第19話 騎士と王子・中

ギルベルトは最初、品質の悪い茶葉の混入を、プーリットの代わりに城の御用達となった店からの妨害工策ではないかと考えた。

自分のような素人が事件の調査などどこまで出来るかは分からないが、幸い御用達になった店も、その審査をした役人も、どちらも書類で確認が可能だ。

とはいえ、魔獣の討伐部隊であるギルベルトには、捜査権限などは当然ない。

新しく御用達になった店へ向かい、書類に書かれていた名の店員を呼んでもらった。そして試飲室でその店員に詰め寄った。


「新しく王城の御用達になっただろう。その際、役人とどのような話をした」

「ひぇっ、いえその、それは当然わたくしどもの店の商品の品質の良さについて……」


ギルベルトは尋問のやり方など知らない。ただ出来るだけ怖い顔をして、低い声で質問をしただけだ。

しかしこれは本人が思っている以上に効果があった。

第一にギルベルトは長い騎士生活で、鍛えに鍛えた体をしている。そして顔や手にも傷跡が多い。

こんな強面に凄まれて平気な顔をしていられる人間というのは、ギルベルトの予想よりも少ないのだ。

そして第二に、この世界には『女神の鐘』という便利な道具がある。

仮に不正をしている人間がこの鐘の前で不正をしているのかと聞かれたなら、嘘をついたところでそれがたちどころに判明してしまうのだ。

つまり、罪を犯した人間は、そうと疑われた時点で既に致命的なのである。


ギルベルトを監査官か何かと勘違いした店員は最初こそしらを切ったが、役人に賄賂を渡していたことをあっさりと白状した。

しかし、言ってしまえばある程度の賄賂というのは、ありふれた光景でもある。

しかもそれを送って御用達となれるよう打診したのは、ちょうど競合店であるハンスの店が失脚してからだというのだ。

誓って妨害などはしていないと脂汗を流しながら言う店員に、ギルベルトは自分がここに来たことを誰にも言わないようにと釘を刺して店を後にした。


では一体誰が茶葉に混ぜ物をしたのか。

そもそも一体それは具体的には、どの時点でどのように発覚したのか。

これについては、すぐに分かった。城で王子にこの茶を出し、左遷された女中がいるということは、既に密やかに噂が流れていたからだ。

まるで噂話の真相を探る三流新聞記者にでもなったようで気乗りはしなかったが、ギルベルトはその女中に会うことにした。

左遷されたというだけあって、女中が働いていたのは、城内でも暇で出世のしようが無いと言われている花係だった。

これは王城の目立つ場所にある本格的な飾りではなく、ほんのちょっとした一輪挿しや、片隅にあるような花瓶にとりあえず花を挿しておけばいいというだけの仕事だ。

下級貴族が、娘を王城へ行儀見習いに出した、という箔をつけるためだけに用意されている部署に回されるのは、一時のこととはいえ王子の女中にまでなった女にとっては堪えるだろう。

ギルベルトは花を活けて回る女中を待ち伏せ、出来うる限り丁寧に話しかけた。


「ああ、すまない。申し訳ないのだが、ひとつ聞いても良いだろうか」

「あら……、まあ、討伐隊の」


ギルベルトのほうでは知らなかったが、女中は討伐隊で何年も働いているギルベルトの顔を知っていた。

それでどうにか警戒されず、例の茶が入っていた容器を開封した時の様子などを尋ねてみると、女中はしぶしぶながら答えてくれた。


「ええ、そうですわね、私は殿下のおそばで働き始めたばかりでしたから、はっきりとは申せませんけれども……。缶に何か細工がされているようには、全く。お茶の葉も……全く気付きませんでした。こんなことですからお仕事を辞めさせられたのですね」

