第20話 騎士と王子・後
それからすぐに、ギルベルトは王子の船に移された。
一体いつからこんな悪事を働いていたのか、船の中には隠し通路や隠し部屋が作られ、大の男一人を閉じ込めておける檻まで用意されている。
周囲に気付かれずこれだけのことをしていた王子に、もはやギルベルトは呆れるような気持ちになった。
檻の中での生活は不便ではあったが暇でもあり、せめて鈍らないようにと鍛錬をする。これも特に咎められることはなかった。
数日後に隣国へ行ったあと、帰りに王子の持つ島に連れていかれるのだとは聞いていたが、それまでは何をするつもりも無いということなのだろう。
食事も、予想外にまともなものが出てきた。
船の中でギルベルトに食事を届けるのは、どうにも気の弱そうな男だった。
体つきだけは兵士らしく立派ではあるが、いつもギルベルトの機嫌を窺うようにして、頭を下げて食事を置いていく。
よくよく見れば動きもきちんと戦い方を習った者のそれではない。おそらく本来はこんな看守じみた仕事をするような人間ではないのだろう。
初日こそ何も言わなかったが、二日目には暇さも相まって気になってしまい、ギルベルトは食事係の男を呼び止めた。
「なあ、あんた。一体どうしてこんな仕事をしているんだ。どうも好きでやっているというふうには見えんのだが」
「は、いや、その」
言い淀んだ男は、驚いたことにそのまま泣き出し、檻の前で這いつくばるように頭を下げた。
すみません、と繰り返す男の肩を、ギルベルトは困惑しつつも檻から手を伸ばして軽く叩く。
「なんだ、どうしたというんだお前は」
「お、俺が、あの時俺が切りつけたんです。あの毒が塗られた短剣で」
「なんだと」
それでは、ギルベルトが捕まった原因となった、あの布で巻かれていた人間が目の前の男なのか。
てっきりそういった計略に慣れた人間の仕業かと思っていたギルベルトは、予想外の人選に目を丸くした。
男はますます頭を下げ、床に額を擦りつけてすらいる。
「俺、借金をしちまって、借りた先がタチの悪い奴らだったみたいなんです。それで、この仕事をすれば見逃してやるって……、それで、それで」
「ああわかったわかった、騙された俺が間抜けだったんだ。いいから顔を上げろ」
再び泣き出した男を雑にあしらい、ギルベルトはため息をついた。
自分が王子を探っていたことは、既に知られていたのだろう。
そのうえで策に嵌められたのだから、あの時自分に切りつけていたのがこの男だろうが別の誰かだろうが、同じ事だ。
そう思えば、恨む気にもならなかった。それに目の前の男はどうにも哀れすぎた。
「すみません……。それで、結局この船で働くはめになったんです。なんでせめて俺が世話係をしようと」
「ああ、そうだったか。いや、わかった。逆にお前のように気の弱いやつが世話係で助かった。気を張らずに済む」
ひょっとするとこの船は、こうして弱みを握られて働いている人間が他にも居るのかもしれない。
そう思うと、いつかどうにかして首輪を外し、こいつらを端から切り捨ててどこかの国に亡命しようという考えにもためらいが生まれてしまった。
さては王子め、そのつもりでこの男に世話係を任せたのだろうか。
性格の悪い企みに、ギルベルトはため息をついた。
捕らえられてから五日も経った頃、船が動き出した。隣国目指して出航したのだろう。
相変わらずやることはないし首輪を外す術も見当がつかない。ギルベルトはかなりの怪力だが、首輪はどれだけ力を込めても歪みすらしなかった。
何もできない我が身にギルベルトが苛立っていると、思いがけないことに、停泊先で王子が客を連れてきた。
しかも、11歳のルグナーよりさらに小さな子供だ。
白にも見える薄い色の金髪に、青と緑を混ぜたような鮮烈な色の瞳。
ライアという名の、明らかに隣国の王族の特徴を備えているその子供に、ギルベルトは目眩がした。
自国だけでなく、隣の国にもこんな趣味の悪い王族がいるのか。
いったいどう育てば、こんな幼い子供が檻で捕らえられている人間を見て、心から嬉しそうな笑顔を浮かべるのか。
暗澹たる気持ちになりながら、一言も発さずに目の前の王子たちの様子を見ているうち、どうにも不穏な会話が始まった。
目隠しをして戦わせるというルグナーの言葉に、ギルベルトは眉を顰める。
