第29話 優しい少年の第一歩・後
「どうした、反撃してこないのか」
剣と盾がぶつかり合うぎしぎしとした音に混じって、アストレイの声が聞こえてくる。
あれほど闊達とした笑顔を浮かべていた人間とは思えないほどの、低く温度の無い声だった。
防ぐたびに移動し、反応できるギリギリの速度でまた攻撃される。
それが10回にもならないうちに、錬はついに間に合わず、脇腹に剣を叩きこまれた。
刃ではなく剣の腹で殴られたため死にはしなかったが、それでもあばら骨が軋むほどの衝撃に、錬は脂汗を流しながら蹲ってしまう。
真正面に立つアストレイは、静かな声で話し始めた。
「……誰もお前を戦いになど行かせたくはない」
錬はそれを聞いて、自分が未熟だからかと考えた。
こんな何の覚悟も無い頼りない子供に、恐ろしい化物の退治を任せなければいけないなど冗談ではないと、罵られているのだと思ったのだ。
きっとそれは当然の罵倒だ。俺だって俺が情けなくて仕方がないんだから。
ぐっと唇を噛みしめて体と心の痛みに堪えていると、アストレイは構えていた剣をすっと下ろした。
「誰がこのような子供を戦場へ行かせたいと思うか。己に子供や兄弟がいれば、なおさら心が痛むだろう。不憫なお前に優しくしてやりたいと思うだろう。戦いに怯える子供に殺し合いを教え込むことなどさぞ辛いだろう」
声は呟くようで静かだったが、ぴんと張られた弓弦のように美しく、しっかりと耳に届いた。
錬はうつむいていた顔を思わず上げる。
傾いてきた日差しを背に浴びる少年の視線は、真っ直ぐに自分を見据えていた。
「だから俺がやる。お前に人を切ることと切られることを教える。殺されるかもしれないという恐怖がどんなものなのか教えたうえで、それを克服させねばならない。俺はこの国の第二王子だ。国民の平和を守るために働く義務がある。
……ま、そういうわけだ。今日からお前の相手は俺だぜ。退屈はさせないから、頑張ってついて来てくれよな」
そこまで言うと、アストレイはまたにっと笑った。
つい先ほど学校の先輩みたいだと思った笑い方が、今度はずっと大人びて見える。
なんで、と、唇から勝手に言葉が零れた。
「なんでそんなに、しゃんとしてられるんだ。王族って、みんなそうなのか」
ほとんど独り言のようにそう言う錬に、アストレイはきょとんとした後、斜め上を見て少し考え込んだ。
そして再び視線を錬へ向け、指先をちょいちょいと動かして立てとジェスチャーをする。
それに従って錬が盾を支えにのろのろ立ち上がれば、頷いて再び剣を構えた。
「時間が勿体ないからやりながら話すぞ」
「えっ」
そうしてまた唐突に切りかかってくるアストレイに、慌てて盾を構える。
耳が痛くなりそうなほどの連撃の轟音にかき消されないよう、盾越しに元気いっぱいとしか表現できない声が響いた。
「俺は戦いが一番得意だからこれくらいどうってことない! ライアは俺とはまた別だな! あいつ7つの頃から孤児院やら病院やら救貧院やら刑務所やらに慰問してるんだ!」
「えっ、あ」
「それで行った先で犯罪に巻き込まれてる奴とか奴隷にされた奴とか虐待されてる奴とか見つけてきちゃあ、毎回助けて回るんだよ!」
錬の相槌とも言えぬ声には構わず、アストレイは話を続ける。
剣を振るいながら錬の背後に魔方陣を出現させ、そこからこぶし大の石の礫をいくつも打ち出され、錬は慌てて腰にさしたままだった剣を抜いた。
それを振れば、背後に何枚もの半透明の盾が浮かび上がる。仲間たちとやっていたゲーム内で見慣れたそれは、ゲームと同じように攻撃を防いだが、何度も放たれる石礫を受けるたびに薄れていく。
錬は連撃の隙間を縫って横へ飛び出し、アストレイから距離を稼いだ。
アストレイのぴんと伸ばされた指の先から2mはありそうな大きさの炎のかたまりが吐き出され、錬は地面に盾をついてその後ろに体を隠す。
ふっと空気が動いたような気がして、今度は魔法の盾を背後の一か所に何重にも重ねた。
その瞬間、いつのまにか移動していたアストレイの刺突がそこへ突き刺さる。
振り返って切りつければ、王子は笑って軽やかにそれを避けた。
