだろう。
ウサギが好きな子なのかもしれない。琉唯も学校指定の鞄に、ふわふわの白ウサギのバッグチャームを付けているから、なんだか親近感がわいた。
クローゼットの中には、普段着のほかに可愛いドレスが一着入っている。
花嫁さんの衣装かなと琉唯は思った。他の服に比べてずっと装飾が多くて、普段着には全く見えなかったからだ。
成人男性が着るものだろう、ところどころ擦り切れてあて布をされたシャツや作業服っぽいズボンに混じって、小さなワンピースも何着かある。
ここの子、女の子だったんだ。と琉唯は心の中で納得した。
玩具もお人形だったから、薄々そんな気はしていた。
そうして三人組が手持ち無沙汰にしていることに気付いたのか、ライアが比較的読みやすそうな日記を渡してくれたので、三人は少しだけほっとしてページをめくる。
一番年下のライアが忙しそうにしているのにすることが無くて、ちょっと居心地が悪かったのだ。
日記は文字の練習帳も兼ねていたのだろう。
がさがさした質感の、薄く茶色がかった紙には、子供らしいくちゃっとした文字が並んでいた。
それでもどうにか出来るだけ綺麗に書こうと努力しているらしく、紙の端に同じ単語が何度も書き取りをしてあったり、0のつなぎ目がぴょんと飛び出してしまう癖を直したいのか、くるくるといくつも不格好な丸が書かれていたりする。
これを書いた子は、真面目で努力家な子らしい。
そんな場合ではないのだけれど、琉唯はちょっと癒されてしまって、ふにゃりと笑った。
小さな子の書く文章なので、一ページに書かれている文字は少ないし、端的だ。
所々よく分からない単語もあるけれど、前後の文章を読めばなんとなくのニュアンスは伝わる。
彼女の母親は、どうやらこの日記を書き始めたころには、既に亡くなっていたようだ。
けれどこれを書いた子供はまだ小さいからか、ひどく思いつめたり寂しがっている様子はない。
書かれていることは、どれもなんてことのない情報だ。
母が遺してくれたレシピを見て、父親がなんとかスープを作ってくれること。父親が仕事に行っている間食事を用意してくれるおばさんの料理が、頑張っている父親のものよりずっと美味しいという子供らしい賞賛。けれどお父さんが落ち込むといけないので、それは内緒にしていること。
まだ火を使って料理をすることは許されていないから、パンを切って食卓に出すことと、掃除をすることが自分の仕事であり、これが上手なのだという可愛い自慢。
友達の家の庭の木に登って、そこになっている果物を食べた思い出。果汁で服をべちゃべちゃにして家に帰ったら、父親にしかられたこと。
庭に時々ウサギがやってくるので、いつか後をつけて行って巣穴を見つけ、父親に教えて褒めてもらいたいという微笑ましい好奇心旺盛さ。
父親が、母親の墓に供える花のリースを毎日のように作ること。それがどれほど綺麗なのかという、少女なりの精一杯の誉め言葉。作り方を教えてもらっても自分はまだ全然うまく作れず、ちょっと悔しいということ。けれどお母さんはきっとこっちのほうが喜ぶだろうからと、父親が不格好なリースを墓に供えることが、照れくさいけれど嬉しいのだという内緒の話。
時々お母さんが恋しいけれど、大好きなお父さんが一緒に居てくれるから寂しくはないのだということ。
日記にはそんな、幼い少女の日常が詰まっていた。
ページには時折、押し花にされた白い花が挟まれている。これが母親の墓に供えているリースに使う花なのだろうか。
柔らかで愛おしく、思わずぎゅっと抱きしめたくなるような、そんな気持ちにさせられる日記を読んで、しかし琉唯は言いようのない不安を感じていた。
この女の子は真面目な子だ。家の掃除をいつもきちんと行っている。
けれど今日見た家の中の様子は、どうだったか。
いや、ひょっとして親戚の家に泊りがけで遊びに出かけているのかもしれない。忙しい父親に代わって、誰かが旅行に連れて行ってくれているとか。
でも、柱についていた傷は低かった。まだあんなに小さい子なのに、一人で親元を離れて?