悪辣な人間の考えそうな見世物だ。
しかしギルベルトとて、これまで幾度も修羅場をくぐってきたのだ。視界の利かない状況で、音だけを頼りに魔獣を切り伏せたこともある。
勝負を盛り上げるために、ルグナーも出来るだけ強い兵を選んで当ててくるだろうが、この船の船員程度に負ける気はしなかった。
反抗心も露にそんなことを考えていると、ふと、それまで機嫌よくルグナーの言うことに同意してた幼い王子が、困ったような顔をしてルグナーの袖を遠慮がちに引いた。
「……ねえルグナー殿下、ではこのかたは、死んでしまう可能性もありますよね?」
「そうだねえ。おや、可哀想になったかい?」
「いえ。ただ、それなら最期に二人きりでお話をさせてもらいたくて」
そうあっさりと死んでも可哀想ではないと肯定されると、このライアというらしい王子になんの思い入れも無いギルベルトも、少々虚しいような気持ちになる。
ルグナーのほうでもこの得体のしれない子供から目を離すのは気が進まないのか、どこか歯切れの悪い様子だ。
「そうですか。……理由を聞かせてもらっても?」
そう尋ねられたライアは考え込むように少しの間うつむき、そして再びルグナーを見上げた。
その幼い顔が、にたり、と歪んだ。
ギルベルトの背に悪寒が走った。
人の顔というのは、表情一つでこんなにも印象が変わるものだろうか。
先程まで、外見だけなら天使のようだった少年は、今は狂気に満ちているとしか言いようがない空気をまとっている。
美しい海のような色をしていた瞳も、もはやドブか深い沼のようにしか見えない。
あまりの変わりように、ルグナーさえその完璧に整えた表情を僅かに引きつらせていた。
「いやがらせを、したいのです」
「いやがらせ、ですか?」
「はい、いやがらせです。死んでしまうかもしれないなら、今のうちに、僕もこの騎士さんに出来るだけのことをしてみたくて」
「そう、ですか」
声にすらも悪意が滴るような少年の様子に、ルグナーは少し考えた後、頷きを返した。
「ええ、いいでしょう。君なら、つまらないことはしないでしょうから」
「わあ! ありがとうございます!」
ぱっと満面の笑みを浮かべるライアの見事な変わりように、ギルベルトは心の底から嫌悪を感じた。
これと二人きりにされるなら、まだルグナーと二人で話をさせられるほうがマシではないか。
しかしルグナーとその部下たちは隣室へと移ってしまい、部屋にはギルベルトとライアが取り残された。
鉄柵のすぐそばまで寄って手招きをされたものの、正直絶対に近寄りたくない。
「聞かないと後悔しますよ」
にっこりと微笑みながらそう言われ、聞いたら後悔するの間違いではないかと思いつつ、ギルベルトはしぶしぶライアに近づいた。
一体何を言われるのかと訝しむギルベルトの様子を気にする素振りも無く、ライアは耳元に口を寄せて小さく囁く。
「僕はルグナー殿下を告発する」
当然のことのようにあっさりとそう言われ、ギルベルトは思わずライアの顔をまじまじと見た。
しかし相手は再び耳を貸せと身振りで示してくる。しぶしぶ鉄柵に耳を寄せれば、再び何事も無かったかのようにライアが話しかけてきた。
「それを前提に話を聞いてほしい。返事はして構わないが、出来るだけ怪しまれないよう、嫌な顔のひとつでもしておいてくれ。ところであなたはこれから戦う相手を殺すつもりだろう?」
「……ああ」
勝算はある。
目隠しをされて相手の姿が見えないとはいえ、勝負の開始時点で相手が立っている場所くらいは、足音を聞いていれば事前に知ることができる。
そこに素早く一撃を入れればいい。
勿論それくらいは相手も読んでいるだろうが、ギルベルトはそこらの兵士如きに速さでも力でも負ける程度の男ではない。
それに、わざわざ首輪の制限を緩めて闘わせてくれるのだ。手駒は削れるときに削っておきたい。
「殺してはいけない」
「なんだと?」
「ただし、まるで殺したように叩きのめす必要はある。理由は言えないが、そうしないと貴方は必ず後悔する」
「待て、それはどういうことだ」
「僕が言いたいことはそれだけだ。信じるも信じないも好きにしてくれて良い」
それだけ言い、ライアはルグナー達が入って行った扉へとさっさと向かってしまった。
ノックを聞いて戻ってきたルグナーは、もうすっかりライア相手に引きつっていた表情を取り繕い終え、いつもの貼り付けたような笑顔で会話を始めた。
