第18話 騎士と王子・前

ギルベルト・ダーミッシュの人生は、平穏とは言い難いものだ。

ギルベルトは没落寸前の男爵家の三男として生まれた。

農業にも適さず湿地が多く、とりたてて金になる産物があるわけでもないダーミッシュ男爵領は住民の数も少なく、従って税収は雀の涙のようだったが、当主は人格者で民から血税を搾り取るようなことは決してしなかった。

貴族というものは収入も多いが、家と領地を保つための支出も多い。

そうなると当然、ダーミッシュ男爵家の家計は常に火の車である。

しかしギルベルトは、清貧な父親を誇りに思っていた。

そして、文句の一つも言わずに父を支える家族をとても愛していた。


ギルベルトの家は、かつて栄えていた時代の面影を残し、外観ばかりはそれなりに立派なものだ。

しかしながら中身はと言えば、売れる家財はあらかた売り払われ、質素と言うよりほかにない。

宝石も絵画も無い家ではあったが、ありがたいことに、頑丈な鉄製の剣や槍、たくさんの鏃が残されていた。

これは一応といえど貴族の家であるので、戦争に召集されたときのための備えだ。

ギルベルトの住むウィスタリアでは、もう何十年も戦争など起きていないし、家が雇っている兵士も半農で、まともに剣が振れるのは十人にも満たない騎士だけだ。

なのでギルベルトは、せめて錆びないようにと手入れだけはされている剣と矢を拝借し、弓に弦を張り直し、家のせめてもの助けになればと狩りを始めることにした。

10歳になったばかりの子供の、考えなしの行動が最初からうまくいくはずもない。初めて入った家の裏の森で、ギルベルトは散々に迷い、どうにか背の高い木に登って家の方向を知り自力で帰ることは出来たものの、普段は優しい父から大目玉を食らった。


そうして今度は、近所の村で一番の猟師に弟子入りをした。

貴族の子弟が猟師に弟子入りするなど、反対されるかとギルベルトは思っていた。

しかしながら、貴族といえどダーミッシュ家はあきらかに貧しい。

三男坊が手に職をつけることを、父親は反対しなかった。将来家を継ぐ長男と、長男の身になにかあった時のために控えている次男はともかく、三男はいつか家を出る選択肢も取れるようにという親心だったのだろう。

そんなわけでギルベルトは家では貴族として恥ずかしくない程度の勉強を、騎士からは武器の扱い方を教わり、猟師には森での歩き方と獲物の探し方、仕留め方を教わった。

同い年の子供達より体格のよいギルベルトは、騎士たちからは良く褒められた。

家のためにと厳しい稽古にも耐え、自分よりもずっと体格のよい騎士たちに果敢に打ち掛かる姿は、見る者に彼の将来を期待させるだけのものがあった。


逆に猟師としての勉強は、随分と師匠に怒られた。

生来せっかちなところのあるギルベルトには、森の細かな地形をあらゆる角度から見て覚えたり、歩きやすい箇所を見分けたり、獣の残す微かな痕跡を見つけるだけの注意力がどうにも足りていないのだ。

師匠は貴族相手にもまるで物怖じしない男で、何度も無茶をしては拳骨を落とされながら、それでもギルベルトは諦めずに様々なことを学んでいった。

数年後には猪を罠にかけて捕らえられるほどになり、厳しい師匠が初めて頭を撫でてくれた時には思わず涙ぐんでしまい、男が泣くんじゃないとまた殴られた。

それでもその拳がいつもよりよっぽど手加減をして優しいものだから、ギルベルトはすっかり涙が引っ込んで笑ってしまった。

そうして、獲物の肉や皮で家計の手助けをしながら過ごす日々が何年か続いた。


ギルベルトが17歳になった年のことだ。

王家の持つ森に魔獣がでたため、貴族は討伐のための兵をよこすように、という知らせが届いた。

王家にも無論兵はいる。しかしそれらが警備をするのは、王族が居る土地や、王が管理する土地の中でも主要な産業のある場所だ。

今回魔獣が出た場所というのは、王家の直轄と言っても、木々に覆われ開墾に手間がかかり、下賜してもあまり喜ばれそうにはないという、いわばハズレの土地を仮に王家が管理しているというだけの場所に過ぎない。

そんな森なので、発見の遅れた魔獣は、すっかり大きく育っていたのだという。


自分が行くと言ったギルベルトに、最初はさすがに家族も反対した。

しかしこの派兵は危険ではあるが、得るものもあるのだ。

まず王家から少額ではあるが褒賞が出る。当然、よい働きをすれば増額してもらえる。

そして他の領地の騎士や王族直轄の騎士の知己を得られるかもしれない。

つまりカネとコネを手に入れられる可能性があった。

家族を説き伏せて参加したこの魔獣討伐で、結果、ギルベルトは抜群の功績を上げた。


ギルベルトはまず野営地からすこし外れた森で山鳥や兎をたっぷりと捕らえ、求められれば他領の騎士にもそれを気前よく振舞った。

そうして山歩きが上手いことが周囲に知られ、索敵へと回されると、大きな魔獣から逃げたのだろう小型の魔獣たちの足跡を辿っていき、放射状にぽっかりと空いた魔獣たちの縄張りの真ん中で目的の相手の巣を見つけたのだ。