「いや、そのような、悪いのはあのように混じりものを入れた誰かであろう」

「そう、ですわね。けれどあのお茶を売ったお店、あのあと傾きかけてしまったのでしょう。ずいぶん苦労していると聞きます。

私もあの店で買い物をしたことがあるのですよ。とても感じのいいお店で……。きっと納品している茶園がずるい商売をしたのね。

私があそこで、殿下にお茶をお出しする前に気付いていれば、きっともっと穏便に済ませられました。それが申し訳なくて……」

「そのように気に病んではならぬ。実は俺はあの店に友が勤めているのだが、誰も茶を淹れた女中を恨んでなどいない。思いつめるのはよしなさい」

「まあ、そうでしたの。そう、そうですか……。少しは、胸が軽くなったような心地がします」


気の毒な女中と別れ、一人で考え込んでみて、ますますわからなくなった。

ハンスが確認した時、商品に問題はなかった。

競合店が役人と結託したのは、事件が起きた後だった。

女中が茶葉を入れた時も、問題はなかった。

しかしその茶を飲んだ王子は、茶に異変があると訴えたという。

そこまで考えた時、ギルベルトはふと嫌な考えに思い至った。


本当に、王子が飲んだ茶に混ざりものなどあったのだろうか?

王子がそう言った後、誰かが質の悪い茶葉を缶に混ぜたのではないか?