自分で立てた仮説を自分で否定して、琉唯はごくりとつばを飲み込んだ。
自分と同じように落ち着かない様子の友人二人と顔を見合わせ、けれどいつまでもそうしてはいられず、ライアに日記を返す。
父親の日記を大急ぎで読んでいたらしい彼は疲れた様子で、柔らかい金色の眉を少しだけしかめている。
それでもこちらの不安げな視線に気づいたのか、ふっと表情を柔らかくしてくれた。
そうやって気遣われると琉唯はいつもすこし申し訳なくなってしまうのだけれど、今この時に限っては、なんだか頼りがいがあってありがたかった。
「……では、わかったことを話させていただきますね」
「ん、頼む」
こういう時に返事をするのは、たいてい勇人だ。
彼は普段は騒がしくて子供っぽいけれど、この三人の中では一番度胸があって、物怖じしない。
ライアは小さく頷き、時折日記に視線を落としながら話し始めた。
「この家は代々猟師の家系のようです。
お子さんが生まれたばかりの頃は、祖父母と両親、娘さんの5人暮らしだったようですね。
お母様は少し体の弱いかたで、夫婦仲は良好でしたが、娘さんが無事に生まれただけでも奇跡的だったようです。
祖父母はお子さんが喋れるようになったころに亡くなられています。
ご家族の仲はとても良く、愛情に満ちた家庭だったことが日記からよく伝わってきました。
お母様は娘さんをとても愛していらっしゃいましたが、自分が長くは生きられないと理解されていたようです。
娘さんが成長してからも着られるよう、大きさを少しずつ変えた服を仕立て、それを形見として遺したと書かれています」
そこでライアは一度口を閉じた。何かを耐えるような表情を一瞬して、再び口を開く。
言葉を発するために吸い込んだ息は、ほんの少し喉の震えるような音を伴っていた。
「お父様と小さな娘さんの二人暮らしは、多少不便なこともあったようですが、幸せなものだったようです。
女親のいらっしゃらないご家庭ですから、娘さんの花嫁修業は親戚のかたのお宅に預けて行う予定で、将来娘さんを王都の近くの町へ行かせるつもりだと書かれています。
といっても娘さんはまだ6つだったので、詳しい話は決まっていないようでしたが。
村の中でもご家族は気にかけられていたようで、人間関係も良好です。それなりに日々の悩みはあるようでしたが、深刻な問題は起きていないものと思われます。
……二十日ほど前に、娘さんが亡くなられています。
そこからの日記は娘さんについてだけです。彼女はお父様が狩りに行っている間に、森の中で迷い、崖から落ちたのだと書かれていました。
普段から一人では森へ入らないよう、言いつけていたらしいのですが……」
言い淀むライアに、琉唯は子供の日記に書かれていた内容を伝えた。
「……そういえば、この子の日記に、時々近くでウサギを見かけるって書いてあったよ。いつか巣穴を見つけて、お父さんに褒められたいんだって」
「そう、ですか。……お父様の仕事のお手伝いをしたかったのですね」
部屋の中に沈黙が落ちた。琉唯は自分で伝えた言葉とライアの返事に落ち込み、服の裾をぎゅっと握る。
ここに住んでいた小さな女の子は、ウサギが好きだったのだ。彼女がもっと小さなころには、毎晩寝るときにぎゅっと握っていたのだろう、シーツに刺繍された可愛いウサギが。
琉唯はふと、椅子に置かれた古いパッチワークキルトのクッションを思い出した。
お母さんが作って、その娘である小さな女の子が座って、毎日ごはんを食べていたのだろう薄いクッション。
部屋の中は少し散らかっていたけれど、擦り切れて中の綿がすっかりへたってしまってもずっと使われていたらしいあのクッションには、ほこりひとつ付いていなかった。
大事にしていたんだ。
奥さんと娘の思い出がつまっているから。
喉の奥がギュッと苦しくなった。
目頭が熱くて、じわりと視界が滲む。
見に行かなくちゃ、と勇人がぽつりと言った。
「お墓、一応、見に行かないと。なんか起きてたらいけないから」
そういう彼の表情は、普段の活発さがなりをひそめて、暗く落ち込んでいた。
女神様が話していた、邪神のせいでうまれたゾンビの話を思い出したのだろう。
異変が起きているのは森だから、同じ事が起きた可能性は低いだろうけれど、確かめておきたいという気持ちはわかる。
居なくなった村人の悲しみが妻と娘を失ったからだということは、十分すぎるくらい察することができたからだ。
琉唯と錬は勇人の言葉に頷いて、ライアを見た。
この中で一番父親の心情を理解できているのは、日記を読んだ彼に間違いないからだ。
「ええ、また家族と暮らしたいと願った可能性は、無いとは言い切れません。
確認しに行きましょう」
ライアは頷き、踵を返して寝室を出る。4人は家を出た後、誰からともなく、家に向かって小さくお辞儀をした。
勝手に暴いてしまった穏やかな家庭の幸せだった暮らしと悲しみに、なんだか謝りたいような気持ちになったのだ。
胸の中にずんと重いものが沈んだような感情を抱えて、4人は村の中を歩いていった。
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