この情報を受け取った本隊は、魔獣に気付かれないよう森に散らばって巣を包囲した。

といっても、金属鎧を付けた騎士たちが大勢で動くのだ。

鎧の隙間に布をかませて音を出来るだけ殺しても、どうしてもざわついた気配が出てしまう。


大勢の敵に狙われていることに気付いた魔獣は、包囲が完成する前に巣から飛び出した。

先行していた弓兵たちがどうにか弓を射掛けたが、致命傷には至らない。

興奮した魔獣が走ってきたのは、運の良いことにというか悪いことにというか、ギルベルトのすぐ近くだった。

突進してくる猪と狼を足したような大型の魔獣に、とっさにギルベルトは腹の下へ転がり込んだ。

そうして転がる勢いのまま、魔獣の後ろ脚に切りかかった。

盛大に転んだ魔獣は、駆けつけてきた騎士に一太刀で腹を裂かれ、数秒苦しんだのちに絶命した。


この駆けつけてきた騎士というのが、ギルベルトにとってじつに運の良い相手だった。

今回の討伐で実働隊の取り仕切りを任されていた、王族直轄の騎士だったのだ。

若いのに良い腕をしていると大層気に入られたギルベルトは、そのまま指揮官のもとまで連れていかれ、いかに勇敢に戦ったかと褒めちぎられた。

実際のところ、あの一撃は運が良かっただけだとギルベルトは思っている。

しかし降ってわいた機会をみすみす逃す手はない。

ギルベルトは褒美は何が良いかと聞かれ、王のもとでこうして魔獣を討伐する騎士になりたい、と答えた。

そしてその願いは、気前よく叶えられたのである。


そこからギルベルトは、実家に仕送りをしながら獅子奮迅の活躍をした。

領地の森で狩りをし、時には小型の魔獣も退治する生活も悪くなかったが、それよりずっと厄介な魔獣を相手にする討伐隊の仕事は、勤勉なギルベルトにとって楽しいものだった。

勿論怪我もすれば、仕事仲間を喪うこともある。

しかし民の暮らしを助けることができている、と実感できるこの仕事を、ギルベルトは誇りに思っていた。


隊に所属している者の多くは貴族出身の騎士ではあったが、誰しも三男坊や四男坊で、出世の道からは外れている身の上だ。

魔獣討伐隊は腕利きぞろいで民から感謝される仕事ではあるものの、貴族間での評判や名誉があるかというと、必ずしもそうではない。

そこに自ら志願してやってきた新人だ。かわいくないわけがない。

希望に満ち、意欲にあふれたギルベルトに、討伐隊の先達はこぞって己の技を教えた。


そうなれば、当然ギルベルトはその期待に応えようとする。

粘り強く学び、あらゆる技を習得したギルベルトは、討伐隊でも屈指の腕利きとして知られるようになった。

とはいえギルベルトはそれに驕るような性格ではない。

折角の俸禄も褒賞も必要な分だけを残して実家に送ってしまうものだから、隊員たちからは勿体ないとからかわれたが、これこそがギルベルトが送りたかった生活そのものだ。

充実した毎日を過ごすある日、ギルベルトのもとに一人の客が来た。

ひょろりとした頼りない体に、これまたへらりとしまりのない、しかし人の良さそうな笑顔を浮かべた客は、故郷であるダーミッシュ領から王都へ働きに出てきたのだという。

ハンス・ベッカーと名乗るその男は、領主一家の三男が討伐隊で働いていると聞き、酒を差し入れに来てくれたのだ。

手紙では実家と数えきれないほどやり取りをしていたものの、領民とこうして話す機会はそれほど多くない。

ギルベルトは男を討伐隊の宿舎の一角へ呼び、近頃の領地の様子について尋ねた。


「近頃の領民の様子は、どうだ。日照りもあっただろう。飢える者が少なければいいのだが」

「ああ、まあ、まだやっぱり少しばかり物はすくのうございます。けれどギルベルト様がこうして討伐隊で働いてくださるようになって、ずいぶん助かっているんでございますよ。そのおかげで、領主さまが育ちやすい雑穀やら野菜やらの苗を買ってくださいますから」

「いや、俺など槍働きしか出来ぬ。民の暮らしが楽になっているなら、それは父上や兄上たちのお陰だろう」

「はい、それはもう、領主様がたは本当にいつも良くしてくださって。けれどその領主様からして、ギルベルト様をお褒めになるものですから」

「それは……、うむ、なんだ」


照れて居心地悪そうに言い淀むギルベルトに、男はただでさえ笑み崩れている顔をますますほころばせた。


「私は、今日はそれで、ギルベルト様にお礼を言いに来たのですよ」

「なに、俺にか」

「はい。ギルベルト様の送ってくださったご俸禄で、領主さまは苗のほかにも、王都の最新式の会計の教本だとか、農学書だとか、そういった身になる本をたくさん買って教会に置いてくださったんです。