「まあそんなことが何回もあって、その上大勢の目の前で色々喋る機会なんかもあって目立つもんだから、あいつ今じゃ天使様なんて呼ばれることもあるんだ! わかるぜ! 俺の弟は優しくて賢くて、人助けが生き甲斐みたいな奴だからな!」
「いやブラコンかよ!」
「なんだそれ! まあとにかく俺は弟が大好きだ!」
にこやかに会話をしながら大怪我をしそうな攻撃を放たれまくるという事態に、錬の頭は次第にある種のマヒをし始めていた。
お陰でツッコミのような言葉も出る。ほとんどヤケだ。
再び真正面から切りかかられても、今度は先程までより冷静にそれを受けることができた。
「俺がかわりに行きたかった!」
「っ、」
「大事な弟なんだ! でもあいつはしっかりしてるから泣き言も言わない! ロクに相談もしてくれない! そういう奴だ! こっちは心配してんのに!」
大盾を持った大柄な錬がずりずりと後退してしまうほどに、アストレイの攻撃は容赦が無かった。
それ以上に言葉に遠慮が無かった。
思っていることをこれだけあけすけに言えるアストレイに、錬はこんな時だというのになんだか感心してしまう。
「ひと言行きたくないって言ってくれれば、怖いって言ってくれれば、兄ちゃんは一生懸命女神様に頼み込んで俺が行くって言うのになあ! でもあいつ絶対そんなことしないぜ! 困ったやつだよ!」
「あ、当たり前だ! 言えるわけないだろ!」
「わかってるよ! でも頼って欲しいんだ! 死ぬかもしれない奴の、心配させないように平気そうにしてる顔ばっかり見て送り出すんだぞ! 気が狂いそうだよこっちは!」
「んなの、死ぬかもしれない場所に行く奴だって、一緒だろ! 心配してるやつ置いて行かなきゃいけないなんてつらいに決まってる!」
攻撃を受けた直後、盾にかかる重さがふっと遠ざかったタイミングで、錬は盾を構えたまま突進した。
ガツンと音が鳴り、重たいものに当たった感覚が盾越しに手まで届く。相手を殴った感触だ。
普段は嫌で仕方がないそれが、なぜだか今日は我慢できた。
体勢を崩されたアストレイはすぐさま後ろに下がって数歩ぶんの距離を取る。
錬は盾を構えたまま、相手に向かって正拳突きをした。
盾から放出された魔法による衝撃波を、アストレイは短い助走とジャンプだけで避ける。
軽々と頭上を飛び越えていった相手をあんぐりと口を開けて見送り、はっと我に返った錬は再び盾を構えた。
やかましい声と連撃が再び繰り出された。
「なら余計腹立つわ! もっとまわり頼れよ!」
「頼れたら困ってねえ!」
「ヘタクソ!」
「んだとコラ!」
馬鹿みたいな言い合いをしながら、錬はなんだか悲しくなった。
誰だって戦いに行きたくないし、行かせたくない。
それが当たり前なんだ。
そう思うと胸の中がもやもやして、それを絞り出すように、勝手に口が開いた。
「俺が守るよ!」
「あ?」
「俺が、ライアも勇人も琉唯も守るって言ってんだよ!」
誓いというには乱暴すぎる声に、アストレイはハッと笑った。
間合いを取り、剣を正眼に構える。
「ならこれくらいじゃ死なないよな」
加護で強化された錬の動体視力でも見えないほどに、研ぎ澄まされた一閃だった。
まるで漫画のように斬撃が飛び、地面を抉りながら錬へと迫る。
それが盾に直撃した瞬間、信じられないような重みがかかる。
自動車に正面衝突したような衝撃を、女神の加護を受けた盾と体は耐えきってみせた。
ほとんど何も考えず、一足飛びに目の前へ走る。
盾ごと振りかぶった拳が、剣での防御ごと相手を吹き飛ばした。
ざりざりと音を立てて地面を滑り、アストレイが後ろへ下がる。
口内の血をぺっと地面へ吐き捨て、美しい王子がへにゃりと笑った。
「……よかった、お前やればできるじゃん」
「は?」
唇の端が切れた顔で嬉しそうに笑われ、錬はぽかんと口を開いた。
盾を構えていた腕から力が抜け、底面が地面にごつりとぶつかる。
「お前、変に心配しながら戦ってると弱いんだよ。これからもこうやって喋りながら戦えば?」
「んな、え? それでいいのか?」
本当にそんな単純なことで解決するのか?