「もう良いのですか? まだ少しくらい話していても構いませんよ」
「いえ、十分お喋りをしました! それより早く始めましょう!」
「ふふ、そうですね。さあ、ライア殿下がお待ちかねだ。その男を檻から出してやるとしよう」
王子の言葉を受けて、強面の船員が檻の鍵を外す。
ギルベルトはすぐに鉄の剣を持たされ、分厚い布の目隠しをさせられた。
今から戦う相手も恐らく、持っているのは似たような武器だろう。
間合いが知れないことは不利ではあるが、今は仕方のないことだ。
ギルベルトは剣を持ったまま両腕を自然体でぶらりと下げた。型としてはあまり一般的ではないが、これがギルベルトにとって一番戦いやすい。
勝負自体は問題ない。
それよりも、あの得体のしれない王子の言葉を、真に受けるべきか否か。それが問題だ。
考えた末、ギルベルトはライアの言葉を受け入れた。
殺してしまったものはもう戻らない。なにを仕掛けられているのかは分からないが、より取り返しがつかないのは、このまま相手を切り捨てることだ。
「いまギルベルトの前に立つ男は俺の部下ではないということにしよう。それなら首輪の魔法も効かないからね。
では、……始め!」
ルグナーの合図と同時に、ギルベルトは床を強く踏みしめる。
剣を下から振り上げ、おそらくは対戦相手の頭があると思われる場所へ、剣の刃ではなく側面を叩きつける。
すこしくらいは頭に切り傷を負ったかもしれないが、骨を断った手ごたえはなかった。
頭を叩かれて意識を失った相手が床に倒れる音を聞き、ギルベルトは静かに息を吐いた。
一瞬でついた勝負に悪趣味な王子達は不満がるかと思ったが、上がったのは明るい歓声だ。
「すごいすごい! なんて素早い剣裁きでしょう! ルグナー殿下、素晴らしい試合でしたね!」
「ああ、まったく見事なものだ。誰か、その男の目隠しを取ってやるといい」
きつく縛り過ぎて結び目のほどけそうにない布の端を、船員の一人が切って目隠しを外す。
ギルベルトは明るくなった視界で、足元に倒れる男を見下ろした。
頭から出血し、一見死んだようにも見える相手は、ギルベルトに食事を運んでいる、あの気弱な男だった。
声でギルベルトに気付かせないためにか、口元には布を巻かれている。
驚愕に目を見開くギルベルトに、ルグナーはこらえ切れず笑い声をあげた。
「はは、良かった。サプライズが成功するのは楽しいなあ。ねえライア殿下」
「ええ、本当に!」
他の船員に担ぎ上げられて隣の部屋へと移される男を、ギルベルトはただ見送るしかできなかった。
つまりルグナーはギルベルトが苦戦する姿を見たかったのではなく、あの船員をそうと気付かず切り捨て苦しむ姿こそを見たかったのだ。
あまりに悪辣な趣向に、思わずギルベルトはルグナーを睨みつけていた。
事前に教えられ、結果は失神させただけで済んだとはいえ、人を人とも思わない所業に胸の内の憎悪が再び燃え上がった。
しかしどれだけルグナーに敵意を抱いても、剣を握った手は首輪の魔法のせいでぴくりとも動いてくれない。
そんなギルベルトの姿に満足したのか、ルグナーはギルベルトを再び檻へ戻させ、ライアににこりと笑いかけた。
「さて、ライア殿下。今日はお楽しみいただけましたか?」
「はい! こんなに楽しいのは生まれて初めてかも知れません!」
「ふふ、そんなに喜んでいただけるなんて、私も嬉しいですよ。けれどもう遅い時間ですから、お休みになっていただかないと、ライア殿下のお父上に叱られてしまうかもしれませんね」
「それは大変です! ヴォルフにも、気付かれたらお小言を言われてしまいます」
「おやおや、では早く寝室へと戻りましょうか」
まるで夜更かしをしてちょっとした楽しい遊びをしたように笑い合う王子たちに、ギルベルトは強い疲労を感じた。
人一人を殺しかねない遊びをしておいて、一体なぜあんなにも無邪気に振舞えるのか。
あのライアという王子も、今回は助けてくれたようだが、まだ信じていいものか判断がつかない。
この世は分からないことだらけだ。
嫌気がさしてしまい、ギルベルトは粗末な布切れを羽織って固い床に寝転んだ。
告発するという話が本当なら、ひょっとすると明日にでも船に兵士が踏み込んで来るかもしれないのだ。