そう考えれば一応の辻褄は合うにせよ、これはひどく不敬な思い付きだ。

そうだとするなら、王子は嘘をついて一人の女中を閑職に追いやり、店ひとつを潰しかけたことになってしまう。

尊い身分に居る者には我儘な気質の者も多いとはいえ、そのように意味のない悪行をするものだろうか。

しかしそう思ってしまうと、調べないで済ませてしまうのはどうかという気分になってしまう。

これは、王子は当然そのようなことをしていないと確認する、それだけの行為なのだ。

ギルベルトはそう自分に言い訳し、第七王子ルグナーについての調査を開始した。


ルグナー殿下は、こう言ってしまっては悪いが、大人しく目立たない王子である。

産まれた時期も遅く、母も男爵家の出で身分が低いため、他の王族が全員亡くなりでもしない限り、この王子が王座に座ることはない。

ゆえに王族内でも、ルグナー殿下を特別気にかけている人間はほとんどおらず、後ろ盾らしい後ろ盾というものも無かった。

そうなるとわざわざこの王子に関心を払う人間も減る。特に王城内で地位や権力のある人間からは、ほとんど意識されていないと言っていい。

そういう境遇ではあるのだが、かといって王子がなにか問題を起こしたということも、ギルベルトは聞いたことが無い。

徹底して特徴のない王子なのだ。


なのでギルベルトは、自分の思い付きは見当違いに決まっていると思っていた。

しかし自分が事情に疎いだけで、本当は我儘放題のとんでもない王子である可能性もある。

もしそうだとして自分になにか出来る事があるのか、という問題もあったが、ギルベルトはとりあえず、いままでの王子の傍付きや女中の人事について調べてみることにした。


まず最初に分かったこととして、王子には側近と言える人間が居ない。

幼いころに付けられた御付きは、かなり早い段階で異動し別の王子の使用人になってしまっている。

女中にしても同じで、長さはまちまちだが、常に人員が入れ替わっていた。

政治的利用価値の低い王子にすり寄る家が少ないとはいえ、不自然と言えば不自然な事だった。

逆に王族専用の船の乗組員は、初めは入れ替わりが多かったが、ここ数年はほとんど同じだ。

それならば、何か悪行を働いていたとして、隠し場所には比較的長く勤めている部下のいる船を選ぶだろう。

後になって考えてみても、ギルベルトはこの時の己が、どうしてこれだけの思い付きで行動を起こしたのか分からない。

ただ、この時のギルベルトは、突き動かされるように王子の船へと向かったのだ。


王家の利用する港というのは、当然それなりに警備も厳しい。

しかし第七王子の船は、その大きさこそ他の兄弟のものと比べて遜色なかったが、一番端の、照明もろくに設置されていない暗い場所にあった。

それというのも、今の王が子を作り過ぎたことが原因だ。

王子だけで7人、姫を入れれば15人にもなる。

貴族であれば政略結婚の人脈作りのためにも子が必要とはいえ、これは今までのウィスタリアの歴史から見ても明らかに多かった。

そのしわ寄せを食らって、第七王子の船は警備の薄い場所に追いやられたというわけである。

なにかおかしな様子は無いかと見張りに来たギルベルトからすれば、身を潜められる物陰も暗がりも多くやり易いとはいえ、これには少々第七王子が哀れにも思えた。


一晩見張っているだけで、この港の警備があまり厳重でないことにギルベルトは気づいた。

海のほうへは警戒が向いているが、陸のほうは惰性でやっているという様子なのだ。

陸側は王城の敷地に面していて、そちらから賊が来るとすれば王城を巡回する兵が先に気付くに決まっているのだから、油断する気持ちも分からないでもない。

しかし明らかに穴のある警備に、騎士としてギルベルトはやきもきした。

一体どうしてこんな場所にいたのかと訊ねられる心配さえなければ、このことについて意見をしたいくらいだ。

ギルベルトはそうして不満を抱えつつ、何事も起こらない幾日かを過ごした。

自分は一体何をしているのだろうと途方に暮れ始めたある日の夜。

人目を避けるようにして、王子の船に荷物を運びこむ人間が現れた。


はじめ、ギルベルトはそれを分厚い毛布か何かかと思った。

屈強な船員二人に抱えられた細長い包みの、その片側ががくりと動いたのを見た瞬間、ギルベルトは悟ってしまった。

あれは人だ。

頭からつま先まで布に包まれた人間が、かろうじて足先だけで藻掻いているのだ。

どう考えても尋常なことではない。

ギルベルトは隠れていたことも忘れ、とっさにその場から飛び出した。


荷運びをしていた人間二人とて周囲に警戒していたのだろうが、長い間魔獣退治で気配を殺す術を鍛えていたギルベルトは、音もなく素早く二人に駆け寄り、手早く殴打を加えて気絶させた。

運ばれていた人間が地面に落とされる前に抱きとめ、そのまま隠れていた暗がりまで逃げようとした矢先、王子の船の甲板からギルベルトめがけて幾本も矢が射られる。

ギルベルトは片手で剣を抜き、矢が自分と抱えている人間に当たらないよう切り払った。

幸い布で鼻から下を覆っていたため、顔はほとんど見られていない。目立つ魔法で攻撃されなかったということは、相手としても港の警備兵には見つかりたくないのだろう。

今からでも、急げば逃げ切れる可能性は十分ある。


そう判断したギルベルトが船に背を向けて走ろうとした、その時。

抱えていた人間が自らを包む布を破り、隠し持っていた短刀でギルベルトの脇腹を切りつけた。

傷自体は浅かったが、急速に体に回る痺れに、刃に毒が塗られていると気づいたものの、もはやどうしようもない。

ギルベルトは船から降りてきた人間に乱暴に捕らえられ、そのまま意識を失った。


暴漢として拘束されたギルベルトの取り調べは、冗談かと思えるほどに手早く行われた。

愛想も何もないしかめ面の調査官は、猿轡をとかれたギルベルトが口を開く前に、机の上にごとりと手のひらに乗る程度の大きさの黄金の台座を置いた。

台座には支柱が差し込まれ、そこに台座と同じ黄金のベルが吊るされている。

女神の鐘だ。


「貴様には第七王子への謀反の容疑がかけられている」

「待ってくれ、誤解だ、俺はただ」

「王子の船の船員を襲撃したな」


そう問われてしまうと、どんな形であれ王子に雇われている船員を攻撃したのだから、そうだ、としか言いようがない。

真実を前に沈黙する鐘の様子に、調査官は頷いた。


「貴様は王子を害する気でいたのだな」

「いや、それは」


違う、とギルベルトは良い切れなかった。

王子が悪人だったとしても、それを公表することは、王子側にとっては不利益になることだ。

それは、害する気でいた、ということになるのではないか?