そう疑問に思ったが、実際こうして戦えている。
俺って単純なやつなのか。そうか。
疲れた頭に納得が染み渡った。そういえば、自分はそもそも頭があんまりよろしくないのだ。
結局戦う覚悟だなんだという話ではなく、こんな小手先の方法が一番効いてしまったようだ。
半ば呆然としている錬に、アストレイは大口を開けて笑う。
「アホヅラしてんなぁ! 良かったな。これからはチーム戦の時は周りの奴と話しながらやれよ」
「ええ……、迷惑だろそれ」
「迷惑じゃないよ。仲間だろ。無駄口叩くんじゃなくてさ、あっち注意しろとかこの攻撃は俺が受けるから後ろの奴から倒してくれとか、今のは上手かったぞとか、何でも良いんだよ。コミュニケーション取れってこと」
「ああ……」
そういえば自分は緊張しきって、全員での模擬戦でも、個人練習でも、歯を食いしばっていた気がする。
たまには声をかけて連携を取っていたけれど、ゲームをやっていた時に比べればずっと会話は少ない。
これはゲームではなく現実なんだから。真面目にやらなくちゃいけないんだから。
そう思って必要以上に警戒し、怖がり、慎重になって。
それも多少は必要だったのだろうけれど、自分のような臆病な人間は、余計なことを考えず動いたほうがよっぽど良かったのだ。
馬鹿みたいな結論に力が抜けて、錬はふらふらと地面に座り込んだ。
それを見て、アストレイもどさりと乱暴に腰を下ろす。
きっと王子様は庶民より先にヘバるなんて真似ができないんだろう。
すっかり気の抜けた錬は、きらめくような美貌の王子に向かって、平気で話しかけることができた。
「なあ、また練習付き合ってくれんの?」
「おう、任せろ」
「良かった。俺、なんか、戦えるかもしんない」
「そりゃ男の子はその気になりゃ誰だって戦えるよ」
「琉唯のやつ女の子だけどめちゃくちゃつえーよ」
「最高じゃないか。強い女はいいもんだぞ」
「あいつ口説かれるとゴミ見るみたいな目するし機嫌悪くなるから、本人にはそれ言わないでくれよ」
「怖いな……。わかった……」
学校で馬鹿な友達と話しているときみたいな会話だと思った。
異世界なのに。
戦いに行くのに、深刻な話なのに、こんなことでいいのか。
そう疑問に思ったが、どうやらこれでいいらしいと気付いて、錬は長いため息をついた。
悩んだり弱ったり馬鹿なことを言ったり安心していいのだと、許されたような気がして、なんだか無性に泣きたいような気分だ。
空は抜けるように青くて、太陽は一つで、横にいる18歳男子は地球にいる高校生みたいに当たり前に言葉が通じるし、気持ちも通じる。
肩に入っていた力がすっと抜けた瞬間、錬は異世界に来てから初めて、緊張しっぱなしだった心が解れたことを自覚した。
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