その時必要な働きができるよう体力を回復するために、という名目で、ほとんどふて寝のように目を閉じた。
その翌日。
頭に包帯を巻き、ついでに見覚えのない青あざも顔に拵えて、見慣れた気弱な男がギルベルトに食事を持ってきた。
いつもはスープのひとつも付くのだが、今日は固いパン一つだ。
「無事だったか、とも聞き難いな。その痣は何だ」
「はあ、殿下がなぜ生きていると怒ったもので、ひざまずいて謝った所を蹴られました」
「酷い話だな」
「いやあ、ちょっと慣れてきました。それより昨日はありがとうございました。てっきりあそこで死ぬかと思っていたんですが、手加減してくれたんでしょう」
「さあな。知らん。偶然だ」
知らんふりをするギルベルトにしきりに礼を言い、青年はいつも通り他の仕事に戻って行った。
まずはあの不運な男が無事だったことに胸を撫でおろし、ギルベルトは檻に背中を預けて油断なく精神を研ぎ澄ませた。
今日は何かが起こる気がする。
その予感はほどなくして当たり、隠し通路に繋がる扉の鍵が何度かカチカチと鳴ったかと思うと、ゆっくりと開いた。
しかし、扉を開けて入ってきたはずの人間は見当たらない。
だというのに、今度は檻の鍵がカチカチと音をたて、あっさりと開いた。
警戒するギルベルトに、誰も居ないはずの檻の前から声がかかる。
「どうぞそのままお静かに。檻の外までいらしてください。わたくしは高貴で親切なとある方からの使いです」
男とも女ともつかない声に、いささか不安を覚えつつもギルベルトは檻を出た。
おそらくあのライアという王子の手の者なのだろうが、王子と同じく得体が知れなさ過ぎる。
「首輪を切ります。首に触れますが、動かないように」
返事も待たずに、首に誰かの指先が触れる。
続いて首輪と首の間に、小さな金属の板らしきものが挟み込まれた。
剣もそれを振るう相手の姿も見えなかったが、ギルベルトは確かに鋭い剣の風圧のようなものを感じた。
そうして甲高い音がしたと思ったら、挟まれていた板ごと首輪が外された。
「証拠品ですので、回収します」
どんな技が使われているのか、首輪はすぐに見えなくなってしまったが、一瞬見えた切り口の魔法のような鋭さに、ギルベルトは内心舌を巻いた。
「もうしばらくすると、兵士がこの船に踏み入ります。それに合わせて暴れて頂いても構いません。それまでは檻の中でお待ちください。
貴方の外見を伝えていますので、こちらの兵士から攻撃されることは無いかと思いますが、万が一の際は抵抗せずにおつかまりください。身の危険を感じられましたらその限りではありませんが」
「わかった。ところでこのくらいの背丈で、頭に包帯を巻き、額に青あざをこしらえた船員がいると思う。その男もどうやら脅されてここにいるらしいのだ。どうか気にかけてやってはくれんか」
「承知いたしました。では、わたくしはこれにて」
姿の見えない誰かはそれだけ言い、再び隠し通路の向こうへと去って行った。
そこからは随分と展開が早かった。
鍵の開いた檻の出入り口を閉め、首元をさりげなく隠して何事も起きていないふりをしていたギルベルトは、船の中が騒がしくなってきたと同時に檻を出て丁度居合わせた船員を素手で殴り倒し気絶させた。
そうして腰に履いていた剣を奪い、檻のある部屋で顔を合わせたことのある船員を手当たり次第に切り倒していったのだ。
手加減はした。あの男のほかにも、事情があって巻き込まれた人間が居るかもしれないと考えたからだ。
あいにくルグナーとは鉢合わせず、一発殴ってやりたいというギルベルトの望みは叶えられなかった。
しかしともかく、船はこの国の兵に制圧され、王子も怪我こそしていないが拘束された。
隣国の兵に付き添われながら船を降りたギルベルトは、同じく兵に囲まれたルグナーを見つけた。
長身のギルベルトの姿が視界に入っていないわけもないのに、ルグナーはこちらに見向きもしない。
付き添いの兵士に断って少し近づいてその顔を見た時、ギルベルトは嫌な予感がした。
一見すると、ルグナーはいつもの控え目な笑顔を浮かべ、こんな状況だというのに泰然とした様子に見える。
しかし恐らくは違う。
あれは、憎悪をこらえている者の瞳だ。
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