「ちが、う」


掠れた声に応えて、鐘は澄んだ音色を響かせた。


「女神の鐘による証拠が得られた。これにて聴取を終了する」


あっさりと帰ろうとする調査官に、ギルベルトは目を剥いた。

女神の鐘の魔法は普通の魔法と違い、教会で女神から加護を与えられた鐘にのみ宿る特殊なものだ。

故に人間にはいかなる魔法を使おうとも、この鐘を欺くことができない。だからこそ絶対的な信頼がおかれている。

ギルベルトの王子への反逆は明確なものとされたのだ。

しかしそれにしても、理由どころか手口や仲間がいるかどうかすら尋問されないというのは、明らかにおかしい。

立ち上がろうとして肩を両側に立つ兵士に抑えられ、それでもギルベルトは声を上げた。


「待ってくれ! 理由がある! 俺は、決して」


猿轡をかけられ、魔法で強制的な眠りに落とされながら、ギルベルトは深い悔恨の念を抱いた。


檻へと入れられたギルベルトの前に、第七王子はその日のうちに、いつもと変わらない笑顔を浮かべて現れた。


「ただの暇つぶしのつもりでしたが、まさかこんなに面白いことになるとは。辞めさせたあの女中には感謝しなければいけませんね。

さて、貴方のことは調べさせてもらいました」


わずか11歳の王子は、そうとは思えないほどに落ち着いた声で、背後に護衛を従えギルベルトを見つめる。

対するギルベルトはといえば、いざ目の前にしてみて、彼こそが一連の出来事の元凶なのだろうという納得がいった。

見た目は王子に相応しく、気品があり美しい。

しかしその笑顔の裏側に、形容しがたい暗さがある。


「討伐隊ではとても活躍していたようですね。

強く、誰に対しても優しく、給金のほとんどを故郷へ送っていたとか。素晴らしいことですね」

「……お褒めの言葉をいただけるとは、ありがたい」


皮肉を返すギルベルトに、王子はますます笑みを深める。

両腕を広げて語り掛ける姿はまるで聖職者のように穏やかだったが、それだけに滲む歪みが異様に見えた。


「貴方は追放刑に処されます」

「……それはまたなんとも、寛大な」


なにせギルベルトは第七王子への謀反、という罪で捕らえられたのだ。死罪でもおかしくはない。

追放刑とは財産を全て没収し国外追放される刑罰であり、決して軽い刑ではない。

しかし狩人としてどこででも生きていける腕前のあるギルベルトからすれば、今の職を失い故郷へも帰れなくはなるが、まだましと言えた。


「勿論、貴方のご家族も」

「なっ」

「おや、意外ですか? ダーミッシュ男爵領は隣のアーリンゲ子爵領に併合してもらいましょう。元々人口も少ない領地です。引継ぎにあたって大した問題も起きないと思いますよ」

「何を……! よしてくれ、家族だけは!」

「おや、そうですか。ふむ、どうしましょう?」


檻の鉄柵に掴みかかり必死に訴えるギルベルトに、王子は目を細め、わざとらしく小首を傾げる。それからぽんと手を叩いた。


「ではこうしましょう。貴方がこれを付けてくれるのなら、ご家族については私が減刑の嘆願を出してあげます」


貼り付けたような微笑みを浮かべる王子の手に、後ろに立つ護衛が細い金属製の輪を渡した。

大きさからしておそらく首輪だろうそれに、ギルベルトは眉を顰める。

ただの装飾品とは思えない。

この悪趣味な提案に乗ったとして、この王子が本当に約束を守るかなど、怪しいものだ。

それでも、ギルベルトは頷くしかなかった。


「……わかった」


絞り出すような声に、王子は手を叩いてはしゃいでみせ、鉄柵のすぐそばへと歩み寄る。


「ああ、良かった! では、私が手ずから付けてあげましょうか」


金属の首輪は縦に切れ目が入っており、そこから二つに折れ曲がった。

それを背伸びをしてギルベルトの首に当て、切れ目部分の金具を細い指で嵌める王子は、仕草だけは子供じみているのが逆に気色が悪い。

しっかり嵌められた首輪に触れたまま、王子はにんまりと目を細めて笑った。


「ギルベルト。お前はこれから、私と私の部下に危害を加えてはならないし、私から逃げてもいけない」


言葉に応えるように、首輪が怪しい光を放つ。

己の状況がさらに悪化したことを察しつつも、ギルベルトは目の前の悪辣な王子を険しい目で見降ろした。

諦めてやるつもりはない。たとえ何年かかろうと、この王子には己の罪を償わせてやる。

ギルベルトはそう誓った。

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