私はそれで勉強ができまして、こうして王都へ働きにも来れたものですから、これは元はと言えばギルベルト様のおかげなのです。

私も王都でよく勤めて貯えができましたら、それで故郷と行商などをして、ギルベルト様とご領主様に、いくばくか恩返しができればと考えております」


そう言って深々と頭を下げるその男に、ギルベルトはすぐには返事ができなかった。

これまでの苦労がなにもかも報われたような、そんな心地だった。

俺の働きは魔獣に苦しめられる民を助け、清廉な父を助け、そうしてこの善良な領民を助けている。

俺の働きで、俺の愛する、貧しくとも美しき故郷が、このような夢を抱いた若者の育つ場所になっている。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。

涙をぐっとこらえたギルベルトは、震えそうになる声を誤魔化して、大きく頷いた。


「うむ! なんとよい心がけだろうか! このように立派な若者が育っているのだな。俺も働き甲斐があるというものだ」

「はは、ギルベルト様は本当に働き者でいらっしゃる」

「それが性に合っているのだ。して、ハンス。お前は今なんという店で働いているのだ」

「はい、大通りから東に一本橋を渡った銀靴通りにある、プーリットという名前の酒屋に勤めております」

「おお、知っているぞ。王城にも茶や酒を納めている店だろう。老舗ではないか。なるほど分かった。近くに行くことがあったなら寄らせてもらおう」

「ありがとうございます。その時は店の者にハンスを呼べと言っていただければ、必ず私が案内をさせていただきます」

「うむ、よろしく頼む」


そうしてハンスと知り合ったギルベルトは、ひと月に一度は、必ず店に立ち寄るようになった。

忙しく立ち働いている時には顔だけ見て帰ろうともしたのだが、ハンスはギルベルトが来ているのを知ると必ず案内に出て、今日は遠国の茶を仕入れているだとか、人気の酒が手に入ったと言っては持て成した。

故郷のベリー酒があると聞いた時には必ず買って帰り、討伐隊の仲間に振舞ったりもした。

ハンスは勤勉で実直な姿を評価され、数年後には店の中でも頼りにされ、何人も部下を持つようになった。

他の領民達の面倒も見るようになったハンスとギルベルトは、その頃にはすっかり打ち解け、一緒に酒を飲むような仲になる。

それでもハンスはギルベルトを敬う態度を端々に見せたが、ギルベルトのほうはと言えば、ハンスのことをまるで同じ立場の友のように思っていた。

お互い故郷を想い、都会に出てきた仲間だ。貴族と平民という違いはあれど、それ以外は同じである。

ギルベルトの前では頑なに敬語を崩さないハンスもまた、ギルベルトと酒を飲むときは、常より朗らかに笑っていた。


そんなある日のことだ。

ハンスの勤める店が、突然王城との契約を打ち切られた。

言うまでもなく、王城は大勢が働き、毎日持て成す客も多い。当然そこで消費される茶や酒も大量かつ上質であり、プーリットの売り上げも4割は王城との商売から得ていたものだ。

しかも、打ち切りとなった理由も悪かった。

納めていた茶葉に、二級品が混じっていたというのだ。しかもそれは王族に供されるもので、王子がいつもの茶と違うと言って事が発覚したのだという。

プーリットは王都でも老舗で、勿論品質にこだわった品物を仕入れている。客層も貴族や裕福な市民が主だ。

この出来事は、プーリットの経営に大きな影響を及ぼした。


はじめその噂を聞いた時、ギルベルトはそんなことがあるだろうかと疑問に思った。

プーリットでの茶の仕入れに携わっているのは、誰あろうハンスなのだ。

全権を持っている、というわけではなくとも、真面目なハンスなら城に納める品を当然確かめる。ましてや一級品に二級品を混ぜて誤魔化すようなまねをするはずがない。

その時丁度討伐の仕事で遠くへ出かけていたギルベルトは、帰ってその噂を耳にした途端、急いで店へと向かった。

出迎えてくれたハンスは、いつもの人の良さそうな笑顔を浮かべてはいたが、ずいぶんとやつれていた。

客用の試飲室で、ギルベルトはハンスを、気を落とすなと励ました。


「きっとなにかの間違いだ。今まで通り働いていれば、悪い噂などいつかは消える。」

「……ありがとうございます。ギルベルト様は、お疑いにすらならないのですね」

「当たり前だ。俺は商売のことは分からないが、お前がどれほど真摯に仕事をしているのかくらいは分かる。客に売るものを誤魔化すようなことなど、するはずがない」


ギルベルトにそう断言され、ハンスはくしゃりと笑顔をゆがめた。

自分はいつも仕入れた茶葉の木箱の中から、缶を一つ開けて中身を確認しているが、その時はいつも通りのよい品だった。

しかし、城から返品された開封済みの缶には、たしかに質の悪いものが混じっていた。

こんなことになり責められてもおかしくないのに、店の者たちもきっと何かの間違いだと言ってくれる。

それが逆につらいのだと、いつも笑顔を絶やさない友が、目の前で静かに泣いた。

一体どうしてこんなことが起きたのか、調べなくてはならない。ギルベルトはそう決めた。

そのための動機は、この涙だけで十分すぎた。

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